『お水の精霊さんとウンディーネさん』
な、なんなの? このデタラメな魔力の強さはっ?! 本当に人族なの??
心配そうに見つめる人族の少女に対して、わたしは驚くことしかできない。
それでも、なんとか言葉を絞り出す。
「だ……大丈夫……」
「それなら良かったです。でも、どこか具合が悪くなったら言ってくださいね。わたし、これでも神官さんなので」
神官? 人族なのに??
少女の言葉に再び驚く。
人族で神官になれた者など聞いたことがない。
それに彼女の格好は、どこからどう見ても魔法使いそのもの。
魔力を帯びた青いローブに、赤い魔石が埋め込まれた杖。
神官だと言う言葉に疑問を感じざるを得ない。
ただ……嘘を吐いているわけではなさそう。
大きな黒い瞳が、揺らぐことなく、わたしを見据えていたから。
だから、わたしも誠意を持って言葉を返す。
「ありがとう……本当に……大丈夫……」
少女の魔力に気圧されていたけれど、ようやく少し落ち着いてきた。
軽く息を吐き、少女の周囲に目を配る。
そこで、三度驚くことに。
「フェ……フェンリル様?!」
彼女のすぐ後ろに、黒いフェンリル様の姿があった。
な、何故こんなところにいるの?!
開いた口が塞がらない。
そんなわたしに、少女が微笑む。
「彼女はシュヴァルツさん。わたしの家族です」
家族? 黒いフェンリル様が??
そもそも、『シュヴァルツ』って何?
まさか……誇り高きフェンリル様の一族が、人族に名付けされたと言うの?!
信じられない……。
神獣様に名付けをできるのは神族、もしくはそれに値する神の位を持つ者だけ。
身近なところでは、ナイアス様しかいない。
ナイアス様に仕えるヴァナルガンド様は、わたしも何度かお会いしたことがある。
凛々しくて、美して、素敵な御方。
可能ならば、わたしもフェンリル様の一族の御方と共に過ごしたい。
そして、ナイアス様のように自由に生きてみたい。
こんな逃亡生活を終わりにして……。
叶わぬ夢だと、わかっている。
だけど、心の中では何時でも、そう願っていた。
やめよう……。
わたしには無理な話なのだから。
それにしても、この黒いフェンリル様。
気高きオーラは、ヴァナルガンド様にも匹敵すると思われる。
つまり高位の神獣様だと言うこと。
そんな御方を家族にするって、この少女は何者なの?
人族の姿をした女神様じゃないかと思いたくなる……んっ??
ちょっと待って!
黒きフェンリル様の頭の上に座っているのって……。
風の……お掃除精霊?
この子もなんで、こんなところにいるの??
今日だけで、どれだけ驚いたのだろう。
流石に疲れてきた。
そんなわたしのことを、風のお掃除精霊は首を傾げて見つめている。
「高位ノ水精霊様デスカ?」
髪の色を見て言っているのだろう。
青い髪は水属性を表しているから。
誤魔化しても意味はない。
その言葉に小さく頷く。
「ソウデスカ。水精霊様カラ懐カシイ感ジガスルデス」
まさか……気づかれた?
いや、わたしのことは知らないはず。
この子のいる前で、エリミアの外に出たことは一度もないから。
だから、わたしは首を横に振る。
「気のせい……わたしは……あなたを知らない……」
嘘を吐くのは心苦しい。
でも、本当のことは話せばエリミアに置いていかれたことを知ってしまう。
わたしは、この子を悲しませたくはない。
とにかく元気そうで良かった。
それがわかっただけでも、戻って来た甲斐があると言うもの。
ホッと胸を撫でおろす。
さて……わたしは此処を去るとしよう。
母様がいるかも知れない場所に、留まることなどできないから。
東の門に向かって歩き出す。
一刻も早く遠くに行く為に。
ところがここで……。
「ウンディーネ様!」
そう口にしながら、シリフィが駆け寄ってきた。
母様?! 一体何処に??
慌てて周囲を見渡す。
でも母様らしき精霊は見当たらない。
やがてシリフィは、少女の前で足を止める。
「ウンディーネ様、今日はどちらに行かれてたのですか? 今朝、お見掛けしたのに……神殿には居ませんでしたよね??」
「すいません。ちょっとアルファルムンまで行ってまして……さっき帰ってきたところです。それよりも、その名前で呼ぶのは……」
「あっ、申し訳ありません。修理を頼んでいる者との遣り取りで、『ウンディーネ様』と言っていたものですから」
「そいうことなら、仕方ありませんね」
「ところで……アルファルムンに行かれていたと言うことは、例の奴隷の件でしょうか?」
「まあ、そんなところです。たぶん15日後にはイールフォリオに着くと思います」
「15日後ですね。それなら家の修理も完了している筈です。さきほど確認しましたから」
シリフィの返事を聞いて、少女はドワーフに手を振る。
感謝の言葉を添えて。
わたしはと言うと、二人の会話に言葉を失っていた。
「…………」
……え? 1日の間にアルファルムンから行って帰ってきた?? 一体どうやって?!
それに『奴隷の件』と言うのも気になる。
彼女には謎が多すぎる。
でも、一番気になったのは……。
「ウン……ディーネ? あなたが??」
「あ、はい。もちろん、精霊族のウンディーネさんではないですよ? これには色々と事情がありまして……でも、お水の大精霊さんに失礼ですよね」
少女は申し訳なさそうに苦笑する。
そこですかさず、黒いフェンリル様がフォローに入った。
『何を仰っているのですか。ご主人様の方が水の大精霊より、遥かに優れております』
黒いフェンリル様の言う通り。
わたしも彼女の方が母様より優れていると思う。
ただ、その言葉は彼女には届かない。
人族には鳴き声にしか聞こえないのだから……って、ええっ?!
「そんなぁ、買いかぶり過ぎですよ。でも、シュヴァルツさんにそう言ってもらえると嬉しいです……えへへ」
『本当の事を言ったまでです』
そして見つめ合う、少女と黒いフェンリル様。
それを見て、風のお掃除精霊は呆れていた。
彼女と黒いフェンリル様は、とても仲が良いことがわかる。
正直、羨ましい……。
いやいや、そうじゃない!
何故、黒いフェンリル様の言葉を理解しているの!!
まさかとは思うけど、翻訳念話のスキルを持っているとしか考えられない。
もしそうだとするなら、彼女は全てにおいて人族の域を超えている。
そんなことを考えているわたしを他所に、シリフィが彼女に声を掛けた。
「ところで。こちらの精霊様は、ウン……ディーネ様のお知り合いの方なのですか?」
「シリフィさんったら、もう。いえいえ、違いますよ。初対面です」
彼女は否定し、首を横に振る。
本当のことだけれど、なんだか悲しい気持ちになる。
彼女が母様と同じ名前だからだろうか。
ううん、違う。
わたしは彼女の持つ、あらゆるものに惹かれはじめている。
膨大な魔力や、神獣様の主であること。
でも一番は……。
彼女から伝わる、心の温かさ。
わたしも、この中に入りたい。
だから勇気を振り絞る。
「あの……わたしの願いを……聞いて欲しい……」
「お願い? なんでしょう??」
「あなたと……一緒に……暮らしたい……」
「え? 一緒に暮らす?! それはまたどうしてですか??」
「わたし……帰る場所が……ない……それで……」
そこまで話して言葉が詰まる。
わたしはなんて駄目な精霊なのだろう。
話下手にも程がある。
肝心なところで、頭が真っ白になった。
彼女がウンディーネだと言うのなら、母様に怯えず生きていけるのに……。
でも、そんなわたしに向かって、彼女は手を差し伸べてくれた。
優しい笑みを浮かべて。
「大変な思いをされてきたんですね。わたしのお家で良ければ、いくらでも泊まっていってください。幸い、ベッドもひとつ余ってますから」
「ありが……とう……わたしは……アンデイル……よ、よろしく……」
涙が出るくらい嬉しい。
こんなに優しくされたことなど、一度もなかったから。
「アンデイルさんですね。こちらこそ、よろしくお願いします。あと、わたしのことですけど……できればディーネと呼んでくださ……」
「母さん……」
話を遮り、わたしはそう口にする。
「え? ええっ?! そ、それはちょっと……」
困っているようだけど、わたしはひかない。
本当に彼女の家族になりたいから。
「母さんじゃ……ダメ?」
上目遣いに、お願いしてみる。
すると、しらばらくしてから諦め顔で了承してくれた……嬉しい。