第75話 話は突然に
どのくらい時間が経ったのだろうか。
外はすっかり暗くなっている。看病?をしているはずのレドウは座っていたソファでおおいびきをかいて寝ていた。その傍らにはアレクの着替えや汗拭きようのタオルなどが置かれているため、それらを持ってシルフィは一度戻ってきていたようである。
ということはその時点で既にレドウは寝ていたということだ。
看病役としては本当に全く役に立っていない。
薄暗がりの部屋で、アレクは静かに目を覚ました。ずごごごごご……というレドウのいびきが聞こえてくる。ゆっくり身体を起こし、あたりの様子をうかがったが、レドウの他に誰がいるということもない。
丸一日休んで大分体調が回復したようだ。咳、吐き気、悪寒などは特になく、身体も軽く感じる。
(やれやれ。すっかり皆に迷惑をかけてしまったようだな)
ソファで寝ているレドウを見ながら、自省するアレク。
彼のお陰で手に入った聖白鉱第一鉱山とログナルタ坑道。それと共についてきた聖白鉱と聖銀の独占流通権。
これらは財政難に苦しんでいたアスタルテ家にとって最大の報酬であり、このチャンスを今後の安定的な収入にする為の体制作りは、今後のアスタルテ家の為を思えば最重要案件である。だからこそ最初が肝心なのだ。
だが、身体を壊してしまっては何の意味もないのだと反省する。
これまでは所領……管轄が少なかったため、アレク一人で回せていたがこの規模を取り扱うには、単純に人手不足なのである。
流通体制開拓の前に、人材確保を先にすべきであったのだ。
もちろん今からでも遅くはない。
カーライル家からヘルプとしてユーキが来てくれているが、彼はあくまでも今後の取引の協力者であって、アスタルテ家が進めるべき内政を行う人間ではないのだ。
彼の協力が得られているうちに、信頼できる人材を財政を担当として採用する必要がある。
他にも必要なポストがある。
広く一般人を含めて採用枠を公示し、採用したいと考える。手っ取り早いのは、国立大学院の卒業生の就職先として公示する手段だ。
あそこには優秀な人材がたくさん居る。
その多くは学問・研究開発系はロイスウェル家に、騎士や戦士はハズベルト家の採用枠に応募する者がほとんどだが、稀にアイリスのような優秀だが来てくれる人材もいる。卒業生であるアイリスに協力を仰ぎ、採用に関してはすぐに進めたいと考えていた。
この施策が上手く進めば、娘とレドウが持ち込んだ『北の大灯台』の観光地化についても正式に着手出来るリソースが確保出来る筈だ。
そしてアレクはもう一つ、自分が倒れたことで気づいた懸念点について考える。
いや、実際には随分前から気づいていたが、気づくことを恐れて見て見ぬ振りをしていただけなのかもしれない。
アスタルテ家の世継ぎの問題である。
正確には娘の結婚相手探しの問題と言い換えてもいい。
アレクはこれまでも何度か縁談を組んでみてはいた。
娘の容姿は、あの通り女性の誰もがうらやむような美少女であり、自分も惚れ込んだ妻とそっくりである。
手前味噌かもしれないが、娘を伴侶にしたいと考える男性は世の中に溢れており、良縁でさえあれば娘の容姿が受け入れられないことはないと断言出来る。
しかし、組んだ縁談の全てはまとまらなかった。
まとまらない理由は今のところ全て娘自身にある。
先方が娘を気に入ったとしても、娘は相手を気に入らないという理由で、縁談の相手に対して、呼びかけを無視することから始め様々な嫌がらせをするようなのだ。結果として先方から断りの連絡が入るという流れだ。
可愛い娘のことなので、望まぬ縁談相手であるならとそういった我が儘をこれまで聞いてきたのだが、今回自分が倒れたことで『もし本当に自分が再起不能となったら』一体アスタルテ家はどうなってしまうのか?と改めて危機感を感じたのだ。
どちらにしても今自分が倒れるわけにはいかない。と強く考える。
現在次期当主候補が居ないのは、八輝章家ではアスタルテ家だけなのだ。
そしてさらに考える。
これ以上娘の我が儘を聞くわけにもいかないが、だからといって望まぬ縁談相手をあてがうつもりもない。では、一体誰が縁談相手として適任なのだろうか。娘が、首を縦に振る相手は誰なのだろうと思いを巡らす。
アレクは改めて、目の前でおおいびきで寝こけているレドウを見る。
娘が好いている独身の男性など、この男しか居ないではないか。
しかも、この男は既に、唯の家臣であったり雇われ冒険者などという枠を越え、アスタルテ家に多大な貢献をしている。本人がどう思っているかは知らないが、今のアスタルテ家にレドウが次期当主候補であると伝えたところで、本気で反対する人間がいるようには思えない。
(当主としての品格?や礼節、仕事などはこれから覚える必要はあるだろうが……)
そこでふと我に返る。
そもそも、あれほどまで自分に言い寄る男性を頑なに悉く拒否してきた娘が、何故このレドウという男だけは気に入ったのだろうと。
アレクはおよそ見当がついていた。要するに究極の無い物ねだりである。
生まれてから自分の周りの男は、おしなべてみなチヤホヤする。
だから『自分をぞんざいに扱う男が気になる』
王族として生まれた自分に対して、それだけで丁寧な礼節で固まった人間だけが周りにいる。
だから『無礼な男が珍しく気になる』
きっかけはそういうところだったろうとアレクは想像する。
そして、良くも悪くも自分にとって刺激をもたらしたレドウという男は、武人として優れた……いわゆる尊敬に値するものを持った人物であった。
(まぁ全てに優れた人間などいないし、言動こそ乱暴だが幸いレドウ君は本質的に悪人ではない。憎めない性格というのもプラスだろうな)
そこまで思考が及んだとき、目の前で寝ていたレドウが目を覚ます。
「なんだおっさん。起きてたのか。もう体調はいいのか?」
「あぁレドウ君のお陰ですっかり元気になったよ。どうやら皆に心配をかけてしまったようだな」
そう言いつつ、部屋の明かりを灯すアレク。
部屋の中を歩く様子も、普段と変わらない。完全に体調は戻ったようだ。
「そしたらあれだ、ちゃんと飯食って体力つけねぇとな」
「いや。まぁそうだが、その前に少し話をしてもいいかな?」
アレクは立ち上がりかけたレドウを制し、向かいのソファに腰をかける。
「ん?何だ?そんなに改まって」
「うむ。そうだな。何から話せばいいかな。いや、直球で行こう。レドウ君、うちの娘と一緒になる気はないかね?」
「え?」
レドウが固まる。そして再起動に少々時間を要した。
「いきなり何を言い出すんだ」
「いきなりか……まあいきなりなのかもしれないが、YesかNoかどちらかな?」
回答を迫るアレク。
「いやいや、話が急すぎて見えねぇよ。とりあえずNoだ。本人がいねぇところで決めるもんじゃねぇし、他に立派な候補者がいるだろうが」
アレクの表情は変わらない。そういう反応をするだろうことは想定済みということだ。
「つまり……レドウ君の回答を要約すると、本人の了承があればOKだ。と、そういうことかな」
「いやいや、待て。一つ抜けてる。他に候補者がいるだろうって」
「候補者などおらん。いるならとっくに娘の伴侶として迎えておる」
追い詰められたレドウ。周囲を見渡すも、この部屋に彼の逃げ場はない。
そんなレドウの脳裏に一人の候補者が浮かんだ。
「あ、あいつはどうよ?ユーキとかいう今手伝いに来ている奴。あいつなら同じ王家だろうし、身分?的にも問題ないだろうし、シルフィも良さそうな雰囲気だったぞ」
「カーライル家のユーキ君か。確かに彼にはお世話になっているし、人柄も全く問題ないが……彼は既婚者だ。子供もいるぞ」
「なんだって?マジか」
レドウの唯一の逃げ道が断たれた。
なんとか言い訳を考えようとしているレドウを真っ正面から見据える当主アレク。本気の彼の眼力から逃れるのはなかなかに厳しい。
「君からのNoの理由には、外的要因しか含まれていなかったからこうして迫っておる。レドウ君が伴侶としてうちの娘を迎えられない……そうだな、例えば他にレドウ君の婚約者がいる。もしくは、婚約者までいかなくても恋い焦がれる相手がおり、諦められないからこの話をうけられない。とか、まあそもそも娘が好みでない。という理由まで含め、君自身の拒否理由がないのであれば検討してもらいたいのだが」
あまりにも真剣味溢れるアレクの態度に、レドウは怪訝な表情を見せる。
「どうしてそんなに焦る?何もこんなタイミングでなくても」
アレクはレドウの問いかけに目を閉じ、ゆっくりとうなずく。
「やはり焦っているように感じるか。まあ事実かもしれぬ。今回わしが倒れたことで、わし自身真剣に考えさせられたのだ。アスタルテ家には後継者がおらん。血縁者もわしが居なくなれば、娘しか居なくなる。全ては娘が幸せに暮らすためにどうしたら良いか。を考えた結果だな」
「ということは、焦りは今に始まったことじゃねぇ。と、ようはたまたま体調壊して弱気になったことが追い打ちになってるってことか」
アレクは再びゆっくりうなずいた。
「おっさんの話は理解した。でもさっきの俺の回答は変わらねぇ。本人のいねぇところで決めることじゃねぇしな。少し考える時間が欲しいとこだ」
「あぁ。かまわんぞ。むしろ娘としっかり話をして欲しい」
「全く……重い話を軽く話しやがって」
レドウの最後のつぶやきはちゃんとアレクに聞こえたようだ。
「そんなに軽く話したつもりはないぞ。これでもちゃんと考えた末の結論だ。あと……」
「あと?」
「話は変わるが、忘れてないだろうな。通信魔導具のわしの分を創ってくれるっていう話」
あ……!
レドウは再び固まる。完全に忘れていたようである。
「あ、あぁ。忘れてないさ。材料が見つからなくて……」
「期待しているぞ。楽しみにしている」
あれにどんだけ興味あるんだよ……と思いつつ、レドウは部屋をあとにしたのだった。




