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井戸の少年  作者: ryota
6/7

ココア

 


目を開けた時の風景がいつもとは違う。 変化がある事に気が付いたのは、数秒たった後だった。 どういうわけかロープが降りている。 井戸の上から降りているのだ。 つまり外に出れるということだ。 一体誰がロープなんて下したんだろう…。 少年はそのロープを握って、どうするか迷ったけど、1度外に出てみることにした。 外に出るのが怖いけど、最悪また元に戻る事はできる。   外は雑木林になっていた。 少年はしばらく言葉を失っていた。 想像の中で色々風景について 思い描くことができたとは言え、実際に目にする その風景の鮮やかさは想像以上だった。 しばらく歩いた。

 やがて大通りに出た。 車がいっぱい走っている。気が付くと、もう夜になっているようだ。 少年はふと、自分は、いつものあの汚らしい布切れしか身につけていないのではないか、と心配になって、自分の体を見た。 でもどういう訳か、服を着ている。 いつこんな物を着たのか全く思い出せなくて、不思議な心持ちで、その青いジーンズと水色のボタンシャツを、自分でしげげと 眺めた。

人は誰も通ってなかった。 空気が美味しくて 幸せな気持ちになった。 思い切り息をした時に 新鮮な冷たい空気が喉を通る感触が、心地よかった。

 少年は公園のベンチに座っていた。 電灯が白く滲んで光っていて、それを眺めた。 奥にはマンションが建っている。 そのマンションの足元に ダストボックスがいくつもあって、青色の網がかかっていた。 公園出口の近くに自動販売機がある。 その自動販売機の上の青いビニール屋根には○○酒店と書いてあったが、目を凝らしても何と書いてあるかははっきり分からなかった。 道路側に誰か歩いてることに気がついた。女の子のようだ。 少年はじっと凝視した。 距離がだんだん近づいてくる。 すごくドキドキした。 ある程度距離が近づいた時に、何か見たことがある、と思い、更に注意深く凝視した。 あの子だった。 多分あの子だ。 白色のセーターが、夜の闇の中でヤケに幻想的に光っていた。 自分に気づいて欲しくて、どうにかしたかったけど、戸惑うだけで、はっきりとした行動に移せなかった。 行ってしまったらやだと思ったけど、その心配は無用に終わった。

「あれ、どうしてここにいるの?」

少年の心は震えた。 嬉しくて涙が出そうだった。 鮮明に見える少女の顔を眺めていた。 そして想像での彼女の像と、今目の前にする実像とを比べ、そしてその間にあるギャップを自分の頭の中で塗り替えていった。 実際の少女の顔はすごく素敵だった。 色が白くて、頬がとても柔らかそうだ。 ちょっと出てみたんだ、ずっと井戸のなかだと退屈だから。

少年はポケットに手を突っ込んだ。 ジュース奢ろうか? 「本当に?嬉しい」

自動販売機の前に立った時、ポケットの中に手を突っ込んでお金を必死で探したけど、全然出てこなくて、少年の顔は真っ赤になっていった。 このままだと格好がつかないので、お釣りを出す レバーを必死で何度も下げた。 お金は出てきてくれた。 500円玉だ。 少年はその500円玉を手で触って感触を確かめてから、挿入口に入れ二人分のジュースを買った。 ホラ、のみなよ。「ありがとう」このジュース好きなんだ、甘過ぎないから、甘いと子供っぽいから嫌なんだ。少女は両手でジュースを手にしたから少年はキュンとなった。

 少女と少年は夜の小道を歩いていた。 左側のコンビニエンスストアを通り過ぎる瞬間、店の中を覗いた。 レジに店員がいた。 中に入ってみたいと思ったけど、少女がそれを望んでいなさそうなので、やめておいた。少年はポケットに手を突っ込んで大きく鼻で息をした。もう今自分は井戸に居なくて、カッコイイ服とか着ていて、多分今はポケットに手を入れてるから顔も格好良くて、ジュース奢ったから少女は自分の事が好きで、それでそんな思いが、少女の澄んた横顔とか、上を向けば見える広い夜空とかの全部に心地良く投影されているのだった。 街灯が規則的に並んでいる。 そこを通るたび、少年はその白い光を眺めた。 「井上歯科」という看板が目に入った。 信号のある交差点を左折した時、右手に消防署があった。 「安全第一」のような標語を眺めた。 そこを通った先に飲食店があったけど、どういった種類の店かわからなかった。 白い服と帽子をかぶったおじさんが居た。

 少女は左手にいた。 何度もチラチラと横顔を盗み見した。 その度にドキリとした。 その横顔の頬には、やはりくぼみがあって 、それが素敵だなと思った。

 二人はエレベーターに乗っていた。 密室で少女といると、緊張して落ち着かなかった。 「こんな時間に人を家に呼ぶなんて初めて、楽しみだね」 うん、と少年は言った。 今日で全てが終わってしまうような気がして、少女の顔を盗んで、また井戸の中に閉じこもりたいと思った。 少女の顔がもう二度と見れなくなるような気がして、寂しくなった。

 廊下で少女は先に歩いていた。 その白いセーターの肩を見て ドキドキした後、左側の外の景色に目をやった。公園や自動販売機や一軒家の家が何件かあった。 扉の前で少女は鍵を探した。 「ちょっと待っててね」と言ったけど鍵が見つからない気がして不安になった。 だから鍵が見つかって扉が開いた時、少年は嬉しい気持ちになった。

少年はソファに座っている。 壁には色々なCDが飾ってあって、 それを眺めていた。 Bill EvansのCDがあって、嬉しくなって、 僕もこれ知ってる、と大きな声で言ってしまいそうになった。 でも少女はいないようだ……。

辺りを見渡したけど暗い部屋には少女は絶対に居ない。不安になったけど、奥から少女が歩いてきた。 マグカップを二つ持ってきて、テーブルの上に置いた。 湯気が立っていて、甘い匂いがした。 「ココア」と少女は言った。 「飲もうよ」何回も飲んだ事あるやつだ、どんな味か忘れたけど、と口走った。もっとガキの頃すきだったからさ、ケンカとかしたあと飲みたくなるんだ、と。初めてのココアはとても甘い味がして、頬が取れそうなほど美味しかった。 頭の中で飲み物の味を想像するのとは、全然感覚が違った。 「じゃあサティのピアノ聴こっか」 少女は立ち上がり、壁に並べられたCDのうちの一つを手に取り、プレイヤーにセットした。 スピーカーから ピアノの音が流れ出した時、少年は幸せな気持ちになった。 それは目の前の事物について、自分の好きな人と一緒に、同時に共有することによって生まれる幸福感だった。すごい良いスピーカだね、このスピーカ100万円はするでしょ、僕ので700万円だからこのスピーカすごいね。 少女の横顔を見ながら その綺麗な手を握りしめたいと思った。 「ねえ、名前何て言うの、 そういえばまだ知らなかったし」 どう答えるべきか分からなくて、ソファに座ったその膝をもぞもぞと動かした。 ふざけるつもりはなかったけど、少年はほとんど無意識で自分の知ってる名前を口走ってしまった。 ポール、と言った。 少女は笑った。 「本当におかしい、面白い」 少年は顔を赤くしながら少女の笑った顔を見つめて、嬉しく思った。 「今日は来てくれてありがとう」明日転校するの? 「ああ、あれ、 転校しない事になったの、だからまた会えるよ、学校行ったら良いじゃん、こっちの学校おいでよ、でさあ友達になるの、一緒のクラスに入れるか分からないけど」うん、そうする、と少年は言った。ウザい奴がいたら殴るけどさ。 それから二人はピアノの音色に耳を澄ませた。 でも本当のところは、少年は ピアノに認識を集中させていなかった。ずっと右手の少女の存在に意識をやっていた。 こんな時間はそうそう過ごせるものじゃないから、少しでも少女の温かさをキャッチしていたいから。「そう言えば、はっきり井戸の中では顔見えなかったんだけど、結構かっこいいね」 本当に嬉しかったけど、別に、と言った。それから、君の顔もすごく可愛い、と言いたかったけど、膝をもぞもぞさせるだけで、言えなくて、残念な気持ちになった。 その後、自分でもよく分からなかったけど、少女の手を触りたいと思って、体が勝手に動いた。 気がつけばコップが倒れていた。 倒れたコップからココアがこぼれて、床を伝った。 あっ、ごめん、本当にごめん。 「もう、どんくさいよ、ちょっと待ってて」 嫌われたかなと心配になったけど、タオルを持ってきた少女は嫌そうな顔せずに床を拭いてくれた。 途中で少年は、ごめん、と謝って、自分が床を拭いた。 そんな事があったから少女が、次何聴く、と明るい声で言ってくれてまた嬉しくなった。 Bill Evansを聞きたかった。でも何故かそう言えず、何でも良い、と言ってしまった。 「じゃあ、Bill Evans」そう少女が言って、ドキッとした 。大きい声で、僕好き、と言った。 「知ってるの?」うん。

 二人は「マイ.フーリッシュ.ハート」を聴いた。 その音色が鳴り出した時、少年は、もう少女のその手をにぎりたいと思った。 自分が好きだという事に気づいて欲しく思った。 その間そのリビングの空気が、とても特別なものに思えたのは、そういう自分の想いがあったからだろうか、それとも、本当にその空気が特別で 少女も同じ事を感じているのだろうか、それは分からなかった。 でも少年にとってはその空気はとても特別に感じられた。心臓がドキドキして、どうしても少女の手を握りたかった。 そんな思いで少年は少女の顔を見つめた。 少女もそれに気づき、少年を見つめ返した。「どうしたの?」顔が赤くなった。 少年はどうすべきか分からなかった。何を言おうとしているんだろう……、僕は何をしようとしているんだろう……。 少し首をかしげて、ポールと言った。 それもほとんど無意識だった。 少女はまた笑った。 「もう、それ言わないで、本当におかしいんだから」 自分でもふざけたつもりじゃなかったから、結果的にそんな風に笑ってくれてラッキーな気持ちになった。 一方でその少女の笑い顔を見ていると、 本当に少女が好きになった。手を握ってしまおうか、どうしようかと迷った。 嫌われるんじゃないかな、と思って、すぐに行動に移せなかった。

 しかし少年は少女の肩に手を置いていた。 少女は少し困惑していた。 それで少年はやめておいた方が良さそうに思った。 肩から手を離して、ごめん、と謝った。「いいんだよ」少年は少女の手を握った。 少し冷たかったけど、とてもなめらかな肌で胸が詰まりそうだった。 時間が止まって欲しかった。 そのまま二人は見つめ合った。 そのままゆっくりと少女の顔に近づいた。 そのガラス玉みたいに光沢があって、奥行きのある瞳には、少女の持つ好奇心とか無邪気さ、それから、風に揺れる草花のような素朴な人柄、あるいは、夜の空に薄く滲む月の光のような陰りなどが秘められていて、 少年は薄暗いリビングの中で、微ながらも、少女のそれを垣間見ているような気がしていた。 胸が確かに熱くなった。 そしてその瞳との距離が近づいていく。 もう後は、引き下がるかいってしまうかのどちらかしかなくて、ひどく緊張した。 少女の顔が近づけば、なんて美しいんだろう、と 高揚した。 でも少年はそこで顔を止め、ゆっくりと引いていった。 鼓動が高鳴り、息苦しくなった。 キスしてみたいよう。 でも、僕は大事な何かを忘れている……。 そのまま目を瞑った。


 リビングに少女がいない。 どうしてだろう……。またさっきみたいに消えてしまった。 少年は凄く悲しい気持ちになった。何故なら、もう少女が姿を現さないと直感していたからだ。 どういう訳かは分からないけど、少年はそのまま廊下を歩いた。 扉があって そこを開けたら浴槽が見えたけど、そこに少女はいなかった。トイレも見た。 もう一度リビングに戻ってみた。 でも駄目だ。もう少女はいない。 一気に暗いのが嫌になった。 そういえば音楽が聴こえていない。 怖くなって少年は部屋を出た。

マンションの廊下を走って、エレベーターに乗って降りた。 夜の道を歩いた。 人が誰もいなくて自分が世界で一人の存在になった気がした。 また少年は井戸を思い出した。 もう一人は嫌だ、少女がいないといけない。 あの子の学校に行くんだ。 それでいつかデートして、一緒に映画館に行くんだ。

コンビニエンスストアの中に少女がいる気がして、思い切って中に入った。 白い蛍光灯が明るくて嬉しいと思ったけど、人が誰もいなかった。 それは悲しかったけど、それとは別に、そこに並べられた品物の一つ一つに好奇心を持たない訳にはいかなかった。 でもそこに少女はいない。 一周してからすぐに出た

 

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