第六十七話『涙と重なる光景』
モニカ、エーフィ、ディアナの仕事もあと少しとなっていた。あと二日幼稚園を手伝えば、三人はまた城に戻ってもとの生活に戻ることになる。
そしてその日はとても風が強かった。雨は降っていないが、あまりの風の強さに、園児達は外に出ることができなかった。モニカとディアナも今日は外での仕事は諦め、施設のなかで仕事をすることとなった。
「やれやれ、やっと片付いたよ」
「あ、おかえりなさいディアナ」
木の葉を払いながら施設に入ってきたディアナを見つけて、モニカが声をかける。ディアナは施設の中に引き上げてくる前に、庭に防風対策を施してきたのだ。
「髪がぐしゃぐしゃになっちまったよ。朝はそれほどでもなかったんだけどねぇ」
「お疲れ様。せっかく片づけた草が風で散らかっちゃたどうしようもないもんね」
モニカがディアナに近づいてきて、ディアナの肩についていた木の葉を払った。
「あんたは薪に対策しなくていいのかい?」
「あ、うん。私はもう昨日のうちに全部薪割り終っちゃったから。紐で簡単にしばりつけるだけで終わっちゃった」
「ふーん。なら、念願のガキの世話がたっぷりできるわけだ。私は裏で雑用でもしてるから、エーフィに混ざってくればいい」
「……えへへ」
モニカはちょっと戸惑ったような笑顔を浮かべた。ディアナはどうしたんだと一瞬思ったが、二人ほど園児が近づいてきて、その疑問はすぐにとけた。
「あー、見たことない子がいる」
「今日から新しく入ってきたの? 仲良くしようね!」
園児はそれだけ言って去って行った。後には暗い表情を浮かべたモニカが残される。
「……私、そんなに小さくないよね?」
泣きそうな顔でそう訊ねてきたモニカを無視して、ディアナは施設の中に入っていく。
「ちょ! 無視しないでよ」
「慰めてほしいのかい? お前だってガキじゃないんだからいちいちへこんでんじゃないよ」
「あ! そ、そうだよね! 私子供じゃないもんね? うん、気にしないことにするよ」
(外の作業で疲れてるのに、こんなチビガキと喧嘩なんてしてらんないよ)
ほっとして息を吐いているモニカを横目に見ながら、ディアナはそんなことを胸の中で呟いた。
「あ、お疲れ様です。ディアナさん、モニカさん」
二人が廊下を歩いていると、イザベラが部屋から顔を出して二人に笑顔を向ける。
「今日は風が強いですね。お二人はせっかく施設の中で仕事をされるのですから、子供たちの相手をしてはいかがです? エーフィさんも苦労していらっしゃるようですから」
「え? あ、いや。私……は、遠慮しようかな? あはは……」
イザベラの提案を、モニカは歯切れ悪く断る。ディアナはそんなモニカの横で鼻を鳴らした。
「私もパスだ。子供の相手は苦手だし、一人めんどくさそうなのがいるんでね」
「ハクシュ!」
離れた場所でターニャが一つくしゃみをした。
「ターニャちゃんも風邪引いたの? それともその胸に抱いてる花の花粉かな?」
ターニャの横に座って会話をしていた女の子がそう聞いてくる。
「うーん、寒いわけじゃないし風邪じゃないと思うんだけど。それにディアナもほとんど花は落ちちゃってるし、花粉なんて飛んでないよ」
そういってターニャは、鉢に植えられた花を大切そうに抱きしめる。
別に鉢に植え替えられてからずっと持ち歩いているわけではない。今日は風が強かったから心配になって部屋まで持ってきただけだ。鉢に植え替えていなかったら、今頃強い風にあおられて潰れてしまっていたかもしれない。そう考えると、やはりディアナに植え替えてもらってよかった。
「それディアナって名前のお花なの?」
「ううん。ディアナは私がつけた名前だよ。本当の名前はカス……カス……あれ? なんだっけ?」
そういえばディアナに本当の名前を聞いていなかった。せっかくなのだし今度聞いておこう。
「でも本当に風が強いねー。今日はお泊りかな?」
隣の女の子がそんなことを言ってくる。朝は大した風ではなかったが、さっきからものすごい風に変わってしまった。これでは無理に帰る方が危ない。このまま幼稚園にお泊りとなっても不思議ではなかった。いつもは外でボール遊びをしている男の子たちも、今日は施設の中で遊んでいる。
「ねえターニャちゃん。おままごとしようよ。久しぶりでしょう?」
「うーん、そうだね」
ターニャは最近、休み時間はずっとディアナのところに行っていたから、施設の中で遊ぶのは久しぶりだ。風邪をひいて休んでいた友達も何人か幼稚園に来ているし、ままごとをするのもきっと楽しい。
ターニャはそう考えて立ち上がった。一瞬窓の外を見てディアナのことを考えたが、この風ではさすがに会いには行けない。おとなしくあきらめて友達と遊ぶことを選択する。花を窓際においてから、ターニャは友達と共にままごとの道具を取りに行く。
そんなターニャから少し離れた場所で、男の子たちがしゃべっていた。
「はぁー、つまんないなぁ」
外でボール遊びができない男子たちは、不満そうな声でそう呟いていた。エーフィと遊ぼうにも、先約が多すぎてとても手が回らなそうだ。こんな退屈な施設の中では有り余った元気を発散することができず、こうやって集まって腐っているしか方法がない。
「ねえ、ボール使って遊ぼうよ」
「えー、でも危なくない?」
一人がボールを片手にそう提案すると、他の男子たちが渋る。
「休んでる子が多くて広いんだから大丈夫だよ。そんなに思いっきりボールを蹴らないで遊べば危なくないって」
そういってボールを床に転がす。転がるボールを見ると、危ないとは思いつつ、それで遊ぶという欲求に耐えられなかった。
「じゃあ……控えめに遊ぼうか?」
その言葉に全員が賛同して、ボールを追いかけて男子たちは立ち上がった。
* * *
モニカとディアナが施設の中に引き上げて仕事を始めてから数時間後にその音は響いた。
「きゃぁあああああ!」
女の子の悲鳴。その悲鳴が聞こえる数瞬前に、ガラスが大量に割れるような音が響いた。
別室で仕事をしていたモニカ達は何事かと顔を上げ、女の子の悲鳴を聞いて最悪の事態を想像する。
「いったい何……って、ディアナ!」
声を上げて立ち上がろうとするモニカの横を、風のようにディアナが飛び出していった。
あれだけの音だったのだから、当然全員そこに向かっただろう。その中で誰よりも先にディアナが動いたのは、女の子の悲鳴に聞き覚えがあったからだった。
(あの声は……ターニャ!)
この任務を与えられてから、一番多く聞いた幼い声。いつもは陽気で明るいターニャの声が、その悲鳴では強い悲しみを含んでいた。
誰よりも早くその部屋に駆けつけて扉を開けると、一人の女の子が……ターニャが泣いていた。
「どうしました? 怖かったですよね? もう大丈夫ですから……」
「わぁあああああん!」
ターニャの傍にはエーフィがいた。頭をなでながらターニャに声をかけている。
見たところターニャは怪我をした様子はなかった。ターニャが泣いている姿の次に、割れた窓と大量のガラスが目に付いたが、床には血が流れている様子はない。子供たちを見ても泣いているのはターニャだけで、怪我をした子供はいないように見えた。
「なん……あ」
なんで泣いているのかと呟く前に、床に割れた八と大量の土が散らかっているのが見えた。そこにはガラスが散乱しており、巨大なガラスが土を切り裂くように突き刺さっている。
「ディアナ! どうしたの? うわぁ!」
後から追いついてきたモニカ達もその光景を見て声を上げる。そしてターニャが泣いているのを見つけると、真っ先にそこへ駆けつけた。
ディアナは? ディアナは動かなかった。動かず、ひたすら泣き続けるターニャとその胸に抱かれたつぶれてしまった花を見つめた。
「大丈夫? 怪我はしてない? エーフィさん。この子、ガラスをかぶっちゃったんですか?」
「いいえ、ガラスが割れたときはみんな離れた場所に居ましたから。ガラスが割れてみんなが驚いている時に、突然泣き出してしまったんですよ。なぜだか割れたガラスに元まで走って行ったのでここまで連れてきたのですが……」
ターニャは見たのだ。ガラスの破片の中に混じった花がつぶれているところを……死んでいるところを見てしまったのだ。
「お花だよ……。ターニャちゃんは鉢の中に植えられていたお花を大切にしていたんだよ」
ターニャの友達が落ち込んだような声でそう言って、土だらけになったターニャの手の中を指差した。その花は小さく、枯れかけで弱っていたから、その子が指摘するまで誰も気付けなかったのだ。
「お花……あ、そうか。お世話していた花がガラスを浴びちゃったんだ。……んと」
モニカがターニャの手の中を覗き込んだが、一瞬花を見つけられず言葉に詰まった。花だというから大きな花弁がついていて、青々とした葉っぱがあるものだと想像したからだ。それが予想よりはるかに小さく、花弁はほとんど落ちた枯れかけの花だったものだから、一瞬見つけられなかった。
「あ、その小さなお花か。たくさん生きたんだね? 大切に育ててもらっていたんだっていうのがよく伝わってくるよ」
「うわぁあああん」
慰めるつもりでそう言ったのだろうが、それは的外れな言葉だった。花とターニャが出会ったのはほんの数日前だし、ターニャが育てていたわけではない。当然ターニャが泣きやむわけもなく、泣き続けた。
「そうですよ。このお花は幸せだったと思いますよ? 鉢に植えてもらって、しっかり世話をしてもらえて、最後にこんなに泣いてもらえたなら……」
「あぁあああん! わぁあああん!」
エーフィの言葉に耳も貸さずにターニャは首を横に振って泣き続ける。
エーフィの言葉もまた、モニカと同じく的を外れていた。それは、イザベラやターニャの友達がかける言葉もまた同じだった。ターニャとこの花の前提を間違っているからかける言葉も間違ってしまう。
この場の誰もが、ターニャがこの花をずっと可愛がって育てていたのだろうと考えているからこんな言葉になるのだ。
ターニャは実際には世話などほとんどしていないし、鉢に植えたのだってディアナがしたことだ。ターニャにとってこの花は友達であって、ターニャは飼い主ではない。
ところがそんなターニャの気持ちを、この場の誰も理解していない。だから誰もがターニャの心を理解できない言葉しかかけられない。そんな言葉はターニャの胸に届くことはなく、嗚咽とともにターニャに涙を溢れさせた。
「うるさいな!」
一向に泣き止まないターニャに向かって、短気を起こしたような少年の言葉が投げかけられた。
「たかが花一本くらい死んだくらいで、なにそんなに泣いてるんだよ!」
「何よ! もとはと言えばあんたたちのせいじゃない!」
少年の言葉に、ターニャの友達が怒って声を上げた。
実はガラスが割れたのはこの少年たちがボール遊びをしていたのが原因だった。初めは控えめに遊んでいた。しかし、一度始めてしまえば熱くなるのに時間はかからず、外さながらの勢いでボールを蹴って遊び始めた。
そして蹴り損ねたボールは勢いよく窓に向かって飛んでいき、ガラスと花の植えられた鉢が割れてしまったのだ。
「知るかよ! だいたいそれもう花なんて咲いてないし、ほとんど茶色くなってて枯れてるじゃん! そんなのがつぶれたくらいで泣くなんておかしいんじゃねーの?」
「そうだそうだ!」
一人が開き直って叫ぶと、後ろでばつが悪そうにしていた少年たちも賛同した。
「もともとそんな花死んでたんだよ。というかそれって花なの? 茎だって細いし、葉っぱも小さい。その辺に生えてる雑草と同じでしょ? それをわざわざ鉢に植えるのも変だし、それで世話してますっていうのはもっとおかしい。ていうか馬鹿みたい」
「なんてこというのよッ!」
「待って、みんな落ち着いて!」
子供たちの喧嘩が始まり、イザベラやモニカ達が仲裁に入る。
ディアナは? ディアナはその輪には入らず、一人扉の傍に立って泣き続けるターニャを見つめていた。
泣き続けるターニャに、周りで騒ぎ立てる人たち。まして中には罵声を浴びせる者までいる光景。そんな光景をディアナは見たことが……いや、体験したことがあった。
* * *
幼いころのディアナが住む村。その日村はどんよりとした曇り空に覆われて、どこか寒気がするような風が吹いていた。その風に似合って、村の中は静かで寂しさすら感じさせた。
それもそのはずだ。今日は村の中に人影がほとんど見えなかったのだ。
では村人たちはどこに? その答えは、風に乗って運ばれてきた悲痛な叫びが教えてくれた。
「やめてぇーー! やめてくれー!」
静止を求める叫び。その声は幼いディアナのものだった。ディアナが蜘蛛に出会ったあの森の中。村人たちがそこに大挙して現れ、数人の男がディアナを押さえつけていた。
そしてディアナの正面に、ディアナの父親が怒りの表情で立っていた。父親は蜘蛛の巣を背にしてディアナを睨んでいる。
「生意気な娘でも、感性だけは人間だろうと思っていた。人間でさえあれば教育ができる。いつか自分の立場を理解できる。私のあとを次ぐこともできるだろうと考えていた。しかし、蜘蛛に惚れ込むような異常者だとは思わなかった」
父親の怒りの理由はただひとつ。ディアナと蜘蛛の関係だった。
ディアナに負けた三人は、村に帰ってディアナが蜘蛛に惚れこんでいるという噂を流した。噂は静かに、しかし確実に広がっていった。
最初は村であがめられている医者の娘ということもあり、それを指してディアナを笑うものは現れなかった。だが、噂はディアナの父親の耳に届いてしまった。
父親は失望するとともに激怒した。
見るからに汚らわしく下等な生き物。それを友とし、じゃれあうような異常者の娘を持つ父親……。そんな評価で泥を塗られたのが、父親は許すことができず、頭に血を登らせた。
父親はすぐに村人に招集をかけて、ディアナを探すように命じた。ディアナを探し、真実を問いただすつもりだった。しかし、見つけたディアナはまさに蜘蛛に話しかけているところで、話を聞くまでもなかった。
「くそ! はなせよぉ! はなせぇえ」
父親はすぐにディアナを取り押さえるように命じた。ディアナも抵抗したが、村人全員ではかなわない。抑え込まれ、石だらけの河原にうつぶせにされてしまった。
村人たちは、本来ならディアナに触れることすらためらう。ディアナは、人当たりは良くないし、常に威圧的な態度を取っていた。それだけならただの生意気な女の子だが、医者の娘ということで、村人たちはディアナの機嫌を取らないわけにはいかなかった。ディアナが何を言っても、どんな態度を取っても、村人たちはわざとらしい作り笑顔を浮かべるばかりだった。
しかし、今は村人達も悪意の表情を隠さなかった。それは、ディアナに後ろ楯がいなくなったからだ。村のなかで一番偉い人間が……言うなればこの村の王がディアナを見放したからだ。
「お前は私に恥をかかせた。それがわかるな? 蜘蛛に心酔し、毎日のように通い、友のように話しかけるなど、およそ人間のすることではない」
「あたしは別に蜘蛛が好きになったわけじゃない! たまたま目について、自虐で話しかけていただけだ! 蜘蛛しか話し相手がいない人間なんて哀れでしょう? そんな自分を笑っていただけだよ!」
とっさに思いついた言い訳だが、事実に近い内容だと自分で思った。
蜘蛛が好きだなんて思ったことはない。造形だけで言えばむしろ嫌い……。正直言って気持ち悪いとすら思っている。
しかし、初めてこの蜘蛛を見た時、寂しさに襲われたディアナに悪魔がよこした皮肉に感じられた。それが自分にはとてもお似合いに思えて、妙に気に入ったのだ。
「そうか、だったらこの蜘蛛を潰すこともできるだろう?」
「いやだねッ! あたしはその蜘蛛がどこかに行くまでは守ると決めた。勝手に決めた! だからあたしはそれを止める!」
そう、守ると決めた。それだけが理由だった。いうなれば、子供が作った自分ルールみたいなものだ。それだけのためにディアナは必死に抵抗している。
父親がため息をつく。
「なんでお前はそんなにおかしいんだ?」
「おかしいのは父さんの方だ! そして」
ディアナが懸命に首を動かして周りを見渡す。
「村人の方だ! たかが蜘蛛一匹に必死になってるのはあんたたちの方じゃないか! なんだよこの騒ぎは? 蜘蛛のためだけに村人総出で集まって恥ずかしくないのか? 王様が命令すれば、こんなバカな祭りまで開いちまうのかい?」
ディアナが叫ぶ。
「ほっといてよ! 蜘蛛のことなんて、私のことなんてほっといてくれよッ! ちょっと自分を皮肉って笑ってることがそんなに気に食わないのか? おかしいなら笑ってればいいだろ? 無理やり道化の劇場に上がってきて、ぶち壊しにするような無粋な真似なんかするんじゃないよ!」
その時、風が切られる音がした。すると、ディアナの目の前に蜘蛛が落ちた。ディアナの父親が棒で蜘蛛の巣を壊したのだ。
「や、やめ」
ディアナが静止の言葉を言い切るまえに、父親は蜘蛛を踏みつぶした。
「蜘蛛は殺したぞディアナ」




