第76話 決意
アレクが休んでいた執務室を出ると階下の自室に戻ろうとしたレドウだったが、踊り場の途中で足を止める。既に夜になったとはいえ、まだ応接のある二階以下では来客が続いているようで、ざわついた気配が収まる様子はない。
(腹減ったな。食堂にでもいくか)
自室のある三階と喧騒感の残る二階を通り過ぎ、食堂のある一階まで降りる。
扉を開けて中に入ると、使用人長のルシーダが笑顔で迎えてくれた。
「おやレドウさん。この時間に?余り物になっちまうよ」
「おぅ!ルシーダさん。急にすまねぇな。あるもんだけでいいんでなんか食わせてくれ。あと、アレクのおっさんが目を覚ましたから、あとで何か精のつくもの持って行ってもらえるか」
「あぁ。大将がやっと目を覚ましたかい。よっし、このルシーダさんに任せておきな」
ルシーダは余り物といいつつも、クリームスープやサラダをはじめ、ディナーと言わんばかりの料理がレドウの前に並べていく。
気づいたらデザートまで用意されている手際の良さだ。
「ルシーダさん。充分すぎる食事だよ。こういうのは余り物っていわんぜ」
「なに言ってんだい。あんたは大事なうちの家族さね。大将みたいに倒れられちゃかなわんからしっかり食べてきな」
そういうルシーダに手には、アレクの為に準備したと思われる雑炊が用意されていた。
「大将はいつものとこかい?」
「あぁ、動いてなけりゃいつもの執務室だ」
ルシーダはアレクに雑炊を届けるべく、食堂を出て行った。
まあこれでアレクの体調管理についてはもう問題ないと思われる。
問題は……シルフィのことである。
(そもそも俺自身に結婚する意思があるのかどうかっつーことだ)
思えば、随分と自由気ままに生きてきたものだ。
そもそもジラールと共に冒険者として登録するためにロイズ地区から飛び出したのだって、単純にあの地で農作業や狩りをするのが嫌だったからだ。
全てを妹に押しつけて家を飛び出したのだ。
だが、そこで冒険者としての資質が自分にあるかどうかの選択を迫られることになる。
ジラールが明らかに優秀であったのだ。
当時一緒にパーティを組んでいたヘルマンもそうだが、ジラールだけが敵や遺跡の罠に気付き、ジラールだけが遺跡の仕掛けを見破る。
彼がいなくては遂行できなかった冒険や依頼がほとんどだったのだ。
もちろん戦闘要員として現場叩き上げでレドウは腕を磨き、ヘルマンと共に戦闘専門の冒険者として徐々に有名になっていく。
いつしかレドウは、単純な戦闘の実力では当時のベテランを含め、五本の指に入るとまで言われる高みに上り詰めた。
だが、レドウにとって満たされない日々が続いた。
『ジラールさんのところのレドウさんですよね』
そう言われることのなんと多いことか。
たまに個人での依頼を受けても、結局は『冒険者レドウ』と見てもらえることはなかった。
常に『ジラールの仲間の戦士レドウ』でしかなかったのだ。
気づけばレドウはジラールと一緒に依頼を受けなくなっていた。逃げたのである。
魔法使いとして冒険者再登録をしたのも、丁度その頃だ。
別に依頼なんてなくて良かった。セットと見られないことの心地よさを得たのである。
だが、そうした得るもののない日々が延々と続く生活は、レドウという人物を精神的に堕落させていった。
もちろん魔法使いを名乗る以上、タクト捌きの鍛錬だけはそこそこ行っていた。例の古ぼけたモノタクトを使ってだが。
そんな心地よさだけの生活に、依頼という形で楔を打ったのがシルフィとアイリスである。
彼女たちは、レドウをジラールのおまけとしてではなく『一人の冒険者』として扱った。
もちろん、ジラールとレドウの繋がりを二人が知っていたわけではないので当然と言えば当然なのだが、それでも『一人の冒険者』として受けた依頼は彼に冒険者として熱い気持ちを奮い立たせたのだった。
しかも結果としてではあるが【王者のタクト】というお宝のおまけつきである。
態度に出したことはないが、レドウは新たな世界に連れ出してくれた二人に非常に感謝していたのだ。
(でもな……感謝しているから結婚します。とか意味わからねぇし、そんな感情で結婚されたくもねぇだろうし)
それが一番の問題であった。
(まぁ下手に隠し立てしないで、今の正直な心境を話すとするか)
ルシーダさんの用意してくれた食事を食べ終わったレドウは、食器を下膳所に戻して階段を上る。
途中でアレクのところから戻ってきたと思われるルシーダと鉢合わせした。
「もういいのかい?ちゃんとお腹いっぱい食べたろうね?」
「あぁ、めちゃくちゃ美味かったよ。ありがとう。おっさんは?」
「要らんとか言い出すから、無理矢理口に突っ込んできた」
カラカラと笑うルシーダさん。まあこの反応ならアレクのおっさんも問題ないだろう。
ルシーダと別れたレドウはそのままシルフィの部屋のある四階に到着する。
扉の前で軽くノックをするレドウ。
「誰?なに?」
シルフィの声とともに扉が静かに開き、顔を覗かせた。が、レドウの顔を確認するなりドアがパタンと閉められてしまう。
「おぃおぃ。いきなりその反応はねぇだろう。話くらいさせろよ」
レドウの抗議が聞こえたか、再び扉が開いてシルフィの顔がぴょこんと出てくる。
「ちょっと込み入った話があるんで、俺を中に入れるか下の俺の部屋にくるかどちらかをお願いしたい」
レドウの言葉に少し考えた様子のシルフィだったが「どうぞ」とドアが開いた。
ドアを開けてレドウはシルフィの部屋に入る。なんだかんだでこの部屋に入るのは初めてである。
シルフィはそのまま逃げるようにベッドに駆け込むと、布団に包まって顔だけ出した。
「なに?」
そのスタイルのまま話すシルフィ。レドウは部屋の中央にある一人がけのソファに腰をかけた。
「うん、何から話したらいいもんか……まずは俺の話を一通り聞いて欲しい。話の組み立てとかそういうの上手くないんでな」
「分かった」
シルフィはレドウの言葉にうなずく。
「まず、おっさん……えっとアレクさんからだな、一つの話を持ち掛けられた。内容はシルフィ、お前と一緒にならないか?という話だ」
「!?」
「で、俺は断った。というのは、まず話が急だったことに加えて、俺自身の気持ちも固まってなかったこと、そのうえなによりお前の意思を確認出来ていねぇからだ。」
「……」
ふぅ。と一息つくレドウ。シルフィはいろんな感情を押し殺しながら、話を聞いているように見える。素直にこちらの話を聞いてくれているのはありがたいとレドウは思った。
「シルフィの意思を聞いてみたいところではあるんだが、そもそも俺がどうしたいのか?が自分でも分からなくてな。正直に今の心境を伝えようと思っている。これまで俺はお前をそういう相手の候補として考えたことがねぇ。……あぁ、勘違いをしてもらいたくねぇんだが、お前に限らず、誰かをそういう相手として考えたことがねぇんだ」
「……」
シルフィは静かにレドウの一人語りを聞いている。
「まぁ俺自身、冒険者稼業を自由気ままにやってきたせいで、そういう……なんだ。家族を持つというイメージが薄くてな。女とも遊びでしか付き合ったことがないって有様だ」
「……」
「だから正直言って、今の俺にいわゆる恋愛感情はねぇ。でも、お前のことは嫌いじゃねぇし、むしろ好きな方だ。ま、ちっとガキだと思う時も未だにあるが、反面可愛いと思う時もある。嫌いだったらとっくに依頼蹴ってどっか行ってるしな」
「……」
複雑な表情でシルフィはレドウを見つめていた。
「だからな。ちっと感情的な順番は違ってるんだろうが、俺はお前と結婚してもいいと思ってる。いや、違うな。『結婚したい』だな。俺の冒険者稼業を考えたら、今後こういう機会はもうねぇだろうし。ある意味俺にとっては最後のチャンスだろうな。もっとも、お前が俺で良いと考えてくれるなら……って条件付きだけどな」
「……」
相変わらず、何も語らないシルフィ。いや、目と表情で多くの事を語っている。……語っているのだと思う。でも言葉にしないとレドウには伝わらない。
「まぁ、じっくり考えてくれ。時間はたくさんあるだろうし。……あぁ、お前がこの話を断ったからといって、俺は変わらねぇからその点は心配しらねぇぞ」
レドウはソファから立ち上がるとそのまま部屋から出るべく、ドアに手をかけた。
「待って」
背後からシルフィの声が掛かる。
そして扉に手をかけたままのレドウの背後にピタリと寄り添い、レドウの服の裾を掴んだ。
「わ……私の答えを聞かないの?」
「焦って決めるもんじゃねぇだろ?」
「そうじゃない。そうじゃないよ。わたしの答えなんてとっくに決まってる。わたしはレドウがいい」
レドウの背中に顔を押しつけるシルフィ。
「……お前から見たらおっさんだぞ」
「そういうの関係ないから。恋愛感情がない?……そんなのわたしが教えてあげるから!」
レドウはシルフィの方に向き直った。シルフィは泣いていた。
「わりぃ。泣かせるつもりはなかったんだが……じゃあまあよろしく」
レドウは優しくシルフィの頭を撫でた。
そして部屋を出ようとするが、シルフィはレドウの服の裾を持ったまま離す様子がない。
「そのままいっちゃうの?」
もうレドウの行動を制御する枷はなかった。
背後のシルフィを抱きかかえるとそのままベッドに倒れ込んだ。




