第126話 逃亡作戦
ちょっとぼーっとしていた時間があったかもしれない。
ふとしたきっかけで、レーナは足元で起こっている異変に気づいた。よく気配を確認すると兄貴とアイリスさんが、何者かと争っている。
すぐに加勢をしようと弓を取りだしたが、そこで違和感を感じて思いとどまる。
レーナは一旦冷静になり、違和感の正体を探る。
だが、よくわからない。レーナに分かるのは人のように見えるのに、人らしくないということだけだ。
そこで、攻撃力に欠く自分がやたらと攻撃するよりも情報を集めるべきと考え、レーナはさらに観察する。
兄貴と戦っている相手の気配がところどころぶつ切りになっていることが気になる。
その兆候は特に兄貴の攻撃をかわす瞬間に顕著に現れる。
そう、気配が突然移動するのだ。まるで転移したかのように……
「転移ゲート?!」
そう。敵の動きはまるで近距離間を転移ゲートで移動しているかのような振る舞いであった。
レーナは直接見てはいないが、レドウもライゼルと戦った時に似たようなことを実施したと聞いている。
「兄貴と同じような能力を使えるってこと?」
レーナは改めてそういうつもりで観察を続けると、もうその仮説が疑いようもなく思えてくる。
そうでないと説明がつかない攻撃と防御を繰り返しているのだ。
そして見ていてよくわかったことがある。
それは、敵の方がこの能力の扱いについて、圧倒的に熟練であるという事実だった。
しばらくすると、柱の上にへばり付いて下を伺っているレーナのところへ、リズが戻ってきた。
「レーナぁ?どうしたぁのぉ?そんなぁ変なかっこしてぇ……」
相変わらずの調子で現れたリズに、人差し指を唇に当てて静かにするよう制したレーナは視線で、下の戦いを見るよう促す。
すると察したリズも慎重に下を伺う。レドウとアイリスが、得体のしれない男と戦っている様子を確認した。
嵐の様に襲いかかるレドウの剣は、相手の同じく光る剣で受けられる、見えない壁に阻まれている。
アイリスの攻撃に至っては、届きすらしない。
逆に時々鋭く飛んでくる斬撃を剣でいなすので精一杯だ。
盾で受けられないため、既に盾は手放している。それだけでもアイリス的には大きな戦力ダウンである。
「分がぁ悪い……ね」
レーナが黙って戦況を見守っていた理由がリズにも分かった。
下手に加勢したところで話にならないのだ。単純な個の実力では二人を大きく上回るアイリスがあの状態である。
手を出した瞬間に足手まといになるのが目に見えている。
「私にぃ出来ることはぁ……ちょっとぉ行ってくるねぇ……」
リズはレーナにそれだけ言うと再びどこかへ飛んで行ってしまった。
レーナは考える。
リズが自分に出来ることを考えて行動を開始した。それなら自分に出来ることとは一体なんだろうか?
レーナは考える……が、そう簡単に答えは出ない。
自分に出来ること。得意なことは遠隔攻撃と索敵。そして母親譲りの暗殺術。
(……難しい。どうしたらいいんだろ)
今はとにかく状況を見守ることしか出来ないレーナであった。
……
「く……なんだ。ひょろ男に見えて強ぇじゃねぇか」
特別区の入り口の門に、しこたま身体を叩きつけられたレドウだが、何とか立ち上がる。
しかし、ロイがタクトを振るうと目に見えない何かが激しくレドウの身体を打ち据えてくる。
レドウは【叡智のサークレット】を起動し《思考加速》を使った。レドウの感覚の中で時間が止まったようにゆっくりと流れる。
(タクトの精君。知恵を貸してくれ。このままじゃ結構危ねぇ気がする)
そして《思考加速》上でレドウはタクトの精に相談を持ち掛ける。今、この場を打開する為にはこれしか考えられなかった。
《マスター、提案致します。敵が同じく【王者のタクト】を使っている前提で演算します……敵の操作熟練度高。最善策は逃げること……です》
(逃げることだってぇ?)
《現時点でのマスターの習熟度から勝率を割り出すと約1.7%程になります。勝てる見込みはほとんどありません。なお、お連れのアイリス様を庇っての勝率は、0.5%以下となります》
(……このままじゃ戦うだけ無駄ってことか!ちなみに逃げることが最善と言うが、そんな相手から逃げることなんて出来んのかよ)
《単独逃走成功率……約85%、アイリス様との生還逃走成功率……約50%、第三者援護による逃走成功率……90%》
(なるほど。戦うよりはずいぶんマシってことか。ちなみに単独逃走ってのは具体的に?もしかして?)
《単独逃走の為にはアイリス様を盾にする必要があります》
(やっぱそうなんのか。誰かを囮にする以外のやり方ってのが……)
《成功率約50%となります》
(と、いうことなんだよな。ちなみにそれはどうやって逃げる計算になるんだ?)
《少しずつ王都ウィンガルデの門前広場方面へ少しずつ後退します。その上で門前広場から転移ゲートで脱出する手段になります》
(なるほど……最後をどうするかは状況次第だが、少しずつ後退することだけやっておくか)
レドウはここで《思考加速》を解除する。軽い頭痛がレドウを襲うが気にしている時間は無い。
「アイリス!変則的だが、プランCだ!」
「了解ですっ!」
アイリスの返事を聞いた上でレドウは【王者のタクト】の剣化を解いて、近づきつつあるロイと対峙する。
「行け!」
レドウの合図でアイリスは後方に全力で走り出す。
「む!俺から逃げられるとでも?」
ロイがレドウとアイリスの間に転移し、アイリスを追いかけようとしたところでロイの足が止まった。
レドウの創った巨大な魔法の筒を被せられていたのだ。
「こざかしい!何度も言うが、お前のやっていることはただの時間稼ぎだっ。この俺の力の前には跪くことしか出来んと知れっ!」
ロイはレドウの創った周囲の魔法壁を【常闇のタクト】の一振りで消し去ると、アイリスの逃げていった方を見る。
既にアイリスの姿はどこにも見当たらない。これは一瞬の隙さえ創ることが出来れば、この男から無事に逃亡できるということの裏付けに他ならない。
「ふっ。てめぇの相手なんていちいちやってられっかよ!」
再びロイを魔法壁を二重三重に作成して足止めするとレドウも逃げ出した。
「おのれっ」
特別区を飛び出して商業区画方面に逃げ出したレドウを見据えると、ロイは転移ゲートを作成し移動する。
するとレドウが走る前に突然その姿を現した。
「お早いお着きで」
レドウは腰の片刃剣で転移ゲートで移動してきたロイに向かって居合斬りを放った。
先ほどまでのように見えない壁に弾かれるのではなく、ロイは体術で回避したのだった。
「そんな攻撃が今更当たるかよ」
「おや?オカシイな。あんたの魔法障壁はどうしたよ?なんで躱す必要があったんだかな?」
「たまには身体を動かしておかないとな。鈍るからな」
ここでレドウはエクスカリバーではなく、両腰の片刃剣を抜いてロイに斬り掛かった。
相変わらず躱し続けるロイの身体にヒットする気配はないが、エクスカリバーで攻撃した時のような防御障壁にあたることも無かった。
「なるほどね。その防御障壁には魔元素エネルギーに反応する特性があるってことな。俺のこいつのように単純に切れ味が良いだけの剣相手には避けるしかねぇってこった」
「本当に……そう思うか?」
ロイは一瞬にして【常闇のタクト】を剣化してレドウに斬り掛かる。
レドウとしても今はそれを受ける手段がないため、間一髪で躱しきる。
「お前がタクトの剣を使わないってことは、俺の攻撃をいなす手段もないってことだ。そんな浅知恵でこの俺に勝てるとでも?」
「思ってねぇ……よっと」
ロイの隙をついて再びレドウは創った魔法の筒でロイを取り囲んでしまう。
そしてその一瞬をついて逃げ出した。
「馬鹿みたいに同じ事の繰り返しをするというか?!下らん。実に下らんわ」」
ロイはレドウの創った魔法壁を【常闇のタクト】で解除すると、再びレドウの前に転移する。その繰り返しだ。だがロイは気づいていなかった。既にレドウの目的の一つであった『アイリスを逃がす』が達成されていたことに。
そしてレドウは気づいていた。
妹が、気配を殺しながら戦況を見守りつつ追ってきていることを。
観測者がいるのなら、万が一自分に何かあったとしても仲間に状況は伝わるだろう。と、レドウは少しホッとする。
(さて……これを繰り返してりゃ、タクトの精の言う門前広場までは行けるだろう。その後はどうすっかな……もっかい《思考加速》で相談だな)
レドウはロイを引きつけながら、巨大魔獣の蔓延る王都の街並みを少しずつ少しずつ門前広場へと移動していったのだった。




