第3話
魔法陣の部屋から逃げ出すと、そこから先は縦横3mくらいの広い廊下が続いていた。
延々と伸びる石造りの廊下はときおり曲がり角や十字路になっており、昇降用の階段もあることから、このフロアの上下にさらに階層が存在することが分かる。
なぜかデモニカと配下のスケルトンたちは追ってこなかった。
だが俺たちが無事に逃げ切れたというわけではない。問題はいくら走っても「外」へ出られないことだ。
「まいったなぁ……館かと思ったら、実は地下ダンジョンかよ」
とにかく階段があれば上をめざし、あとは適当に角を曲がりながらひたすら走り続けること、小一時間。いい加減息が切れてきた俺を尻目に、メオの方は顔色ひとつ変えず、汗すらかかずにまったく同じペースで走り続けていた。
「……疲れないか?」
「私は平気だ。もっとスピードを上げるか?」
「いやその、君は平気でも、俺が……ちょっ、もう……げんかい」
「仕方ないな。では5分だけ休憩にしよう」
床に座り込んでハァハァ息を整える俺の横で、メオは壁に手を当て、じっと
意識を集中していた。スキーマを使って周囲の様子を調べているらしい。
「亜久斗がいうとおり、壁の向こうは地下岩盤のようだ。上下左右、かなりの規模で地下道が広がっている……まるで迷路だ」
「ゲームの地下ダンジョンなら俺もさんざん潜ったけど、いざ実物に放り込まれると、さすがにシャレになんないね」
「これだけの地下構造物が建設されている以上、この世界の文明はそれなりに発達しているはずなんだが……その割に照明設備が原始的なのが不思議だな」
壁際に等間隔で並ぶ燭台を横目で見やりつつ、メオがいう。
この世界にまだ電灯は普及していないようだ。
「こういうのって、たいてい古代文明の遺跡をそのまま利用してるだけだったりするからな~」
それにしても、こんな大量の蝋燭を毎日交換するのは大変だろう。あのスケルトンたちがやらされているのかもしれない。この手の単純労働なら、わざわざ人を雇うよりアンデッドの方が安く上がりそうだし。
さんざん身体を動かしたせいかひどく喉が渇いた。それに空腹も。
そういやまだ晩飯食ってないんだった……。
「メオ、君の力でスポーツドリンクとか出せない? あと食べ物も」
「申し訳ないが、そういうスキーマはない。我々は食事など必要としないし、合体後の栄養補給その他のメンテはホストに任せるつもりだったから……と、そうそう」
ポンと手を打ち、メオは俺の顔を覗き込むように歩み寄ってきた。
「よい機会だ。さっき停止してから保留状態の合体を、いまここで完了させないか?」
「何だって?」
「そうすれば我々は双方の知識やスキーマを共有できる。こうして別々に活動しているよりずっと効率的だぞ」
そういう彼女の顔がやけに嬉しげに見えたのが、俺のカンに障った。
「黙って聞いてりゃムシのいいことを……断る! よく考えてみりゃ、君だって地球を狙う宇宙人で、しかもついさっき俺の体を乗っ取ろうとしたな? 行きがかりで何となく仲間っぽく一緒に逃げてたけど、あの女魔法使いと同じで俺の『敵』じゃねーか!」
俺は怒りに任せて立ち上がると、少女に背を向けて足早に歩き始めた。
「ここから先は別行動だ! 俺は好きにさせてもらうから、君もそうしろ!」
「いや、それは無理だ」
背後に置いてきたはずのメオが、いきなりテレポートのごとく俺の目と鼻の先に出現した。
「わっ!?」
「自分の右手を見てみろ」
「え?」
いわれたとおりにすると、右手の甲に皮膚の下からぼうっと淡い光が浮かんでいる。何だこりゃ?
「それは『スフェラ』……いわば合体の証しだ。現在、私の思念体はそこに固定されているから、事実上我々は一心同体。もはや別行動は不可能というわけだ」
「えええーっ!? くそっ、妙なモノ埋め込みやがって~」
「とはいえ……さっきのあれは強引に過ぎたな。私も焦って冷静さを欠いていたようだ」
少女は神妙な顔でペコリと頭を下げた。
「悪かった……今後はもうあんな真似はしない」
サラサラした髪の毛が華奢な肩の上で揺れ、スフェラの光が点った俺の右手を、メオの両手が愛しげに包み込む。
「質量を持った立体映像」という本人の説明通り、その暖かく柔らかい感触は人間のそれと区別がつかなかった。
「いやまぁ……分かってくれればいいよ。うん」
「仮の姿」と分かってはいても、こうして年下の女の子の姿を取られてしまうとどうしても強く出られない俺、チョロすぎ。
何だか急に気恥ずかしくなり、慌ててメオから一歩離れた。
「――あっ、そうだ。君が今の姿のモデルにしたっていう女の子のこと、思い出したよ」
「ほう。誰だ?」
「ずっと昔……もう十年くらい前、一度だけ会った子だ。俺は5つくらいの時かな?」
「そんな幼い頃なら忘れている方が自然だな。その割には強い印象で記憶されていたようだが」
「ああ、実際忘れてた。こんなことでもなければ一生思い出さなかったかもしれないけど……あれは俺にとって大切な記憶なんだ。その点については、メオに感謝するよ」
「?」
分かったような分からないような表情で、メオは小首をかしげた。
空きっ腹は相変わらずだったが、少し休んだおかげで元気が出て来たようだ。
「そろそろ行こうか。何はともあれ、地上に出なくっちゃな」
「出られたとして、そのあとどうする?」
「そうだなあ。まずは近くに人間の町や村……つまり食事や休養ができる場所を捜して、それから情報収集。この世界がどういう場所か、それを知らなきゃ始まらないよ」
「この異世界というのもなかなか興味深いが、私には地球調査の任務がある。一刻も早く元の世界に戻りたいのだが……」
「さっさと帰りたいのは俺だって同じだよ。魔法で召喚されたんだから、元の世界に戻す魔法もある……と思いたいけど」
あのデモニカという魔法使いがいった「実際に召喚したのはアンタら二人が初めて」という言葉が、どうもひっかかる。
あるいは「異世界の人間を召喚する魔法」はデモニカのオリジナル……つまり彼女しか知らない術かもしれない。その場合、元に戻す魔法は最初から考えてない可能性さえある。何せ彼女の目的は俺たちを魔法実験のモルモットにすることで、生かして返すつもりはなかったのだから。
「ま、まあ人間の町に行けば、他の魔法使いもいるはずだから。捜し出して相談すれば何とかなるんじゃないかな?」
「……だといいが」
不意にメオが顔を上げ、警戒するように周囲を見回した。
「気になるな。あの魔法使いの女、なぜ追ってこない?」
「まいたんじゃないか? ずいぶんデタラメに走ってきたし」
「わざわざ地球から召喚した我々をそう簡単に諦めるとは思えん。それにあの女、この地下迷宮を拠点として使っているようだから、正確な地図も持っているに違いない」
それを聞いて、俺もにわかに不安になってきた。
うまく逃げ切ったように思っていたが、実はあの魔法使い、今も俺たちを魔法で見張ってるんじゃないか?
嫌な予感は現実のものとなった。
どこか遠くから、重く鈍い響きが近づいてくる。
足音だ。その時俺たちがいた廊下の5mくらい先は十字路になっているが、その左側の角から、何者かが近づいてくる。
「なるほど。我々が逃げ疲れる頃合いを待っていた、というわけか」
皮肉るような笑みを浮かべ、メオは片手で俺を後ろに下がらせた。
間もなく姿を現したそいつは、身の丈2mを超す人型の怪物だった。スケルトンとは違いがっしりと逞しい筋肉のついた巨体の上に、獰猛そうな雄牛の首が乗っている。
「……ミノタウロス?」
メオの口から怪物の名が漏れた。
「あれ、知ってるの?」
「確かギリシア神話に登場する怪物で、クレタ王の息子が海神ポセイドンの呪いであんな姿にされたのだろう? なぜこんな場所にいるんだ」
地球調査が任務というだけあって、既存の神話・伝説についても一通りの知識はあるようだ。むしろ俺なんかより遙かに詳しいかもしれない。それでも最近の異世界ファンタジーにまでは手が回らなかったようだが。
「姿形はそっくりだけど、まあ『よく似た別物』と割り切った方がいいよ。神話のミノタウロスとは違って、元々ああいう種族なんだと思う」
「やれやれ……これまで収集した地球の情報が、まるで役に立たないとは」
うんざりしたようにぼやくメオだが、既に戦う気らしい。近づいてくる半人半牛の怪物に向かい、自ら一歩踏み出した。