夜ノ運動会
もうすぐ運動会だ。
だから全校で合同練習が行われている。
乾燥した校庭に生徒が行き交うと、砂埃が舞い上がる。今日は風が強くて、舞い上がった砂埃は、遠慮なく目や口に入ってくる。隼人はメガネのせいか、目にホコリが入ることは無かった。
練習は特に大きな問題も無く、プログラム順に進んでいる。
今の競技が終われば、騎馬戦だ。
運動会は全員が競技に参加する決まりがある。リレー、借り物競走は立候補もあって、すんなり決まった。
隼人は一人で出来る競技を選びたかった。だけれど、積極性に欠ける性格が災いした。そう、そしてボクの不幸の始まりは、筋金入りのくじ運の悪さだ。
隼人が騎馬戦のくじを引き当てた時の、みんなの哀れむ眼差しが忘れられない。
騎馬戦のメンバーにクラス問題児が勢揃いだったからだ。
もちろん上に乗るのはリーダー格の将騎、左右の後方は櫂と鷹也。ボクは真正面で敵を迎え撃つのだ。
そして、上からも後ろからも容赦ない攻撃が浴びせられるのだから、たまったもんじゃない。いつも練習が終わると、いくつもの痣が出来た。
隼人はこの場所から消えてしまえれば良いのにと、抱えていた両膝に頭を沈めた。
ピーッと集合の笛が聞こえた。
「おい、ボケっとしてんじゃねぇ」
顔を上げると将騎が仁王立ちしている。さらに後ろに二人の手下が立ちはだかる。
ああ、今日の練習も地獄だ……
諦め色に染まった隼人の心が、動作も鈍らせる。
「ハヤトっ、さっさと来い! 」
これ以上どうにかされたら、痣だけじゃすまない。隼人は慌てて三人の後追って、騎馬戦の練習に向かった。
「いてててて……」
新しい痣は脇腹にできていた。肩から下げたカバンが、ちょうど当たるのだ。
そして騎馬の上に乗った将騎の踵がとどく場所だ。今日の練習で蹴られたのだ。
レースで馬の腹を蹴って、速く走らせるみたいに……
「前の痣がやっと消えたのに……、はあ」
おまけに蹴られた拍子に眼鏡が落ちて、自分で踏んづけてしまった。だからメガネは、片方だけレンズがあって、もう一方はない。
アンバランスな視界は、ぼんやりとして焦点が合わない。だんだん目が疲れる。そのせいか、夕日がいつもより赤く滲んで見える。
「ああ、運動会やめたい…… 」
その時、不意に足下から延びる影法師が長く細くなって、家とは反対の四つ辻の方に曲がった。
「あれ? 」隼人は目を眇めた。やっぱり気のせいか、影法師はちゃんと足下にある。
「メガネが壊れてるから、歪んで見えちゃうんだ…… 」
急ぎ足で帰ろうとしたとき、また隼人の影法師が細く長くなって、今度は猫の形をして「にゃあ」と鳴いた。
隼人はびっくりして、壊れたメガネを外して両目をゴシっとこすった。だけど、やっぱり影法師は隼人の形をしている。
ドキドキする心臓に大丈夫と、言い聞かせて、こわごわと四つ辻の方へ曲がった。
すると夕焼けの最後の一筋が電柱を照らしていた。
『転校生求む。夜ノ森小学校、六年マ組』
電柱には、そう書いた紙が貼ってあった。
「夜ノ森小学校? 」
そんな名前の学校は聞いた事が無い。
(新しい学校かな? でも、こんな貼紙で生徒を集めるものなんだろうか? )
隼人は混乱しながらも貼紙をはがして、無造作にポケットに突っ込むと走って家に帰った。
「今日はどうだった? 」
隼人が大好物のハンバーグにかぶりついた時、母さんが聞いた。
もう、学校の…… 運動会のことなんて思い出したくないのに。母さんはいっつもボクの気持ちにおかまい無しなんだ。
「べつに…… 」
「なによ、別にって。ちゃんと話してちょうだいよ」
「母さんには関係ないでしょ」
「関係ないって、だって…… どこで、メガネこわしたの? 」
「うるさいな、どこでもいいじゃん! 」
隼人は夕食を半分も残して、自分の部屋へ閉じこもった。
「隼人ぉ! こんなに残して! 大っきくなれないわよ! 」
母さんの声が聞こえたけど、布団にくるまって耳を塞いだ。
「おい、隼人? 寝ちゃったのか? 」
揺すり起こされて、目の前に父さんがいるのにビックリした。
「……とうさん? オカエリ」
「ん、ただいま。目が覚めたか? 」
「う、うん」
父さんに頭をくしゃくしゃとされて、一緒に風呂に入ろうと誘われた。
寝ぼけたまま、父さんに手を引かれて風呂場に向かった。父さんは話しがあるとボクを風呂に誘う。きっと、母さんが何か言ったんだ。
「父さん、お風呂に入る時ぐらい、それ外せば? 」
「んんっ? 何ことかな、隼人クン」
「ボク、気にしないよ。は、ハゲなんて…… 」
脱衣所の空気が固まった。居心地の悪い沈黙が言葉をさえぎる。でも、それは一瞬のことだった。
「はははは、気づいていたか。でもな、オマエに見せるのはもう少し先だ」
「…… 少しズレているよ」
後ろを向くと素早い動作でカツラを直して、隼人に向き直った。
「なおったか? ……は、隼人っ! おまえソレどうした? ちょっと腕をあげてごらん」
(あっ、脇腹の痣……!! )
「んとね、運動会の練習で転んじゃったの」
「だから、メガネも壊れたのか? 」
「そ、そう、そうそう。転んで踏んづけちゃったんだ」
父さんは何か言いたそうだったけど「そうか」と言って、痣をよけて背中を流してくれた。隼人は話しを逸らそうと、あの貼紙のことを話した。
「ねえ、夜ノ森小学校って知ってる? 」
「夜ノ森? おまえどこでソレを聞いたんだ? 」
「あのさ、今日帰りに電柱に貼紙があったんだよ。転校生募集って」
「四つ辻にか? 」
「どうして知ってるの?! 」
「うーん、そっか、おまえもそんな年になったか…… 」
「なに、納得してんの?! 」
そして長くなるからと、父さんは寝床で話しの続きをした。
小学校がある夜ノ森町は、父さんのおじいさんが住んでた町だった。だから夜ノ森小学校は、父さんも一年だけ通ったんだよ、と言った。
「おまえも、夜ノ森小学校に行くか? 」
「えっ、だって、そんなに簡単に転校なんかできないでしょ」
父さんは不気味な笑顔を浮かべた。初めて見るその顔に少し尻込みしたけど、あの将騎たちから逃げられるなら、それも良いと思って頷いた。
「じゃあ、決まりだ。明日は忙しくなるぞ。さあ、もう寝なさい」
「うん、おやすみ」
夜ノ森小学校は町のはずれにあった。
校舎は古くて小さかったけど、手入れがされていて居心地がよかった。
父さんは慣れた様子で、来客用の入口から職員室に向かった。
「おはようございます」と扉を開けると、ヒゲの生えた体の大きな人が迎えてくれた。
「斑目クン、久しぶりだね」
「校長先生もお変わりなく」
隼人は親しげに話す父さんと「校長先生」を不思議そうに眺めた。職員室を見渡すと、他に先生らしい人は誰もいなかった。
「で、これが息子の隼人です。あちらで摩擦を起こすようで、しばらくこちら側に預けたいと考えまして」
「まあ、なるほどね。そんな年頃だよ。君が戻ったのも同じような年じゃなかったかい? 血は争えないね、うん、任せなさい」
「ほら、隼人。あ・い・さ・つ! 」
「う、うん。よろしくお願いします」
父さんはボクの頭をぐぐっと押さえて、深くお辞儀をさせた。
「ようこそ夜ノ森へ。さあ、教室に案内しよう」
校長先生に連れられて隼人は、校舎の一番奥にある教室に案内された。校長先生が教室に入ると、生徒たちが慌てて着席した。みんなが席に着いたのを確認して、
「みんな、記念すべき百人目の転校生だ」と、そう言った。
(あれ? 変な紹介だな…… この教室には二十人くらいしかいないのに)
そんな隼人の戸惑いに気づいた校長先生は、
「一学年一クラスしかなくてね。おまけに一年から六年まで、合わせて九十九人。そして君が百人目という訳だ」
校長先生は、大きな体を揺らしながら、黒板いっぱいに隼人の名前を書いた。
二十人の目が、らんらんと輝いて、教壇に立つ隼人を見つめている。
「班目隼人クンです」
名前が読み上げられると「おおー 」とか「あぁ…… 」の声と一緒に、教室中が溜め息を吐いた。ヒソヒソ声が聞こえる。
『マダラメって言ったら「どうめき」一族だろ? 』
「どうめき? 」
隼人の誰ともなく聞くと、ざわめきがピタッとおさまり静かになった。
「あ、そうそう。夜ノ森では、もうすぐ運動会なんだ。参加してくれるね? 」
またそこで、ざわめきがおこった。
(やった、ひゃくそろった……! やぎょうができる…… )
(大人はいらない…… うひゃひゃひゃ……、わしゃしゃっ…… )
今度はわらわらとした笑いが、教室中に広がった。
隼人は背筋がゾクッとなって身震いした。
(なんだかおかしな学校に来ちゃったぞ…… それにまた運動会だなんて…… )
とまどいながらも、自分の席に座った。廊下側の一番後ろに。
すると、前の座の子が振り返って「おれ、いずな」と囁いた。ニーッと笑った口元から、尖った犬歯が見えた。
(八重歯って、あんなに尖ってたっけ? まるで牙みたいだ…… )
隼人は引きつった笑顔を返して「よろしく」と応えた。それからクラスメイトは代わる代わる振り返っては、隼人に笑顔を送った。全員がいずなと同じ、ニーッとした不気味な笑顔だった。
放課後になると、学校中の生徒が隼人を見に教室に来た。
そしてみんな遠巻きに取り囲んで、うすら笑っている。
「いずなくん、夜ノ森のみんなって変な笑い方するね…… 」
「へんっ?! ど、どこが? フツーでしょ、ふつう。口を横に広げて歯を出して、目は細めて、首は傾ける……、そう習ったよ! 」
「習うって」
「おれたちさ、まだ小さいから習う事いっぱいあるじゃん。ハヤトも前の学校でそうだったろ? 」
「うーん、でも笑い方は習わないよ」
「えっ?! 教わらなくてもできるの!? やって、やってみせて! 」
「急に言われても無理だよ。笑うって、そういうもんじゃないだろ」
「でも、ニンゲンって、いつも笑ってないと、仲間になれないんだよね? 」
いずなに言われて隼人は、やっぱり夜ノ森の子って変わってるなぁ…… と困り果てた。
「ほらっ! いま笑った!! 」
嬉しそうないずなの声に、隼人はハッとして口元に手をあてた。
「隼人とおれは、仲間だぞ! 」にーっと、何度見てもヘンテコな笑顔をした。もちろん尖った犬歯のおまけつきだ。
なんか奇妙な学校に転校しちゃったぞ…… 隼人は早くも後悔しはじめた。
運動会の練習は、前の学校とほとんど変わらなかった。ただひとつだけ違うのが「夜の大行進」という、運動会の最後の競技だ。
「夜の大行進って、どんな競技なの? 」
「ああ、これは『やぎょう』だよ。いつもは子供の夜歩きは禁止なんだ。だけど、五月の巳日、運動会の日だけはイイんだよ。でもね『やぎょう』のしきたりは『百いる』なんだ。今までは九十九だったけど、今年は隼人のおかげで百になった。ホントの百鬼夜行ができるよ!!!! 」
「ひゃ、ひゃっきやぎょう、って? 」
いずなは、こう書くんだよと言って『百鬼夜行』と隼人の手のひらに書いた。
「百鬼…… って、よ、妖怪のこと……? 」
「もちろん、きまってるじゃん。おれ『管狐』だもん。隼人だって『百目鬼』だろ? 」
「き、くだぎつねって? ど、どうめきって???? 」
アワアワしている隼人を横目に「よっ! 」との掛け声で、いずなが細く長い狐になった。
そして煙のように体をくゆらすと、しゅるしゅると竹筒に吸い込まれて消えてしまった。
「い、いずな、クン? い、いずな、いずなっ!! 」
隼人は竹筒に向かって叫んだ。目の前の出来事が信じられなくて、息は乱れ、頭は混乱した。
そして目が勝手にクルクルと回り始めた。くるくるくるくると回り続けているうちに、隼人の額にはひとつ、ふたつ、みっつと目が開いた。すると竹筒から顔だけ出したいずなが「わあ、ハヤトの目が開いた!! 」と、手鏡で隼人の顔を映した。
「え、ええっ?! …… ぎゃぁぁぁーーーーっ!!! 」
隼人の叫び声は、夜ノ森の学校中に響き渡った。そしてそのまま気を失ってしまった。
「……やと、はやと、気づいたか? 」
隼人は父さんの顔を見て気が緩んだのか、ぼろぼろと泣き出してしまった。
「と、父さん、夜ノ森はヘンだよ、おかしいよ、気味が悪い…… こわいよ! 」
ヨシヨシと隼人の背中をあやすように揺すった。
「ごめんな、これはちゃんと話さなかった父さんが悪い。ほら、ごらん」と、
父さんは風呂に入る時も外さなかった、命の次に大事なカツラをとって後頭部をみせた。するとそこには、五つの目がじっと隼人を見下ろしていた。隼人は体が固まったように動かなくなった。目を逸らしたいのに出来なかった。
父さんは背中を向けたまま続けた。
「父さんのおじいさんは、妖怪なんだ。だからさ、おまえもほんの少し妖怪なんだ」
「よ、ようかい……? 」
「そう、百目鬼って呼ばれてる、体に百個の目がある妖怪だ。ただ隼人と父さんには、人間の血も混じっているから、目の数はうんと少ない……。父さんなんか十二個しか無い…… 」
と、少し残念そうに溜め息をついた。
そして父さんは続けて話した。
「夜ノ森は、妖とその血を引くモノたちの、癒しの学校なんだ」
妖怪は人間と混じると、どうしても黒くなる。心まで黒くなって、悪いものに変わらないように、夜ノ森で穢れを清める。その穢れを払う行事が「百鬼夜行」なんだ、と言った。
「だから隼人も夜行に参加してごらん。きっといろんなのものが見えるよ、いろんなことに気がつくよ。言葉で伝えるよりたくさんのことが理解できると思うよ」
「じゃあ、ボクの額の目は……? 」
「ん、目を瞑っていれば、人間には分かんないだろ? 」
あまりな父さんの答えがバカバカしくて、隼人は笑いがこみ上げて来た。そして父さんも一緒に大笑いした。笑い声が弾けると、不安も一緒に弾けて消えて無くなった。
今宵は新月、皐月の己巳の日。
月の無い夜は闇が深い。ネオンの光に潜む闇を渡りながら、夜ノ森小学校の小さな妖怪たちは百鬼夜行に興じた。
もちろん、百鬼のうちには隼人もいた。額の三つの目を見開いて、いずなと肩を並べた。
そんな子供たちが道を誤らないように、間違えないように、大人の百鬼夜行が続いた。
このたいそう大掛かりな百鬼夜行に出会ってしまった人間は、幸か不幸かいくつかの失しものした。
そして、塾帰りに出会った将騎は、隼人の三つの目にニーッと笑いかけられると、そのまま座り込んで、漏らしてしまった。
そのことは少しの誤解を含んで、噂になって広まった。すっかり威厳を失った将騎は、取り巻きの二人にも見放されてしまった。
そう、将騎の失ったものは、そういったものだった。
そして夜ノ森小学校の一員となった隼人は、額に大きなバンダナを巻いて、毎日元気に学校に通っている。
たまにランドセルを背負ったキツネが一緒の日もある。