第一話『悪魔の小石』
一匹の悪魔がいた。
その悪魔は悲劇を好み、己の支配する世界へ頻繁に悲劇の種を投げ入れ、それが育って花開かせるのが楽しみだった。
また、その悪魔は他の世界にも頻繁に悲劇の種をばら撒いていた。
ある時、悪魔は一つの世界に目を止めた。けがれを知らない青く美しい色をした世界だった。
そんな世界にある国では、王族を守るための女性の親衛隊の募集が行われていた。
「お母さん見て見て! クララちゃんが持ってきてくれたの」
どこかの家で、一人の少女が一枚の紙を持って母の部屋に飛び込む。
「……それは何?」
「第二王子のノルベルト様の親衛隊を募集するんだって。採用されれば、私は城に住み込みで働けるし、たくさんお給料も出る。お母さんの生活費と薬のお金には十分なくらいの!」
「モニカ……あなたまさか……」
少女は紙を胸に抱いて満面の笑みで母親を見た。
「私この試験を受けてみる!」
喉かな田舎のとある家の中での暖かいやり取り。病気の母のために、娘が親衛隊に志願すると宣言する光景が写っていた。
悪魔はそんな光景を見て眉をひそめる。
『つまらん』
悪魔は憚りもせずそういった。
『なんだこの世界は? まるで風も吹かず、雨も降らない、森の奥にひっそりと隠れる湖のようではないか。風が吹かないから湖面に落ち葉が落ちることはなく、雨が降らないから水が湖面に落ちることもない。どれだけ見つめようとも静寂を守り、平穏無事なままで変わりがない。揺れもせぬ湖面を見ていて何が面白いというのか?』
闇が嫌らしい笑みを浮かべる。
『私が小石を投げ込んでやろう。湖面に小石が投げ込まれれば小さな波が生まれる。揺れたことのない湖面は、きっとその波に戸惑う。小波はやがて、湖面全体を荒れ狂わせる大波となるか? 投げ込まれた小石は、湖全体を腐らせる毒物となるか? それを見るのはまだ面白かろう』
そういって、一匹の悪魔が小石を拾った。
小石が投げ込まれるのは、女親衛隊を結成しようとしているゲルイセン王国。
その国に住むのは第二王子ノルベルトと、その親衛隊となるべく集まってきた少女達。
投げ込まれた小石は誰にぶつかるのか? 湖面に生まれた波は何を飲み込むのか?
不安定な水面は、人の心によく似ている。ならば、荒れるのはきっと人の心だろう。
人は、悪魔が煽った不安に打ち勝つことができるのだろうか?