第10話 レリーフ
時間が非常に長く感じた。実際は本当に一瞬の出来事だったのだろう。
巨大蜘蛛の足の間からレドウの姿が見えたとき、アイリスはレドウと目が合った気がした。
気のせいかもしれないが、打つタイミングを見計らいアイリスの準備が整うのを待っていてくれたようにも思えた。そのくらい唯一絶対のタイミングだった。
アイリスが巨大蜘蛛の攻撃を利用して後方に着地したとき、それは起こった。
巨大蜘蛛のいる地面が赤く輝いた次の瞬間、無数の火柱が上に向かって巨大蜘蛛を貫いた!
『ギシャァァァ!!!』
そして巨大蜘蛛を貫いた無数の火柱は、周りの火柱と徐々に融合してゆき、最終的に一本の太い炎の槍となった。
炎の槍は巨大蜘蛛を貫くと共に胴体に引火し、蜘蛛の身体全体が激しく燃え上がった。
『ギシャァァァ!!!』
再び巨大蜘蛛が上げた断末魔の呻きが広間に響き渡る。
そして巨大蜘蛛を易々と貫いた炎の槍は、そのまま広間の天井を突き破った。
もともとこの蜘蛛の魔物がいたであろう上層階を遥かに越え、さらに上にあるこの遺跡を覆いかぶせている岩盤をも貫いたようだ。
天井からそれを表すような轟音が響いてくる。
「崩落する?!」
巨大蜘蛛の死骸を燃料にしているかのように天高く燃え上がる火柱。そのさらに先にあると思われる天井から時折落下してくる細かい岩。
アイリスは上に注意しながら反対側にいるレドウとシルフィと合流した。
「仕留めてやったぜ。アイリスが注意を引き付けてくれたお陰だ」
「わ、私も頑張ったよ」
シルフィが胸を張る。
「えぇ。全員が死力を尽くした結果だと思います。それはいいのですが」
アイリスが視線を上に向ける。
「この火柱、入り口の時のようにしばらく消えないんですよね?天井の崩落が心配です」
「いや、もう消えるさ。蜘蛛のやつを一撃で仕留めるために、魔元素を圧縮して瞬間出力を最大にしたからな」
そう言い終わるのとほぼ同時に巨大蜘蛛を貫いた火柱は忽然と消えうせた。
「あ!空が見える!」
シルフィが思わず叫んだ。
そう、巨大蜘蛛を貫いた炎の槍(火柱)は、そのまま遺跡の天井を突き破っていたのだ。
遺跡に入ってから大して時間は経っていないはずだが、久しぶりの空に見えた。
「でも……残念ながら、上れるような高さではないですね」
アイリスがかぶりを振った。
「その代わり雷光蟲がいなくても、周りが見える程度には明るくなったがな」
「きっとこの広間はもう安全よ。レドウの治癒もまだ完全じゃないし、少し休憩をしたい」
シルフィはやや疲れ顔だ。
「明るくなってわかったのは、結局行き止まりの部屋になっちまってるってこったな。蜘蛛がもともといた階まで行けば違うかもしれんが……」
レドウたちがいる広間には、空から差し込む光で照らされていたが、先に進むような道は特に見当たらなかった。
「私はちょっと部屋の中を調べてみます。レドウさんは治療を兼ねて休んでいてください。シルフィ、レドウさんの治療をお願いね」
「まかせて!」
……
それから数刻の時が経った。
空の明るさから、昼過ぎくらいだろうか。既にレドウの傷はシルフィの治療魔法によって完全にふさがり、あとは体力の回復を待っていた。
シルフィは連続の治療魔法で気力を使い果たしたか、横になって寝ている。
巨大蜘蛛の死骸の跡に残された魔石を回収したアイリスは、広間の床や壁を調べていた。
なんと魔犬の時のこぶし大の魔石が20数個もドロップしたのだ。これは嬉しい悲鳴だ。
その後犬魔物と戦ったフロアテラスの方へ戻ってみたりしていたようだが、特に収穫は無かったらしくやや疲れた表情でレドウのところに戻ってきた。
「シルフィは寝てしまいましたか。広間とテラスについて特に収穫はなかったです。魔石が大量に取れたことは良かったです」
「そうか。だが、ずっとこうしているわけにもいかねぇな。となると、あと探しきれていなさそうなのは……最初のフロアか。暗がりじゃ全て調査しました。とは言えねぇし」
「そうですね。レドウさんはもう動けますか?」
「あぁ、多分問題ない。こいつのお陰だな」
そういって寝ているシルフィをクイっと指した。
「もう少し寝かせておいてあげたいですが」
「いいぜ。今度は俺が見てこよう。ついててやれよ」
そう言ってレドウが立ち上がったとき、アイリスの目が丸くなった。
「レドウさん、今背もたれにしていたその壁!そこが手がかりのようです」
「なんだって?」
レドウは慌てて振り向いた。視界よりさらに下の方に、小さくてあまり目立たないが遺跡の入り口にあったようなレリーフと古代の文字と思われる彫りこみがあった。
「この文字読めたら先に進めるんでしょうか。私には分からないですけど」
壁の彫りこみに張り付いて食い入るように観察していたアイリスは肩を落とした。
「古代文字か。俺にゃ学はねぇからそういう類の文字は……?!読めるぞ」
「?!どういうことですか!?」
「ん。何どうしたの?」
アイリスの声でシルフィが起きたようだ。
「手がかりが見つかりました。でも、よく分からない文字が刻まれていて、何とか読めないものかと思ってましたが、レドウさんが読めると言い出したので」
「本当?じゃあ入り口にあった文字もレドウは読めていたっていうの?」
不思議そうなシルフィ。
「まぁ、ちょっと待てや。読めるとは思うが、こいつはそんなスラスラ読むための文字じゃねぇんだ。だからチラッと視界に入った程度じゃ読めねぇよ」
「なんでそんなこと分かるのよ」
レドウの説明が納得できず、シルフィは訝しげに詰め寄る。
「なぜ読めるのかは教えてやる。こいつは祖父さんが使っていた、うちの実家で言葉遊び的に使われていた文字だ。なぜ使ってたかの理由は聞くな。わからねぇから。……で、だ。当時、祖父さんは、俺のおやつやおもちゃを隠したりして、この文字でその在り処を書いて遊んでた。俺がそれを読んで場所が分かれば俺の勝ち。わからなきゃ祖父さんの勝ちってな。で、見覚えがあるから多分読める。ってことだ」
「……?」
不思議そうに顔を見合わせるシルフィとアイリス。レドウの説明がよくわからないのも理由の一つだろう。
「で、ついでに思い出した。入り口で見かけて見覚えがあるって言ったレリーフ。ありゃ、祖父さんがいつも首から下げてたペンダントの飾りと一緒だ」
「!?……まさかレドウさんのお祖父さまは、この遺跡と関わりがおありになるのですか?」
レドウは首を振る。
「さすがにそこまではわからねぇな。そもそもこんな山岳地帯に来たこと自体が初めてだ。祖父さんが住んでた家……まあ俺も住んでたわけだが、そこは南リーデル地方の海沿いだ。こっからだと港町シーランからリーデル大河とその支流のセーリア川をを渡った先だ。遠すぎて縁もゆかりも感じねぇ。まぁ細かいことはおいといて、読んでみるか」
「そうね。まず読んでみてよ」
レドウはレリーフと古代文字をジッと見た。
「よし、じゃあ読むぞ。『天……高く……舞う……象徴……力を……与えよ。』だな。多分あってる筈だ」
「つまり?」
「素直にそのまま繋げると、『天高く舞う象徴に力を与えよ。』ですね」
「あ!」
シルフィが突然声を上げた。
「私、わかっちゃったかも」
実に嬉しそうだ。
「どういうことだ?」
「『天高く舞う象徴』って、つまり鳥のこと。ここで言ってるのはそう、レリーフの鳥のこと。で、よく見ると入り口の扉のレリーフとこの壁のレリーフ、大きな違いがあるでしょ」
「??さっぱりわからんが。同じじゃないのか?」
「あ、もしかしたら岩のことですね?」
シルフィがにま~と笑う。
「アイリス正解!入り口の鳥は足で大きな岩を掴んでいたけど、ここの壁のレリーフにはそれがなくて穴になってるだけ」
「つまり、ここに力を与える……。岩……石!魔晶石を嵌めるということですね」
「なるほど?じゃあなにか嵌めてみるか」
レドウは懐から火の魔晶石を取り出すとレリーフの穴に近づけた。
「レドウさん、待って!本当に火でいいのかしら?」
レドウの行動にアイリスは待ったをかけた。
「今さらですが、魔晶石には元素石と制御石があるのはご存知ですよね。さらに言えば元素石には含有要素によって、象徴とされる概念があります。レドウさんもそこまではご存知ですよね」
「もちろんだ。魔法使いの常識だからな。
火……火、力、増幅、破壊
水……水、心、凝結、再生
風……風、技、操作、自由
光……光、知、慈愛、発散
だろ?」
「その通りです。あとは座学的には『闇』まで含めて5系統の元素石があります。ただ、闇は利用できた人が過去いなかったため、その象徴や効果が不明とされてますが」
「……その話がなんで今必要なの?」
アイリスは一度言葉を切った。
「その……気になったのです。これだけの仕掛けを作る古代の人々が、なんとなく仕掛けを作るわけがないのではないかと思うのです」
「でも、私は結果的にだけど……火で正解だと思う」
シルフィがアイリスに向かってうなずいた。
「だって、古代文字の指示は『力を与えよ』でしょ?力を象徴するのは火の元素石よ」
「……仮に正解が闇だったところで、そんなもん持ってねぇしな」
「確かに一番正解に近そうですね。じゃあ火でいきましょうか」
レドウは手にした火の魔晶石をレリーフの穴に収めた。
と、低い駆動音が鳴り始め、赤い光が広間全体に広がった。
「さて、何が起こるか……」
広間全体に広がった光は広間の中心にある壁に集約し、扉の形となって輝き始めた。
一見すると壁に赤い線で扉の落書きをしただけのように見えなくもないが、光を放ち続けているため魔元素によるもので間違いない。
「!これは本当に扉なのでしょうか。本当に?」
「……信じられねぇが、そうなんだろう。魔元素のエネルギーが尽きる前に進むか」
「これが旧文明の技術の集大成の一つ……わくわくする」
シルフィが手でその扉の壁をゆっくり押した。すると、見かけはただの岩壁のはずのその場所が、光の枠に沿って本当の扉のように開いた。
「すごい……。本当に扉みたい」
「どちらかというと壁が扉になったというより、扉を岩壁で偽装している……という感じでしょうか。実際のところはよくわかりません」
「文字読めなくても、たまたまさっきの穴に魔晶石を突っ込む奴がいたら、開けられそうだな」
「レリーフを隠しておきたいですね。この先にあるもの次第ですけど」
などと話しながら扉を開けた先には、降り積もった雪と、山々に守られた神殿に続く長い階段といった景色が広がっていた。




