第104話 アスタルテ家騎士団
タルテシュ西門前。
戦闘中のアイリスは見ていた。
前方で、シルフィの爆裂魔法が、かつてない規模で炸裂するのを。
その瞬間から、第三師団後方より前線に飛来する遠隔魔法と弓による攻撃が一斉に止む。この事実が示しているのは、第三師団後衛部隊の壊滅である。
爆裂魔法の威力について知っており、ある程度予想していたはずのアイリスでも驚いた。そもそも広域攻撃魔法を操れる人間などそうはいない。しかも後衛を一度に壊滅させられる程の威力である。
全ては日々の努力と魔元素エネルギー操作の研究の賜物であった。
西門を攻め立てていた歩兵騎団たちも、後方で起こった異変に思わず足が止まる。
停戦前のこけおどし魔法でこの類いの魔法の可能性があると頭では理解していたが、魔元素エネルギーの収縮を肌で感じることの出来ない兵達……特に隊長のエルダ以外は本心から信じていなかったというのが正しかったのだろう。
炸裂した瞬間、戦闘行為の真っ最中であるにも関わらず、ほぼ全員が後ろを見て立ち尽くしてしまうほどだ。
ただ、レドウ軍側もあまり人の事は言えない。
ほとんどの者が武器での戦闘のみでなく魔法にも慣れ親しんでいるはずの冒険者でさえ、目を奪われる光景だったのだから。
しかし、そうした隙をアイリスは見逃さない。
足の止まった十名ほどの兵士を瞬く間に得意のシールドバッシュでなぎ倒す。
なおもアイリスは止まらない。
一度出来た隙は、アイリスを前にした歩兵騎団にとって致命傷となる失策であった。
殲滅速度を優先するアイリスは剣の攻撃でも常に足を狙い、とにかく敵の機動力を奪うことを終始徹底していた。目の前の敵は真の敵ではない。戦闘行為が続けられない状態となりさえすればいいのである。
アイリスの戦い振りを真似て、各小隊長以下アスタルテ家の騎士団達の動きが更に良くなっていく。
結果として西門前の戦闘はアスタルテ家騎士団の目覚ましい活躍によって、戦力差をモノともしない五分以上の戦いを繰り広げていたのだった。
だがそうしたアイリスの行動は、突如ある違和感によって止まってしまう。
違和感の正体は、視界の遙か前方……シルフィの爆裂魔法が引き起こした爆煙が収まったあとの光景の中にそれはあった。
一人の戦士らしき人物が、武器も持たずにこちらへ向かって走ってきていたのである。
最初は何がおかしいのか分からなかった。
だが、違和感は徐々に大きくなっていく。そしてアイリスは気づいた。
気づいてしまった。その人物が周囲の人間と比較して明らかに大きいことに。
違和感の正体は、遠近感だったのだ。
単純に比較して二、三倍は大きいその人物……いや人であるかどうかも分からないが、その『人型の何か』は間違いなくアイリス達の守る西門に向かって突進してきている。
『人型の何か』は姿を現してから、ブレることなくただまっすぐに西門を目指して走っていた。その場に倒れ伏している味方の兵を踏み潰し、侵攻ルートに味方の兵を含む障害物があればそれを吹き飛ばし、ただひたすらにまっすぐに突き進んできていたのである。
「リュート!ラウル!散開して下さいっ!危険が迫っています!」
アイリスのかけ声で両小隊長も、迫り来る異様な脅威に気づいた。
すぐに騎士団員に指令が行き渡り、団員達は迎撃用に陣形を整える。
その様子を見たカーライル家騎士団もリドル団長の指揮の下、いつでも回避できる体勢を作った。
この場にいる誰もが知っているはずもないのだが、この脅威……『人型の何か』こそがグリフィスが操る操作魔導兵であった。
あっという間に西門の戦場にたどり着く操作魔導兵。
門を背にするアイリスと向かい合うように対峙し、一対一の決闘でも始まるかのような緊張感が走った。
その場にいる操作魔導兵に敵味方の視線が集中し、釘付けになる。
この異形の者の目的、所作が誰にも分からなかったのだ。そしてここに来るまでに第三師団の兵達をもなぎ倒してきていたため、双方とも敵か味方かすらよく分かっていないのだ。
「ぐガッ……あイりス……ダな?」
グリフィスは操作魔導兵の性能実験に、アスタルテ家騎士団長《剣豪》アイリスを選んだ。
操作魔導兵が言葉を発するやいな、その鉄柱のような右腕を振り下ろした。
その動きを察知したアイリスは、左側に最小の動きで回避する。
すると操作魔導兵は左手を大きく振りかぶって左フックを放つ。
振りかぶった際に数名の歩兵騎士が吹き飛ばされ再起不能になるが、操作魔導兵は全く意に介さない。
操作魔導兵の左フックをバックステップで回避し、その腕に向かって剣を叩き込んだ。しかし、ギンッという鈍めの嫌な金属音と共に、アイリスの剣が弾かれる。
アイリスは戦慄する。
この手応えには覚えがあった。地竜と同じだ。
「みんなっ!死にたくない人はこの場から出来るだけ離れてっ!敵も味方も関係ないっ!この異形が人類の敵よっ!!」
アイリスは、一体その細い身体のどこから発せられるのかと驚くほどの大声を上げる。その警告を聞いた第三師団の歩兵騎士、冒険者、騎士団員たちは一斉に距離をとった。
残ったのは、アイリスと両小隊長リュートとラウルの三名だけである。
「あなたたちもすぐに離れてっ!異形は、多分私たちの手に負える相手じゃないっ!私は……時間を稼ぐことだけなら出来る。すぐにレドウさんを呼んできてっ」
「兄貴ですか?そもそも今どこに……?」
「俺たちにも時間を稼ぐことは出来ますっ!固まっててはダメだ!ラウル、散開っ!!」
「承知ぃ!」
アイリスの両翼にリュートとラウルが散開する。
三人のやりとりを聞いたカーライル家騎士団長リドルがレドウを探しに城壁を上っていく。それを確認したアイリスは、操作魔導兵に向き直り剣を構える。
「絶対に死んではダメよ!致命の一撃だけは絶対に受けないで!」
「ざコが……こザかシいマねを」
操作魔導兵が無造作に飛び上がる。
恐らくはちょっと飛び上がったというだけなのだろうが、レドウの創った城壁の四分の一程度……およそ五ルード程の高さまで巨体が舞い上がる。
そしてその両手から火球が、現れた。
「魔法を使う??」
操作魔導兵から放たれた火球がラウルを襲う。
ラウルは間一髪火球を避けるが、流れ弾が周囲に避難していた第三師団の歩兵騎士の一人を直撃し、炎上する。
火が消えた後には一人の黒焦げとなった遺体が残された。
「異形と戦えない者はもっと距離を取れっ!守り切れん!」
ラウルが背後に非難している者たちに怒鳴り声を上げる。その声を合図に周囲を取り巻く円がさらに広がった。
そしてラウルは上空を見上げる。
操作魔導兵は一向に落ちてくる気配もなく、そこに居た。
ヘルマンが体現していた風魔法の応用である。もっとも彼が行っていたほど風移動を使いこなしているわけではないのだが、自在に宙に浮くくらいのことは出来ているようだ。もちろん直接ヘルマンと対峙していないアイリス達に取っては初見の技である。
「どうしてこいつはタクトもなしに魔法を……」
ラウルが唸るが、悩んだところで答えは出ない。
事実を認識して対処する以外の手立てがないのだ。
操作魔導兵が、今度はリュートめがけて急降下し蹴りを放ってくる。
リュートはとっさに盾を構える。
「受けてはダメッ!」
アイリスの声がリュートに届く。
その声にリュートが反射的に反応し、盾を離して地面に転がることでなんとか回避できた。
操作魔導兵の足元からは原型を止めないほどひしゃげた、聖銀製の盾が現れる。
もしアイリスの声が届かずに受けてしまっていたら、リュートはあの盾のごとく物言わぬ肉塊となっていただろう。
「なんという威力……聖銀が意味を成さないとは」
リュートの驚愕の声を聞いて操作魔導兵がニヤッと笑った……ような気がした。
そしてリュートとラウルに興味を無くしたように無視すると操作魔導兵はアイリスの前で止まる。
「オれノ……あイてガつトまル……オまエだケ」
そう言うと操作魔導兵はアイリスめがけて鋭い回し蹴りを放った。
風圧だけで吹き飛ばされそうな勢いであるが、これをアイリスは身をかがめて回避すると、軸足に斬り付ける。
剣はやはりその堅い装甲に弾かれるが、操作魔導兵の注意を引くには充分な効果だ。
(……地竜の時は、どうでしたっけ?)
もちろん、最終的には、レドウがエクスカリバーを使って斬り伏せたことは覚えている。しかしその前……つまり最初の剣が折れるまでは、倒せないまでも互角に渡り合っていた時間帯があったことを覚えている。
(確か、あのときは……堅かったのは表皮、つまり鱗だけ。そして確かシルフィの爆裂魔法も効果があった。)
アイリスの頭上から右腕が振り下ろされる。これを左に回り込むように回避する。
操作魔導兵の拳が大地にめり込み、一瞬動きが止まる。
(効果ないかもしれないけど……)
念のため、背中側から上段に構えた剣で斬り付ける。だが結果は予想と異なった。ザクッと剣が肉に食い込む手応えがあり、血液のような黒い液体が切り口から滲んできたのだ。
(完全無欠じゃない!弱点はある。とりあえず堅いのは腕と脚。ここは攻撃してもダメね……)
斬り付けられた感触はあるのか、操作魔導兵はやや身体をピクピクと痙攣させている。
実は天幕で操作しているグリフィスが身体操作をシンクロさせすぎた結果、斬撃の衝撃まで自身の身体に再現させてしまったため、怪我はないのに衝撃による痛みで痙攣していたのだが、アイリスにはそんなことは知るよしもない。
「グが……よクも!」
徐々に戦いの流れはアイリスに向いていった。
既に操作魔導兵とアイリスの一騎打ちの周りは、敵味方の関係なく周囲を囲って見物客のような状態となっている。
当然のように応援対象はアイリスである。
一方的かと思われた巨大な異形を一人の女性剣士が翻弄している様は、人を選ばず熱くたぎらせていた。
さながら奮闘するアイドルを応援するサポーター達のような状態である。
当のアイリスは、ギリギリで操作魔導兵の攻撃を避け続ける。そして隙を見て背中側に回り込み、急所となり得る場所を探すように丁寧にいろいろな箇所を攻撃していく。ちなみに真正面も斬り付けてみたが、腕や脚と同じ強度であったため既に身体の全面への攻撃はしていない。
グリフィスは焦っていた。
これだけの力と魔導力を持つ操作魔導兵が、ただの一人の女性剣士……例え《剣豪》という二つ名がついた猛者であろうとも、遅れを取るはずがないとたかをくくっていたからだ。だが蓋を開けてみれば、翻弄されているのは自分の方。逃げたくてもギャラリーが邪魔で満足に移動も出来ない。
実際には風移動で飛んで逃げることは出来るはずなのだが、既にグリフィス自身にそれだけの余裕が無かった。
操作魔導兵を操る熟練度が不足していたということだ。
もし、充分に練習を積んで操作魔導兵の性能を完全に引き出すことが出来ていたら、このような結果にはなっていなかったことだろう。
アイリスは既に操作魔導兵の背後を取ることが難しくなくなっていた。
背後側の至る所を斬り付けて手応えを確かめる。
そしてついに一カ所見つけたのだった。
その場所こそ、オルストフがグリフィスに説明した操作魔導兵の弱点……そう、首筋である。
アイリスが次に繰り出した一刀は、操作魔導兵の首筋から頭部に達し、中の聖魔石を完全に破壊していた。そして動作を制御していた聖魔石を失った操作魔導兵は、直ちにその動きを停止させたのである。
この一騎打ちは、アイリスの完全勝利であった。
ちなみにアイリスが聖魔石を砕いた瞬間、同様の衝撃を受けたグリフィスは、天幕で泡を吹いて卒倒していたが、そのことを知っている者は誰も居なかった。
アイリスが納刀した瞬間、タルテシュの西門では大喝采が巻き起こった。
もう第三師団も冒険者もカーライル家もアスタルテ家も関係なかった。
全員で《剣豪》アイリス=カルーナの勝利を称えたのである。




