『お水の精霊さんとリフォームされたお家』
母さんが家に帰ると言うので、わたしもついて行くことに……。
でも向かっているのはイールフォリオの住宅街ではなく、町の外にある聖なる森。
まさか……。
と言う気持ちが、頭を過る。
聖なる森の入り口に着くと、母さんが黒いフェンリル様……シュヴァルツ様の上に跨った。
そしてわたしに手を差し伸べる。
「アンデイルさんも乗ってください」
「……え?」
シュヴァルツ様に乗せて頂くなんて恐れ多い。
上位の精霊と言っても、神獣様より遥かに劣る存在なのだから。
上手く言葉にできないわたしは、拒否するように母さんから視線を逸らす。
ところが……。
『ご主人様が良いと言っている。遠慮する事はない』
そう言って、シュヴァルツ様は尻尾を巧みに操り、わたしを背中に乗せた。
モフモフして気持ちいい。
まるで夢のよう。
…………はっ! いけない。
現実に戻り、わたしは頭を下げる。
「ありがとう……ございます……」
『礼には及ばぬ。では参ります。ご主人様』
「シュヴァルツさん、お願いします」
「ワオォォーン!!」
雄たけびをあげ、大地を蹴り出し走り出す、シュヴァルツ様。
そのスピードが恐ろしく速い。
以前、ヴァナルガンド様の全力疾走を見たことがあるけれど……。
こんなに速かっただろうか?
振り落とされないよう、わたしは母さんの腰にしがみついた。
そこであることに気づく。
ローブでわからなかったのだけど、母さんの体はとても細い。
それなのに力強さを感じる。
そしてなにより……。
「温かい……」
「はい? なにか言いました??」
「なんでも……ない……」
恥ずかしくなって、母さんの背中に顔を埋める。
母様には無かった温もり。
でもそれを感じていたのは一瞬のこと。
なぜなら、家についてしまったから。
もう少しこのままでいたかった……。
シュヴァルツ様の脚力は素晴らしい。
でも足が速すぎると言うのも、どうかと思う。
残念な気持ちを抑えつつ、母さんの腰から手を放す。
そしてシュヴァルツ様の背中から降りた。
軽く息を吐き、家の前に立つ。
そこで確信した。
やはりここはエリミアの家。
懐かしい……と言いたいところだけど、外観はかなり変わっている。
まず家に隣接していた馬小屋がなくなっていた。
その分、家全体が横に広がっている。
それに……大きすぎる扉。
小柄な母さんには必要ないものに思える。
ところが、それは大きな勘違いだった。
母様に続いて、シュヴァルツ様が家の中に入ったから。
なるほど、大きすぎる扉は、こう言うことなのか。
……って、そうじゃない!
神獣様と一緒に暮らす?
そんな話は聞いたことがない。
そもそも、主従関係を結んでいる神獣様は主を守るために屋敷の外で生活する。
それが常識。
ナイアス様に仕えているヴァナルガンド様もそうだ。
だから、恐る恐る訊ねてみる。
「あの……シュヴァルツ様……此方にいて……母さんを……守れるのですか?」
『ご主人様が滞在中の時は、我の同胞が周囲の警戒に当たっている。故に問題など無い』
それを聞いて胸を撫でおろす。
ただ、母さんは真逆の反応を見せていた。
シュヴァルツ様の言葉に、とても驚いている。
「え? シュヴァルツさんのお仲間さんが、見回りをしてくれてたんですか?? えっと……なんか、すいません」
申し訳なさそうに頭を下げる母さん。
そんな母さんに対して、シュヴァルツ様はオロオロと困った表情を浮かべていた。
母さんは主なのに、とても腰が低い。
人族だから、そうなのだろうか?
理由はわからない。
ただ……見ていて、すごく和む。
それからしばらくして、正式に風のお掃除精霊を紹介される。
初対面ではないだけに、妙に緊張する。
「フウカデス。アンデイル様、宜シクオ願イシマスデス」
フウカ? 何時の間に名持ちの精霊になったのだろうか。
確かに以前よりも魔力を感じる。
実力的には中位の精霊に匹敵すると思う。
わたしも改めて挨拶を交わす。
そしてそのあと、母さんが家の中を案内してくれた。
お風呂とお手洗いの場所は、以前と変わらない。
ただ、小さなキッチンがあった。
エリミアは料理を一切しなかったから、そこに違和感を覚える。
それともうひとつ、見覚えのないものが視界に入った。
「母さん……あれは……なに?」
壁に備え付けてある梯子を指さして訊ねてみる。
すると母さんは、笑顔で答えた。
「登ってみたら、わかりますよ」
言われるがまま、梯子を登ってみる。
そこでわたしは目を見開いた。
「これ……ベッド?」
「はい。アンデイルさんには、そこで寝てもらおうと思っているんですけど……いいですか?」
わたしは水の大精霊、ウンディーネの娘。
家を出る前はカスタリーニにある大きなお屋敷で暮らし、ふかふかのベッドで寝ていた。
それに比べたら、貧相と言えるベッド。
しかも部屋が狭い。
でも……なんだろう、この気持ちは。
胸の高鳴りが抑えきれない。
だからそのままベッドに寝転がってみる。
仰向けになったまま天井に視線を向けると、天窓があった。
そこから紫色に変わっていく夜空が見える。
とても奇麗……。
そして母さんに返事をした。
「いい……最高……」
「それなら良かったです。わたし、お家の裏に行ってきますから、ゆっくり休んでくださいね」
家の裏……あっ!
母さんの言葉で大事なことを思い出す。
それは貯水池の水。
家の裏にある大きな窪地に、わたしは水魔法で定期的に水を貯めていた。
あれから5年も経っているのだから、干からびているかも知れない。
あの窪地は水が貯まりにくい所だから。
寝ていた体を起こし、急いで母さんの後を追う。
ところが貯水池を前にした途端、わたしは信じられないものを目の当たりにする。
「干からびて……ない……」
それどころか、貯水池の水は満水に近い状態だった。
いや、違う。
たった今、貯水池の水が少しだけ溢れた。
母さんの作り出した、巨大な水の塊によって。
「あー、やっちゃいましたね。失敗、失敗」
そう言って、母さんは苦笑する。
「母さん……今……何をしたの?」
「お水の補充をしようと思ったら、ちょっと調整を間違えてしまって……」
母さんは恥ずかしそうに答える。
でも、わたしが聞きたいのは、それじゃない。
「違う……母さんは神官……なのに何故……水魔法が使えるの?」
「あー、そっちですか。あまり言いたくないんですけど……家族に隠し事とかしたらダメですよね」
家族に隠し事……。
母さんの何気ない一言が胸に突き刺さる。
フウカを直視できない。
そんなことを思いつつ、母さんの言葉の続きを聞く。
「わたしが水魔法を使えるのは、ナイアスさんの加護があるからですよ」
ナイアス様の……加護?
あのナイアス様が加護を授けたの言うの?!
信じられない……。
ナイアス様は、とても我儘な神位の精霊様。
オルケニス様とヴァナルガンド様以外に心を開いたことなど無いと聞く。
でも、あれだけの水魔法を見てしまったら納得するしかない。
一瞬で巨大な水を作り出すことなど、わたしの魔力では不可能に近いことだから。
恐らく……母様ですら、数秒掛かると思われる。
ただ、今の魔法を見て確信した。
フレイムドラゴンは、母さんが撃退したのだろう。
これは聞くまでもないこと。
さらに母さんは教えてくれる。
セルフィラ様とエーリィル様の加護を授かっていると……。
極めつけは神具の腕輪。
母さんは神様の寵愛まで受けていた。
凄すぎて、もう驚くことすらできない。
それでも、ひとつだけ言えるのは……。
わたしはとんでもない御方の娘になったと言うこと。