ジョグ[終章読了後推奨]
ジョグ・ウォード(『前帝国時代人物誌略記』より)
ガイネリア国の武将、将軍。生年不詳。没年不詳。父はカルドス・コエンデラ。母はチルエンナ。魔神戦争の英雄の一人ゲラ・ウォードの父。
十代の始めにコエンデラ家の分家のウォード家に養子に出された。ウォード家はサルクスの領主であるが、ここにジョグを養子に出したのはサルクス領の実効支配権をカルドスが欲したからだとも、あるいはジョグの資質を恐れて遠ざけたかったからだともいわれる。
少年青年時代のジョグについてはあまり確かなことが分かっていない。ひとつはっきりしているのは、パクラのバルド・ローエンに師事して武芸を鍛錬したということである。
ジョグが歴史の表舞台に姿を現すのは大陸暦四千二百七十一年のことである。この年、側近四人を率いて、ガイネリア国の隊商を襲った盗賊団を殲滅し、これが機縁となってガイネリア王ラフサモルトノ・ヴァレンシュタインに仕えるようになり、またたくまに第五騎士団長兼大将軍の座に上り詰めた。二十代の終わりごろであったと思われる。
勇猛果敢なジョグは部下への訓練も指揮も熾烈なものであったが、得た褒賞は部下たちに投げ与え、また賞罰が公平であり、倦むことを知らぬ行動力と戦えば必ず勝つ武勇と合わせ、絶大な信頼を得た。ジョグの活躍により、凋落しつつあったガイネリア国は大きくその勢力範囲を伸ばした。
ジョグがなぜサルクスを出奔したかは分かっていない。ただ、よく知られているように、ジョグの実父カルドスはパルザム国王ウェンデルラントを詐術にかけ、おのれの子をパルザム王家の継嗣に仕立て上げようとした人物であり、伝承でうかがわれる人物像は悪逆である。潔癖なジョグはそうした実父を主君とすることに耐えられなかったのかもしれない。
ガイネリアの大将軍となってからのジョグの武功は卓犖としたものである。四千二百七十三年一月のロードヴァン城における魔獣大襲撃防衛戦、同年三月のシンカイ軍によるガイネリア侵攻撃退戦、同年八月のヒルプリマルチェの戦い、四千二百七十六年七月のパダイ谷の戦いなど、第一次および第二次諸国戦争では常に決定的な場面で活躍した。その多くがバルド・ローエンの指揮のもとで戦っており、二人の師弟としてのきずなの強さがうかがわれる。
ジョグはその知名度に比してあまりにも残された資料が少ない人物である。魔神戦争の際にガイネリアの宮殿とゴリオラ皇国の皇宮が灰燼に帰し、また、パルザムの都も遷都を余儀なくされるほどの痛手を受けたことにより、資料が焼失あるいは紛失したことも大きいが、それにしてもジョグについては不思議なほど一次資料が見当たらない。加えて、伝えられる人物像があまりに破天荒で、活躍があまりに多岐にわたり、しかも常識を越えた展開をたどるため、架空の人物ではないかといわれていた時期もあった。
しかしその後、テルシア家文書を始め各国の資料や、旧ガイネリア諸家の資料からジョグに関する記述が徐々に確認されていった。
また、カルディエナ防衛戦での獅子奮迅の活躍や、ゲルカストのゾイ氏族族長ヤンゼンゴとの名誉を賭けた決闘の顛末は、魔神戦争に先立つ時期にすでに広く大陸中で吟遊詩人たちにより流布されていたことが、資料的に確認されてきている。さらに、ゲラ・ウォードの言行録の中でもジョグの存在は明確に確認できるのであり、今日ではその実在を疑う者はない。
ただし多くの研究者は、何人かの武将の逸話が混同されて伝えられているのだろうという立場を取っている。
それにしても各国資料でのジョグの記述は慎重に調査しなければ見つからなかったほどに少ない。研究者のあいだでは、ジョグ将軍は他国からは嫌われていた、という笑い話があるほどである。
見方によっては、ジョグの清廉さが資料の少なさにつながったともいえる。というのは、ジョグとゲラの時代のウォード家はガイネリア有数の地位にあったにもかかわらず、この二人は家を大きくしようとはしなかったからである。
すなわち家族親族を増やし、家臣を増やし、自家の繁栄をはかろうとすればいくらでもできたはずなのに、それをしなかった。
ジョグはゲラ以外に子どもはいなかった。妻については存在すら確認されていない。ゲラの母親が何者であるかは今日でも決着のついていない問題であり、ガイネリアの有力諸侯の娘であろうとはいわれているものの、人物の特定は困難な状況である。ゲラを産んだ以上その女性はジョグの正妃の扱いを受けたはずなのに、名前すら残されていないというのは奇妙である。ゲラの母親はエイナの民であったとか、あるいはマヌーノであったなどという伝説が生まれたのも、ジョグの妻の気配が、どんな資料にもまったくただよっていないことによる。
伝説では、ガイネリア王ラフサモルトノの第四王女エルフリアナとジョグが恋仲であったことになっているが、実はラフサモルトノ王に、どの王女かは分からないが王女をジョグに降嫁させようとする動きがあったのは事実である。しかし伝説でいわれているようにジョグを妬んだ有力騎士の妨害のためではなく、おそらくジョグの拒否のため、この企ては実現しなかった。ゲラはエルフリアナ王女がひそかに産んだ子であるという俗説は、資料的にはほぼ否定されている。
ジョグは下賜された褒賞をことごとく部下たちに与えたし、ゲラは魔神戦争で家を焼かれ逃げ延びた民に惜しげもなく財貨をばらまいた。そうした英雄的な行為の結果、ウォード家は歴史の波間に消えてゆき、ジョグの資料が今日に残っていないというのは、なんとも皮肉な話である。
ただしジョグ・ウォードの名が人々の記憶から消えたことはなかったし、今後も消えることはないであろう。
今日、演劇の世界では、ジョグは〈辺境の老騎士〉バルド・ローエンを輔けて活躍する五人の弟子の一人として高い人気を誇っている。その存在感は他の四人を圧しており、ジョグの役を与えられることは一流の役者の仲間入りをしたことだとみなされている。
ジョグを主人公として書かれた小説と戯曲は、おもなものだけでも百三十編を超える。詩歌については数えることもできない。
ジョグ・ウォードこそは、前帝国時代における最も有名な武将であり、架空実在を含めた大陸史の中で、バルド・ローエンと並んで最も民衆に愛された騎士なのである。
ある日、ジョグはゲラに最後の稽古をつけると、突然将軍職を辞し、側近のコリン・クルザーを伴い旅立った。フューザに登ったと伝えられている。それはゲラが騎士に叙任された四千二百九十二年のことであるとも、その数年あとのことであるともいわれている。ジョグのその後の消息は不明である。
〈責任執筆:ヴェンダンバリル・オートバ(フューザリオン帝国文科省歴史局主任研究員)〉




