その3
不穏な噂は、墓荒らしと装飾品どろぼうだけでは終わらなかった。次の噂は、墓荒らしの件が街をにぎわしてから、およそ十日ほどしてやってきた。そしてそれは、前の二件よりも血なまぐさい話だった。街の南に住む金貸しが殺されたのである。
その金貸しにはもとより良くない評判があった。下町の連中の誰々がその金貸しから借りてすっからかんに干上ってしまったとかいう話を、アルマですら二、三度耳にしたことがあった。
しかしその金貸しも自分が多数の人間の恨みを買っていることはよくよく知っていたようで、夜にはいつでも扉という扉に頑丈なかんぬきをかけ、窓という窓の雨戸をぴっちりと閉ざし、さらには用心棒も雇って眠りについていたのだった。そのうち一つの雨戸と硝子が、斧のようなもので正面からたたき壊されていたのだ。それでも不思議なことに、雇われ用心棒も、周囲の住人たちも、誰も凶行が起こっていることに気づかなかった、というのである。
金貸しは寝台にあおむけに横たわったまま、鋭い刃物で首を切り裂かれていたらしい。枕と布団は血をしこたま吸って、ずっしり重くなっていたという。寝室に置いてある金庫の鍵も、やはり斧のようなもので破壊されていたという話だった。
噂を聞くなり、アルマは嫌な予感をおぼえた。正面から窓や扉が壊されて侵入されているのに、周囲の住人が誰も不審な音を聞かない……前回の装飾品どろぼうとやけに似通っていた。さらに言えば、ヒルダが懸念していたあの言い伝えとも、ずいぶん共通した部分があった。
その噂を聞いた次の日に、アルマは店が閉まってから酒場に向かい、エーリーンをつかまえた。酔っぱらった飲み仲間らに「付き合いが悪い」と口々に文句を言われながら、まだ飲みたりなさそうな顔の彼女を酒場の外に引っ張り出す。
酒場から【ロバートの道具屋】に帰る道を歩きながらアルマは言った。
「盛り上がってるところ、悪かったけど、お金貸しの人が殺された話、あなたも知ってるでしょう。あれが気になって……ちょっとヒルダのところに行ってみようと思って」
「うーん」
エーリーンは酒でうっすら上気した顔をてのひらで冷やしながら、
「たしかにあの噂は変だったけど……あれがヒルダって人の旦那だってわけ? 強盗に入って刃物で家主の首を切り裂く男って、けっこう残忍よね。怖くない?」
アルマは唸った。たしかに、人を殺すことを厭う気持ちすらない、刃物を帯びた男に、自分たちだけで対処できるのだろうか。しかも、もし――もし伝承を信じるのならば、相手は自分の姿を消すことができるのだ、【盗人たちの灯】をもっている限り。
「でも……何も、パーベルをわたしたちがつかまえるってわけじゃないし」
「じゃ、どうするの?」
たしかにそう聞かれると、答えに窮した。エーリーンを呼んできたところで、どうしようというのだろう。アルマは先日聞いた話を思い出し、何か手がかりはないかと考えた。
「ね、エーリーン。【盗人たちの灯】を持ってる人は、目にも見えないし、どんな音を立ててもまわりが目をさまさないんでしょう。もしそれがほんとなら、その効き目を破る手だてはないの」
エーリーンは眉の間にしわを刻み、
「あたしの知ってる言い伝えだと、【盗人たちの灯】の火がつく前に起きてた人間には、眠りの魔法は利かないし、それにその火さえ消せば、魔法の効果はたちどころに消え失せるはずだったかしら。
……ある家に【灯】を持ったどろぼうが老婆の変装をして入り込んだとき、下働きの女中がひとり、老婆のずぼんが男物なのに気づいて、こっそり寝ずの番をして……それで、どろぼうが見てないすきにテーブルの上に置かれた【灯】の火を消して、撃退したって話があるわ。だけど、この火ってのが少しやっかいで、なまなかなことでは――」
そこまで言って、エーリーンは言葉を切って立ち止まった。
「アルマ。家の前に誰かいるわよ」
言われてアルマも、黒い人影が【ロバートの道具屋】の戸口のそばにうずくまっているのにようやく気づいた。足を止めて意識をこらすと、人影は薄闇の中で体をちぢめ、泣きじゃくっているようだった。アルマは駆け寄った。
「ヒルダ! 大丈夫?」
「ごめんなさい」
ヒルダは泣きそうな声で言った。座ったままで二人を見上げ、声が声にならないほど全身を震わせながら、
「突然おしかけて――あたし、もう……家にいられなくて――」
「とにかく中に入って」
アルマはヒルダを支えるようにしながら、戸口を開けて中に招き入れた。エーリーンがちらちらとヒルダを見ながら、後に続く。
ロバート夫妻はもう寝室のある二階に引っ込んだようで、店は静かだった。カウンタ前の椅子に座ったヒルダはみじめなほどやつれている。目は真っ赤に腫れ、涙の筋が頬に幾筋も走っていた。部屋着のまま家を出て来てしまったようで、薄手のブラウスの上に何も羽織っておらず、肩を抱くようにしている。
アルマはカウンタの脇に丸めてあった自分のショールを彼女の肩にかけようとして、異様なものに気づいた。
「ヒルダ、その血どうしたんです。どこか怪我をしてるの?」
彼女のブラウスの袖から胸の下あたりに、べっとりと赤黒い血痕がついていたのだ。その手にも乾いた血がこびりついている。
ヒルダは下を向いて、力なく頭を振った。
「あたしのじゃないわ。パーベルよ」
「パーベルって――彼は今どこ?」
「死んだわ」
「なんですって?」
「死んだの。あたしが殺したの」
呟くなり、ヒルダはわっと泣き出した。アルマはヒルダの肩を抱いてやりながら、エーリーンと視線を交わした。事態は思わぬ方向に向かっているようだった。
「ヒルダ、落ち着いて。何があったか話せますか」
アルマは彼女の顔をのぞきこんで、そう尋ねた。ヒルダがしゃくりあげながら話した内容は、以下のようなものだった。