第88話 石牢にて
「入れっ!」
日の光の通らない石牢の扉かキイと開けられると、一人の大柄な男が看守に蹴飛ばされて入ってきた。レドウである。
「ってぇな。大人しく入ってやるから蹴んな」
レドウの抗議になど耳を貸さず、看守は扉の鍵を掛けてその場を立ち去った。とはいえ扉の前からいなくなっただけで、牢の入り口にいるようなのだが。
改めて自身の様子を確認する。
装備や装飾品、服など身につけていたものは全て剥ぎ取られ、着ているのは上下の下着のみである。
剣はもちろんのこと、ペンダントやタクトなどの神器も根こそぎ奪われている……まあこれに関しては《盗難防止》魔法がまだ効いているので、その気になればいつでも手元に持ってこられる。問題は引き寄せるタイミングだろう。人が見ているところで消え失せたらすぐに怪しまれて元も子もない。チャンスは恐らく一回だ。
レドウは大きくため息を吐く。厄介なことになったもんだ。
「おう。あんちゃん。何やらかした?」
牢の奥の暗がりから声がした。
どうやらこの牢には先客がいたようだ。
「さぁな?俺は何にもしてねぇんだけどな」
奥にいたのは顔の半分が髭で隠れている男だった。
「ははぁ?じゃあ、あんちゃんお偉いさんに恨みでも買ってぶち込まれたな?そういうのは面倒くせぇぞ」
「あぁ、多分そんな感じだな。本当に面倒くせぇ。そういうお前さんは?」
どうせ、今すぐ行動起こすわけにもいかないので、レドウは暇つぶしに男と会話してみることにした。
「あ?俺様か?俺様はなぁ……なんだっけな?誰かを殴ったらエラく怒られてな。それからずっとここにいるんだが……忘れられちまったかな?がはは」
「なんだ随分適当な扱いだな」
随分雑な会話だったが、やや打ち解けた二人。
男の名はゴルド。聞いたところでは港町シーラン登録の冒険者だそうだ。
ゴルドは昔のことを細かく覚えているタチではないらしく、結局誰を殴ったために捕まったのか思い出せなかったが、どうやら貴族?の誰かから依頼を受けたが、報酬と依頼内容が折り合わないなどの理由で(本当はもっとあるかもしれないが)依頼主の貴族を殴ったらしい。
相手が貴族だろうと大した怪我もなく単純な傷害(暴力)であれば、数日の拘束と罰金あたりで済む筈だが、どうも二ヶ月近く入れられているらしい。
「本当に忘れられてるんじゃねぇのか?」
「そうかなぁ?ならさっさと出してもらいてぇなぁ」
と、緊張感のない回答がゴルドから返ってくる。
本当に害がない奴なら一緒に出してやろうかと思った矢先、牢の入り口辺りが騒がしくなる。誰かが来たようだ。
「この奥の牢にレドウがいるんだな?」
男の声が聞こえてくる。どうやらレドウのお客さんのようだ。
カツカツと長靴と石畳が当たる足音が近づいて来た。
そして、足音の主が牢の扉前に姿を見せる。……グリフィス=イスト=マーニスだった。
「レドウ、こちらへ来い」
グリフィスは牢の格子越しに声を掛けた。
だがレドウは見覚えがないとばかりに首をかしげる。
「誰だお前は?」
「……我が愚弟との決闘でも、お前の結婚式でも会っている筈だが覚えていないか?」
手でパシパシと棒を弄びながら、小馬鹿にした様子でレドウを見下ろしている。
弄んでいた棒は、レドウの【王者のタクト】であった。
「わりぃが小物の顔と名前は覚えてねぇんだ。それよりあんたが持ってるそのタクト、俺のだから返してくんねぇかな?」
「……犯罪者から取り上げた武器を返す馬鹿がいると思うか?そんなことよりくだらないコトをしたもんだな。当主の殺害とはな」
レドウの挑発にやや顔を紅潮させながらも、グリフィスは挑発で切り返してきた。
「俺は何もしてないんだがな……仕組んだのがお前ってことは、それを主張しても意味がなさそうだな」
「仕組む?何のことかね?我々は、お前が当主アレクを殺害する場面を見たという通報を受け、『善良な市民』の目撃証言に従って拘束しているのだ。お前でないという明確な証拠でもない限り『何もしていない』などという世迷い言は聞けぬぞ」
グリフィスは自信満々に言い放つ。
仕組んでいると口では認めていないが、自分の仕業であると態度が認めているようなものだ。
「アレが『善良な市民』だと?よく言う。どう見ても暗部の身体能力だ。お前のところの暗部……を洗っても出てこなさそうだな。既に身辺整理(始末)をしているか、あるいは協力者を得ていたか。どっちにしてもそれが余裕の態度の表れってところか」
レドウの推理に一瞬グリフィスの表情が曇ったのを、レドウは見逃さなかった。それが答えということだ。それにしてもこういうことならしっかり頭が回るのに、レドウはレドウで残念な脳筋である。
「……まぁいい。どちらにしてもお前は終わりだ。明日早々にヴィスタ聖教神の名の元に裁判を執り行い『王族殺し』の罪でお前は死罪確定だ」
牢の扉に背を向けるグリフィス。
「そうなりたくはないだろう?まだ新婚なのにな。一つ、俺から提案がある。どうだ、聞く気があるか?」
「言うだけ言ってみろよ。それから考えてやる」
レドウはグリフィスの言う『提案』とやらに興味があっただけなのだが、どうやらグリフィスには強がりを言っているように伝わったようだ。
にやっと笑ってグリフィスはレドウに向き直った。
「なぁに、悪い話じゃないぞ。このお前の【タクト】だが……どうも使い方がわからんのだ。どう念じても振っても魔法が発動しない。だが、持ち主のお前なら知っているだろう?使い方を教えるんだ。それだけでお前の罪は免除してやる。愛しのシルフィア様と共に平穏な日々を過ごすことが出来るぞ?どうだ。悪い話じゃないだろう?」
グリフィスの提案に思わずにやついてしまうレドウ。もちろん『提案が素晴らしい!!』と、にやついた訳ではない。
「くっくく……くだらねぇ。良いぜ。教えてやる。ちゃんと約束を守れよ?」
「お、おぅ。早く教えるんだ」
扉の格子に食らいつくグリフィス。この【王者のタクト】さえ使いこなせれば、強大なロイスウェル家に対抗する切り札として使えるのだ。
だが、レドウからは期待とは異なる返答が返ってきた。
「別に、使い方に特別難しいことなんてないぜ?普通のそこらに売ってるタクトと基本は一緒だ。でもな……くっくく。お前には使えなかったんだろ?才能がねぇんじゃねぇのか?はっはっは。残念だったな」
「?!……な、なんだとっ!!貴様愚弄するか!!」
グリフィスは【王者のタクト】ではない、普通のタクトを取り出し炎を作り出した。
「ふ……ふふふ。使えるだろう?使えるさ。当たり前だ。貴様は嘘を言っている。それでは約束を守れないな。裁判を待つことなどない。いまここで始末してくれる」
「げっ!」
ちょっと煽りすぎた。こんな牢屋で丸腰の相手に魔法を使うとは思わなかった。
素早く牢の格子に近づきグリフィスの方に手を伸ばす。そして伸ばした先で《盗難防止》魔法を使ってタクトを手に取り、グリフィスの出した炎をかき消した。
……実際にはグリフィスに手が届いた訳ではなかったが、このタイミングなら遠隔操作をしたとは分からない筈だ。
【王者のタクト】を手にしたレドウを前に怯むグリフィス。
それはそうだろう。牢の中の丸腰の相手だったからこそ、強気に出ていたのだから。
レドウの強さそのものは、ミュラーとの決闘の際に嫌というほど目にしている。
「ま、待て。レドウ君。ここで騒動を起こせば、本当に罪になるぞ……あ!」
グリフィスが口を割った。
自分の仕業であると。
「語るに落ちたか。お前が使い方が分からないというから、実践して見せてやろうとしただけだったのにな」
「ふ、ふん。それがどうした。他に証言者がいなければ君の立場は何も変わらないぞ。むしろこのまま俺の思惑通りに裁判が行われて死罪確定だ」
開き直って冷静になったか、グリフィスが少々落ち着きを取り戻したようだ。
レドウとしても、ここで【王者のタクト】だけを回収しても意味がない。どうせ魔法でいつでも手元に持ってこられるのだ。
レドウは【王者のタクト】を振るい光魔法を発動させる。
「な?俺は嘘を言ってないぞ。普通に使えるだろう?まあ使えないお前を馬鹿にはしたがな」
そう言って【王者のタクト】をグリフィスに一旦返してやる。
するとグリフィスは【王者のタクト】をレドウから奪い取るようにして受け取った。
そしてすぐに【王者のタクト】を使って、レドウと同じように光魔法を発動させようとするが、やはり何も起こらなかった。
この時レドウは、一つ細工をしていた。
こっそりグリフィス自身に《盗難防止》魔法を掛けてやったのだ。
これでグリフィスの位置がなんとなくだが常に把握出来る。【王者のタクト】から離れたタイミングで回収してやればいいのだ。
《マスター。彼にそんなことをさせても無駄です。【王者のタクト】はマスターにしか使用出来ません》
(知ってるさ。前に教えてもらっただろ?)
不毛なやりとりをしている。とでも思ったのだろうか。タクトの精がレドウに語りかけてきた。
「……普通のタクトよりイメージ力が必要なのかしれんな。こいつはもうしばらく練習の為に俺が預かっておくとする。では明日の裁判を楽しみにな」
そう言って、グリフィスは牢を出て行ったのだった。




