『ウンディーネさんと深淵の谷 ④』
深淵の谷の中層に逃げ込んだ、ダークエルフさん。
ティーニヤさんのお兄さんは、全軍を率いて中層へと続く下り坂の前までやってきます。
そのまま前進と思いきや……。
「ご領主様! これより先に進むのは危険ですっ!!」
護衛を務める兵士さんに、止められてしまいました。
兵士さんの言うことは、正しいと思います。
中層に出現するモンスターさんは手ごわいですからね。
ですが、お兄さんは首を横に振ったのです。
「言われずとも解っている。だが……首謀者を捕らえる為には、行かねばならぬのだ」
「お言葉ですが。魔力の無いダークエルフが中層で生きながらえるとは考えられません。どうか、ご再考願えませんでしょうか」
「ふむ……」
兵士さんの訴えに、考え込むお兄さん。
かなり悩んでいるように見えます。
でも、わたしは兵士さんの言葉に違和感を覚えていました。
なので、こんなことを口に出してしまったのです。
「本当に、生き延びることは、できないのでしょうか?」
「貴様っ! 何が言いたいっ!!」
わたしに向かって、兵士さんが怒声を上げます。
そんなに怖い顔をしないでください。
今から理由を説明しますから。
「兵士さんにお訊ねしますが……ダークエルフさんはなぜ、深淵の谷に来ているか、ご存じなのですか?」
「毒作りの素材集めだろ? そのくらいの事は知っておるわっ!」
「では、その毒の素材になるものは、なんですか?」
「そ……それは、知らぬが……」
「其女には判るのか?」
そう声を掛けてきたのは、お兄さんです。
わたしはお兄さんに視線を移し、小さく頷きました。
「毒の素材になっているのは、デッドリースコーピオンさんの尻尾だと思います」
「ふむ……聞いた事が無いモンスターの名だな」
聞いたことがない?
意外ですね。
深淵の谷では、誰もが知るモンスターさんですから。
おひさしぶりに、ゲームと現実の違いを感じました。
「デッドリースコーピオンさんは強力な毒を持つサソリさんでして、その毒は『神をも殺す』と言われています」
「ほう、神殺しの毒か……それならば、神獣様も殺める事が出来ると言う訳か。しかし、解らぬな。其女、その情報を何処で得た?」
「えーっと……王都ですよ?」
もちろん、ゲーム内でのお話ですけどね。
嘘は吐いていません。
「カスタリーニには、その様な情報が出回っているのか。ギルド間の連携を密にせねばならぬな」
「そ、そうですね……」
こちらの世界の王都に、その情報があるかは、わかりませんが……。
もしなかった場合、ヘンな疑いを掛けられちゃうんですかね?
そんなことを思ったら、嫌な汗が頬を伝いました。
わたしは緊張した表情を浮かべながら、お話を元に戻します。
「それで……そのデッドリースコーピオンさんなんですけど。このモンスターさんは、主に中層に出現するんですよ。ダークエルフさんが、デッドリースコーピオンさんの尻尾を集めているとしたら、中層で生き延びる術を知っているとは思いませんか?」
「ふむ、成程な。其女の話を聞いて、覚悟が決まった。皆の者、中層へ向かうぞ!」
お兄さんの言葉を合図に、500人の大軍が前に進み出しました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
緩やかな坂を下り、中層に到着。
ここでは場面が、ガラリと変わります。
上層にあった草木はどこへやら。
周囲には石と岩しかありません。
この風景が下層の入り口まで続くのです。
殺風景と言えば殺風景。
でも、気を抜いては、いけません。
中層からは、モンスターさんの出現率が一気に上がるのですから。
先ほどお話した、デッドリースコーピオンさんは、もちろんのこと。
ロックリザードさんや、シャドウラビットさんと言うモンスターさんも登場します。
まずロックリザードさんですが、お名前の通り全身が岩で覆われた、とても硬いモンスターさんです。
暗闇の中で強化されているためか、物理攻撃だけでなく、魔法の攻撃もほとんど効き目がありません。
魔族さんを覗けば、深淵の谷の中で、ほぼ無敵な存在。
ただ、動きがものすごーく遅いので、簡単に逃げ切れるんですよね。
一方、シャドウラビットさんは、素早さに特化したモンスターさんです。
10メートルくらいなら、一瞬で距離を詰め、確実に急所……この場合、頸動脈あたりを狙ってくるのです。
しかも、姿が真っ黒なので、目で追うのが難しい……。
ですから遭遇した時は、姿勢を低くして、盾などを使って急所を守らなくてはいけません。
連続で何回か攻撃してきますが、仕留められないとわかると、諦めて撤退してくれます。
それまでは、ひたすら我慢すること!
最後にデッドリースコーピオンさんですが……。
このモンスターさんだけは、有効な対処法がないんですよね。
とにかく毒の尻尾に刺されないよう、常に足元を注意するしかありません。
……とまあ、こんなことを、お兄さんと兵士さんたちに説明しました。
別に自分から進んで、お話ししたワケではありません。
お兄さんに頼まれたから、わたしの知り得る情報をお伝えしただけです。
その結果、お兄さんは感心するように何度も頷いていました。
ですが、兵士さんたちは半信半疑と言った様子。
「首の攻撃なんざ、ヘルムがあれば十分に守れるだろ?」
そんなことを言ってくる始末。
「それだけでは防げないんですよ……」
そう忠告しても、聞く耳を持ちません。
わたしが人族だから、信じてもらえないんですかね?
むしろ、わたしが説明したことで、すっかり気が緩んでしまったように思えます。
「こんな小娘でも生き残れるなら、深淵の谷など恐れるに足りず」
いやいや、怖いですよ?
シャドウラビットさんの攻撃なんて特に……。
わたしは1度、神殿送りになったことがありますし。
でもまあ、信じて貰えないなら、実際に体験してみてください。
わたしの言っていることが本当だと、わかりますから。
そして、中層での捜索が開始されてから十数分後……。
「うわあぁぁああっ!!」
1人目の犠牲者が、出るのでした。