006 プロローグライク
神は存在する。
19年の人生を経て一切信じていなかったその存在は、唐突に俺の前に現れたのだった。
体が浮遊感に包まれている。足元を見てみると、そこは地面ではなく雲だった。周りを見渡してみると、そこは天空の上だった。
俺は悟った、ここは天国なのだと。
「私の名前はオルエラ。あなたを天国へ呼び寄せた女神です――シト。あなたは勇者に選ばれました」
俺の正面にいる女がそう語りかけた。見るだけで心が洗われるような美しい容姿、聞くだけで心が救われるような優しい声。現世のものではありえないほどの神々しさをその女性から感じる。
女神オルエラ。彼女の放った言葉は、俺を困惑させた。
……どこにでもいる平凡なこの俺が、勇者?
「あなたの住む世界とは遠く離れた異世界オルダレット。遥か昔、この世界の破滅をもくろむ魔王がいました。人々との戦いの果てに魔王は千年の封印につき、世界は平和を取り戻します。しかし――」
俺の背中に、ゾクリと悪寒が走る。
振り向いてみると、絶望を具現化したような禍々しい3つの『魔』が、俺を取り込もうとしていた。
そのうちの1つは『狼』のような姿となり、俺に喰らいつくよう襲ってくる。
「その封印から千年の時が流れ、魔王の意志を受け継ぐ魔物たち――『魔王の三化身』が復活してしまいました。彼らが本格的な動きを見せた時、今度こそ世界の破滅が訪れるでしょう」
女神オルエラは両手を差し伸べた。
すると手の上に、黒色の光が輝く。それは見る者の心を揺さぶる『混沌の光』。
光は鋭く形作られ、そうして大剣の形となって出現した。
「魔王の三化身を倒せるのは、このブレイブソードだけ。シト。この剣を使いこなせるのはあなたしかいません……勇気を出して、受け取りなさい」
俺は右手で、漆黒の大剣を受け取った。すると不思議なことに、さっきまで見えていた『魔』がスッと消えていった。
平凡だった俺の人格が、この剣を手にしただけで力強いものに変化したのがわかった。
どんな相手でもこの俺なら一撃で仕留められる――そんな無尽蔵の勇気が身体中に満ち溢れる。
「それがあなたの力です」
これが俺の力……。
この剣を俺は好きに使っていいんだ。
こんなに『楽しそう』だと感じたのはいつ以来だろう?
オルエラは俺の前にまで近寄って、そっと頬を撫でる。
「これからあなたは冒険に出ます。その時、最も大事なことを忘れてはなりません。魔王の三化身に立ち向かえる最大の力は、仲間との絆です」
視界がまどろんできた。夢から覚める寸前の時のように意識がぼやけていく。
オルエラはさいごに微笑んで、こう言った。
「さあ、目覚めなさい。そして冒険の旅に出るのです。世界を救う勇者シトよ――」
*
「ん……ぐ、うぅ……」
重たい。
まだ覚醒していない意識の中で最初に思ったことがそれだった。仰向けの俺の体になにかが乗っかっているらしい。
もぞもぞと動くそのなにかは俺の胸辺りで吐息を漏らしている。
「ふぅ、ふぅ……」
寝ぼけ眼を俺はこじ開ける。女子寮チックな部屋が目に入った。窓から差している朝陽が眩しい――ホープのルームのベッドで俺は目を覚ました。
開けた目をそのまま自分の胸辺りに向ける。
「すー、すー……シト様ぁ……」
アイリが俺の上に乗っかっていた。布団の中に入ってきており、俺にぎゅっと抱きついている。
昨日部屋から追い出したはずなんだが――そう思いながら目を凝らしてみると、部屋の窓が開いていた。どうやらあそこから入ってきたようだ。
俺は体をゆする。
「アイリ……起きろ……。朝だ……」
「んー……! シト様ぁぁ……っ!」
ダメだ。体をゆすって振り落とそうとしても逆にがっしりとしがみついてきて離れる気配がない。眠っているくせに、俺の胸に顔をうずめて甘えてくる始末である。
俺は掛け布団を剥いで、中を開いた。
「……! こいつ……昨日からずっとこの格好でいたのか……」
アイリは、未だにすっぽんぽんのままだった。
布団を剥がれて寒さを感じたのか、アイリは寝言を言いつつ俺の体にさらに抱きついてくる。水風船のように柔らかいふたつの美乳と、半立ちになっている乳首の硬さが衣服越しに押し付けられる。
若々しいハリのあるヒップは、窓から差し込む光に当てられてテカリを魅せていた。もしも今窓の外に男が通ったら、アイリの無防備な生尻は好き放題に覗き見られてしまうだろう。
真っ裸のアイリは寝ぼけながら、俺の全身にスリスリしてくる。
「んんーっ! シートーさーまーぁぁ……」
「こら、離せ……! 抱きつくんじゃない……!」
俺は力ずくで布団から脱出しようとした。だがアイリの力は想像以上に強い。年下のメスガキだというのに、しかも眠っている状態だというのにこの力はなんなのだ。
ギュウウウゥゥゥ!
「ぐあぁぁ! し、締め殺す気か……! アイリ! 起きろ……ぐえっ」
「シト様大好きぃぃ……絶対に離さないわぁぁ……♥」
「ぐぉおおおぉおおッ!?」
ヤバい。このままだと蛇に巻き付かれたネズミのように全身を骨折してしまう。
俺は本気の力でアイリを引き離した。
「メスガキが……! 調子に乗るなぁぁぁ……!」
「んんっ……! んんーっ!」
「ぬぉおおおおぉぉぉ!」
「……きゃふんっ!」
「ぐぁあっ! はぁはぁ……やっと離れたか……」
引き離した反動でアイリはベッドから転げ落ちた。尻を突き上げて倒れこむという間抜けなポーズになったが、ベッドに直してやる必要もないだろう。
「やれやれ。愛も行き過ぎれば暴力だな」
幸せそうに眠るアイリを横目で見つつ、俺はお腹をさする。そうしてルームの扉へと向かっていった。
「とりあえず飯にするか。食堂はどこにあるんだったかな」
そういいながら俺は扉を開けようとした。
ガチャ。
「ん?」
「え?」
ノブに力を入れようとした寸前、ひとりでに扉が開いた。俺はきょとんとしてしまい、扉の向こう側に目がいった。
扉の向こう側には、俺の目線程度まで背丈の高い女がいた。銀色の髪を覆うように伸ばしており、特に前髪は右目が隠れてしまうほど長い。緑を基調とした法衣のような衣服を着ており、クローバーの模様があしらわれた帽子と相まって聖職者のような印象を受ける。ただし乳房は慎ましやかではなく、布地がぱつんぱつんになるほどの巨乳である。法衣の丈は膝上までであり、腰の部分にかけてまでは左右にスリットが入っている、そこから見える太ももにはガーターベルトの留め具がちらりと見えていた。
だがそいつの容姿のなかで最も目を引いたのは、人間らしからぬほど長く尖った『耳』である。
そいつは俺の顔を見るなり、慌てふためいて二三歩後ずさりした。
「へ……? あ、あの、どちら様、ですか……!?」
「お前こそなんだ。ひとの部屋にノックもせず入ろうとは無礼なやつめ」
「ふぇぇぇ……!? こ、こ、ここ……わ、私の……ルームのはず……!!」
「何? ……そういうことか。お前がアイリの言っていた他のメンバーだな」
「な、なんのことですか……!? ア、アイ、アイリさんが、どうかしたんですか……!? ……はっ!」
銀髪女は俺の後ろに視線を向けた。
視線の先には、素っ裸の状態でケツを上げているアイリと、乱れまくった布団が部屋に散らかっている。
その光景を見て、銀髪女は絶叫する。
「ひゃあぁあぁあああぁあぁあああぁぁあーーーーっ!!? あ、あなた、アイリさんに何をしたんですかぁあぁああぁぁぁぁあっ!!」
何を勘違いしたのか知らないが、銀髪女はあわあわと顔を青くして後ずさりする。
発言内容からしてこの銀髪女はホープのメンバーのひとりなのだろう。が、俺に恐怖して耳を傾ける余裕がないように見受けられる。小鹿のように脚をガクガクと震わせてパニック寸前だ。
事情を話すのも面倒なので横を通り過ぎようとすると、銀髪女の後ろから舌っ足らずな声が聞こえてきた。
「メルナー、どうしたのだー? はやく部屋に入るのだー!」
銀髪女は俺に両手を向けた状態で、後ろを向いてその子に応える。
「ティズさん……た、たいへんですっ! アイリさんが、男の人に辱めを受けてしまってますぅうぅううぅっ!!」
「なにっ!? どれどれなのだ!」
ひょっこりと、小さな女の子が顔を出した。その子は銀髪女の腰あたりから顔を出してきた。身長が低かったので今まで完全に背中に隠れていたようだった。
幼女といってもいいほど小さいその女の子は顔を上げて、俺の存在を認識する――赤色で外ハネっぽいショートヘアの髪。発育途中のぷにぷにとしたボディラインがモロに見える露出度の高い衣装を着ている。鱗のような素材を水着のように伸ばして、局部だけを隠したような開放的なデザインだ。
だがそんな犯罪的な容姿よりも目を引いたのは、頭から生えた二本の巨大なツノだ。さらに背中からは翼が、お尻からは尻尾が生えている。
「お前が二人目のメンバーか」
俺は銀髪女と赤髪幼女を交互に見比べる。彼女たちふたりはそれぞれ、長く尖った耳と、大きなツノ・翼・尻尾を有している。人間ではないのだろうか? だが彼女たちがアイリの言っていた残り二人のメンバーだということは言動からして間違いない。
事の発端を作ったアイリが今眠っていることから俺は目の前のふたりに構う気がまるで湧かなかった。しかし赤髪の幼女がアイリの姿を見たあと、俺をギロリと睨んできた。
「お、お前アイリに何を……!? 許さないのだっ!!」
「……静かにしてくれ。寝起きなんだ」
「この部屋で夜を過ごしたのだ!? なんてふてぶてしいやつなのだ!! このティズが成敗してくれるのだーーーーっ!!」
「やかましい」
ばちーん!
「ふぎゃあぁああぁあぁあぁああーーーーっ!?」
「ひゃああっ! ティズさぁぁんっ!!」
飛びかかろうとしてきた赤髪の幼女を撃ち落とすようにビンタで撃退した。銀髪の女がパニックになっている隙に、俺は悠々と食堂に向かったのだった。
*
「――それでは、当事者同士の内輪もめということでよろしいですね」
「はい。お騒がせしてごめんなさい……その件に関しては合意の上での行為ですので……」
「誤解を招く表現はやめろ――フン、とにかくそういうわけだ。離してもらおうか」
衣服を着直したアイリが事情を説明したことで、ギルドの警備員は困った顔をしながらもようやく俺を解放した。やれやれ。下らない勘違いのせいでギルド全体が大騒ぎになるとはな。おかげで最後に食べようと思っていたチーズケーキが食えずじまいだ。
野次馬どもが去っていくのを横目で見つつ、俺とアイリはルームの扉を閉めた。そして部屋にいるふたりのメンバーと顔を合わせた。
ほっぺたを腫らしつつ涙目で睨んでくる赤髪幼女と、両指をツンツンと突き合わせて不安げに顔色をうかがう銀髪女。俺はなにも気にすることなく椅子に座る。
「さて、じゃあみんな! わたしからみんなに紹介するわね!」
俺と銀髪女と赤髪幼女の三人は椅子に座ってそれぞれ顔を合わせた。椅子がみっつしかないので、アイリは俺の横で立っている状態だ。
俺の方に手を差し伸べて、アイリはいう。
「このひとはシト様。この世界を救うためにやってきた勇者よ」
「うぅっ、ぐすっ! 嘘つくななのだっ! 勘違いしたのは悪かったけど……訳も話さず暴力を振るうなんて勇者のすることじゃないのだぁぁっ!」
「悪かった。話の通じない相手に見えてな」
「何をぉぉ~~っ!!」
「ティズさんっ、落ち着いて……!」
勇者だということを信じようとしないふたりに、俺はため息をつきたくなってしまう。ギャーギャー騒ぐやつはどうにもぶっとばしたくなって仕方ない。
アイリはそれから銀髪の女、赤髪の幼女と順番に紹介していく。
「こっちの耳が長いのはメルナ。彼女はエルフで、『オール教』というこの国でも有名な宗教の神官よ」
「あうっ……シトさん、よ、よろしくお願いします……。いちおう私がパーティの最年長者なのですけど、リーダーはアイリさんなので……お手柔らかに……」
「ああ。よろしく頼む」
「こっちのツノが生えてるのはティズ。ふだんは人間の姿だけど、本当は変身したドラゴンよ」
「ふっふーんっ! ティズは世界でいちばん高位な種族である教皇竜なのだ! 勇者だが風車だか知らないけど、ティズの方が生物界の上位にいるってことをよく覚えておくのだ! むふーっ!」
「やれやれ。子供は元気で羨ましいな」
必要以上におどおどするメルナに、けろっと自信満々な態度で自己紹介するティズ。ひとまず俺は、彼女たち二人に挨拶を返した。
メルナがアイリの方を向いておずおずと手を挙げた。
「それで、どうしてこのシトさんは私たちのルームにいるのでしょうか……?」
「ええ。実はシト様はね、記憶喪失しているの」
「き、記憶喪失、ですか……!? それは大変です……」
「自分が誰なのかわからない。どこにいけばいいのかもわからない。そんな状態のシト様と、わたしはばったり出会った」
「はい」
「だからホープのメンバーとしてシト様を加入させたわ」
「「!?」」
がたんとふたりは椅子から立ち上がった。アイリの発言が突拍子もなさすぎて驚愕してしまったようだ。
ティズが声を荒らげてアイリに問う。
「ええぇえぇ!? 新しいメンバー!? ウ、ウソなのだ!? アイリそれ本当のことなのだ!?」
「ええ。本当よ」
「なななっ、なんで入れたのだーー!? 意味わかんないのだーー!!」
「みんなが驚く気持ちもわかるわ。だけど聞いて」
アイリはぽっと顔を赤らめ、頬を両手で抑えながら恥ずかしそうに言った。
「このひとはね、記憶を失っているにもかかわらずわたしを助けてくれたのよ。見ず知らずのわたしを命懸けで守ってくれたの。その時わたし、この人に運命を感じちゃって……ぽっ♥」
「!? まさかそれがこの男をパーティに入れた理由なのだ!?」
「ええ」
「ええじゃないのだーーっ!!」
アイリののんきな態度に、ティズは感情を爆発させて机をばんと叩いた。
アイリはあっけらかんとした態度で言う。
「いいじゃない。もともと新しい仲間がほしいってみんな言ってたんだし」
「だからっていきなりすぎるのだっ!! しかもこんな変な男っ、ティズはヤなのだーーっ!!」
「フン。俺だって誰かと歩幅を合わせる気はない」
「もう、ティズは男の人を毛嫌いしすぎなのよ。シト様はそこらの野蛮なゴロツキとは違うわ。とっても頼りになる素敵な紳士なんだから。ねっ、シト様!」
「そ、そうなんですか……? シトさんは、私たちに……優しくしてくれますか?」
「気分による」
「ふえぇ……」
「やーーだーー! ティズは絶対認めないのだーー!」
ティズがずんずんとこちらに向かって歩いてきた。
座っている俺と目線を合わせて、ティズは指をさしてくる。
「ティズは強い人じゃなきゃイヤなのだ! こんなかわいい女の子に手を出すような小悪党が頼りになるわけないのだ!」
「なに言ってるのよティズ! シト様はとーっても強いお方よ!? 昨日だってふたりでアバン洞窟をクリアしたんだから!」
「ふん、あんな簡単なダンジョンをクリアしたところでなんなのだ! アイリを助けたのだって、本当は下心があったからに決まってるのだ!」
「ま、まあまあ皆さん……! 落ち着いて……!」
「下心があったらむしろ嬉しいわよ! だってわたしのことが好きってことなんだから! それに昨日のアバン洞窟はふつうと違ってアークデビルっていうすごい強いボスが……」
「ティズは好きじゃないって言ってるのだーーっ!!」
「う、ううぅぅ……っ! 喧嘩は、ダメですよぉぉ……っ!」
アイリとティズはお互いに火花を散らして口論をし、その間にいるメルナが泣きそうになっていた。
ことの元凶である俺は何食わぬ顔で頬杖を付きながら、ボーっとした目で3人の様子を見る。……これだから誰かといっしょにいることが好きじゃないんだ。姦しいったらありゃしない。
そんな時だ。
「ウォォオオオォォオーーーーンッ!!」
「「!!」」
外から狼の遠吠えが聞こえた。
俺はその声に意識を起こされ、急いで窓から外を見渡してみた。ほかの3人も喧嘩をやめて窓に集まってくる。
俺は外の様子を目にした。そこには、ギルド前で暴れまわっている狼のモンスターがいた。
「なんだ、あの狼は? またどこかのダンジョンから出てきたのか」
「あれはウルフね。ドッグの亜種だから大したモンスターではないはずよ」
「で、でもこんな人里に下りてくることは滅多にないことですよ! 今すぐ始末しないと!」
「待つのだ! みんなよく見るのだ! あいつ、ふつうのウルフじゃないのだ!」
「! 本当だわ!」
外にいるモンスターをよくみてみると、狼としては特異的な点だけ一箇所あった。それは尻尾だ。ウルフの尻から伸びているのは、魔物の尻尾だった。
「ま、魔物みたいな尻尾が生えてます……! ふつうのウルフじゃありません……!?」
「魔物の尻尾――うぐッ! ……まさか、あいつが……!」
俺の頭の中でフラッシュバックが起きた。女神との会話を思い出した。女神の言っていた世界を破滅させる『狼』――魔王の三化身!
「あいつが三化身の一体か!?」
「きっとそうよ! シト様、急ぎましょ!」
「フン、言われるまでもない!」
「なっ!? こら! まだ話は終わってないのだっ!」
「ま、まってくださいっ! おいていかないでくださいぃぃっ!」
俺とアイリ、それからティズとメルナは、大急ぎで部屋を出たのだった。
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