ずっと親友でいようね
あたしたちずっと親友でいようね。そう言ってあたしと綾は言葉を交わした。他愛ない、無欲だったあの頃だから交わせた会話だった。指切りをかわすと、綾は嬉しそうに、屈託のない笑顔を浮かべていた。
そう口にした綾から屈託のない笑みが消えたのはある日突然だった。
黒髪の女性が冷たい身体で布団の上に横たわっている。上向きに伸びた長い睫毛からいつも覗いていた強い輝きを帯びた瞳はそこにはなかった。髪の毛が彼女の細身の体を守るようにまっすぐと伸びている。
そんな身動きしない彼女の体にほそい影がゆらりと重なる。影の主は髪の毛を短くそろえた、切れ長の瞳をした女性だった。彼女のいつもは鋭い瞳には大粒の涙が浮かび、今にも零れ落ちそうだった。
「綾、どうして?」
胸を切り裂くような悲鳴のような声に、心の中が抉られる。
彼女は種田美智子といい、彩とあたしの高校の同級生だった。
彼女は嗚咽をもらし、綾の体に触れている。
そんな二人の姿が霞んできた。
まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
あたしのせいなの?
そう眠っている彼女に問いかけても、答えが聞こえてくることはない。それどころか身動き一つしない。
あたしは唇を噛み締める。
そのとき綾に触れていた彼女が体を震わせあたしを見た。
「はるか。あなたはそろそろ行ったほうがいいよ。もう式に間に合わないでしょう?」
「でも」
分かっているけど、綾の傍を離れられなかった。
あたしをここに縛り付けているのは
───罪悪感。
あたしは口を噤んだ。
迷っているあたしに美智子が強気な言葉を投げかける。
「だってもう今更キャンセルできないでしょう。他の招待客だっているんだから。 綾にはあたしがついているから」
「ありがとう」
「綾もそうしてほしいと思っているよ」
あたしを元気付けるために言った美智子の言葉はその罪悪感をかきたてていく。
「どうかしたの?」
「なんでもない」
目の前の彼女はあたしと綾の間にあったことを知らない。余計なことを言いたくなく、彼女の言葉には首を横に振って答える。
「今度、お祝いするね」
「じゃ、行くね」
床に置いてある鞄に手を伸ばそうとしたとき、遠くから無邪気な声が聞こえた。
「あたしからもお祝いしてあげる」
心臓をわしずかみにされたように鼓動が速くなる。
──忘れるわけもない。
あたしのよく知る彼女の声───
鞄を手にするのも忘れ、振り返るとそこには横たわったまま笑みを浮かべた綾の姿があった。
「綾。生きていたの? あたしね」
綾のもとに駆け寄ろうとしたあたしを強い力で誰かがつかむ。振り向くと、怪訝そうな顔で美智子があたしを見ていた。
「今、綾が目を開けていたの。医者を呼ばないと」
「しっかりして。辛いのは分かるけどもう綾は助からないの。心臓も動いていないのよ」
彼女はあたしの手をつかむ力を強めた。
「でも、確かに今、彼女が笑っていたの」
「はるかは中学時代からの友達だから、つらいのは分かるよ。でも、現実派受け入れないといけないの。だからしっかりしなさい」
もう一度綾を見ると、彼女は身動き一つせずに目を閉じている。さっき微笑んだ彼女はどこにもいない。
「そうだよね」
あたしの罪悪感が見せた幻なのだろうか。そう思えなくもない。あたしは彼女を裏切り、ものすごく傷つけた。事故死だったといわれる死因を疑ってしまうほどに。
彼女は典型的な恋愛に生きる子だった。常に恋をしていないとだめという子で、彼女の愛くるしい容貌のおかげもあったのか、彼女の傍らから恋人の存在が消えたことはあまりなかった。ただ不幸だったのはあたしもそうだったということだった。あたしたちはよく似ていた。
似た者同士だから仲よくできたのだ。
でも似た者同士だから。
あたしは目を閉じ、唇を噛んだ。
今度はしっかりと鞄を手に取り、美智子を見る。
「もう行くね」
美智子はあたしの言葉にうなずいた。
もう済んだことを考えても仕方ない。そう言い逃れのように美智子にそう告げて立ち去ろうとしたときあたしの手に冷たい感触が襲う。あたしが振り向く前に甘い声があたしの耳元で響いていた。
「あら、いっちゃうの? たあくんのところ」
その声に身震いをする。聞き間違えるわけもない。何度も耳にした彼女の声だ。
息をのみ、振り返ると再び綾を見た。先ほど目を閉じていた彼女の瞳はしっかりと見開かれ、口元を綻ばせていた。
たあくんというのは綾が彼を呼んでいたときの名前だった。
寝ていた彼女がゆっくりと上半身を起こす。そして、髪の毛をさらりとはためかせると、また笑った。
「あたしを裏切ってまで手にした男だもんね。大切にしないとバチが当たるわよ」
そう言った彼女は完璧な、人形のようにと形容しても違和感のないほどかわいかった。
彼女の言葉にあたしの記憶の破片が抉られていく。
「……裏切るなんてそんなこと」
あたしの良心が苦し紛れに発した言葉を続けさせなかった。
そのとき、強い力で肩をつかまれる。痛みを感じるほどだった。彼女は睨むようにしてあたしを見ていた。
「しっかりしなさい」
彼女の言葉で我に返った。
目を開けていると思っていた綾は目を閉じ、安らかに眠っている。さっきまで微笑んでいたようには見えない。
あたしの彼女に対する罪悪感が見せた幻だったのだろうか。そう思えばそう思えなくもない。
だってあたしは綾の声さえも、今すぐ思い出せる。頭の中で彼女の声を聞くこともできる。彼女とはずっと仲のよい親友だった。だが、あたしは親友だった彼女を裏切り、フォローもしなかった。