第十三話『構図』
「全員道具は行き渡ったな? それではこれから試験を開始する。時間はそれほど精密に測らんが、他の種目と並行して行うため、制限時間はおおよそ三時間だと思え。だが先ほども言った通り、この試験では速さと正確さを求める。早く絵を完成させた者には加点する。描く対象は風景。特に場所は指定しないが、ここから見える範囲で描いてもらう。では始めッ!」
試験官の合図とともに、全員が一斉に鉛筆を動かし始める。
だが全員表情が厳しかった。試験内容に疑問を抱かずにはいられないというのが大きいが、絵を描く行為そのものに戸惑ってしまう。
紙なんて貴重な品物だし、字を書く必要がないなら筆すら持たない。そんな人間がいきなり鉛筆と紙を渡されて絵を描けと言われても、出来上がるものなどたかが知れている。
それでも全員必死に鉛筆を動かした。それで親衛隊になることができるならばと、一心不乱に手を動かす。
そんな中にあって、カルラだけが道具を手に持ってうろついていた。
道具を渡されてから……いや、種目が絵だと分かってから、カルラの気持ちはずっとふわふわしていた。
絵が描ける。しかもこんなに大きな紙に描けるのだ。ある程度テーマが決められてはいるが、その範囲なら自由に描いていい。絵を描くなと言われるよりよほどましだ。
テーマが決められているとは言っても、題材くらいは自分で選びたい。カルラはそう考えて描きたい風景を探して彷徨っているのだ。この大きなキャンバスに鉛筆を数本も使って書くに値する風景を……。
しかしここは人払いされた闘技場の中。この中で歩き回っても、カルラが求める風景を見つけるのは難しい。
「……あ」
だがカルラは見つけた。少し歩き、周りを見渡すとその風景が見つかった。カルラはそこに座り、少し構図を考えてから、ようやく鉛筆をキャンバスの上に走らせ始めた。
* * *
「で、出来ました!」
試験開始から数十分後。気まずい沈黙を破って、一人目の終了者が出た。
「よし、見せてみろ……ふむ」
試験官が終了を宣言した者に近づき、その絵を覗き込んだ。
はっきり言ってしまえば下手糞だった。一体何を描こうとしたのかすらわからない。仮にも数十分時間をかけたとは思えないような出来だ。
「あの……結果は結構です。正直合格できると思えません……」
この絵の作者は、真っ赤になった顔を見られまいとして試験官から顔をそむけ、試験を辞退すると告げた。
どうやら描き始めたはいいが、あまりの絵心の無さに気付き、早々に諦めたらしい。しかし、数分で終了を宣言するのは躊躇われたため、時間が経つのを待っていたのだろう。
「私もこれで完成です。結果はいりません……」
「わ……私も終わります。あ、あの……できれば絵は見ないで頂けませんか……?」
一人辞退する者が現れると、それにつられるように辞退者が続出する。それでも希望を捨てず、作品を出品する者も現れたが、お世辞にもうまいとは言えないような代物だった。
一時間も経つと、受験者の半分以上が絵を完成――投げ出したとも言う――させて終了した。残りの者達 も、もうほとんど鉛筆は動いていない。ただ、目の前の何とも形容しがたい黒い染みを、少なくとも作品と言えるような代物に昇華させるにはどうすればいいかを考えているだけだ。
呻り声があたりに響く中。一か所だけは、カリカリという鉛筆がキャンバスを撫でる音がしていた。音は均一でなく、削り込むように鋭い音や優しく撫でるようなやわらかい音が波のように混じる。
そして、みんな苦悶の表情を浮かべる中、カルラだけが無表情に筆を動かしていた。いや、無表情ではない。わずかではあるが口が緩み、喜びを表現している。
* * *
「……もう無理ッ! 絵なんて描いてられない!」
受験者が突然叫び、自分が描いていた絵を蹴飛ばした。荒々しかったが、試験官はそれを試験辞退と受け取った。
「脱落……と。これで残りは一人か……」
試験官は脱落者の名前に横線を引き、まだ残っている最後の一人を見た。
時間はもう二時間半が過ぎている。もう終了してもいいくらいの時間だ。速さも求めると言った以上、よほどの絵を持ってこなければ合格はあり得ない。現時点で合格候補の絵も、ある意味あり得ないできなのだが……。
しかし、最後の一人はしぶとい。これだけ時間が経っていると言うのに、今もせわしなく鉛筆を動かし続けている。よほど親衛隊になりたいのか、それともお粗末な絵を見せるのが恥ずかしいのか……。
「おい、そろそろ終わらせよう」
「ん、ああ……」
試験官がカルラを見つめていると、別の試験官が時計を持ってやってきた。どうやら終了の時間らしい。
「では行くか……笑うなよ?」
試験途中。下手な絵を見て思わず吹き出してしまった試験官がいた。笑われた絵を描いた受験者はその場に塞ぎこんで号泣。あたりには何とも気まずい雰囲気が漂ってしまった。
二人は舌を噛む準備をしてカルラの元へ向かう。カルラは、試験官が近寄ってきても鉛筆を止めようとはせず、顔だけをこちらに向けた。
「……終了の時間ですか?」
「カルラ・ビショフ……だったな? 最終試験は終了だ。作品を見せよ」
「……」
はっきりと終了を宣言されると、カルラは惜しむように手を止めた。そして寂しげに自分のキャンバスを見つめる。
「自信がないか? 何、他の絵を見れば落ち込むこと……など……」
試験官はおかしなことに気付いた。それは些細な違いだったが、他の受験者の誰とも光景がかぶらなかったため、不思議と目を引いたのだ。
「どうした……?」
もう一人の試験官は気付いていないようだった。だから、その違和感に指をさしてそれを伝えた。
「鉛筆か? それの何がおかし……ん?」
もう一人の試験官もそのことに気付く。カルラの持っている鉛筆が、異常に短いということに……。
鉛筆は数本渡した。正直そんなに必要ないだろうとは思ったが、芯が折れた時に交換するのが面倒だと思ったので多めに渡した。一本書けなくなったら次の鉛筆を使えばいい。わざわざ削る必要なんてない。だから、鉛筆の長さが短くなるなど、本来ならあり得ないのだ。
それなのに、カルラの鉛筆は短くなっていた。しかも、渡したうちの二本はほとんど限界まで短くなっている。
「なぜ……?」
「おお!?」
試験官が鉛筆に疑問を持っていると、もう一人がカルラの後ろに回り、その絵を見て声をあげた。
(……なんだ?)
鉛筆に気を取られていた試験官が怪訝な顔をして、声をあげた方の試験官を見た。すると、声をあげた方の試験官は、目で『この絵を見てみろ』と言ってきた。どんな絵が書かれているんだろうと思いながら、試験官はカルラの後ろに回り込んだ。
「……これは」
圧巻だった。絵を見た瞬間目を疑った。そこには、何処までも細かく精密に描かれた絵があった。
絵は白黒だった。鉛筆は黒以外描くことができないのだから当然だ。しかし、微妙な力加減で、描かれた場所の明暗がはっきりと分かる。何処が明るい色で何処が暗い色か。何処が濃い色で何処が淡い色なのかが良く分かるのだ。
建物の描き込み、遠近感も見事だった。細かい……本当に細かいところまで緻密に描きこまれている。
そして、何より驚くべきことは、人が描かれていることだった。それも、大勢だ。苦悶の表情を浮かべながらキャンバスに向かう受験者達、一列に並び、受験者達を眺める試験官達。
近くのものは大きく、離れた者は小さく描かれ、そのどちらも一分の手抜きすらなく描きこまれている。他の者達は、長時間かけて書いたとは思えないような出来なのだが、カルラの絵は本当に三時間程度でこの絵が描けるのかと思ってしまうような絵だった。
「そうか……これを描くためか……」
カルラは道具を渡された場所から移動し、わざわざ一番奥まで行って絵を描き始めた。なぜそんなことをしたのだろうと試験官は不思議に思ったが、人間を描くためだったのだ。それも、出来るだけたくさんの人間を描くために、全員を見渡せる奥の方まで移動したのだ。
これだけたくさんの人間を描いていると言うのに、手を抜いている気配はまるでない。しかも、どの人間も的確に特徴をとらえており、名簿を見れば全員の名前を言うことだって可能だ。画力はこの上なく合格点だ。
「……カルラ・ビショフ。剣を見せてみろ」
試験官はあることに気付き、カルラに剣を抜くように指示した。
カルラは言われたとおり、腰にさしていた剣を抜いて見せる。
「やはりな……」
カルラの剣の刃には、鉛筆を削った時についたと思われる、黒い点がいくつも付いていた。芯が折れたから一度削りなおしたというものではない。恐らく、鉛筆の先が丸くなり、細かいところを描きこむには向かなくなったので何度も削りなおしたのだ。
「鉛筆は消耗品だ。しかし、貴重なものでもある。この絵には、数本使いきるまで削る価値があったのか?」
試験のためなのだ。鉛筆くらい何本消耗しても構わない。だが、試験官はカルラを試すためにあえて質問した。
「……どうせ描いた後に回収されてしまうなら、贅沢に使おうと判断しました」
「……ほう?」
カルラの回答は、試験官の求めていたものではなかった。そこは、『ノルベルト様のためになら、鉛筆を限界まで使い切る価値はあったと思います』と答えて欲しかった。そこまで媚を売らなくても、試験のためになら仕方ないと答えるべきだ。
しかしカルラの答えには、媚どころか『試験』という単語すら混じらなかった。ただ、絵を描きたいと言う我欲だけしか感じられない。
試験官は迷った。画力は間違いなく一番ある。しかし、終了間際までひたすら書きこんでいたと言うのは、指示を無視していたともとれる。合格に十分な程度の絵はもっと早く描けていたはずだからだ。
それに、ただ絵を描きたかったからぎりぎりまで描いていたともとれる発言をしている。少し試験官同士で検討したい。
「合否は少し検討させてもらう。しばらくそのまま待っていろ」
試験官はそう言ってその場を去ろうとする。すると、カルラはその試験官の背中に声をかけた。
「あの……まだ描いていてもいいですか? 描きたりない場所があるので……」
試験官は言葉を失い、しばらくそんなカルラのことを呆然として見ていた。
* * *
「検討した結果。お前を合格者とすることにした。ただし、親衛隊になってから指示を守れないようなら、即刻故郷に帰らされる可能性があると言うことは理解しておけ」
検討時間はせいぜい三十分ほどだった。性格には難があるが、他の有象無象の絵を見れば、カルラを合格させないわけにはいかないだろう。後は、親衛隊の訓練の時に指示を守るように教え込めばいい。試験官は少しそのことに対して釘をさしておく。
「……?」
カルラは最初、合格が何のことなのか分からなかった。絵を描くことに合格なんて概念があるなんて理解できなかったからだ。
「あ……ああ。……ああ!?」
しかしやがて、いま自分が絵を描いていたのは、親衛隊の試験のためだったことに気付き、声をあげた。
「合格……ですか?」
「そう言っている」
試験官がはっきりと頷き。カルラは自分が合格したことをやっと理解する。
だが、不思議と喜びは湧かなかった。ついさっきまで、もっと大きな幸せに包まれていたせいで、試験に合格したという喜びがどうも小さい。
(でも……これであの町から……)
あの町と両親から解放される。絵を描くなと命令するあの人達、絵を描くことを嫌っているあの人達から解放されるのだ。
そう思った時、カルラの中にようやく喜びが灯った。そして、それと同時に一つの不安を覚えた。
「ではこれから城に行って……」
「あ、あの……」
カルラはその不安を解消するために、試験官に直接聞くことにした。
「なんだ?」
「し、親衛隊になっても……絵を描いていいんですか?」
カルラのその質問に、試験官は苦い顔を浮かべる。試験に合格したと言うのに、確認するのはそのことなのか?
「ここだけの話だが、試験内容を決めたのはノルベルト様だ。恐らく何らかのお考えがあってこんな試験にしたのだとは思うが……。少なくとも、ノルベルト様は絵を描けるものを所望してらっしゃると理解していい」
試験官は声を小さくしてカルラにだけ聞こえるように言った。
実は試験官達は絵に関しては全くの素人ばかりだ。絵に興味などないし、絵を見るセンスもない。ノルベルトに『絵で試験をしろ』と命令されたからその通りにしただけだ。城の中に絵の知識がある者がいなかったため、仕方なく素人ばかりの判断になってしまった。だが、他の有象無象の作品に比べれば、カルラの絵がうまいのは明らか。少なくとも素人にはそう見える……。
「ノルベルト様……」
カルラは自分が仕えることになる主の名前を呟き、遠くに見える城に顔を向けた。
「質問は以上か? ではここからは城に案内をさせるから……」
試験官の言葉は、ぼんやりとしか頭の中に入ってこない。
今カルラの頭を埋めているのはただ一つ。ノルベルトへの興味だけだった。そう言えば、親衛隊になろうとしていたくせに、ノルベルトに対して今の今までまるで関心が無かった。
国に詳しい両親なら何か知っているのだろうか? 今になって、まじめに両親の愛国談義を聞いていなかったことを少し後悔していた。
* * *
「これが、私が受けた四次試験の内容……」
「わぁー、絵を描くのが試験の内容だなんて、素敵だね」
城の中の親衛隊宿舎。その一室に、カルラとモニカ、そしてクララが椅子に座り、話をしていた。内容はカルラが受けた四次試験についてだ。
カルラはモニカと打ち解け、モニカがそのことを自慢げにクララに話しているうちに、クララとカルラの間にもつながりができた。そして、カルラは四次試験のことを話してくれたのだ。
「でも、正直笑われると思ってた……」
カルラがそう呟いて俯いた。その言葉の意味が理解できなかったモニカが、首を傾げながらカルラに聞き返す。
「? 何が?」
「勉強ならともかく、絵なんて役に立つと思えない。そんなので合格したって知られたら、馬鹿にされるんじゃないかと思って……」
モニカはそんなことないと言いかけたが、上手くそれをフォローできる理由付けが思い浮かばず口を噤んでしまった。
絵は一体何の役に立つんだろう? もちろん、上手い絵は人を感動させるし、それ単体では素晴らしいものだと思うが、親衛隊に必要かと言われると……。
「偵察させる時には役に立つでしょう?」
モニカが上手いフォローができずにいると、クララがそう言った。
「偵察……」
「王族直属の親衛隊は、超少数精鋭の私兵部隊と言われているわ。だから、さまざまな技能を持っていることが求められる。ノルベルト様は王位を継がないとなれば、国のルールに従って城を出てどこかへ行かなくてはならない。その出て行く場所を選ぶ時、言葉だけじゃなくて絵があれば便利だとは思わない? それ以外でも、物見の仕事をする時にも絵が描ければ役に立つわ。だからこそ、試験内容が『早く正確に風景画』だったんだと思うわよ? 素早く的確な情報を拾い上げ、それを届けて欲しいのよ。多分……」
モニカはやはり半分くらいしかそれを聞いていなかった。とにかく、親衛隊として絵を描く技能が無駄ではないらしいということだけ理解する。
「ほらカルラちゃん、絵は無駄なんかじゃないんだよ。クララちゃんの言うとおり、必要なものなんだよ」
「……」
カルラはまた俯いた。しかし、今度は顔を赤くして照れたような表情をしている。どうやら、カルラは褒められるのに慣れていないようだ。
「もう、大丈夫? 今日は寝ましょうか」
クララは気遣うようにカルラの傍に近寄って肩を抱いた。そして、カルラにしか聞こえないように呟く。
「モニカが寝たら、モニカの寝顔を描いてくれない? あ、もちろんお礼はしっかりするから……」
「え……?」
落ち着いた性格をしていると思っていたクララが突然そんなことを言ってきたので、カルラは驚いてクララを振り返った。すると、クララは涼しい顔で平穏を保っている。
「……じゃあそろそろ窓を閉めるわね」
(……たぬきだ)
自然な仕草で離れるクララの後姿を見ながらカルラはそう思った。
「ね、ねえカルラちゃん。ノルベルト様の顔覚えてる?」
クララが離れたかと思うと、今度はモニカが傍にすり寄ってきてカルラに声をかけてきた。
「もし……本当にもしよかったらでいいんだけど! 描いて……くれないかなー? なんて思ったり……。お、お礼はもちろんするよ! うん!」
モニカが顔を赤くして、何とも分かりやすい表情でノルベルトの似顔絵を頼んできた。
(……似た者同士か)
二人の思いはすれ違っているようだけど……と、カルラは心の中で呟いた。
「ふー、いい風が入ってくるわね」
クララは窓を閉める前に窓から入ってくる風を全身で受ける。そして、城の方を見て難しい表情をする。
(絵を早く正確に描く技術は確かに役には立つ。でも、さすがに親衛隊に求められる内容ではないわよね? 一体何の狙いがあるのか……)
カルラは自分以外の四次試験の内容については語らなかった。『本人に断りなく話すのはためらわれる』からだそうだ。
カルラは馬鹿にされるのが怖いから話すのをためらっていた。つまり、他の四次試験の内容も、絵を描くと同様、かなり意外な種目だったと想像できる。
「あなたの狙いは一体どこにあるのですか? ノルベルト様」
まだろくに顔も覚えていない自分の主に向かって、クララは小さく問いかけるのだった。