第53話 決闘の備え
「どうしようパパ!レドウがマーニスと決闘になっちゃった!」
取り乱した勢いそのままに執務室に飛び込んだシルフィは、アイリスと会議中の当主アレクの肩を激しく揺さぶった。アレクの頭が肩の上でぐわんぐわん回る。
「待て、待て。首が取れる」
緊張感のないアレク。さすがに首は取れないだろう。
特に止める気も必要もないだろうが、このままでは会話にならないと悟ったアイリスが助け船を出す。
「どういうことです?何があったのですか?」
シルフィは、ミュラーが来ていたことからレドウとのやりとり、最終的にミュラーから決闘を申し込まれたレドウが、なんとなくその申し出を受けることになってしまったことなどを話す。
「多分、レドウさん的には内容を確認しただけで受けるとも受けないとも言ってないですよね?それ」
「まあだとしても回避はもうできんだろうな。それに視点を変えれば好都合なのではないかな?レドウ君は負けないだろう?」
首のぐるんぐるんが収まった当主アレクがレドウの力量を確認する。アレクは直接レドウの技量を確認する機会はなかったが、これまでシルフィとアイリスから散々聞かされてきているためか、その言葉には特に不安材料は感じられない。単純な確認のようだ。
「普通に戦ったなら万が一にも遅れをとることはないでしょうね。だからこそ裏で仕掛けてくる可能性があります。『正式な決闘』ですから決着は生死のみですし」
「ふむ……」
アレクはやや真剣な表情で考えこむ。こういうときだけはちゃんと当主に見えるので不思議だ。
わりと取り乱しがちなシルフィとは役者が違う。
「そもそも、レドウ君は『正式な決闘』のルールというか規定を知っておるのかな?まずはそこからではないかね?」
ずっと冒険者暮らしをしてきたレドウのことだ。王族貴族の習わしに近い『決闘』の規定なぞ知るよしもないだろう。対人戦自体の経験はあるだろうが、形式上ルールに則った殺し合いである『決闘』の経験も知識もないと判断したアレクの洞察は正しい。
「私、呼んでくる!」
シルフィは飛び込んできたのと同じくらいの勢いで執務室を飛び出していく。階段踊り場で使用人長のルシーダとぶつかりそうになり、ルシーダが注意している声が聞こえてきた。
「予想外の展開になったな。ちょうど突っかかってくるマーニス家に対する対策中だったが」
そう。実は今まさにアレクとアイリスはマーニス家対策の方針会議をしていたのだった。
表立って三男ミュラーがこうして求婚の面会に訪れること自体は表面的な問題だったのに対し、別にマーニス家から使者を通じた正式な会談要請が来ていたのだ。
この要請には正直アスタルテ家にとっての利点は全くない。マーニス家で行っている魔石取引管理のため、新たに協会を設立するための人員の確保と、手配をしろという一方的な要請だからである。面倒くさい実務をすべてアスタルテ家に投げ、利だけをマーニス家が受け取るといういつものやり口である。
当然断る予定だが、断ったあとのことの当てつけの対処の方が厄介なため、対応に苦慮していたところだったのだ。
しばらくして、シルフィに連れられてレドウが執務室に入ってきた。
「いやいや、災難だったね、お疲れさん。まあかけてくれ」
当主アレクはにこやかにソファに座るよう促した。
促されるままにソファに身体を預けるレドウの表情に特に疲れは見えない。落ち着くのを待ってアレクは直球で切り出した。
「娘からレドウ君がマーニスのところの三男坊から『正式な決闘』を申し込まれたそうだが、レドウ君はヴィスタリアにおける『正式な決闘』の規定は知っているかな?」
「いや、知らねえな。決闘というからには一対一なんだろ?というくらいだな」
レドウは興味もないといった風で答える。
「では、やはりちゃんと説明をしなくてはならないようだ」
当主アレクはレドウに対して『正式な決闘』の説明をした。要点は以下の通りである。
1.決闘は一対一にて行われる。
2.決闘を行う者は申請者は本人のみ。ただし受諾者は決闘の代理人を立てる事が出来る。
3.決着は当事者いずれかの死によってのみ下され、決闘者双方が命を失った時のみ引き分けとする。
4.戦いは武器によってのみ行い、タクトを用いての魔法の使用は禁止とする。
※ただし、武器自体に内在する魔法力を使用する場合はこの限りではない
5.決闘は正規軍所属の代表騎士一名の立ち会いを必須とする。
6.決闘前に立ち会い者による身体検査を行い、武具以外の持ち物を有していないことを確認する。
7.一度ついた決着はいかなる理由の如何に関わらず覆らないものとする。
8.決闘を阻害した者は死罪とする。
9.決闘に臨む際は、勝利時に望む要求事項を捧げること。複数でもかまわない。
「まあ大体こんなところだ。シルフィ、ミュラーが勝利時の条件に何を要求するか分かるか?」
アレクが娘に視線を向ける。厳しく問いただすというよりは全員が状況を正確に把握しているかの確認だ。
「多分、私との結婚だと思う。と同時に次期アスタルテ家当主の確定、もしくはすぐに当主の交代を要求してくるかもしれない」
アレクが大きくうなずく。
「まあそんなところだろう。そこでうちとしても要求事項を考えなくてはならない。一つは、以降のマーニス家によるアスタルテ家への不干渉を挙げたいが、要求事項の内容としては釣り合わないので、もう一つ二つ用件を追加しておきたいところだ。レドウ君何かあるかな?」
ここでアレクは改めてレドウの方を見た。賭けるのはレドウの命である。レドウの希望を聞くべきだという意図の表れである。
「ん。決闘の規定を聞いて初めて分かった。あいつが執拗に『逃げるな逃げるな』言ってたのは、俺は代理を立てることが出来るからなんだな?」
「あ、あぁ。そんなことを言ってたんだな?三男坊は。だとしたらそういう意味だな」
若干ズレた発言が返ってきて戸惑いを見せる当主アレク。まあこれもレドウらしいといえばレドウらしい反応だ。ちゃんとした回答をもらおうと見つめるアレクの視線にレドウが気づく。
「お?あぁ要求事項だっだか。特にねぇな。好きに決めてくれていい」
相変わらずのマイペースである。レドウにとってはミュラーなどポッと出の相手であるし、要求したいことがないのも本音である。
レドウの反応に軽くうなずく当主アレク。そして娘とアイリスの方を見る。
「さてどんな要求をしようか」
「それより閣下。先に考えるべき事があります」
アイリスが当主アレクの議題を遮る。その目は真剣そのものだ。
「要求は決闘当日までに決めておけば良いことです。しかもレドウさんの意思は確認済みですので、すでに閣下の一存で決めても良い状態です。ですので今対策すべきはマーニス家による裏工作をどう対策するかではないでしょうか」
「それもそうだな」
「裏工作?」
アイリスとアレクのやりとりについて行けてないレドウが口を挟む。そこへシルフィが補足する。
「要するに、まともに戦ってもレドウに勝てないから卑怯な事前対策をしてくるはずで、それをどうするか?ってことよ」
「マーニス家がレドウさんの実力をどれだけ把握しているかは分かりませんが、少なくとも三男の命を賭ける決闘ですから、勝利を確実にするために裏工作は仕掛けてくるはずです」「なるほどね」
レドウも理解が追いついたようだ。
「とすると、マーニスの奴らがやってきそうな工作っていうとどんなことが考えられるんだ?」
「そうですね……」
アイリスは裏工作の可能性について列挙してみせる。彼女の想定内で候補に挙がったのは以下の内容である。
・レドウの暗殺
・暗殺まで行かないまでも襲撃して怪我をさせ、まともな勝負にさせない
・愛用武器の強奪もしくは破損
・立会人の買収による不正の黙認
「すぐに思いつくのはこの辺でしょうね」
「物騒だな」
レドウは眉をひそめた。
「あとは当日の決闘で、ミュラーはマーニス家の魔剣『焔の剣』を使用する可能性が高いです。これなら決闘中に堂々と火魔法が使えますので」
「厄介だが……当日の立ち会い者による身体検査以降、決闘場に入ってからはもう身体検査はされないんだよな?」
「規定ではそうなっている。仮に立会の見逃しがあってタクトを持ち込めた場合、決闘場でそれを使用しようが咎められはせんよ」
「なら問題ねぇ。決闘場に入ってから【王者のタクト】を呼び出せばいいだけだ」
そこでシルフィが良いこと思いついた的な表情をする。
「そうだ!レドウは決闘の当日まで身を隠しちゃえば?暗殺も怪我も武器も無事じゃない?」
「そうですね。少なくとも当日の朝の襲撃さえ気をつければその案はいけそうですね」
アイリスがうなずく。
「なら、俺はタルテシュに戻ってジラールのところに顔出してくる。祭殿のある遺跡の新情報があるかもしれねぇからな。まさか襲撃者もターゲットがタルテシュにいるとは思わねぇだろ」
「良い案ですね。一石二鳥ですし。あとは立会人の買収対策……これは対策を私に任せてください。パーン家のツテを使います」
アイリスは手元のデュランダルを握りしめた。確かにパーン家の当主ソーマであれば正規軍に力も影響力もあり、先日南岸遺跡の件でアスタルテ家に恩義を感じてくれているため、マーニスの買収工作に対して対策を打ってくれそうである。
「じゃあ大体良さそうだな?じゃあ早速決闘用の剣を調達に行くか」
「え。レドウその背中の剣で戦うんじゃないの?」
席を立つレドウ。
新しい剣の調達が必要である理由が分からず、不思議そうなシルフィ。
「相手も勝率を上げるために画策するんなら、こっちもやらねぇ手はねぇ。一対一の対人戦なら小回りの効く片手剣の方が確実だ」
「ならばこれをもっていきなさい」
当主アレクも立ち上がると事務机から麻袋を取り出してレドウに渡す。
ずっしりとした重みがレドウの腕に感じられる。中には金貨が大量に詰まっていた。
「軍資金だ。これで最も必要な武器を手に入れてくるといい」
「ありがたい。じゃあ行ってくるわ」
執務室のドアから出て行くレドウ。
「わ、私も行ってくる!」
慌ててシルフィも立ち上がると、パタパタと足音を立ててレドウの後を追って執務室を出て行った。
「ソーマには世話になりそうだな」
「えぇ。ここが一番のキモになりそうです。レドウさんの暗殺などマーニス家の暗部では実力的に出来ないでしょうし」
当主アレクと騎士団長アイリスは互いの認識が合っている事を確認しあったあと、対マーニス家の対策会議を再開させたのだった。当初と大きく違うのは検討条件にレドウの決闘が加わったことである。




