なんというか、お約束
青年の怪我は簡単に見ただけだが大したことはなく、殆ど掠り傷であった。しかし川に身体を浸して横たわっていたのだから当たり前なのだろうが、軽い低体温症を起こしていた。
店主のデイルは口論を繰り広げていた二人に拳骨を落としたあと、ナティアに宿に併設している露天風呂に青年を運んで身体を暖めるように嗜める口調でてきぱきと指示を出す。
動転していた自身を恥ながら、素直にしたがって風呂場に直行。青年一人を湯船に入れては沈むかもしれないと懸念して、ナティアは服を着たまま湯に入り自分に寄りかからせた。
心配して着いてきたサラージャから手拭いを貰い、濡らして絞って青年の顔を丁寧に拭いてやる。
泥で汚れていた青年の顔立ちが、漸く露になった。
「わ……綺麗……」
思わず、といった体でサラージャから感嘆の呟きが漏れる。
それほどに、青年の顔は整っていた。
藍色に艶めく黒髪に長い睫毛が影を落とす白皙の美貌。ナティアの美しさを職人が丹念に細工を施した宝石と例えるのなら、青年は空や花、澄んだ湖など……自然そのままの美しさの持ち主である。
ナティアと並んでも劣ることのない絶世の美貌に、免疫があるにも関わらずサラージャは顔を赤くして恍惚の表情を浮かべた。
だがここで、例え傾国の美貌であろうと興味、関心を抱かないのがナティアである。顔がどれだけ優れていようが腹は膨れんし生活はできん、を地で行く彼女にとって、宝石や芸術品はただの金目の物。嵩張るだけで邪魔になるからとっとと売るに限る。どこまでも現実主義の男前な性格であった。
「うっ……」
「! 気がついたか?」
しばらくすると、青年が小さく呻き身動ぎした。
苦し気に眉をしかめ、ややあってぼんやりと薄く目を開けた。
藍色に浮かんだその形に、ナティアは目を見張った。
「……ここ、は……?」
酷く掠れた声は、しかし耳によく馴染んだ。本調子の時であればさぞ美声であろうとナティアは見当違いの感想を抱く。
青年は意識がしっかりしてきたのか深く息を吐き出し、自分を抱えるナティアを見上げた。
「俺は……どうして……」
一人称が『私』や『僕』ではなく『俺』であったことに意外性を感じた。恐らく着ている服が上質であったことから上流階級だと辺りを踏んでいたからだろう。
ナティアはそんな自分に苦笑して、青年の疑問に答えてやる。
「ここはラディウス王国の外れの町だ。君はレール川で発見したんだが、何か覚えているか?」
「……?」
「わからないか? では名前は? 名前はなんという」
私はナティアだ。
出来るだけ柔らかい声音で会話する。
青年はお約束というか、なんというか……お決まりの一言を呟くように口にした。
「名前……なんだったろうか……」
うわぁ……。
天を仰いでしまったことは、不可抗力だろう。
すっかり体温が戻り傷の手当てをされた青年は、綺麗な動作で頭を下げて感謝の意を述べた。
「助けていただいて、ありがとうございました。なんと礼を言えばいいのか」
「ああ、いや、礼には及ばない。偶然、仕事の途中で見つけただけなんだ。むしろ気がつけて良かったよ」
頭を上げてくれと声を掛ければ、青年は素直に頷いた。
見れば見るほど、浮き世離れした美貌だと思う。
癖のない髪を右の一房だけ長くして、堀細工が施された銀の筒状の髪飾りで飾っている。
何より印象的なのは、藍色の瞳に浮かぶ金色の菱形模様だ。
記憶力に自信がある方だが、その伝承が脳裏を過った際、やはり厄介事……と内心うんざりしたのは秘密である。
因みに、彼の着ていた服だが、サラージャが責任もって洗濯、修繕を名乗り出た。無駄な出費をしたくない、女らしさとは無縁のナティアは、きょとんと顔をする青年の隣で腰を綺麗な直角に折った。
父娘二人で切り盛りする宿だ。当然デイルの服を代用することになるのだが、青年はナティアから見ても細身で、元冒険者であり、今も鍛練を欠かせていないデイルの服ではあまりにも大きさがあわなかった。
骨格が違いすぎるせいで肩が余り、袖から指しか見えていない。男の萌え袖……案外イケる、とはサラージャの言だ。わが娘ながら嗜好がヤベェ、とはデイルの言だ。ナティアは全力で聞いていない振りをした。