第74話 倒れたアレク
「げほごほ」
レドウとシルフィが『北の大灯台』から戻って数日たったある日のことであった。
アスタルテ家の書斎のソファで当主のアレクが横になっていた。熱を出して倒れたのだ。
おまけに咳まで出ているようで、とても元気とは言えない。
「おっさん、働き過ぎだ」
枕元?というか反対側のソファにはレドウがドカッと腰をかけて看病?している。
咳でまともに喋れないアレクの話し相手をしているという時点で、とても看病と言えるものではないのだが、どうしてこんなことになっているのだろうか。
……話は少々遡る。
ここ最近のアスタルテ家は本当に忙しい。
毎日多くの人が訪れ、来客のない時間帯は早朝と夜だけで、まともな食事を取る時間すらないというせわしなさだ。
もっとも、時間調整などはちゃんと時間を取って対応すれば良いだけの話なのだが、『時は金なり』と言いながら分刻みでスケジュールを詰め込む当主アレクにも問題はある。
訪れる人は様々であるが、その多くは流通商人や業者の代表、そして集落の代表である。
こうして多くの人が訪ねてくるようになった理由は、アレクが本格的に聖白鉱と聖銀の商取引を開始したことにある。
それを聞きつけた各商人や業者が、早い者勝ちの優先取引を狙ってひっきりなしに商談に訪れるのである。
特に聖白鉱の取り扱い業者は目が血走っているほどだ。
これまでマーニス家に独占され扱うことが出来なかった夢の金属である。アスタルテ家に寄せられる期待度は否応にも高くなる。
結果として採掘業者の代表も、より良い条件での工事契約を取り付けようと訪れ、またその商品を取り扱う店の段取りに、各集落の代表も打ち合わせやネゴ取りにやってくるという状況である。さすがに一人では捌ききれず、半分をアイリスが対応し始める。
しかしそれでも来客者の順番待ち状態が解消されることはなく、むしろどんどんエスカレートしていたため、急遽アレクの親族とカーライル家から協力者を招いて、四カ所の対応窓口を作った。そしてやっと軌道に乗ったのである。
ただ、三人に対応のヘルプをお願いしているとはいえ、最も大事な案件は結局アレクが判断する必要があるため、当然負荷はアレクに回ってくる。
そんなオーバーワーク状態が毎日休みなく続いていたところ、とある来客者の対応中にそのままオーバーヒートして卒倒してしまい現在に至る。というわけである。
ちなみにレドウとシルフィは手伝わなかったのか?と考えてしまうところだが、細かい調整が苦手に社会経験の少ないシルフィである。手伝ったところでかえって混乱を招きかねないと判断したアイリスに、手伝いを丁重にお断りされてしまっていた。
仕方なくお茶汲みや来客者の誘導などを、使用人達に交じって行っていたというわけだ。
「お疲れ様です!アレク閣下の容態はいかがですか?」
アレクの休んでいる部屋に一人の男が入ってくる。
カーライル家から応援に来てくれている、ユーキ=イスト=カーライルだ。彼はカーライル家の長男であり、次期当主候補でもある。
若干22歳という若さでありながら、各業種の業者、流通商会グループとのつながりもあり、仕事も出来る優秀な男だ。
彼の協力がなかったら、アレクを訪れる来客者の落ち着きはまだまだ先だったといえるだろう。
アレクは視線をユーキに向けて力なくうなずくが、まだしゃべる気力はないようだ。
ユーキは持ってきた氷嚢をアレクの額に当て、首筋にたまった汗を傍らのタオルで拭っていく。
……これが看病である。
「レドウさん……でしたね。看病お疲れ様です」
ユーキが爽やかな笑顔で挨拶する。いや、看病したのはレドウではなくユーキだ。
「あ……いやまぁ、俺はここに居ただけだけどな」
「それが大事なんです。アレク閣下は頑張ろうという気持ちが先行して働き過ぎで倒れてしまい、結果的に気持ち的に弱気になっていると思います。レドウさんがここに居ることで心強く感じていると思いますよ」
ユーキはどこまでも良い男である。
そこへシルフィが水と薬を持って入ってきた。
「あ、ユーキさん。いろいろとありがとうございます。えっと来客対応の方はひと区切りつきました?」
普段、王家の女性としては言葉遣いが粗雑に思われるシルフィだが、ユーキの前ではとても丁寧な言葉遣いだ。
さすがは出来る男である。周囲の人間まで上品にさせてしまうとは……。
「いえ、アレク閣下の様子を見るため、少し休憩を頂きました。今はアイリスさんとサンデルさんに頑張ってもらってます。とはいえアレク閣下が倒れたことはもう皆さんに伝えてありますので、緊急の用件でない限り来客も一旦収まるはずです」
「ユーキさんが居てくれて、本当に助かりました。パパ、聖白鉱鉱山とログナルタ坑道が手に入って浮かれて、自分の許容量も考えずに手広く始めちゃうもんだから、こんなになっちゃって。張り切っているのは分かるんだけど……」
再び眠り始めているアレクパパの顔を覗き込むシルフィ。
「わかりますよ、アレク閣下のお気持ち。これは大きな商談になりますからね。元々のギズマン家としての商人魂に火がついたのですから、ある意味仕方ないと思います。ゆっくり休んで元気に復帰してくださいと、お伝え下さい」
ユーキはレドウとシルフィに一礼して退室した。
退室するユーキを見送った二人は顔を見合わせる。
「あいつ、すげぇ良い奴だな」
「そうよ。それにユーキさんは凄く優秀で、彼がいるというだけでカーライル家は安泰だと言われているし。お陰で当主のニキさんがあちこち遊び歩いているらしいし」
遠くを見るようなシルフィは明らかに憧れの視線だ。
こういう視線をするのはシルフィには珍しいことだとレドウは思う。
「シルフィも優秀にならんとな」
「わ、私はいいのよ。魔法の力を極めるって決めたし!うちにはアイリスも居るし!」
レドウはふーん?という表情でシルフィを見る。
魔法の力を極めることだって、優秀になることと同じじゃねぇの?と思うからであった。
まあそのツッコミをしたところで何かが変わるわけではないので、レドウは特に触れない。
「あぁ、そうだ。聞いときたいことがあるんだが?」
「なに?」
シルフィが我に返ってレドウを見る。
「サンデルって誰だっけ?」
ズルッと腰が砕けるシルフィ。
「何言ってんのよ。パパの従兄弟で、いまむちゃくちゃお世話になってるじゃない!さっきもユーキさんが入ってくる前に、ここに来てたでしょ?」
「……いや、そんとき多分俺はまだここに居なかった」
はぁ。とため息をつくシルフィ。
レドウは相変わらずである。分からないことを分からないと伝えることは大事なので、それ自体は良いことであるが。
サンデルさんとは、今アスタルテ家にヘルプに来てくれているサンデル=フォン=ギズマンのことで、当主アレクの従兄弟である。
ギズマン家はウィンガルデの貴族であり、商業区画の管理と整備を行っている役人一家である。
そして当主アレクの実家でもあった。
「なるほど。そういうことか。やっと分かった。見慣れねぇおっさんがいるなぁとは思ったんだ」
「……じゃあサンデルさんをもう見てるんじゃない」
レドウとシルフィのやりとりがうるさかったのか、アレクが目を覚ます。
すかさずシルフィは近くに寄り、持ってきた水と薬を渡して飲ませる。
二人の元気な様子を見て安心したのか、薬を飲み終えたアレクは再び眠りについた。
「あんまり騒いじゃだめよ」
「……いや、待て。声が大きかったのはシルフィだろ?」
譲らないレドウ。シルフィと比較したら大人なんだから、折れてやればこの場は収まるのに……である。
騒いではいけないと必死に言い聞かせているのか、顔を赤くしつつも黙ってレドウを見る。
「と、とにかく……レドウはまだここにいるよね?私はパパの着替えとか身の回りの準備をしてくる」
「わかった。まだここに居るつもりだから大丈夫だ」
そう言ってシルフィは使用済みのタオルやら着替えやらをもって出て行った。




