その1
市壁の外の共同墓地に墓荒らしが出たという。
一人の女の死体が掘り返されているのが、ある朝見つかったのだ。
下町に暮らしていた、まだ若い女の死体だったらしい。
墓地の中には、身寄りがなく寺院に見放された者ばかりが埋められる一画が設けられていて、女の遺体もそこにひっそりと埋葬された。墓が暴かれたのは、二、三日後のことだったという。
遺体は陰惨な状態で放置されていたらしい。胴体が斬りつけられ、あたりには臓物らしきものさえ散らばっていたという話だ。
まるで腹の中の何かを誰かがまさぐり探したかのように。
そして噂によれば、死んだ女は妊娠していたということなのだった。
* * * *
――いやな話。
出かける前に雇い主のロバートに聞いたその噂を鬱々と思い出しながら、アルマは日の傾きかけたヘプタルクの都の下町を歩いていた。彼女が店番兼下働きをつとめている【ロバートの道具屋】の女主人エマから、ラードと粉を買って来るように頼まれた、そのお使いの途中である。
気味が悪いのは、まだその墓荒らしの犯人が捕まっていないということだ。死体の腹をかっさばくなどという行為に及んだ人物が、蛮行に用いた斧を持って街のどこかをうろうろしているなど、考えただけでぞっとしない。
――しばらくは酒を飲みに出ても早めに帰宅した方がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら粉売りの扉を開いたアルマは、思わず「あら」と声をあげた。
「ヒルダ。久しぶり」
店の中にいた先客は、顔見知りの洗濯女だった。近くの宿屋に酒を買いに行ったときに、アルマもたびたび顔を合わせる。親密とまではいかないが、会えば話をする仲である。
ヒルダはアルマのほうを見てあいまいな笑顔を返した。
「元気?」
「元気ですよ。でも近頃おっかない噂ばかりね」
ヒルダは「そう」だか「ほんとね」だか、口のなかでもそもそ返事をして、すぐに目をそらした。アルマは首をかしげた。彼女はもともと快活で、こんなに無愛想な応対をすることは珍しい。
「……元気にしてました? パーベルは?」
アルマは躊躇しながら質問を重ねた。ヒルダの夫、パーベルはひとつの仕事を長く続けることができず、ふと旅に出てしばらく帰ってこなかったり、かと思えば変ながらくたを仕入れて市で売ろうとして失敗するなど、ふらふらしてはヒルダを困らせていた。
実のところアルマは彼女に会うたびに、必ずと言っていいほど甲斐性なしの宿六の愚痴を聞かされていた。それでも彼女が夫のことを真剣に心配しているのはよくわかったし、生活費をろくに稼がない夫を養うためにも人一倍働いているのを知っていたから、アルマも少々閉口しつつ、彼女の話につきあっていたのだった。
だから、パーベルの名にヒルダがぎょっとしたような表情を見せたことに、アルマは多少なりとも驚いたのだ。ヒルダは視線を落ち着きなく動かし、下を向いて、「元気よ」だか「大丈夫よ」だか、あいまいな返事をよこした。
アルマはさらに不審に思った。ヒルダの反応は、まるで何かに怯えているかのようだった。
「待って、ヒルダ。方向が同じですから、途中まで一緒に行きません?」
アルマは先に出ようとするヒルダを呼び止め、半ばむりやり一緒に歩き始めた。
店を出ても、ヒルダはいつになく寡黙だった。それに裏通りや小道を通り過ぎるたびにじろじろと左右を見て、ずっとあたりを気にしている。ささいな物音がしたかと思えば、びくりと体をすくめて足を止めてしまう。
――どうしたの、ヒルダ。今日は変ですよ。
自分の店のすぐ前まで来て、アルマが思い切って聞こうとしたとき、「おうい、アルマ」と後ろから声がした。
振り返ってみると、ちょうど店の中から店主のロバートが出てこようとしているところだった。
「ちょうど良かった、これからエマと二人で出かけてくる。少し遅くなるから、先に帰っててくれ」
「あ……はい。わかりました」
「今日は戸締まりにとりわけ気をつけてね」
ロバートのあとから出て来た妻のエマが言う。
「近所で盗みがあったんですって。三つ通りを行ったところにある装飾具店を知ってる? あそこらしいのよ。夜中に表通りに面した窓が破られて、さぞ大きな音がしたのでしょうに、誰も気がつかなかったんですって。高価なものがごっそり取られたって話よ。いやだわねえ」
いやですねえとアルマは返し、出かけてゆく雇い主の二人を見送った。それから溜息をついて、ヒルダを見やった。
「ほんとうに不気味な事件ばかり、ねえ……」
と、そこでアルマはぎょっとした。ヒルダは見目にもわかるくらい、がたがたと震えていた。
「アルマ、アルマ、あたし、どうしよう。どうしよう」
言うなり、ヒルダが往来に突っ立ったまま泣き出してしまったので、アルマは慌てた。
とりあえず、泣きじゃくる彼女をなだめすかして店の中に入れ、椅子に座らせ冷たい水を渡す。その後どうしたものか途方にくれて、向かいに座ってしばらくぼうっとしていると、そのうちヒルダは落ち着いてきたのか涙をぬぐって「ごめんなさい」と言った。
「取り乱してしまって。でもあたしどうしたらいいのか、パーベルが……」
「パーベル?」
「そのどろぼうの犯人、パーベルなんだわ。あたし、わかるの」
アルマは驚き呆れた。ヒルダの夫パーベルには彼女も会った事がある。たしかに頼りないくせに調子がいいところがあったけれど、そこまでの悪行におよぶような人間には見えなかった。
「ひどいことを言わないの。パーベルはそんなことする人じゃないでしょう」
アルマがたしなめると、ヒルダは口を噛んだ。
「あたしだって最初はそう思ったわ。でも話を聞けば聞くほど、パーベルだとしか思えなくなるのよ。だって、あの墓荒らし……あれ、あたしが教えたそっくりそのまんまなんですもの。ああ、あたし、どうしよう」
「墓荒らし?」
アルマは眉を寄せた。墓荒らしと言えば、例の腹を裂かれた妊婦の死体の件に違いあるまい。
「どういうことなの?」
「言ったって信じやしないわ」
「言ってみないとわからないでしょう」
ヒルダはしばらく迷うように、どこかうらめしそうに、うつむいていた。けれども、そのうちぽつりぽつりと、以下のような話を語り出したのである。