『ウンディーネさんと黒いフェンリルさん ②』
「では、お元気で!」
わたしは黒いフェンリルさんに手を振り、イールフォリオの町に向かって歩き出しました。
結局あのあと、たくさんモフモフさせてもらったんですよね~。
なので今のわたしは最高に幸せな気分です♪
そんな気分を害するかのように、目の前に大きなモンスターさんが現れました。
ヴァイパーさん、いい加減しつこいですよ?
そう思ったのですが、そこにいたのは先ほど別れを告げたばかりの黒いフェンリルさんでした。
それも何故か、悲しげな表情を浮かべているのです。
「くぅーん……」
なんとも言えない辛そうな鳴き声。
胸が締め付けられる思いがしました。
「どうしたんですか? まだ、どこか痛みますか??」
完全回復でも補えない、別の傷があるのではないかと心配になります。
ですがわたしの問い掛けに、黒いフェンリルさんは首を横に振りました。
傷の痛みではなさそうですね。
……となると、精神的なものですか。
そこでわたしは気づきます。
鉄の矢が原因で、大きな怪我をしたことを……。
黒いフェンリルさんは殺されそうになったのです。
だから、ひとりでいるのか怖いのかもしれません。
わたしの考えが甘かったですね。
回復魔法を掛けたら、それで終わり。
そんないい加減なことをしようとしてました。
治療するなら完全に治す。
それが、神官さんのお仕事です!
「すいません。わたしの配慮が足りませんでした。もし良かったら、わたしと一緒に暮らしませんか?」
一緒に暮らせば、黒いフェンリルさんを守ることができます。
それに、なにかあったとしてもすぐに治療できますからね。
まあ、心のケアに関しては自信などありませんが……。
でもこの提案に、黒いフェンリルさんは、嬉しそうな顔をしたのです。
「ワォーン!」
おっ、元気な鳴き声ではありませんか。
これは承諾してくれたってことですよね。
しかし、黒いフェンリルさんとの共同生活ですか……。
それもわたしの理想に近い……いえ、それ以上の狼さんです。
その狼さんと毎日モフモフできると思うと、ニヤニヤが止まりません。
おっとその前に、お家とか考えないといけませんね。
さすがにギルド直営の宿屋さんにお世話になるわけにはいきませんから。
それと……。
「フェンリルさんのことは、フェンリルさんと呼んだほうが良いですか?」
この問いに対して、黒いフェンリルさんは首を横に振りました。
多分、ヴァナルガンドさんみたいに個体名があるんでしょうね。
でもわたしは、黒いフェンリルさんの本当のお名前を知りません。
恐らく、イールフォリオに暮らすエルフさんたちも同じだと思います。
ドーラさんも『黒いフェンリスヴォルフ』と言ってましたから。
「なら、わたしがお名前をつけても構いませんか?」
この問いに対しては、首を縦に振ってくれました。
それも激しく、何度も。
明らかな意思表示。
やはり言葉がわかるんですね。
では、その美しい黒い毛並みを称えて……。
「『シュヴァルツ』と言うのはどうですか?」
シュヴァルツとはドイツ語で黒を意味する言葉です。
以前、わたしのカルテに『schwarz』と書いてあるのを見て、文字のカッコ良さから意味を調べたことがありました。
それが腕にできた『Schwarz Flecken』と知った時は軽くショックを受けましたが……。
まあ、それはさておいて。
黒いフェンリルさんは、このお名前を気に入ってくれたようです。
嬉しそうに、尻尾をぶるんぶるんと振ってましたから。
それと同時に黒いフェンリルさんの体が一瞬金色に光り出しました。
……え?
何が起きたのでしょうか。
とても気になりますが、黒いフェンリルさんに変化はありません。
気を取り直して、黒いフェンリルさんに声を掛けました。
「ではこれから、シュヴァルツさんと呼びますね」
「ワォーーーン!!」
黒いフェンリルさん改め……シュヴァルツさんは、とても力強く返事をしてくれるのでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おおっ! 速い速いっ!!」
わたしは今、シュヴァルツさんの背中に乗っています。
その足でイールフォリオの町に向かっているわけですが、これがものすごく速いのです。
シュヴァルツさんは3メートルを超える大きな体をしています。
それなのに着地の振動がほとんどしません。
しなやかな動きが最高の乗り心地を生み出していました。
さらにこのモフモフ感。
あー、なんと言う幸せ♪
しかし、その幸せは長く続きません。
町の入り口が見えてましたから。
速すぎるって言うのも考えものですね……。
ところで、あの騒ぎはなんですか?
町のエルフさんたちが、畑の方で歓喜の声を上げています。
しかも門番さんも一緒になって。
それはそれで好都合と言うもの。
シュヴァルツさんのことを聞かれるのも面倒ですからね。
今のうちにギルド会館に向かうとしましょう。
そして数分と掛からずにギルド会館に到着。
「シュヴァルツさんは、ここで待っていてくださいね。すぐに戻りますから」
そう告げて、わたしはギルド会館の扉を開けました。
中に入ると妙な違和感を覚えます。
あれ? 冒険者さんが誰もいない??
複数参加型のクエストでもあったのですかね。
などと思いながら受付に足を運びます。
シリフィさんはいるみたいですね。
でもどこか、そわそわしているように見えました。
「シリフィさん、ただいまです。どうかしましたか?」
「お帰りなさいませ、ディーネ様。実は川に大量の水が流れてきたと報告を受けまして、住民たちが畑に集まっているようなのです。確認に行きたいところなのですが、ここを離れるわけにもいかなくて……」
あの騒ぎは、そう言うことだったんですね。
「もしかして、冒険者さんたちもそちらに行ってるんですか?」
「はい。状況の確認をお願いしましたが、誰も帰ってこなくて。それよりもエリミア湖の水位は、どのくらいありましたか?」
「えーっと、わたしが見た限りでは、池くらいしかなかったですね。水位は測るまでもなかったです」
「やはりそうでしたか。では川に大量の水が流れているのは、誤った情報なのですね……」
そう言うと、シリフィさんはガックリと肩を落としました。
水不足が解消されると思っただけに、とてもショックを受けているようです。
でもそれは……。
「誤った情報ではないですよ? 湖のお水なら、魔法で一杯にしておきましたから。今は満水に近い状態だと思います」
「え? エリミア湖の水を……水魔法で増やしたのですか?!」
「もしかして、それだとクエストの達成条件に反しますか?」
「そんなこと、ありませんっ! ただ、ひとつだけお願いしても、よろしいですか?」
「なんですか?」
「ディーネ様は、またもこの町をお救いになられました。それも膨大な水魔法によって。どうか、ウンディーネ様と呼ぶことをお許しください」
「……お断りします」
「そ、そんなぁ……」
シリフィさんは、再びガックリと肩を落とすのでした。