008 世界を救う勇者たち
「ウオォオオオオォオーーーーン!!」
リュコスが遠吠えした。すると全身が光に包まれ、姿かたちが変化していった。
「今度は何をする気だ……?」
「シト様、気をつけて!」
俺とアイリは十分に距離を取って構える。後ろにいるメルナやティズ、ほかの冒険者たちも同様に警戒態勢を取った。
狼の姿から徐々に手足が伸び、背筋をピンと伸ばし、二足で地面に立つ。
そして光が飛び散ると――そこにいたのは、少年だった。
「……ク、キヒヒ」
嗤った。
ギザギザな歯をにぃぃと見せつけて、少年は甲高い声で嗤った。
「ギャハハハハハハハハハハハハ! すっげーなァァテメェェェ! このオレサマを倒すなんてよォォ! 今のはちィィっと焦ったぜェェ!」
背丈の低い少年だった。まるで野生動物の毛並みのようにボサボサした灰色の髪に、頭から生えた犬耳。狼の毛でできた服をまとい、後ろでは魔物の尻尾がちょろちょろと揺れ動く。
観衆がざわめく。
「なんだあいつは……!?」
「変身したぞ!?」
冒険者たちは警戒態勢をより一層強くした。
少年は腕を広げて余裕そうに言う。
「そう構えるなっつーの! この場で人間どもをぶち殺すことはもうしねェさ! そのためにお話できるこの姿に変身したんだからよォォ!」
「お前。一応聞いてやるが、さっきまで戦っていたリュコスだな?」
「ギャハァ! ンなもん当たり前だろーが!」
俺の質問にリュコスは嗤い返した。
リュコスは言う。
「いやいや、このオレサマも驚いてるんだぜェェ? まさか偵察悪魔から聞いた例の冒険者とこんなに早く出会えるとはなァァ」
「偵察悪魔だと?」
「そうさ。テメェ昨日、アークデビルっつゥ超低級激弱雑魚悪魔をぶっ殺しただろ? あいつの部下から聞いてるんだぜェェ――テメェが、別の世界から転移してきた勇者だってなァァ!!」
「!!」
三化身側も知っていたのか、世界の破滅を食い止めるために俺がこの世界にやってきたことを。
俺は数秒沈黙する。だがここまでバレているのなら黙っている理由もないだろう。できるだけ内心を悟られないよう、そっけない態度で答えることにした。
「フッ……そうだ。魔王の三化身とかいうこの世の害を駆除しにやってきた勇者、それが俺だ」
「ギャハハハハハハハハ! お初にお目にかかるぜェ、今後共よろしく……ってか! そういうこのオレサマは三化身のなかで一番最強のリュコス様よ! 作戦負けとはいえこのオレサマを倒しちゃうとは……さすがは勇者サマってところだなァ! ギャハハ!」
俺とリュコスの会話に民衆がざわめき始める。「あの方は勇者だったのか! どうりでお強いわけだ」「魔王の意志を受け継ぐ三化身……?」「世界の破滅ってなんのことなの……!?」と、事態の深刻さを徐々に理解し始めている。
そうしていると、後ろにいたティズが左腕を押さえながら大声で喋った。
「こら! ティズを除け者にして話を進めるななのだ! ……ぃつっ!」
「ティズさん……っ! 傷口に響きますから、あまり大声は出さないほうが……」
「世界の破滅だなんて聞き捨てならないのだ! リュコス! なんの目的でこんなところにやってきたかちゃんと説明するのだ!」
リュコスに向けて怒るように言った。
リュコスはけらけらと嫌らしく嗤い、それから肩を竦めてから話し始める。
「ンなもん決まってんだろォ? この世界で最も邪魔なクソども『冒険者』にお仕置きしに来たんだよん。いつもいつもオレサマたちモンスターを殺してくれて、どうもありがとうよ」
「なに~? そんなのお前たちモンスターが人々に迷惑をかけるから悪いのだ!」
「ギャハハ! 人々を殺すことが快楽だから仕方ないねェ! テメェら下等種族は、オレサマを気持ちよくするためのおもちゃにすぎねェんだよ!!」
「下等種族……っ!?」
「ま、軽くここのギルドをぶっ潰すくらいは虐殺しちゃおーと思ってたのさ。そしたらビックリ! 勇者サマのご登場だ!」
ギャハハハハハハハハハハハ――リュコスは天を見上げて一層強く嗤った。まるで俺と出会えたことを心から喜ぶかのように。
そしていきなりしんと静まり返り、今までの態度からは想像もつかないほど真剣な顔つきになる。
リュコスは言う。
「勇者よ、カース山脈に来い。我ら魔王の三化身はそこで待っている」
それだけ言うとリュコスは「んべぇ」と舌を突き出し、驚くべき跳躍力で天高くジャンプした。そうして建物を伝い、去っていった。
彼を追いかけられる冒険者は、誰ひとりその場にはいなかった。
*
「ぬぎゃあぁあぁあぁぁーー! なんなのだあのチビオオカミ! ムカつくのだーーっ!!」
バン! と机を叩いて、ティズは憎たらしそうに言った。
リュコスによる騒動の後、俺たち4人はギルドのルームに戻って作戦会議をすることにした。俺たち以外の冒険者たちも怪我人の手当や情報収集など、各自でリュコスの追跡を行っているようである。
ギルド内の回復施設で傷の手当てを受けたティズは、無事に治った腕でバンバンと机を叩く。
「ティズのことを下等種族呼ばわりするなんて……! あんなやつティズが絶対こらしめてやるのだ! 今すぐカース山脈に向かうのだっ!」
「ま、待ってください。私はあまり、その……」
「なんなのだ! メルナは悔しくないのだ!?」
「ひっ!? そうじゃなくてっ、き、危険じゃないかなーって……」
「メルナの言うことは一理あるわね」
怯えているメルナに、アイリが助け舟を出した。
今すぐにでも飛び出していきかねないティズを抑えるべく、アイリはメルナの意見に解釈を加える。
「リュコスの言っていたカース山脈は、最高難易度のダンジョンよ。これを見てちょうだい」
アイリが、手に持っている紙をみんなに配った。俺たちはそれを受け取って内容を確認しつつ、アイリの話を聞く。
「これはギルドの情報班が解析したカース山脈のデータよ」
「ダンジョンのデータだと? リュコスが去ってからまだ30分も経ってないというのにもう解析されたのか」
「もともとダンジョンの場所はわかっていたのね。それを大急ぎで調査したらしいわ――まずここを見てちょうだい。ダンジョンの階層よ」
「ダンジョンの階層……。……!? ほう、これは楽しめそうじゃないか……」
カース山脈の階層。なんとそれは、30階だった。
さすがの俺も驚きを禁じえない。言い換えればカース山脈は、昨日行ったアバン洞窟の10倍も難易度が高いということだ。
アイリは話す。
「ダンジョンの長さもさることながら、モンスターの強さも懸念のひとつね。一般的に深い階層ほど強力なモンスターが出やすくなるものだわ」
「なるほどな……単純な長さだけでなく、モンスターのバリエーションまで増えるというわけか」
「30階となると、どんなモンスターが出てくるのか想像もつかないわ。それこそリュコスに匹敵する化物が出てくる可能性だって否定できない」
「…………ふむ」
俺は腕を組み、椅子にもたれかかる。
しばしルームには重い沈黙が流れていた。Aランク冒険者であるアイリでさえどんなモンスターが出てくるのが予想できないほど30階は難しい。今日戦ったリュコスレベルのモンスターがうじゃうじゃ出てこようものなら、昨日挑んだアバン洞窟なんて比べ物にならないだろう。
ほかのふたりも30という階層を前に厳しさを感じているような雰囲気だ。
その沈黙を嫌うように、メルナがぼそりと言う。
「でも、どうしてリュコスさんは自分たちの本拠地がカース山脈だと教えてくれたのでしょう……?」
「それも謎ね。ひとつ仮定を上げるとすれば……シト様を真っ先に始末しておきたいからじゃないかしら」
「俺を?」
「ええ。アークデビルの一件で、三化身側にシト様のことが伝わってしまったのがまずかったわね」
「あ、確かに言ってましたね……。三化身側も勇者の存在を認知しているのですから、まず勇者を始末するのが先決と……そう思ったわけですか」
「シト様を無視して世界を破滅させることはできない。事実、今回の騒動だってシト様が解決したんだもの」
「一番邪魔なシトを始末するために、自分たちの本拠地に招き入れて決着をつけようってわけなのだ! まったく! 自信過剰もいいとこなのだ!」
「……そうだな」
決着をつける。その言葉が、俺の胸中でこだました。
冒険に失敗してしまえば、自分の命が終わるだけではなくこの世界そのものまで破滅してしまう。
30階という想像もつかないほど険しいダンジョンで、しかも一度のミスも許されない。それはどれだけ難易度の高いことだろうか。
だからこそ、俺は奮い立つ。
「これは勇者である俺の使命だ。俺が決着をつけるべき問題――カース山脈には、俺1人で行ってくる」
「「!?」」
俺が立ち上がったのを見て、ほかの3人は驚愕した。
アイリがまくし立てるように言う。
「なっ! シト様、本気で言ってるの!?」
「ああ」
「無理よ! 今日戦ったリュコスだってあんなに強かったじゃない! 次戦うときにまた勝てるとも限らないし……」
「この俺に不可能なことがあると思っているのか? 見くびられたものだ。俺は、勇者だぞ」
「わ、わたしだってシト様の強さは知ってる。でも……」
アイリの表情から心配の念は消えない。1人で冒険しようとする俺を必死に止めたいようだ。
だが俺には、そんな心遣いも鬱陶しかった。腕を組んで、言葉を返す。
「お前たちが来ても足でまといにしかならないんだよ。昨日今日と時間を共にして、それは痛いほどわかった。俺のことを想うなら、黙って見送れ」
「そんな……シト様……」
「ふざけるななのだ……!」
ティズが握りこぶしを作って、グツグツと感情を煮やして俺に言う。
「ティズたちにとって、この世界はすべてなのだ! 破滅の危機が訪れてるって知ってて、黙って見過ごせるわけないのだ! それにティズは……リュコスに借りがあるのだ! あいつを倒さないと気がすまないのだ!!」
「お前じゃ無理だ。現に勝てなかっただろう」
「っ! う、うる……うるさいのだ! 勝てる勝てないじゃないのだ……侮辱されて泣き寝入りするなんて、ティズは絶対イヤなのだぁぁっ!!」
俺が思っているよりもティズは悔しい思いをしていたらしい。感情を抑えきれず、ティズは目に涙を浮かべてそう主張した。
ティズの気持ちに感化されたのか、ずっと押し黙っていたメルナも静かな口調ながら言う。
「シトさん……。わ、私も……お役には立てないかもしれませんけど……せめて、できるところまでは頑張ってみたいです。冒険する前から無理と決め付けられるのは……か、悲しい、ですから……」
そしてアイリも、自分の気持ちを俺に告げる。
「そうよ……わたしたち、冒険したいんだわ。シト様のように強くはないけれど……だからこそ戦いたいの。その先にきっと希望があるって信じてるから――わたしたち『ホープ』は、それを信念にずっと戦ってきたから」
アイリは俺の目をまっすぐ見て、右手の甲を差し伸べた。
「お願いシト様。わたしを連れていって。わたしの勇気を……踏みにじらないで」
メルナも、恐怖の感情を押し殺してアイリに手を重ねた。
「シトさん……私、戦うのは怖いですけど、戦わないまま一生を過ごすのはもっと怖いって考えてるんです……。結果はどうあれ、きっと戦うことそのものに意味があると思いますから……連れていってくれませんか」
ティズも、ぱちんと叩きつけるようにメルナに手を重ねた。
「出来る出来ないでやりたいことを決めるなんておかしいのだ! ティズは冒険者……出来ないことを出来るにするために戦うのだ!! 連れていけなのだ!!」
3人は意志のこもった目で俺を見つめた。
俺はため息をついた――熱意ある真剣な目に見つめられても、俺はこいつらとともに冒険しようという気にはならなかった。
……何を勝手に熱くなってるんだ、こいつら。物事を決める基準が気持ちだというのなら、お前たちの気持ちを断るのも俺の気持ちだろう。それともこの俺が情に流される人間だとでも錯覚したのか?
「諦めろ。お前たちがついてきたところで、何の役にも立たない。お前たちを連れていくメリットが俺にはないんだ」
「「…………」」
拒絶の態度を変えない俺に、3人は折れかけた。
しかしそれでも、アイリだけは俺を説得しようとこう言った。
「でも――きっと『楽しい』はずよ?」
「……何?」
アイリの言葉に、俺はぴくりと反応した。
アイリは言葉を続ける。
「さっきわたしが言ったこと、確かに間違ってた。そうよね、シト様に限って不可能なんてあるわけないわ。カース山脈だって本当に1人でクリアできると思う。わたしはそう信じてる――だからこそ、役立たずのわたしたちを連れていっても、シト様ならクリアに導いてくれるはずだわ。そうでしょ?」
「…………。可能か不可能かの話をしているんじゃない。お前たちを連れていくメリットがないから俺は断っているんだ」
「ええ。だから、シト様が連れていってくれるためのメリットを、わたしたちは宣言するわ――『ちゃんとした頼み方』でね」
アイリは一泊間を置いた。
そして、手を重ねているメルナとティズに向けて衝撃の発言をした。
「みんな、シト様に土下座して」
「「!?」」
アイリのめちゃくちゃな発言に、メルナとティズは驚きを禁じ得なかった。
というかさすがの俺もその発言には耳を疑った。
至極真剣な表情で言い放ったアイリに、仲間のふたりは泡を食いつつも反論する。
「ふぇっ!? ど、土下座ですか……!?」
「なぁぁ!? アイリ何言ってるのだ!?」
「驚くには値しないでしょ。シト様は、この世界を救ってくれる勇者様なのよ? だったらわたしたちはお願いする立場だわ。奴隷のように頭を下げて、身を捧げるようにお願いする――そんな当然の義務を、わたしたちは失念していたのよ」
「ふぎゃぁぁーーーーっ! もう意味わかんないのだーーっ! メルナ、アイリってこんな頭のおかしいやつだったのだ!?」
「えっと……シトさんが納得してくれるのなら、私は別に……いいですけど」
「メルナまで!?」
「ほらティズ! あなたもちゃんと自分の立場をわきまえなさい! 助けてもらったお礼もあるでしょ!」
「ぐぐ……! ……わ、わかったのだ。ティズだって、お礼くらいちゃんと言えるのだ……!」
3人の意見がまとまった。
アイリはどこか喜びを含んだ表情で、膝をつく。
メルナはふたりの動きに合わせるように、手をつく。
ティズは屈辱感に頬を膨らませながら、額をつく。
そして3人は『ちゃんとした頼み方』の体制を取り、俺に向けてこう宣言した。
「「わたしたちは必ずシト様を楽しませてみせます。だからどうかいっしょに連れていってください」」
楽しませてくれる、か。
俺は組んだ腕をほどき、後頭部をかいた。
「やれやれ、俺1人でも世界を救えるんだがな」
大きなため息をつき、そうして言葉を返す。
「俺を楽しませてくれるのなら仕方ない。頭を上げろ、連れていってやる」
「やったぁぁぁあぁっ! もう一生ついていくわ! シト様だーいすきぃっ!!」
「あ、ありがとうございますシトさん……! 頑張ります……! よろしくお願いします……!」
「ふんだっ! こんなことさせて失敗なんかしたら絶対に許さないのだ! ……期待はしてるから、ちゃんと応えろなのだ!」
3人は頭を上げた。アイリは屈託なく笑った。メルナは照れくさそうに笑った。ティズは挑戦的に笑った。
そして不覚にも、俺も苦笑を抑えきれなかった。
世界を救う勇者たちは、今ここに一つとなった。
*
ルームを出て、ギルドの外に出ると、そこには大勢の冒険者たちが俺たちを待ち受けていた。
身支度を整えた俺たち4人はその光景に驚いてしまう――百人くらいの冒険者がみなこちらを向いていて、意志のこもった目で見つめているのだ。
俺は思わず言葉を漏らす。
「これは……?」
「ホープのみなさま、やはりカース山脈へ行かれるのじゃな」
最前列にいる老齢の冒険者が、そう言った。
「昨今のモンスター被害多発の原因、そして古代の魔王を彷彿とさせる強大な力。あの魔物を倒せるのはあなた方だけでしょう。私たち凡百のものがついていったとて、何のお役にも立てますまい。勇者様、あなたにすべてを託します――どうかこの世界をお救いください」
「ああ。必ず救ってみせる」
「旅立ちの前に、あなた方のお名前をお聞かせ願えますかな」
老齢の冒険者のその言葉に俺たちは顔を見合わせ、それから順々に名乗りを上げた。
「シト」
「アイリだわ」
「メルナです」
「ティズなのだ」
俺たちの名乗りに老人は目を閉じて神妙に頷く。
それからすぐ傍にいた若い冒険者たちが、発破をかけるように威勢良く言った。
「シトさん! アイリさん! メルナさん! ティズさん! 僕たちはこのギルドで待っています! 必ず帰ってきてください!」
「帰ってきたら壮大なパーティを開きましょう! 絶対絶対、無事に帰ってきてくださいね!」
「新入りぃ! てめぇの性格は気に食わねぇが、その剣筋は本物だ! 頼んだぜ!」
鬱陶しいやつらめ。うるさいのは好きじゃないんだ。応援なんてもらったところで気休め程度にしかならない。
「俺たちは使命を果たしにゆくだけだ……それじゃあな」
やれやれ。下らないことに時間を取られてしまったな。こっちはさっさとダンジョンに行きたいんだ。
……まあ、それでもこいつらは、俺が救おうとしているこの世界の人々だ。彼らのためにすこしは頑張ってやるとするか。
「パーティの準備、ちゃんとしておけよ」
俺がそう言い残すと、民衆どもは歓喜の声を大にした。そうして3人の仲間とともに、俺はギルドを旅立った。
この世界の命運をかけた決着をつけにいこう。目指すは魔王の三化身が待ち構える30階ダンジョン――カース山脈だ!
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