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 事の全てを知ったのは、その全てが終わった後だった。


 付き合いのあった玲子の彼氏、司馬透の話、今日ここで、細川家で見つけた資料、そして何より本人の発言。

 事件:細川環は知人の大迫美香を利用して田沢玲子を嵌め、社会的に抹殺した。


 今日、誰もいないから久しぶりに家で夕食を一緒にしないかと誘われた俺は、環以外誰もいない細川家を訪ねた。

 その際、彼女の部屋で見つけた興信所の封筒。


 盗み見る気はなかった。

 ただ、教科書や書きかけのレポートが広げられた彼女の机の上にあったその封筒には既に開けた形跡があり、そして開かれたノートの下に――恐らくは興信所の調査結果の――写真が一枚、その端をノートの隅からはみ出させておいてあったのを見つけただけだ。

 今にして思えば、彼女はそれとなく俺に自らの行いを見せつけるようにそうしていたのかもしれない。

 自分が何をしたのか、自分がどうやって戦果を挙げたのか。それを俺に見せつけるために。


 「お前これ、どうしたの?」

 その時の俺にはそのような思いはなく、ただ幼馴染の机の上にあった、その見慣れない封筒が目を引き付けていただけだった。


 普通、何も人生に問題の無い人間は興信所など利用しない。

 一度部屋を出ていた彼女が戸口に戻ってくるのを背後に感じ、振り返らずにそう尋ねながら、大した意味もなく、しいて言えば若干彼女の身を案じてその写真を引っ張り出した。

 興信所に頼るような案件――人探し、浮気調査、その他身辺調査等、基本的にポジティブなイメージはない。


 だからその写真に写っていたものは、一見すると奇妙な、間違い探しの様にも見えた。

 映っているのは若い女の後姿。蛍光色のネオンの輝くビル――ラブホテルに入ろうとしていて、その女の肩を抱きながら一緒にそのビルの入り口に向かっているのは、こちらも女――違和感の正体はこれだ。

 カメラはラブホテルの入り口正面から映している。肩を抱く女は右を向いていて、その横顔がはっきりと映っている。

 俺は彼女を知っている。以前環から知り合いだと紹介された大迫美香だ。


 「あっ……!」

 後ろで声がした。

 振り向いた彼女の表情は固まっていた。

 今にして思えばそれも、俺にそう見せただけなのかもしれない。


 環は全て打ち明けた。

 まず、大迫美香はバイセクシャルである。

 大迫家は地元では有名な資産家で、彼女の両親は市議会議員と教育委員を務めるエリート一族――鷹が鳶を生んだ娘を除き――であり、また、代々厳格なクリスチャンの家系だそうだ。

 彼女は、細川環はそこに付け込み、以前から美香がバイセクシャル――即ち異性も()()()性の対象としてみる事を知っていて、その証拠を興信所に抑えさせた。

 用途は勿論脅迫。やり方は単純――娘が聖書に反する行いをしていると両親にばらされたくなかったら……。


 その結末はその日大学で司馬から聞いていた。

 大迫美香は田沢玲子の彼氏を寝取り、これ見よがしにその証拠を田沢玲子に送りつけた。

 脅迫してまで行わせたかったこと――馬鹿でもわかる話。玲子の彼氏を寝取れ。

 反抗期の終わらなかったバカ娘は簡単に従った。突っ張って、破天荒な強い女を演じてみても学費、生活費で頼り切っている両親には逆らえない様だ。


 その結果、俺はやつれた司馬に昼休み中愚痴を聞かされる羽目になった。

 司馬からの愚痴でわかった事だが、田沢は自分がしてきたことを他人にされるのが我慢できなかったらしい――我が儘お嬢様の末路。

 自分の男に手を出されて怒り狂い、初めてのその経験に正気を失って美香に白昼掴みかかって大騒ぎを起こして取り押さえられたそうだ。

 裁判を起こされたらほぼ確実に負けるという事は、法学部にいる友人に聞いた。

 そして司馬によれば、錯乱状態にあった彼女は、恐らく施設に入れられるだろうとの事だった。

 どこまでその通りになるかは分からないが、一つ確実なのは、恐らく田沢玲子が思い描いていたであろう人生は水の泡になったという事か。


 この事件はあくまで司馬透、田沢玲子、大迫美香の三者の恋愛関係のもつれによるものだ。表向きにはそうなるだろう。


 そこに細川環の名が登場することは決してない。


 “何が起きたか”は分かった。“どうやって”も分かった。だがひとつ分からない点がある。“どうして”だ。

 「……何で、そんな事しようとした?」

 環は俯いたまま答えない。

 「あの二人に何かされたのか?」

 しばしの間沈黙。

 やがて、それこそ聞き逃してしまうぐらい小さい声が環の口から洩れた。

 「二人……じゃなくて……田沢さんの方が……」

 哀れな大迫美香。秘密を握られた上に利用されただけ。

 「あの人……宗彦を……宗彦を誑かした……」

 「は?」


 ばっと、環は急にこちらに顔を向けた。その頬には涙が川になっていた。

 「だって、だって!!宗彦を取られるって思ったから!宗彦があの女に取られるって、そしたら私飽きられて……っ!!」

 ほぼ半狂乱に叫びながら、彼女は俺に駆け寄ってタックルのように強く抱きついた。

 彼女が頭一つ小さくなければ吹っ飛ばされるほどの力での突進。

 「……馬鹿だな」

 諭すように呟いて、胸元の頭に手をのせる。

 「俺がお前に飽きている訳ないだろ?」

 「……本当?」

 顔を上げる。

 今まで口にすることは無かったが、決して自分でわかっていない訳ではない。知らんぷりをするのにはあまりにも強すぎる感情だ。


 俺は、明智宗彦は、細川環が好きだ。


 「本当だよ。何年たってもお前は飽きないよ」

 くしゃくしゃと、触り心地のいい頭を撫でる。

 こいつは大それたことをやった。その是非は置いておく。だがそれだけ気持ちがあるのなら、俺だって自分の気持ちを正直に伝えるべきだろう。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔が、俺の胸元でにっこり笑った。


 しばらくそうして抱き合っていた。

 腕の中の環は小さくて、温かくて、後頭部にそっと手をやって胸元に埋めさせると、彼女の細い両腕が俺の背中に回り込む。

 短い冬の陽はすでに沈みきり、紫色だった空は既に真っ暗になっていて、月明かりだけが机の向こうにある窓から差し込んでいる。


 「……ありがとう」

 環が言った。

 「……ご飯にしよっか」

 小さくしゃくりあげてからそう続けた。


 勝手知ったる他人の台所で、俺は彼女の手伝いをしていた。

 今日は鍋にするつもりだったのだが、彼女曰く冷蔵庫の中にある余った野菜を一掃するとの事で、買い物はほとんどしていない。

 なので準備はそもそも簡単なのだが、彼女は元々非常に手際が良い。

 結果として俺が手伝うような出番はあまり回ってこず、暇を持て余してこれも入れようと彼女が冷蔵庫から取り出したいくつかのさつま揚げから、小さなひとかけを口に放り込んだ。


 「あっ、こら!……もぅ」

 見つかって怒られたが、すぐに笑いあった。

 食器を並べ、煮立った鍋をテーブルの方に持っていく。

 「「いただきます」」

 二人で向かい合って座り、鍋をつつく。

 「どう?おいしい?」

 「ああ、うまい」

 俺の答えに彼女は幸せそうな満面の笑みを浮かべる。

 その愛らしい笑顔は、俺に昔の記憶をよみがえらせた。


 「そういえばさ」

 「えっ、なに?」

 子供の頃の、二人で毎日一緒にいた頃の記憶。

 「よく二人でこうやってままごとしたなって」

 中学、高校と進学するにつれ、お互いの人間関係も広がっていって、いつの間にか毎日一緒ではなくなった。

 そうして距離を置くことで、俺は自分の中にある感情が芽生えたことを、今になって気付いた気がする。

 今回の一件、考えようによれば環の行動は、自分の男を守るために人一人の人生を破滅させた、という事になる。

 それはもしかしたら傲慢な行動なのかもしれない。自由な恋愛を無視し、自分の意思を最優先して一人の男の人間関係に干渉したのだから。


 だが、俺はそのことに不快感を覚えていない。


 きっと俺は、彼女に管理されたいのだ。

 『これは私の男だ。邪魔をするな』と言ってほしかったのだ。

 普段控えめで我が儘を言わない優等生な環だからこそ、その彼女の我が儘になりたかったのだ。


 「懐かしいね。宗彦がお父さんで、私がお母さんで……」

 それからしばらく、昔話に花が咲いた。

 いつも俺は、彼女に引っ張られていたという事を思いだした。

 そしてそれは、とても居心地が良くて、楽しかったという事も。


 食後、後片づけも二人でやった。

 今度は俺も彼女が洗った食器を拭き、勝手知ったるとは言えそこまでは把握していない食器棚の中には洗い終わった彼女がしまう。


 ままごとの再現だった。

 夫婦役は再び始まった。


 「……ふふっ」

 環が小さく噴き出した。

 「どうした?」

 頬を赤く染め、はにかんで俯きながら、それでも彼女は臆さずにはっきりと言った。

 「なんかさ……新婚さんみたいだね」

 俺も頬が熱くなるのを感じながら、昔彼女に言った事を思いだした。


 昔俺は言った。ままごとの時確かに言った。

 当時の俺が蘇り、俺の中でもう一度宣言した。

 「俺、大人になったら環ちゃんと結婚する!」

(おわり)


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