バス停
ニイニイゼミが鳴く声を聞きながら、ランドセルを背負った少年と少年のお母さんが歩いています。
少年は白い杖を左手に持ち、右手をお母さんの左肘にからめるように組んでいました。お母さんは少年の手を包むように右手をおいています。
深くかぶったキャップのつばの下、少年の目は閉じられたまま開くことはありません。
少年とお母さんはバス停に着きました。バス停には木で作られたベンチが置いてあります。お母さんは少年を誘導してベンチに座らせます。お母さんも少年の隣に座ります。
お母さんの汗ばんだ腕から手をゆっくりと離し少年は空を見上げて季節の香りを吸い込みました。
ややあって、バスが二人の前に止まりバスの扉が開きます。スクールバス担当の女の先生が笑顔で挨拶をして少年を向かい入れます。少年も笑顔で挨拶をしてバスに乗り込みました。
バスが出ます。お母さんは窓の向こう、バスの中の少年に手を振ります。少年はそのお母さんの姿を見る事が出来ません。
ヒグラシが鳴く声を聞きながら、お母さんが歩いています。
お母さんの額には汗がにじんでいます。
お母さんはバス停に着きました。バス停の木で作られたベンチにゆっくりと腰を掛けます。
ややあって、バスがお母さん前に止まりバスの扉が開きます。登校の時と同じ女の先生が少年を補助してバスから降ろします。少年と母親は女の先生と挨拶をかわします。
バスが出ます。少年は手を伸ばしお母さんの腕にからめます。二人は家に向かって歩き始めました。
昨日も今日も、二人はそうしています。
そして、明日もそうするでしょう。
ヒグラシの鳴く声が、道に響きます。
電柱の影が濃く長く道に落ちています。
バス停の木で作られたベンチが夕日に照らされています。
ややあって、バスがベンチの前に止まりバスの扉が開きます。いつもの女の先生が少年を補助してバスから降ろします。少年のお母さんはいません。
バスが出ます。少年はしばらくその場に立っていました。少年は何故か家とは反対の方向へと歩き始めました。
誰もいないバス停の影が伸びていきました。
バス停に向かって少年のお母さんが速足で向かっています。バス停に着くと慌てた様子で周りを探ります。何度も少年の名前を大声で呼びました。でも、少年の返事はありません。
お母さんは走りだしました。
少年のお母さんは近くの交番に駆け込みました。お母さんのあまりの血相にお巡りさんは面食らっています。
お巡りさんはお母さんに椅子に座るように言いました。そして、落ち着いてゆっくりと話すように促します。
お母さんは動揺したままでしたが、ゆっくりと話す事を心がけてお巡りさんに少年がいなくなった事を説明しました。
いつも迎えに行っているバス停に少年がいない事、迎えに行くことが遅くなっても普段少年はバス停で待っていた事、今日は少し迎えが遅くなった事、そして最後に少年は目が見えない事……
一通りの説明を終えると涙がお母さんの頬つたいました。
話しを聞いたお巡りさんは、すぐに警察署に連絡をして少年を探してもらう手配をしました。お巡りさんは少年を探しに外へでました。お母さんは交番で連絡を待ちます。
待つ時間はお母さんにとって永遠に続く責苦のようでした。
交番の戸が開く音がまるで蜘蛛の糸のようにお母さんを現世へと導きます。開いた戸にはお巡りさんと少年が立っていました。お巡りさんは優しく微笑んでいます。少年は少し困ったような顔でした。
お母さんは少年をきつく抱きしめました。
お巡りさんは少年が隣町で保護された事をお母さんに伝えました。お母さんは少年が一人でそんな遠くに行った事に驚きました。
「一人で知らない道を歩いてみたかったんだ」
少年は申し訳なさそうに言いました。お母さんは驚いた顔で少年を見ました。そしてお母さんはボロボロと大粒の涙をこぼします。まるで子供のように泣きじゃくるお母さんを少年は困ったような顔で見上げます。お巡りさんは何も言わず二人を優しく見ています。
お母さんと少年はお巡りさんに感謝と謝罪の言葉を伝え、帰途につきます。あたりは月明かりに照らされています。いつものように少年はお母さんに腕をからませます。
少年は夜空を見上げて夜の香りを吸い込みました。夜の香りにまぎれて微かにお母さんから甘い香りがしました。
その甘い香りに少年は眉をひそめます。
完




