第8話 魔犬
大剣を担いだレドウは、アイリスの脇をすり抜けてフロアの奥へ駆けていった。
犬魔物の興味は一斉に突然現れた闖入者に向く。おかげでアイリスたちに襲いかかってくる犬魔物はほとんどいなくなった。
またレドウがフロアの奥に入り込んだことで、付近の雷光蟲が一斉に輝きだしたことから、フロアの全貌が明らかになった。
まず、天井が高い。
雷光蟲の光程度では、天井までどのくらいの高さがあるかわからないのだ。少なくともちょっと飛び上がった程度で頭をぶつけるような高さでないことは間違いない。
次に広さだが、これもかなりの広さであることが確認できた。アイリスとシルフィのいる入口付近だけがちょっとした広さの踊り場のようになっていて、その奥は浅めの階段状に段差が下がっている。そして正確には分からないが奥に向かって横幅は広がっているようだ。
広がり方こそ違うが、部屋の感じから王都にある劇場の段差を連想していた。もちろん劇場には椅子が所狭しと並んでいるが、ここにはそんなものはない。
つまり、犬魔物と戦いを繰り広げていると思われるレドウの言葉になっていない掛け声は、アイリスたちから見て奥の下の方から聞こえてくる状態だ。
「こんな広いところではぐれたら最悪ですね。すぐに追いましょう」
「遺跡って、こんな感じなの?」
「私も遺跡に入るのは今回が初めてなので分からないですが……。伝え聞く限りではここは異質です」
二人はレドウを追って遺跡の奥に向かった。
「誰もこないから大丈夫だと思うけど、後で魔石回収しないともったいないよね」
「ええ、でも今は合流することを考えましょう」
遺跡内部に生息し魔物と呼ばれている凶暴化した生物は、普通の野生動物が体内に魔鉱石を取りこんだ結果生まれたとされている。
そして少しずつ動物の体内で魔元素の純度が増し、魔鉱石は魔石となっていく。魔物は純度の上がった魔石から魔元素を吸収し、通常よりはるかに強力な生き物となる。つまり強い魔物であればあるほど、純度の高い魔石を有しているということになる。
ところが魔物たちに力を貸してくれている魔石は宿主である魔物が息絶えると反旗を翻す。つまりこれまで魔石が供給していた魔元素の回収が始まるのだ。
この理論はまだ解明されていないが、エネルギーとして行き場を無くした魔元素が、安定する場所を求めて魔石に集中するのではないかというのが、現在の学者たちの見解である。
結果として、討伐された魔物の死骸はしばらくするとみるみる収縮し、最後は魔石となって残る。
討伐後に魔石となるかどうかが、一般の野生動物か魔物かの境であり見分け方の一つである。
この魔石は魔鉱石と同様、精製することで魔晶石となる。魔鉱石と比較して純度が高いため、高く売れるというわけだ。
遺跡探索依頼の他に、この魔石を収集することで生計を立てている冒険者たちも多くいる。
依頼だけでは食っていけない冒険者たちの、貴重な資金源だ。
二人がレドウのとこにたどり着くまではそれほど時間がかからなかった。
レドウもそれを確認したようだ。
「お、やっと支援部隊がきたか」
「勝手に飛び出しておいてよく言う。周りの魔物と一緒に焼いてあげよか?」
シルフィがタクトを構え、一閃するとレドウの周りにたかっていた蝙蝠1匹が燃え上がった。
レドウに襲いかかっていた魔物は最初の犬魔物だけでなく、蝙蝠のような魔物も増えていた。
早速アイリスに飛びかかってきた蝙蝠が2匹ほどいたが、次の瞬間には床で動かなくなっている。
犬魔物相手に無双していたレドウだったが、大剣では捉えるのが大変なのか、蝙蝠には苦戦しているようだった。
「おっかねぇこと言うなや。蝙蝠を任せた!」
大したダメージはなさそうだが、レドウの頭上に集まった蝙蝠は10や20じゃきかない数になりつつあった。
こうなっては、任せたと言われたところでシルフィの単発火球やアイリスの剣技ではどうしようもない。
「しかたないですね」
アイリスは背中のあたりからタクトを取りだした。そして蝙蝠の群れに向けると横に薙いだ。
「風刃!」
一陣の風が蝙蝠の群れを直撃し、手前の5匹くらいが地に落ちた。
「Lv1制御ではこのくらいが限界ですね。連発します!風刃!風刃!風刃!風刃!……」
アイリスがタクトを振るたびに蝙蝠たちが少しずつ落下してゆく。
ときどき風の刃はレドウの顔付近を通過し、そのたびに小さな切り傷がつく。
「ばっ!お前ら危ねぇ!俺に当てる気かよ」
「いえ、ちゃんと蝙蝠を狙ってますよ」
「俺の顔をかすめてるって!ちゃんと魔物を狙えよ!」
思わずかがむレドウ。しかしその時あることに気付いた。
二人の魔法で倒されていく蝙蝠を犬魔物が次々と食べていたのだった。
「あ……。これはまじぃな。みんな離れろ!」
レドウは味方の魔法と蝙蝠と犬魔物の攻撃をかいくぐり、アイリスとシルフィのもとまでくると、二人を促し更に少し後退した。
しかし魔物たちはレドウたちを見向きもしない。
「魔物が共食い始めたら注意だ。強くなって襲ってくるぞ。構えとけ」
実は犬魔物はレドウの剣でほとんどを倒していたが、まだ数匹残っていたのだった。
その数匹が落ちた蝙蝠と既に絶命している犬魔物の死骸を食い漁っている。
ひとしきり蝙蝠を食べつくすと、今度は犬魔物同士で共食いを始めた。死骸かどうかに関わらず……。
「一匹になるまで続きそうだ。この間に逃げるという手もあるこたあるが……。このフロアじゃ逃げ場はねぇな」
「戦闘は避けられそうにないですね……しかし、まだ一個体となるまでに少しの時間がありそうです」
「よし、警戒しながら奥を確認するぞ」
大きく成長しつつある犬魔物を中心に円を描くように迂回すると、三人は入口から見た立ち位置を入れ替えた。
「シルフィ、ここは私とレドウさんで警戒しているので、奥を見てきて下さい。でももし魔物がいたらすぐに戻るようにお願いします」
「わかった。見てくる!」
「そろそろだ」
犬魔物の身体が薄ぼんやりと光っている。体内の魔石が融合し、魔物の身体を成長させている証拠だ。
『グアアァァッ!!』
「来るぞっ!」
ギィィィン!
フロア全体を震撼させるほどの咆哮を上げると、もはや犬と呼んでよいかわからないほど巨大化した魔物が恐ろしい速度で襲いかかってきた。
その初撃をレドウは愛用のバスタードソードでかろうじて受けた。先ほどの金属音はその音だ。
勢いに押されレドウの身体が後ろにズレる。
レドウと交錯した前足を狙ってアイリスが剣を振るうが、それはレドウの剣を蹴って回避された。
「く、俺の剣じゃ切り傷の一つもつかねぇってことかよ。これが魔犬ってやつか」
次の瞬間、魔犬はアイリスの左側からとびかかってきた。
とっさにバックラーで受けたアイリスだが、その鉄製の円形バックラーはひしゃげて半円になった。
「ファイアボール!」
『グオォォァァッ!!』
後方から飛んできた巨大な火球が魔犬を捉えた。初めて苦痛を訴える魔犬。
「魔法で攻撃ですね。レドウさん!」
「おぅ。出番だな!」
「じゃなくてですね、しばらく『剣』で魔犬の相手お願いします!」
「……」
不満そうなレドウをよそに、アイリスはシルフィのところまで下がる。
だが、次の瞬間魔犬の嵐のような打撃がレドウに降り注ぎ、不満を言っている余裕などなくなったようだ。
「シルフィ、背中に背負った私の盾を下さい。隠している場合じゃないようです」
「わかった」
壊れたバックラーを投げ捨てると、アイリスはシルフィが外套から取り出した、白銀に輝くカイトシールドを受け取った。
「本気でいきます。シルフィは火球を可能な限り連射して下さい。それが勝利に繋がるはずです」
「まかせて!私も全力でやる」
「お願いします!」
盾を構えたアイリスは再び前線に飛び出した。
「レドウさん!交代です!」
『グアアァァッ!!』
再度アイリスに迫る魔犬の一撃!
先ほどはバックラーが壊れてしまったが、今度はゴンという鈍い音とともに盾で受けとめた。と、次の瞬間アイリスのレイピアが一閃!
『グギャオォォァァッ!!』
まさに閃光のような彼女の一撃は、なんと魔犬の右前足の関節の部分から切り落としていた。
そして苦痛でのけぞったところにシルフィの火球が直撃する。たまらず、魔犬がひっくりかえる。
「レイピアで前足叩き切るか。やっぱおっそろしい女だな」
これで一気に戦況が優勢になると、そこからは早かった。
「あれ。俺後半ほとんどなんもしてねぇぞ。まいっか」