007 英雄譚の幕開け
俺たち4人はギルドの入口から外へ出た。
まず俺が目にしたのは大勢のひとだ。円を作るように大きな人だかりができている。ひとびとは中心部にむかって注目を寄せている。
あの中心部には、あの狼がいるはずだ。
「どけ」
「な、なんだテメェ? うおおっ!?」
「おいゴラァ! 何しやがる!」
人ごみの中に割って入るべく、前にいるふたりの男を観音開きするようにかき分けた。男どもはすっ転んで俺に文句を言ってくるが気にすることはない。
俺はさらに、前にいる熟年の女性をどけようとした。しかしその時、その熟年の女性はくるりと振り返って俺の方を向いた。
「ああぁぁ……! どうか助けてください……! お願いします、冒険者さん……!」
「なんだ、お前」
俺に向かってその熟年の女性は泣き崩れてきた。容赦なく突き飛ばそうとしたものの、胸に倒れてきたその女性は年甲斐もなく号泣して情けを乞うてくる。
「あの狼に、私の大切な娘が……おおぉおおぉぉんっ! どうがだずげてぐだざいぃいいぃ!!」
「……なんだと?」
あの化身、民間人に手を出したのか。やはり世界を破滅させるつもりか――女神の言葉がもしも今日のことを差していたとしたら、今すぐあの化身を仕留めなければ。
俺は急いで人ごみのなかを割って入っていく。そうして輪の中へ出ると、
「グオォルルルゥォォォォオォォ……」
「あいつが化身か。……フン、民間人を盾にするとはなかなかいい性格をしている」
魔物の尻尾が生えた狼がいた。狼は、六歳くらいの小さな女の子を鋭い牙で咥えている。今にも噛み切らんとばかりに、胴の部分を咥えている。幼女はぐったりとしていて息も絶え絶えだ。
モンスターの近くの空中に、文字が出る。『リュコス』。それがあのモンスターの名前だ。
「ママ……。痛い……助、けて……」
「ああぁああぁっ! 冒険者ざん! どうが娘を助げてぐだざいぃいいぃ!!」
母親はその場で泣き崩れてしまった。
同情するつもりはこれっぽっちもないが、咥えている幼女を盾にされる可能性を考えると厄介だ。なにせ俺のスキルで仕留められるのは、一回につき一体だけである。攻撃が幼女に当たったらその時点で終わりだ。
近くにいたほかの冒険者たちはリュコスの行動に憤りを感じているらしく、勇気あるものから順に大声を放った。
「平和を脅かす悪しきモンスターめ! 我々が成敗してくれる!」
「わざわざ街の冒険者ギルドにやってくるとは! 人間も舐められたものだ!」
「戦えるものは今すぐ武器を持て! 被害が拡大する前にリュコスを始末するのだ!」
「「おおおおぉぉぉーーーーーーーーっ!!」」
剣を手にした冒険者たちが我先にと魔物の狼・リュコスへと突っ込んでいく。
だが――
「ガウウゥウウゥゥゥッ!!」
「ぬっ! こいつ、速いぞ!」
「こいつ、瞬速モンスターか!」
シュン! シュン!
リュコスの動きは俊敏そのものだった。近づいてきた冒険者たちをいともたやすく避け、一度も攻撃を受けることなく間合いを詰めてきた。
「逃げろ! 間合いをとるんだ!」
「ダ、ダメだ! 間に合わな……」
一番先にリュコスに近づかれた冒険者。彼は必死にバックステップしようとしたものの、真正面からやってくるリュコスのダッシュに追いつかれてしまう。
そして強烈な体当たり攻撃を仕掛けられる。
「ぐっ、ごほぉおおッ!」
幼女の体を咥えたままだというのに衝撃的なタックルをお見舞いされ、冒険者は大きく吹き飛ばされてしまった。
「うおおおおぉぉおおおおーーーー!!」
「くたばりやがれぇぇぇえぇーーーーッ!!」
リュコスの後ろから、ふたつの影が差した。ふたりの冒険者がタイミングを合わせて攻撃するつもりだ。
「グゥウオオオッ!!」
しかしリュコスはひるまない。どころかふたりの冒険者たちにも真っ向から勝負を挑んでいく。
ドゴォ! バゴォオ!!
「ぐおおおっ! バ、バカな……っ!」
「がはぁあぁぁっ! 速……すぎる……!」
リュコスの動きはもはや肉眼で捉えきれるものではなかった。ふたりの冒険者を、ほとんど同時のタイミングで返り討ちにしたのだ。
三人の冒険者がリュコスの前に倒れ伏す。その光景を見ていたほかの冒険者たちは顔色に恐怖を滲ませ、徐々に後ずさりしていった。
「つ、強すぎる……! なんだあのモンスターは……!」
「並みのボスモンスターを超えている! 攻撃を当てることもできない……!」
「誰か! 誰かいないのか! あの凶暴なモンスターを倒せるものは!!」
先程までの惨状を見ていた冒険者たちは、誰も名乗りを上げることができなかった。誰もが絶望に満ちた表情でリュコスを見ていた。
とある3人を除いて。
「ティズたちにまかせるのだ!」
俺の後ろからの声だった。振り向いてみると、そこには仁王立ちしているティズがいた。
さらにティズの後ろからアイリとメルナも出てくる。
観衆はおおおっと声をあげた。
「おお! あの方達はもしやホープのみなさんか!」
「メイツのなかでも五本指に入る最強パーティのひとつだわ!」
「あの方々ならきっと倒してくれるぞ!」
観衆の声は期待と安堵に満ちていた。ホープを応援する声がこの場を取り巻く。
アイリは後方支援の場所取りをし、ティズとメルナが前方に立つ。フォーメーションを立てて彼女たちはリュコスと対峙した。
最前線に立っているティズがちらりと俺の方を見て、余裕たっぷりな笑みを浮かべる。
「お前、シトとか言ったのだ? あのリュコスは確かに強敵なのだ。だけどホープはもっと強いのだ――お前はそこでティズのお尻でも見ておくがいいのだ♪」
まるで俺を小馬鹿にするように、Tバック姿のお尻をフリフリと振った。生意気なメスガキめ、ケツに蹴りを入れてやりたい。
それからティズはどこからともなく大型の剣『ブロードソード』を取り出した。おそらくインベントリから取り出したのだろう。間髪入れずリュコスへと走っていく。
俺はティズにむかって忠告する。
「やめておけ。リュコスの俊敏さは見ただろう。突っ込んでいけばまた返り討ちに……」
「はぁぁぁぁぁぁあーーーーっ!」
俺の忠告を無視して、ティズは突っ込んでいく。
「ガウルルウルウゥウゥゥ!!」
リュコスが真っ向から衝突しに来た。ティズのダッシュはいっさい緩むことがない。このままではまた体当たりにやられる。
その時。
「やぁっ!!」
後ろにいたメルナが、これまたインベントリから取り出したであろう杖を振った。
バチバチと電気を帯びた魔法弾が直線上に飛んでいき、その魔法弾はリュコスへとヒットする。
「ガグウゥゥッ!?」
リュコスの動きが鈍くなった。さっきまでの俊敏さが失われ、ふつうのモンスターと同等の速さになった。
走っていくティズが、にやりと口角を上げる。
「ふふん! さすがはメルナ、瞬速モンスターにも的確に杖を当ててくれたのだ!」
「サンダーロッドを振りました! ティズさん、やっちゃってください!」
ふたりのやりとりを見て、俺はアイリに訊く。
「サンダーロッド? メルナのやつ、いったい何を振ったんだ?」
「あれは杖よ」
「杖?」
「直線に弾を飛ばす飛び道具。使用回数に限りはあるけれど、魔法弾が当たったモンスターには特殊な効果を与えるわ」
「魔法の攻撃か。すると、サンダーロッドの効果は……?」
「当たったモンスターの動きを、鈍速にするわ!」
「!」
電気によって麻痺させられたリュコスは確かに動きが鈍っている。これならば俊敏な動きを封じてイーブンに持ち込むことができるはずだ。
「覚悟っ!」
ティズは片手で持ったブロードソードを天高く振りかぶる。
そしてジャンプで一気に距離を詰め、着地と同時に剣を振り下ろした。
ズバァァァアァァァアァ!!
「グゥオオオオオォオオオッ!!」
「やりました! 娘さんを離しましたよ!」
「うう……がくっ……」
攻撃の衝撃に耐えられず、ずっと咥えたままだった幼女をリュコスはついに離した。幼女の服はボロボロに破けてしまっており、隙間から見える素肌には痛々しい噛み跡が残っている。
幼女を解放することはできた。だがリュコスはまだくたばっていない。
「グルルルウゥウゥ……!」
「にひぃ! このままトドメを刺してやるのだ!」
「ウゥオオオオオォオーーン!!」
「!?」
リュコスは吠えた。それと同時に、紫色のオーラを全身にまとった。
「グゥァァッ!!」
もう一度吠えると、紫色のオーラが弾けとんだ。
その迫力にティズは多少たじろいでいたものの、剣をグッと握って構えを取る。
「ふ、ふん! ちょっと驚いただけなのだ! さっさとトドメを刺してやるのだ!」
「待って、ティズ! 今の行動にはなにか意味があるはずだわ! ここは距離を――」
「いいぃーーーーやぁぁっ!!」
アイリの助言に、ティズは聞く耳を持たない。勢いに任せてトドメを刺すつもりだ。
リュコスは怒りの表情を浮かべながら、剣の動きをしっかりと見つめる。
シュン!
「! なっ!?」
リュコスは攻撃を避けた。ブロードソードは地面に叩きつけられる。サンダーロッドで麻痺しているはずなのに、ひらりとかわしてみせたのだ。
アイリがハッとする。
「いけない! あいつ、状態異常を治せるモンスターなんだわ!! 瞬速に戻ってる!!」
「ウソ……なのだ……!?」
ティズの顔が青くなる。動きの速いモンスター相手に空振りをしてしまい、隙を晒してしまった。その先にあるのは手痛い反撃だった。
自由になった顎で、リュコスはティズの左腕に思い切り噛み付いた。
「グァアウゥ!!」
「!! ふぎゃああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあーーーーっ!!」
「ティズ!」
「ティズさんっ!」
「ひぎっ……い、いだ……痛いいぃいいぃぃ……!!」
左腕に噛み付いているリュコスにむかって、決死の思いでティズはブロードソードを振るう。
剣の攻撃はヒットした。だが苦し紛れに振るった剣の威力など、赤子を撫でるのとほとんど変わりない。リュコスはまったくダメージを受けず、すぐさまティズから離れて距離を置いた。
「はぁ、はぁ……ふ、ぐぅぅ……! こ、この程度……なんでもないのだぁぁ……!」
「ティズ! ダメだわ! もう一度攻撃を食らったら……!」
「ア、アイリさんの言うとおりです! 一旦退きましょう!」
「うるさいっ、のだぁ……! こんなところで引き下がれないのだぁ……!!」
「ティズ……!」
ティズは左腕を抑えながらかろうじて立っている。まるで割れた陶器のように腕部分の鱗がポロポロと壊れ、亀裂からは痛々しい傷をつけられた肌が覗いた。
観衆たちがどよめき始める。
「嘘だろう……あのホープのメンバーでさえ倒せないなんて……」
「このままじゃあのモンスター一匹に多くの冒険者が……」
ティズがもはや戦える状態でないことは誰の目から見ても明らかだった。そしてそれを最もよくわかっているのは、今もなお立ち向かい続けているティズ本人だろう。
「ティズはまだ、負けてないのだ……! み、見てるのだ……今すぐこんなやつ、倒してみせるのだ……!」
震えるティズの後ろ姿に、とうとう俺は見ていられなくなった。
俺は一歩踏み出す。
「やれやれ……これだから子供は。行き当たりばったりな戦い方でやつを仕留められると思うな」
アイリの隣に並んで、彼女にアイコンタクトを送った。
「アイリ」
「……シト様?」
「わかっているな」
「! ええ、わかったわ!」
俺はだっと駆け出した。今にも倒れてしまいそうなティズにむかって、全力疾走する。
「ガァァアオオオオォォッ!!」
リュコスが吠えた。そして駆け出した。あいつもまた弱っているティズにトドメを刺しにいくつもりだ。
どっちが速いか――!
「ティズ! こっちに下がれッ!!」
「! ぃやぁっ!!」
「ガァァアアァァァァアァァァッ!!」
俺はとっさに叫んだ。ティズが俺の声に気づいた。ティズは力を振り絞って、一歩だけ後退した。
――そのおかげで間に合った。
「ガァアアァウウウゥウウウゥゥッ!!」
ガブリィィィーーッ!!
リュコスの噛み付き攻撃が、ふたたび左腕に炸裂した。左腕に食らいついた顎が、骨まで砕こうと全力で噛み付いてくる。
ただしその左腕はティズのではない。
「シト……!? お、お前!?」
「フ、フン……! 勘違いするなよ。お前を守りたかったわけじゃない……こいつを倒すのが俺の使命だからだ……ぐぐぅ……!」
俺の左腕だ。
「これくらい、痛くも痒くもない……あの女にも働いてもらったからな……!」
それもただ噛み付かれたのではない。確実に『耐えられる』という確信があった。その確信は的中し、致命傷には至らなかった。
俺の体の前に、透明の盾が出現している。そう――アイリが発動したのだ。
「ファミリーシールド……! ギリギリのタイミングだったわね、シト様……!」
「ああ、ナイスな働きだったぞ、アイリ」
アイリのファミリーシールドでダメージが半減していれば、確実に攻撃を耐えられる。そう思っていたから俺はあえてリュコスの噛み付き攻撃を食らった。
どんなに速く動くことができても、こうして俺の左腕に噛み付かせておけば――こちらの『一撃』も、必ず当てることができるのだから。
「さあ、覚悟はいいか? 畜生め」
俺の右手から、混沌の光が輝き始める。光は徐々に形を作っていき、それは剣の形になっていった。そうして光が飛び散ると、俺の右手に漆黒の大剣が誕生した。
「どんな相手でも一撃で仕留める。これが俺のスキル――」
いつまでも左腕にぶら下がっているリュコスに向けて、俺はその剣を水平にないだ。
「ブレイブソードだァァアアァアアア!!」
漆黒の刃が、魔王の化身を切り裂く。
ズバッシャアァァァアァアアァァァッ!!
「グッガァアオオオオォオオオオオーーーーッ!!」
「「!!」」
激しい衝撃波が巻き起こり、俺を取り巻いている民衆どもが吹き飛んだ。その場でふん縛る人、倒れた体を起こすこともできない人に差はあれど、民衆の視線はすべて中心部に釘付けになる。
断末魔とともにリュコスの体は胴の部分から真っ二つに分かれ、分離した両半身がどさりどさりと落ちた。
「ガァッ、ハァッ……」
両断されたリュコスは、ぴくりとも動かなくなった。
ブレイブソードが光に包まれた。光が飛び散り、消滅する。
俺は自由になった右手で、ズタズタになった左腕を抑える。
そして言った。
「リュコス――討伐!」
おおおおおぉおおぉおおおおおぉおおおーーーーっ!! と壮大な歓声が一斉に湧き上がった。
「なんだあの男は! 一撃でリュコスを倒したぞ!」
「見たことない顔だ! 新入りか!?」
「英雄だ! 英雄が現れやがった!」
歓喜に満ちた声がその場を取り巻いた。
俺は後ろに振り返り、アイリに向かってフッと口角を上げる。アイリはニッと笑い、ピースを返してきた。
後ろにいるティズが、床に尻をつけたまま俺に言う。
「ふ、ふんだ! 別に助けてほしいなんて言ってないのだ! 感謝なんてしてあげないのだ……」
「ああ。お前の感謝なんて欲しくないからな」
「なっ! やっぱり気に食わないやつなのだ! ――でも、お前のことを見くびってたことだけは謝るのだ。ご、ごめん……なのだ」
しおらしくなるドラゴン幼女の姿に、俺は「やれやれ」とため息をついた。
それから今まで泣き崩れていた母親も立ち上がる。
「ああ……ありがとうございます、冒険者さん!」
「礼などいらない。娘の所に行ってやれ」
「本当にありがとうございます!」
そういって母親は、娘のもとへと走っていった。
「ママ……!」
「よしよし、痛かったねぇ……今すぐ病院に行こうね!」
「うん……!」
倒れていた娘を抱き上げ、母親は強く抱きしめた。
「あら?」
娘の傷ついた体を見て、母親は怪訝そうな顔をした。娘の体を確認するように何度も見やり、なにか不安げな表情を醸し出す。
「ママ、どうしたの?」
「あんた、お守りはどうしたんだい」
「え? ……あれ、無くなってる!?」
「!!」
探し物を探すように母親は周囲を見渡した。サッサッと左右を見て、それが見つからないことを確認すると、不安を押し殺せない表情で真っ二つに分かれたリュコスを見やった。
近くにいた俺も、母親の表情から不穏げな空気を感じ取り、リュコスの方に視線をやる。
シュゴォオォオォオオオオオ……!!
「……なんだ?」
リュコスの体が光った。
母親が娘を抱きしめ、絶望の声を上げる。
「ああ、そ、そんなことって……!」
「どうしたんだ!?」
「咥えられている時に盗まれていたんです! 娘に持たせておいた『蘇生のポーション』を!!」
「なんだと!?」
真っ二つに分かれたふたつの半身がひとりでに移動し、くっつく。瞼がぱちりと開いて、よろよろと立ち上がる。
そこに生命が戻った。
「グゥウウゥォオオォォ……ッ!!」
「フッ……まだ遊び足りないのか? 畜生め……!」
やっとの思いで倒したリュコスが、ふたたび俺の前に立ちはだかったのだ。
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