逃走-2- 《ロゼリィア・エミリア》
笛の音がきこえた右側に振り向くと、先程の男と似たような格好をした奴がいた。
笛を鳴らし私の位置を仲間に知らせていたのだ。
心臓が跳ね上がり、汗がグッショリと身体から出たのが分かった。
私はその男とと反対方向に一目散に逃げ出した。
再び森の中に逆戻りだ。
「11時の方向!森の中だ!」
短く、それだけを大きな声で叫ぶと
男は私を追いかけてきた。
身体の痛みも何もかも無視して私は走り続けた。
真っ直ぐに走っていると川にぶつかった
川を渡ることも考えたが
水に入り、その中で奪われる体力のことを考えると、その選択肢を選ぶことはできなかった。
引き返すことも出来ず、川沿いに走るしかなかった。
続々と人の気配が増えていくのが分かった。
焦りからか呼吸が一気に荒くなっていく。
ーここまでか
嫌な考えが頭をよぎる
考えるな、と頭の中で念じても
ネガティヴな思考は止まらない。
私とこの任務を一緒に挑み、捕まった仲間はどうなるのだろう。
休む暇なく、身体に苦痛を与えられるのだろうか。
そうはなりたくない。
そして身体の痛みよりも
拷問の恐怖に支配されることが一番、恐ろしい。
ブルッと身体に寒気が走った。
はっ!ーと
目の前に草の壁が広がっていた。
余計な事を考えていたせいで注意を怠ってしまったのだ。
『止まれない!』
腕をバツじるしに組み、目を閉じて
突き抜けられる事を信じて緑の壁に突撃する。
ガサガサっと草の中を切り開き
前へ進んでいく
「…っ!」
またもや荊や枝が自分の身体を傷付け、思わずしかめっ面になる。
草の手応えがなくなったのを確認し
目を開くとそこはまた森の外だった。
突き抜けられたことに安堵したが
後ろからはまだ皇国軍の声がする。
絶望的な状況に変わりはないようだ。
『止まれない。前に進むしかない。』
こんな見通しの良い道を走るのは自殺行為に近かったが、進むしかなかった。
しかし
この状況に追い打ちをかけるように、最悪な事態が発生した。
道が終わっていた。
いや、確かに道そのものは今までも無かったが
今回は地面がそもそも存在していなかった。
崖だ。
踏むべき地面が無くなり、眼下には闇が広がっていた。
川の水が文字通りの滝のように崖下に向かって流れている。
とてもじゃないが、飛び降りて無事でいられる自信は無かった。
「追い詰めたぞ」
低い、ドスの効いた声が後ろから聞こえた。
敵だ。
ゆっくりと振り返ると四人の黒づくめの男が立っていた。
そして、川の向こう側にも二、三人立っている。
切り立った崖の上で追い詰められているのがわかった。
このままでは捕まる。
肩で大きく息を吐き、はやる心臓の音を落ち着かせようとした。
膝や肘が熱を持ち、こめかみから汗が顎にかけて流れる。
向こうは何か小声で話しながら近づいてくる。敵は軽く息切れしている様子しか見えない。
少しずつ距離を縮められ崖に追い詰められていく。
『…飛び込むしかないか?』
滝の様子を伺う、春の半ばのこの季節
水は轟々と流れていた。
高さは分からない
ただうっすらと底が見える
おおよそだが直径30メートルほどの滝壺だろう
だが滝壺の深さが分からない、浅すぎれば叩きつけられ絶命してしまう。
私が飛び込むか、飛び込まないか考えていると
滝の音の中に1つの足音が混じっているのがわかった。
皇国の兵士たちはその気配を察したのか
道を開ける。
そして一人の男がゆっくりと姿を現していく。
長めの前髪
漆黒のロングコート
そのロングコートのポケットに手を突っ込んでいる。
明らかに他の皇国の奴らとは雰囲気が違う。
私は剣を抜き、戦う態勢に移った
なんとか奴らを欺きここを突破しなければならない
ロングコートの男は私とあと7メートルほどの距離で歩みを止めた。
不思議なほど静かな男だった。
殺気がない。
フワッと、不意に風が吹いた。
前髪に隠れていた奴の眼が出現し
私の方を見た。
瞬間
私の身体にぞわっと鳥肌たったのな
分かった。
『こいつ、殺気がないんじゃない…!
殺気を放つ必要が無いんだ…!』
冷たい、冷たい、氷点下の眼差し
本人にそのつもりがなくとも
その目で見つめられたものは、思わず自分の死を連想してしまう。
『間違いない…!「氷眼」だ…!』
氷眼…その二つ名の通り、蒼い冷たい瞳をしている。その界隈では名の知れた暗殺者だ。なんでも一人である国の上層部をすべて壊滅させたとか
どちらにしろ私の心は決まった
『戦って勝てる相手じゃ無い…!』
私は振り返る
そして滝に目をむけた
『飛び込むしか無い…!』
意を決して私は飛び込もうとした
しかし、その時
「放てっ!」
つるが弾ける音が木霊する。
矢だ
複数の矢が飛んでくる
「ここで逃してはならない!必ず捕縛しろ!!」
リーダーらしき男が叫ぶ。
その声に呼応して次々と矢が飛んでくる
そして何人かは剣を持ち猛然と距離を縮めてく
私は剣で矢をなぎはらう。
バキバキっと音を立てて矢は地面に落下していく。
ふと、氷眼が地面に手を置いていた
とてつもないオーラがあふれている
私は目を疑った。
氷だ
氷眼の足元が凍り、草木がどんどん固まり氷が広がっていく
何をしようとしてる?
「……っ!?」
脇腹に鋭い痛みが走った
腹部に矢が刺さったようだ
『くっ…氷眼にめがいきすぎていた…!』
バランスを崩し滝の方に私は頭から
おちていった
ふと、私は薄れゆく意識の中で
水しぶきが一切飛んでないことに
疑問を感じた
なぜ?
滝は凍っていたのだった。
氷眼の狙いは…滝を凍らせることだったのか
私の意識は落下と共に消えていった。
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