第十二話『三次試験』
カルラは早朝に目が覚めた。
そのままむくりと起きだして、試験の準備を整える。
「……よし」
カルラは顔を洗って気合を入れる。
今日があの両親から解放される第一歩だ。親衛隊になれば、あの町と両親から解放され、自由に絵が描けるようになるのだ。住む場所はこの中央。何もかもそろっているこの街には、自分の故郷には無かった画材屋がある。親衛隊になってこの街に住み、休みには画材屋に行って新作の筆を見て回るのだ。
「行こう」
カルラは小さな闘志を燃やし、準備をした道具を持って部屋を出て行く。
親衛隊試験に合格して両親から解放される。一次試験を終わらせたら、画材屋に行こう。昨日のお礼を言って、絵を描くための紙を買うんだ。
* * *
夜。カルラは宿屋の机に突っ伏して落ち込んでいた。今日は財布を落としたわけではない。財布は今もカルラのポケットの中にある。落としたのは……。
「落ちた……」
カルラは一次試験であっけなく不合格になった。
あの人の多さを見た時から嫌な予感はしていた。正直第二王子だし、親衛隊になりたいなんて人間はそうはいないだろうから、あっさり合格するんじゃないかと高をくくっていた。
しかし実際はあの人の多さだ。面くらったまま一次試験を受け、不合格の紙をもらって宿に戻ってきた。
画材屋に行く気も起きなかった。カルラの予定では、昨日のお礼と一緒に一次試験の合格報告をするつもりだったのだ。国に財布を届けたということは、カルラが親衛隊試験を受けに来たのだと気付いた可能性が高い。会いに行けば間違いなく今日の試験結果を聞いてくる。そこで不合格報告をするのは何ともみじめな気がした。
だが、順当な結果かもしれない。何しろ今までずっと日陰の中で暮らしていたのだ。ちょっと剣を振りまわす練習をしたくらいで合格するはずがなかったんだ。両親から解放される方法は他を探そう。
一次に落ちたのだから、もう中央に留まる必要はない。明日にでも帰っても構わないのだが、三日間は安く宿に泊まれるのだという。明日すぐに帰ったら、一次にすら通らなかったのがばれてしまうし、試験は最後まで見学して行こう。町に帰ったら、一次には通ったけど二次で落ちたと嘘をつけばいい。
カルラは自分の中で結論を出すと、昨日もらった絵の道具を手繰り寄せた。
紙はもう全部真黒になっていて描くことができない。昨日のうちにそれだけ描きこんでしまったのだ。
今日試験の帰りに画材屋で新しい紙を買う予定だったが、恥ずかしさに負けて行くことができなかった。やはり行けばよかったかも……。
町に帰る前に画材屋に寄ろう。そしてお礼を言うんだ。試験のことを聞かれたら堂々と不合格になったことを伝えればいい。カルラはそんなことを考えながら、今日は眠ることにした。
* * *
「三人目の合格者は……モニカ・ライヤーだ。前に出よ!」
「ふーん……」
カルラは観客席から、ぼうっと合格者の発表を見学していた。三人目の合格者は、カルラには少し意外だった。確かに目立ってはいたが、ちょっと天然ぽい少女だったからだ。悪人には見えないからという判断だろうか? 気絶した対戦相手の服を掴んで、ガクガク揺らしているのを見た時は悪魔かと思ったが……。
三人目の合格者は、なぜか少しまごついた後、前に出た。試験官から紙をもらってどこかへ向かう。
試験官は三人目の合格者に紙を渡した後こちらを振り返った。カルラはてっきり試験の終了を宣言するものだと思っていた。だがその予想は外れた。
「これより第三次試験を行うッ! 三次試験は知力を図る。対象者は、今現在も親衛隊になりたいと考えているもの全員だ」
カルラは試験が終わったものと思っていたから、出口に向かいながらその言葉を聞いた。そしてその言葉を聞いて立ち止り、試験会場を振り返った。
不合格になった者達がざわついている。ざわついているのは不合格になった者だけではない。観客席に居た民衆もざわついている。
「言っておくが、読み書きすらできないものは参加しても無駄だ。学力試験の合格者は一人しか出さん。この言葉の意味が分かるな?」
男の親衛隊の試験の時は、七人合格者を出したと聞いている。つまり、三次試験の後に四次試験も行うということだろう。学力に自信がないものは、素直に四次試験まで待てということか……?
「試験用紙には限りがある。受付は早いもの順だぞ? 用紙が無くなった時点で受け付けは終了だ」
「まずい!」
カルラは標準以上の学力はある。身体だけをきたえていた人間よりは頭が良い自信はある。だから、三次試験は受けた方がいい。
カルラは試験会場まで飛ぶように走り、なんとか用紙を手に入れて受付を済ませた。
* * *
ざわざわと周りが騒がしい。記述試験だというから、試験会場を移動して静かな場所で三次試験を行うのだと思ったらそうではなかった。
試験会場はそのまま。観客席もそのままの状態だった。観客が大声で話していても、試験官はそれをとがめない。だから、非常にざわついた環境で試験を受けなければならなかった。
(集中できない……)
カルラはいらいらとしながら筆を握っていた。普通筆記試験って言うのは、静かな環境で行うものじゃないのか? できるだけ集中できるように環境を整えるべきだろう?
そう考えているのはカルラだけではないらしく、他の受検者達もイライラとしながら問題を解いているようだった。平然とした表情で筆を動かしている物も数名いるが……。
(とにかく問題を解かなくては……)
カルラはそう思い直して問題を睨みつける。両親のスパルタ教育を想起してしまって気分が悪かったが、それを何とか押しのけて筆を動かす。これをクリアすれば両親から解放されるのだから。
問題はかなり多かった。序盤は読み書きができれば難なく回答できるものばかりだったが、先に進むにつれて難易度がどんどん上昇して行く。中盤時点で、かなり勉強していなくては解答できないような問題がちらほらと出てきた。
(これじゃ文官の試験と変わらない……)
事実それだけの難易度があった。カルラがいつも間違えてしまうような問題がいくつも現れはじめ、筆の動きが鈍る。終盤に差し掛かると、もはや出題の意味すら理解できなくなり始めた。
しかし、周りの人間は勉強なんてしてこなかった者ばかりのはずだ。カルラがちらりと周りを見回すと、他の受験者も苦い表情を浮かべて考え込んでいる者ばかりだった。一人だけ涼しい表情で筆を動かし続けている者がいたが、あれは諦めて適当に書きなぐっているだけだろう。この問題を前にして冷静でいられるというなら、よほどの天才か、問題の難易度を理解できない馬鹿だけだ。
(……なんだこれ?)
カルラがふっと最後の問題を見ると、そこには至って単純な問題が一問書かれていた。
『この試験を課した目的は何であると考えるかを述べよ』
終盤の問題が考えられないほどの難問ばかりだったので、この問題文を見た瞬間に気が抜けてしまった。記述試験を課す意味なんて、頭が良い人間が欲しい以外に何の目的があるというんだ?
他に解答が思いつかなかったため、カルラはそのまま解答欄にその一文を書き込んだ。しかし、この問題の回答欄は非常に広く、一文書いただけでは何とも寂しく見えた。解答欄の広さの配分を間違えたのだろうか?
しかしそれを考えている暇はない。飛ばした問題がいくつかあるから、制限時間いっぱいまで考えなくてはならない。
カルラは終了のベルが鳴るまで、試験用紙を睨み続けるのだった。
* * *
「筆記試験合格者は……クララ・ネルリンガーだ」
その言葉を聞いた瞬間、カルラは脱力した。正直自信があったのだ。自分は一般人以上には勉強しているはずだし、親衛隊試験を受けにくる者には勝つ自信があった。しかし結果は不合格。自分が大したことない人間だと思い知らされた気分だった。
「最後の問題……なかなか読ませる論述だったな」
「……どうも。首をはねられるのではないかと心配していたので、安心いたしました」
筆記試験に合格した少女が試験官と一言二言言葉を交わしたが、カルラは遠すぎてなんと言ったのか聞こえなかった。
「確かあの子……」
合格したのは、終始涼しい顔で筆を動かしていた少女だった。諦めた悟りの表情だと思っていたのに、本当にあの問題を理解した上で答えていたのだ。もしそうならかなりの天才だ……。親衛隊試験にあんな人間が来るなんて……。
「さて、感づいている者もいると思うが、これより四次試験を行う」
落ち込んでばかりはいられない。チャンスはまだあるんだ。カルラは気を取り直して試験官に目を向けた。
試験官の口が動き、カルラは試験内容が発表されるのだと思った。しかし、そうではなかった。
「四次試験は非公開で行う。見学は一切認めない。受験者以外は早々に立ち去れ!」
「え……?」
ここにきて急に試験が非公開になった。記述試験なんて、見ていても面白くないものですら公開したのに、四次試験は非公開? 何でそんなことをするのだろう?
四次試験の内容の発表までは少し時間がかかった。完全に観客席から人がいなくなるのを待ったためだ。それと、三次試験を棄権していた受験者達も、四次試験を受けるために集まってきたのだが、これの移動にかなり時間がかかった。
「よし、これで全員だな?」
試験会場が静かになり、試験官が口を開いた。いよいよ試験内容の発表だ。
「四次試験は非公開だ。察している者もいると思うが、もし不合格になったとしても他者に内容をしゃべることは一切禁止する。もし喋った場合は、それ相応の罰が下ることを覚悟しておけ」
これは当然だろうと思ってカルラは特に気にしなかった。わざわざ非公開にしたのだから、国はこの内容を知られたくないということだろう。緘口令という奴だ。
「四次試験は三種類行い、各種目から一人ずつ合格者を出す。複数受験することは許さん。そして、これが最終試験である」
その場に居た人間全員が息を飲む。最終試験。これで合格できなければ、親衛隊になることはできない。
そして、わざわざ非公開にした四次試験。それは過酷なものになるのだろうということが、簡単に予想できた。
少し間をおいてから、試験官は口を開いてその内容を発表した。
「四次試験の一つ目の内容は……絵だ」
「「「……は?」」」
その場に気の抜けた声が響いた。絵だって? 絵って言うのはあの絵か? 筆を使って白い紙に森とか人間を描くあの絵なのか?
受験者達が呆れる中、反応は想定済みだったのか、試験官は淡々と内容を発表した。
「受験希望者には大きなキャンバスを一枚と鉛筆を数本与え、制限時間内にできるだけ早く正確に風景を描いて貰う。判定方法は絵をどれだけうまく描けたかで決める。また、速さも求めるため、早く持ってきた者にはそれなりに加点をするつもりだ」
「「「――?」」」
受験者達はざわめいている。この試験内容は明らかにおかしい。間違っても親衛隊に求められる能力ではない。三次試験の記述試験ならば、それなりに理解できる。頭が良い人間が欲しかったんだろうと予想できる。だが、絵は何の役に立つんだ? 親衛隊に絵心なんて必要なのか?
そのざわめきに、カルラは混ざっていなかった。自分の頬をひねって夢でないか確かめ、これが夢でないと理解して頬を赤くした。
試験官が続けて二種目と三種目を発表したが、全く興味を引かれなかった。カルラは迷うことなく、三種目の中から絵を選び。試験官の元へ向かった。
もしかしたら……いや、もしかしなくても、カルラの頭の中にはもう試験のことなんてなかった。ただただ一つの欲望。一つの期待だけが支配していた。
(絵が……描ける)