第二十三話『幻聴』
エーフィは森の中で弓を持ったまま座り込んでいた。
モニカが野盗に殴りかかり、クララが野盗と戦いながら森の奥へ入り込んで行くのをおろおろとしたまま見送った。エーフィが何人か矢で射た者達も逃げ出し、誰も居なくなるとその場にへたり込んでしまった。
隙だらけだったと言うのに、よく野盗に切られなかったものだと思う。人は無意識のうちに、動き回るものに意識を向けてしまい、動かないものには気付かないものだと聞くが、それが理由だったのかもしれない。
エーフィは座り込んだまま、何度も立ち上がって二人に加勢しに行くべきだと思った。だが、情けないことに体がまるで動こうとしない。さらに、エーフィはいまだに怯えていた。
弓を握り締めている腕が震えている。弓で射られた者の悲鳴がまだ耳に残っている。それらがエーフィを縛っている。
こんなざまで二人に加勢に行って何の役に立つ? さっきのようにまるで矢を当てることもできずに震え、下手をすれば人質に取られて迷惑をかけかねない。
それに、仮に体が自由に動いたとしても、二人が何処にいるのか定かではない。
この森は国に管理されているから整理されてはいる。だが、やはり森の中なのだ。森の中に詳しいものならば問題ないのだろうが、エーフィは親衛隊試験の前日に弓の練習のために浅いところに入ったことが一度ある程度だ。ここが森の中のどのあたりで、どっちに歩けば町に戻ることができるかすら分からない。そんなエーフィが、二人を探して森の中を歩くことなどできるはずがない。
「今日は、森の中ですごすのですね……」
誰に言うでもなく呟いた。知らぬ森の中で一夜を一人で過ごすなど、本当なら心細いことのはずだ。だが、心細さよりも、さっきの出来事の衝撃が強く、森の中で一夜を過ごすこと自体にはあまり恐怖を覚えなかった。
その時、森の茂みの中でガサガサという音が聞こえた。
「……!」
エーフィはびくりとする。音の正体は動物だろうか? それとも野盗だろうか?
動物でもウサギや何かならどうでもいい。エーフィを見つけた瞬間どこかへ逃げてしまうだろう。だが、猛獣だったならきっと殺されてしまうだろう。矢で動物をいることができるほど、まだエーフィの腕の震えは小さくない。
野盗だったとしてもいいことにはならないだろう。人質に取られるか、その場で殺されるか、少なくとも手を貸して助けてもらえるなんてことはないはずだ。
「んしょ……と。あれ? こんばんは」
現れたのは人間だった。ただ、それは野盗でもなく、モニカ達でもなかった
茂みから姿を見せたのは、籠を持った少年だった。籠の中には山菜や果物が入っており、少年の体には泥や落ち葉がくっついていた。イノシシが出ると言うのに、森の中で山菜とりをしていたらしい。
「あ……こんばんは……」
エーフィは挨拶を返そうとして驚く。無理をしてでも明るく声を出そうとしたのに、声がひどく落ち込んでいる。そこまでショックを受けているのかと、自分で驚いた。
「あれ? 弓のお姉さん?」
「……え?」
少年に言われて、少年の声がどこかで聞き覚えがあり、顔も見たことがあるものであると気付く。
「ああ、森の入口で籠を木に引っかけてしまっていた……」
「やっぱり! あの時の弓のお姉さんだ!」
少年の顔がぱっと明るくなって駆け寄ってくる。前に合った時は、逃げるように去って行ったというのに、今の少年は人懐っこそうに見えた。
「あの時はありがとう。ごめんなさい、あの後逃げちゃって……」
「いえ……気にしていませんから」
エーフィは強がって微笑んで見せる。それを見て、少年もにこりと笑った。
「あはは、だってあの時のお姉さんの弓を構えた顔があんまり怖かったものだから」
「……ッ!」
子供は正直だ。思ったことを何の考えも無しに言ってしまうことだってあるだろう。
エーフィは、弓を構えた時の顔が怖いなんてことは言われ慣れている。自分の両親にさえ、怖いとまでは言われなくても、弓をもつと顔が変わるくらいはよく言われている。
エーフィ自身、カルラに描いて貰った自分の顔を見た時怖いと思った。だからいつもなら笑って流せる言葉のはずだった。なのに、この瞬間、エーフィは少年のその言葉がひどくショックで、表情にそれを出してしまった。
「え? あ、ごめんなさい! 顔が怖いなんて嘘だよ! ただ、表情が急に変わったから驚いただけで……」
少年が慌ててフォローしてくれた。優しい子だなと思った。心が少し暖かくなり、さっきまでの怯えが少し和らいだ。
「いえ、いいんですよ。よく言われることなので、またかとと思って自分の顔を見れないのを残念に思っただけです。弓を引きながら鏡を覗き込むことはできませんので……クスクス」
さっきよりは自然に笑えたと思う。少年も若干安心したらしく、曖昧に笑った。
「それより、なぜこんなところにいるのです? 森の中はいまイノシシが出て危ないのですよ?」
「え、そうなの? ああ、そう言えばそんな噂を聞いたことがあるような……?」
街は広く人は多い。全ての人間につつがなく情報がいきわたることはないだろう。少年も今森が危険だと知らずに入ってきてしまったのだろう。
「そう言うお姉さんはどうして森の中にいるの? 危険だって分かっているんでしょう?」
「私はノルベルト様の親衛隊で、イノシシを狩るように命令をいただきましたので、森の中に入りました」
「え!? お姉さんが親衛隊? ……そっか、前に会った時は親衛隊試験の前日だったもんね。弓の練習をしようと思って森に来てたんだ」
少年は納得したように何度も頷いている。
「それで、イノシシは狩れたの?」
「いえ、半日探して見つからなかったので、どこかへ行ってしまったのではないかということになりました」
「なーんだ、あはは」
少年は笑う。少年が笑うたび、雰囲気は明るくなり、エーフィの心は安らいでいく。
「僕今日は森で一晩すごすつもりでいるんだ。お姉さんはどうするの?」
「森の中で一晩? 危険ではないのですか?」
「ぜーんぜん! ってこともないけど、隠れ家があっちこっちにあるから安全だよ。僕はよく森で寝泊まりしているもの。今日も家には森で泊るって言ってきたし」
エーフィは考え込んだ。今からモニカ達に加勢しに行くのは難しい。第一加勢しに行っても役には立たないだろう。卑怯者、臆病者と蔑まれてもそれが真実。もし生きて再会できたなら、地面に頭をこすりつけて謝ろう。
そうなれば、後はどうやって森を抜けるかを考えなければならない。日はもうすぐ落ちる。今も、日はかなり傾いて森は闇に閉ざされようとしている。いくら街に戻るしるしを付けているとはいっても、森に慣れないエーフィが自力で街に戻るのは不可能だ。
カルラとノルベルトは街に応援を呼びに行った。恐らく明かりをもって探しに来てくれると思う。だからエーフィの最善の行動は、動かずじっと待っているだ。しかし、一人で森の中にいるのは心細いだろうし、夜の森は危険かもしれない。どの道森の中で待つなら、少年の提案に甘えて一緒に待っていた方がいいだろう。
「お邪魔でなければ、一緒に行ってもいいですか?」
「やったー! じゃあ隠れ家に案内するよ。話相手がいるなら僕も嬉しい」
子供に世話になると言うのを情けなく思ったが、少年の明るい表情を見てそれはだいぶ薄れた。自分に弟がいたら、こんな感じなのだろうかと思ってエーフィは笑む。
少年は籠を揺らしながら森の中を速足で進み始めた。早く追いかけないと置き去りにされてしまう。思えばずっと座り込んだままだった。
「……ん」
少年と話すうちに、体の震えはだいぶ抜けたようだ。先ほどまでは立つこともできなかったが、何とか立ち上がることができた。立ち上がれたなら、やはり二人を探しに行くべきかと思ったが、足手まといになる未来が見えてやめた。再会した時に怒られ、そして謝ろう。エーフィはそう思って少年の後ろを追おうとした。
するとまた茂みが揺れ、人が現れた。モニカやクララではなく、野盗だった。
「はぁ! はぁ! て、てめぇ!」
野盗は息を乱していた。モニカとの乱戦の中、こっそり抜けて逃げ出してきたのだから当然だ。森の奥へ逃げたつもりだったが、野盗は先ほどの場所に戻ってきてしまったのだ。
「あ……ああ……」
エーフィは混乱した。なぜ考えなかったのだろう? 二人を追いかけずとも、野盗とまた出会う可能性があると言うことを。弓を持っていると言うのに、それを構えて武器を捨てろと命令するという発想が生まれない。ただどうすればいいんだと言う言葉だけがエーフィの頭の中を埋め尽くしている。
幸いなことに野盗も動かなかった。一対多数の戦いで逃げ出したような人間だ。一対一で親衛隊と出会ってしまった野盗に、エーフィに単独で切りかかるという考えはなかった。それに、野盗は見ていた。目の前の人間が、恐ろしい形相で弓を構え、何の憐れみもなく矢を放った一撃目のエーフィの姿を。
その後エーフィは恐怖して怯えてしまうのだが、地面に伏せていたこの野盗はそれを知らない。だからこの野盗の中では、一人で野盗に殴りかかってきたモニカよりも、エーフィに対する恐怖の方がまだ強かった。
切りかかる選択肢はなかった。このままエーフィとにらみ合い、エーフィがくじけなければこの野盗は逃げ出していたはずだった。しかしこの場には三人目がいた。
「おじさん誰?」
のんきな声が野盗の後ろから聞こえた。野盗とエーフィから十数メートル離れた位置から、少年が野盗と知らずに声を出したのだ。
「子供……? そうだ!」
野盗は少年の姿を見ると、電撃的に打開策を思いつき、迷うことなくそれを実行に移す。
「ダメ! 逃げてぇ!」
エーフィもその発想はすぐに読めた。野盗は少年を人質に取るつもりなのだ。
「え……え。わ、わぁああ!」
少年はその発想に至らなかった。だから最初は首を傾げて急に走り出した野盗の姿をぼんやりと見た。
だが、野盗は怒りに燃えた顔で、剣を片手に走ってくるのだ。命の危険が迫っていることには理解し、悲鳴をあげて恐怖を表現する。
だが逃げられなかった。あまりに唐突で衝撃的。こんな局面に出会ったことがないから、逃げるのが最善だという発想に至れない。本能的に恐怖し、反射的に悲鳴をあげることしかできなかった。
「と、止まりなさいッ!」
エーフィが弓を構えて久々に叫んだ。さっきまでか細い声死が出せなかったが、この局面でようやく腹から声を出して静止の命令をする。
しかしそれでも声はいまだに怯えをはらんでいたし、弓を構える腕をはじめとして、体全体が震えていた。
「うるせぇ!」
野盗は止まらなかった。エーフィが怯えていたからじゃない。少年を人質に取る以外、自分が助かる方法がないと考えていたからだ。だからエーフィの命令は意味がない。
弓を向けて命令するのではダメだ。エーフィが止めなければならないのだ。それ以外に少年を助ける方法はない。
だが、エーフィは自分が間違いなく弓を外すだろうということを知っていた。だって先ほどとまるで同じなのだ。
少年と話すことによって体の震えや怯えは薄まったと思った。だが、それは忘れていただけだったのだ。今再び弓を人に向けると、さっきの光景が頭に蘇ってくる。
悲鳴をあげる者、涙を流す者、怯える者、矢が刺さって地面に転がりまわる者。
それらは弓を向けられれば大半の人間が当たり前にする行動であり、それに怯えてしまうのはそれを覚悟できていなかった者だけだ。そして不幸なことに、エーフィは弓を愛してはいたが、弓で射られるもののことには考えが至っていなかった。
「う、ううぅ……」
体の震えに加え、なぜか視界まで歪む。視界をゆがませたのは怯えの水ではなく、失望の水だった。
この状況下にあって……意図的ではなくとも自分を立ち上がらせてくれた少年の危機にあって、まだ覚悟ができない自分のふがいなさに絶望した。
腕の震えに加え、視界まで歪んだのではもう絶対に矢を当てることはできない。
それに、仮にあたったとしても、野盗がその痛みに耐えて、少年を捕まえれば意味がない。少年は人質に取られ、野盗には自分の怯えがいずればれて形勢逆転。
そうなったら少年はどうなる? 自分はどうなる? たかだか素人相手に怯えてしまったことにより、親衛隊の地位は地の底まで落ちるのだろうか?
それらが頭に浮かび、エーフィはさらに闇に飲まれていく。
ぽちゃり……と、小さな音が響いた気がした。それは本当に小さな水の音。例えるなら、静かな静かな場所にある湖に、小石が投げ入れられたかのような無粋な音。エーフィは間違いなくその音を聞いた。
しかしその音のことはすぐに忘れてしまう。その音を塗り替えるように、ある声が聞こえてきたからだ。
『矢を当てるだけでは無意味だ』
「え……なに?」
不思議な体験。周りに人がいないと言うのに、なぜか誰かの声が聞こえた気がした。
『あの男は極度の興奮状態にある。平常時なら矢が当たった痛みに地面に転がり、悶絶して悲鳴をあげる。だが、今のあの男の状態なら痛みをはねのけ、少年の場所まで至って少年を人質に取る』
二言目が聞こえた。やはり周りに人はいない。自分以外に人はない。エーフィは思った。
幻聴だ。
『腕に当てても無意味だ。肩に当てても無意味だ。背中に当てても無意味だ。足に当てても、少年の立っている場所までは何とか至るだろう。それを絶対に保障する』
幻聴など初めて聞いた。心を病んだ人間は、幻聴や幻に苦しむと聞いたことがあるが、自分は今それほど追いつめられているのだろうか?
無視したかった。だがなぜかできなかった。
閉塞感にさいなまれたエーフィは、相談できるなら誰でも良かった。幻聴に耳を貸し、心を壊しても、それで少年が救えるなら構わないと思った。
(当てるだけなら無意味というなら、どうすればいいのですか?)
『殺せ』
幻聴の答えは単純であり残忍だった。
『殺す以外にお前があの少年を助ける手はない。命を奪え、息の根を止めろ、絶対に行動不能にするなら殺すのが一番だ』
(殺す……のですか……?)
『お前は今怯えている。だが殺す時の感情に怯えは邪魔だ。むしろその感情を逆転させて、楽しまなければならない』
幻聴はその不気味さにふさわしく、恐ろしいことをエーフィに囁く。
(楽しむなんて!)
『お前はこれからたくさん人を殺す。お前が選んだのはそう言う仕事だろう? お前はそのたびに怯え、震え、迷い、悩むのか? そんな軟弱な人間がその仕事が務まるのか?』
声に反論したかった。だができなかった。それは的を射た指摘だとエーフィには思えたからだ。
親衛隊は武器を持つ。飾りではないんだ。本物の武器を持って戦い、時には命を奪うことだってあるはずだ。
エーフィはそのたびに悩むのだろうか? そのたびに怯えるのだろうか? そんなことをしているうちに仲間や主は殺されてしまう。
現に今日だって、エーフィが怯えてしまったからモニカやクララはここに居ないんじゃないか。さっきまでそれを自分自身が恥じていたはずじゃないか。
そんなざまなら……確かにまだ楽しんで人を殺した方がマシなんじゃないか?
『楽しめと言われてすぐには楽しめないだろう。楽しみというのは、その行為を繰り返し、その中に面白さを見つけて初めて味わう感情なのだから。だから、今その一回目を味わおうじゃないか。顔をあげてみろ』
幻聴に言われるままに顔をあげる。そこには野盗が少年にかけて行く後姿があった。恐ろしくゆっくりで、矢を当てるのは難しくはなさそうだった。
『矢を放って命を奪え。今楽しむことができないなら、他の理由を付ければいい』
(他の理由……)
『あの野盗は罪人だ。他者を武器で脅し、金品を巻き上げ、それで豪遊を繰り返す犯罪者だ。今はさらにあの少年を捕まえ、人質にするつもりですらある。どうして殺してはならないんだ?』
そうだ。野盗は罪人だった。しかも、生活がどうしようもなく行き詰った末に犯罪をしたのではない。労働から逃げ、義務から逃げて犯罪に至った。それを殺すのにどうして迷うのだろう? むしろ、殺さなくてはならないはずではないだろうか?
また、エーフィは親衛隊のはしくれでもあり、主にあだなす者を殺すのは、エーフィの義務のはずではないだろうか?
幻聴の指摘は極めて正当。反対する理由などなく、積極的に賛成し、エーフィはそれを行動に移すのが正しいのだ。
『何を悩む? なぜ迷う? お前は人を助けようとしていると言うのに? あの人間を殺すのは絶対に正しい。あの者を殺して称賛されることはあっても非難されることはあり得ない。助けられた少年はお前に感謝し、礼を言うだろう。仲間達は手を叩いてお前を讃え、褒めるに違いない。主であるノルベルトも、まだ候補者のお前達を危険に巻き込んだことをわび、人を殺すまでになったお前の成長を喜ぶはずだ。ならば、その矢を向ける場所は決まっている』
エーフィは弓を構えたままだった。矢を向ける場所というのはどこだろう? 考えるまでもない、あの野盗の命を確実に奪える場所だ。
『首が確実だ。頭では頭蓋骨がうまく矢を弾いてしまうこともあるからな。首に突き刺さればその場で声にならぬ悲鳴を上げて絶命する』
エーフィも同じ考えだった。首なら間違いない。ただその範囲は狭い。
『体の震えが邪魔だと言うなら止めてやろう。視界が涙でゆがんでいると言うなら晴らしてやろう。後はお前が矢を放つだけだ』
……幻聴というのはこういうものなのだろうか? やけにはっきりとした声で聞こえるし、力強く意見を述べてくる。
その声には力が宿り、体の震えを止めると言えば体の震えが止まり、視界を晴らそうと言えば視界が晴れた。ただの幻聴にそんなことができるのだろうか? 体の震えを止めることができるのは、エーフィだけのはずなのに……。
(……あ)
そして、エーフィはあることに気付いてしまう。幻聴が普段よく聞いている声によく似ていることに。
なのにエーフィは今の今までその声が誰の物に似ているか気付かなかった。なぜなら、それは普段よく聞いているはずなのに、聞き覚えがないものだったからだ。
普段聞いているのに聞いたことがない声。それはこの世で一つしかない。
(私の声に……よく似ている……)
そんなはずはない! 自分はこんな恐ろしいことを考える人間ではない! こんなことを……考えるはずが……。
しかし思った。弓を構えている時の自分。表現の違いはあれど、少年を始め今までいく人もの人間に、『怖い』と思わせてきた自分ならば。自分自身……『人を殺してもおかしくない』と思ってしまったあの自分なら、こんな残酷なことを考えたとしてもおかしくない。
『さあ殺せ! お前がそのまま弓を放てば、絶対にあの人間の命を奪えることを保証しよう』
「……あはは、私はこんな人間だったのですね」
もう体に震えはない。視界は晴れている。頭は迷いどころか何も考えていなかった。絶望なのか悟りなのか。とにかく矢で野盗の首を狙っていた自分が居た。
『――』
「え……あれ? 痛ッ!」
もう一度幻聴が聞こえた気がした。しかしその言葉はよく聞こえなかった。なぜなら、腕に激痛が走って意識を全部持っていかれたからだ。エーフィはその痛みに耐えかねて、思わず手を離してしまう。
「ぐわぁああ! くそがぁ、いてぇええ」
矢は野盗の肩に命中した。しかし野盗は幻聴の言っていた通りそれで止まることはなく、少年に向かって駆けて行く。
「ああ!」
エーフィは次の矢に手を伸ばすが、間に合わなそうだった。
「そこまでよ!」
「なッ!」
野盗は少年の元まで至れなかった。少年と野盗との間に、刀を構えたクララが立ちふさがったからだ。
「間に合ったみたいね。ふぅ……大人しく投降しなさい」
よほどの勢いで走ってきたのだろう。髪が乱れて、あちこちに枯れ葉がくっついている。
「け……ッケ! 口だけ女じゃねーか! さっき思い出したんだよ。数ヶ月前に女の親衛隊試験があったばかりだってことをな。三次試験はそれまでの体力試験を考えないで、筆記だけで採用したらしいな。お前がそうだろ!」
クララはモニカよりは動きが鈍く、エーフィよりは武器の練度が低い。その点を見られて、クララが体力試験で採用された人間でないと推測したのだろう。
「だったら何か?」
「なら俺達と変わらねぇ! むしろ男の俺の方が強いはずだ! びびりゃしねーぞ!」
「確かに私は弱いわ。だからこそ、あなたを生かしてとらえるような余裕はないの」
「な、なんだと……?」
クララの目が鋭くなる。あの時、口で野盗を圧倒したあの目。野盗はその目に睨まれてたじろいだ。
「肩に矢が刺さっているあんたになら私は絶対に負けない。でも私は、あなたを生かしてとらえるだけの余裕はないわ。だから、あなたを殺す!」
「ま、待てよ! 人を殺すのが怖くねーのか!?」
「怖いわ」
クララは怖いと言いつつも、怯えの感情はない。
「怖いに決まってるじゃない。どんなに理由を付けても、それは罪であって背負わなくてはならないものだわ。でも私達はそれをしなければならない。私は親衛隊試験に合格したあの日に覚悟したつもりよ!」
その言葉に、エーフィが胸を締め付けられる。クララが言っている相手は野盗であってエーフィではなく、胸が痛くなるのは野盗であってエーフィではないはずなのに……。
「私は殺す覚悟を決めている。あなたも殺される覚悟ができたならかかってきなさいッ!」
「ぐ……ぅ……」
クララは眼力で野盗を圧倒した。ノルベルトほどの覇気は無理でも、クララの覚悟を決めた言葉には、犯罪に逃げた人間を屈服させるだけの信念は確かにあった。
「……投降する」
野盗はクララに負けてひざを突き、クララがそれを縛りあげる頃には、モニカ達も声を聞いてやってきていた。
「大丈夫ですかエーフィさん? エーフィさんが肩に矢を当てていてくれたから勝てました。さすがですね!」
エーフィは再びへたり込んでいた。その近くにクララが駆け寄ってきてねぎらってくれる。
(違う……)
「弓のおねえちゃーん!」
怯えて動くことができなかった少年が、助かったと分かってエーフィの元にやってくる。
「ありがとうお姉ちゃん。お姉ちゃんがいなかったら僕どうなってたか……。助けてもらったのは二度目だね。あはは」
(そうじゃない……)
「それから剣士のお姉ちゃんも……」
「違うんです……」
エーフィが一言呟いた。クララと少年。そして、その場に集まってきていた全員がエーフィの声に振り向いた。
するとエーフィは全員がこちらを向いていることに気付き、大声で泣き始めた。
「違うんです! 私は褒めてもらうようなことなんて何もしていないッ! うわぁああぁぁああん!」
「え、え? どうしたの?」
状況が分からないモニカが、クララに対してそう言った。だが状況が分からないのはクララも同じだ。
「わ、分からない! 急に泣きだしてしまって……エーフィさん? どうしたんですか?」
「弓のお姉ちゃんどうしたの?」
全員が突然泣き出したエーフィに困惑して、励ましたり、背中をさすったりしている。
その中で、ノルベルトだけが何かを考えるように空を見上げた。すると狭い空に鳥が一羽横切って行くのが見えた。




