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柴野文義という男

「それでも彼女を愛せますか?」にちょこっと出てきて、「自己紹介掲欄載作品」シリーズで活躍中(?)の柴野さんです。(といってもあちらを読んでいなくとも問題ありません)

 ああ、どうもどうも。夜遅くにこんなとこまで……。入ってよ。警備室なんかですまないね。応接室に行く? ここでいい? あ、そう。じゃあ早速はじめようか。

 いやあ、こんな年食った、しかも警備員にわざわざ話を聞きたいなんてね……。アハハ。いやいや、いいのいいの。年寄りだから話せることは昔の話ばかりだがね。

 じゃあさっそく。ええ、なんだったっけ、名物アナウンサー特集だっけ。ああ、そうそう、名アナウンサーの素顔に迫る、だ。いやあ……雑誌の取材なんて初めてなんで緊張するなぁ……いやいや。


 で、誰の話が聞きたいって? やっぱりあれか、坂野美智子アナ? 彼女は凄いよねぇ。まだ三年目だよあれで。近頃の若い人は大したもんだ……え? 違う? あ、わかった、じゃあアレでしょ。ミッキー。水木ゆかりアナね。そう、新人の。いや我々の世代からすると見ていて危なっかしくて、ひやひやする時もあるけどね。でも人気なんでしょ。ほら何ての、天然、そうそれそれ。……え? ミッキーでもない? もっと年輩の? あ、男? ……じゃあ大文字アナか。ニュースの。そうそう。あの声はシブいよねぇ。それで意外に茶目っ気あるしね。


 ……え。誰だって?


 …………柴野アナ?


 ……。

 へえ……。


 あ、いやいや、もちろん知ってる知ってる。柴野文義でしょ。知ってはいるんだけど……。いやもっといるでしょう、若い人が……。あの人私とそんな変わらないよ年。 え? ほんとにあの人の取材に来たの?

 ……まいったなあ。あの人ってことは……そういう話だよな。あんた達が聞きたいような話は……悪いけど俺じゃできないよ。いや知らないんじゃない。できないんだ。

 取材……別の人にして貰ったほうがいいかもなぁ。倉重じゃだめかい? ほらさっきすれ違ったろ。若い警備員。いたでしょ。なんならあいつとシフト交代してもいいからさ。そうだよあいつは新人。年末からだから四ヶ月くらいか。見た目のわりに若くてまだ二十歳だってさ。結婚するんだってよ今度。どうでもいいか。

 いやいや勘弁してよ、俺じゃそういう話は……。あのね、はっきり言うけどさ、なんでよりによって柴野さんなのよ。名アナウンサー特集って言うくせに要はあれか、そういうコーナーか。人をバカにして記事書く、おたくらのいつものやり方かい。わりぃけど、できたら今回はあの人はやめてくんねぇかな。あの人だけは。バカにした記事を書かれんの、いつも嫌なんだよ。


 あ?

 バカにしてんだろうが!


 ……ああすまん怒鳴ったりして。でもなあ、わりぃけどやめてほしんだわ。どうせまたアレだろ? 柴野さんの失敗談あることないこと、面白おかしく書くんだろ? もうやめてくれよ。世間にゃもう溢れてるじゃないかよ、あの人の失敗談なんて。口がすべる、タイミングが悪い、風格がない、……もう聞き飽きたよ。今更その手の記事書いて受けるような人じゃないだろ。

 そりゃあんたらは面白いだろうよ。他人事だもんなぁ。商売だってのもわかるよ。でも俺にはさ、あの人のことで取材に来るのはやめてもらえねえかな。なんでよりによって俺なんだよ。


 ……は?

 悪口を書くつもりはない? …………そりゃ本当か?

 ……よその雑誌とは違う? 本当かよ。にわかには信じられねえなぁ。その言葉本当なんだな? 素顔に迫りたい……てのは。


 でもなあ。

 だとしたら……逆に聞きたいんだが、なんでまた、柴野文義なんだ? よりにもよって。あの人、名アナウンサーとは言えねえだろう、お世辞にも。人気もないし。

 え、何だって。ここの社長から話を聞いてきた? で俺に話を聞けって言われたのかい。参ったなぁ。本当に。おたく社長とどういう……。ああ、そうだよ。社長もまあ、あの人に頭上がらん一人だからね。

 まあ社長だけじゃない。うちの局にはね、実は案外あの人のおかげで今の自分がある、なんて奴が結構いるのさ。


 え? アハハ……いやそこまで持ち上げるつもりはないさ。あの人に欠点が多いのは事実だよ。誰もあの人がアナウンサーのお手本だなんて思ってない。反面教師だと公言してる人も多いさ。だって本当だろ? いやいやいいんだ、そこはいいんだ。世間で言ってることはあってるよ。ダメアナウンサーさ。

 なにせ、見ての通りだ。はっきり言うが、仕事はおそまつよ。俺はこの局ができてから三十年以上警備員やってるが……あんな酷いアナウンサーはいなかったな。なにせ一つも秀でたところがねえ上に、成長しねえときた。未だにとちる噛むは当たり前だし、どうにも仕切るのが下手だよな、司会ごとは向いてねえ。

 アハハ。そうなんだよ。そのわりにバラエティ多いんだよなあの人。いやそれはいたしかたねえんだよ。ニュースはもっとダメだから。ニュースは正確に伝えるのが大事だろ? あの人じゃ不安でしょうがねえ。……くくく。そう笑っちゃ失礼なんだが……まあ事実だからな。いや局内じゃ周知の事実よ。評価が悪いのは局の外でも内でも一緒。

 いやま、バラエティでも、失敗が多いのは一緒なんだけどな。最近よく言う、ほら、空気読めないって奴だろ。いや昔からだよ。もう最初っからいっぺんも空気なんか読めたことなかったよあの人は。

 ま、才能ある奴はどっか少し空気読めてないもんだけどな。ミッキーなんかその典型だろ。

 いやあもちろん、柴野さんの場合は別格だけどな。言っちゃいけないこと言ってゲスト怒って帰っちゃったの、一度や二度じゃねえもん。知ってる? 一部のタレント事務所じゃ、「柴野不可タレント」って言葉あんの。柴野、ふか。可能不可能の不可、ね。意味はね、めったなこと言うと怒っちゃうタレントなので柴野さんが司会する番組には出せません、って意味なの。それくらい問題児なんだよ。


 え? ……あはは、いやもちろんそれは当然の疑問だよ。誰もが思うよな。じゃあなんであの人に番組やらすんだって。

 いや実際ね、あの人クビにしようって意見は時々出るんだよ。まあ言うても日本企業体質だから、クビというより左遷だな。とにかくあの人にもうマイクを握らせるんじゃない、と。

 ところが不思議なことに、その意見に賛同する人はあんまり増えない。そのうち誰ともなく、そこまで言うことはないんじゃないか、て声が出てきてな。結果、あの人は残り続けている訳だ。

 だから、それは結構いるからだよ。あの人に助けられた人が。いや……かくいう俺もそうなんだけどな。そう、社長も。あとは総務部長とか……あははそうだな、考えてみりゃ俺をのぞけば偉くなった人に多いやな。

 どう助けられたのかって? それを話せってのかい。勘弁してくれよ……。社長は話してくれなかったのかい。かぁーっ。あの人もズルいな。

 いやなんで話せねえのかって、要するに俺自身の失敗談だからなんだよな。それもちょっと忘れたいくらいの。社長も同じだよ。

 まいったなあ。ま、いいか。もう二十年前の話だし、時効だよなこれは。一応念押しとくけど、俺のことだってわかるような記事は書かないでくれよ。


 *


 まあそのな……。つまり、不倫よ。とある人妻に入れこんでな、そのな、間男を……。そうよ、旦那のいない隙に留守中に忍び込んでな。え? そういう顔に見えない? うるせえ。二十年前は俺もまだいけたんだよ。

 ところが真っ昼間からよろしくやってる最中に、ピンポーン、とな。うわっ。旦那が帰って来ちまったと思って慌てて、ベランダに飛び出して、裸でな。うるせえ、若気の至りだよ。

 ところがやってきたのが旦那じゃなくて柴野さんだった。マイクを片手に、カメラマン一人連れて、突撃取材ってな雰囲気でな。いや実際取材だったらしいんだけど、本当は某有名俳優の愛人疑惑のある女のとこに取材に行く筈だったのが、あろうことかアパート間違えたらしいんだな。

 そう、突撃取材の相手間違えたの。人違い。

 で、俺がベランダに隠れてる間にその奥さんが応対したんだがな、人違いだ帰ってくれ、いやとにかく話を聞かせてくれと押し問答よ。はなから人違いなんだから奥さんとしちゃどうにも答えようが無いんだが、柴野さんのほうも話を聞きゃしねえ。

 後からわかったが生放送だったらしくてな、どうやら本物の愛人のほうには事前に局から話を通してあったらしくて、突撃取材で見事話を聞きだした、て筋書きらしかったんだよ。まあヤラセだよ。ヤラセはテレビ局の十八番……あ、ここんとこはオフレコな。


 とにもかくにも人違いだから話が通らない。何の話だかわからない帰ってくれと奥さんは言い張ってたんだが柴野さんのほうも放送枠の間に話を聞けなくちゃ困るってんで引かなくてな、押し問答してるうちに、今度は本当に来ちゃったんだよ。旦那が。

 抜き打ち帰宅ってやつさ。どうも前々から間男がいるらしいと疑ってたらしくてな、出勤するフリして途中で戻って来やがった。

 これが柴野さんと鉢合わせしてな、旦那が勘違いよ。おまえが間男かって凄い剣幕でな。そのときになって柴野さんようやく人違いだと気づいたらしくて、すいませんすいませんと平謝りし始めたがこれが逆効果。謝ったら認めたようなもんだからな。旦那の怒りはガソリンぶっかけられて大爆発よ。柴野さんの首つかんで通りまでひきずってってな。殴るわ蹴るわ背負い投げするわの大乱闘。

 これがお茶の間にそのまま届けられちまったってのもとんでもない話だが、どこをどう間違ったか柴野さん、それからしばらくの間、不倫アナウンサーとして有名になっちまってな。テレビでもめっきり姿を見なくなっちまった。

 確かにテレビで放映されたのが「お前人の女房に手を出すなんていい度胸してるじゃねえか」って怒鳴りながら殴られてる場面だから誤解されるのもわからんでもないが、にしたって後でちゃんと放送で間違いがあった旨を説明してるんだぜ? 柴野さんも運がねえというか。


 いやわかってるよ。俺だってさすがに良心の呵責に押しつぶされたよ。人の人生を台無しにしちまったってよ。

 さすがに悪いことをしたと思って、その人妻とは縁を切ってな。それから頭丸めて、柴野さんとこ謝りに行ったんだ。洗いざらい話してな、俺の名前を出してくれても構わないから濡れ衣を晴らしてくれって言ってな。


 ……柴野さんなぁ、なんて言ったと思う? 何の話だかわからないって言うんだよ。俺ははっきり説明したんだぜ。俺があの女のとこに通ってた間男で、あんたは間違えられて旦那にボコボコにされたんだって。ところが、どうも柴野さん、話が飲み込めてないんだな。


 あの人、どうも俺が謝りに行くまで取材先を間違ったことさえ気づいてなかったらしいんだよ。そもそも、自分が取材する愛人がどの俳優の愛人なのかも知らなかったらしい。だからあの日、帰ってきた旦那をその俳優だと思いこんで、愛人宅に取材に来たことで怒られたんだと思って謝ってたらしい。

 しかもな、あの人の信じられねえところはな、あの大乱闘、あれをテレビ局側で仕込んであった「ヤラセ」だと思ってたんだよ。事前にそう聞いてたんですかって聞いたら、いや僕には聞かされてなかった気がするけど、だと。アホか。殴られる奴に知らされてないヤラセなんてありえないだろ。

 どうも柴野さんて人はな、あのころは今に輪をかけて酷くてな、ヤラセの類にまるで向いてねえというか……つまり、事前に聞いた段取りを放送本番には忘れちまうらしいんだな。

 そしてそんな自分の忘れっぽさを理解してるからなお始末が悪い。放送中に予想外のことが起きたとしても、「ああそういうシナリオだったっけ」と思ってそれにのっかっちまう。ある意味アドリブがきくというか、リハーサルが意味をなしてないというか……。


 とにかくそんなんだから、俺が謝りに言った時にようやくいろんなことを理解できたらしくてな、でも怒ったりはしなかった。さんざ暴行受けて結構あざも作ってたくせに、カラカラ笑ってな、「僕もしばらく休暇を貰えて良かったよ」って言われた。休暇を……つまり、仕事をホされてたんだが、あの人の認識では会社が突然休暇をくれたと思ってるらしい。


 いやそん時はこの人は聖人君子なのかと思ったね。こんな菩薩のような人がいるのかと。ま、そりゃかなり勘違いだったみたいで、後から見りゃ単に深く考えてないだけだったみたいなんだが、その時の俺は救われた思いでな。だから俺はあの人には頭が上がらねえんだよ。

 俺はこの人を守らないといかんなと思ったんだよ。この人はどうしようもない馬鹿だが、少なくとも俺の恩人だからな。それが俺がここで警備員をやるようになった経緯さ。


 *


 ……。

 茶、さめちまうぜ。


 ……。

 なんだよ。ああ……そりゃそうか、記事にしにくいわな。不倫だの暴力沙汰だの……もうちょっと書きやすい話はないかって? あんたも贅沢だな。

 そうさなあ、キャバクラで飲んで、ツケをためまくった若い社員が、あろうことかここの名刺渡してて、オフィスにそのキャバクラのママが乗り込んできちゃった件は? ちょうど居合わせた柴野さんが、あろうことか過去にそのキャバクラで酔っぱらって裸踊りやら何やらを披露して出入り禁止になったことがあったらしくて、それを暴露されて大恥をかいてたよ。そっちの話の印象が強すぎて、その若い社員のほうのエピソードはみんなの記憶に残らなかった。……オフレコだけど今の総務部長の話な。後で個人的に聞いたんだ。

 これも記事にしにくいか。そうなんだよなあ。


 そもそもしょうがねえんだよ。そんな格好良い話はあるわけねえんだ。

 あの人のやったことってのはつまり、誰かが何か大きな失敗をした時に、それ以上の大失敗をやって隠しちまうっつうことなんだよ。意図してる訳じゃねえだろうが。

 俺は思うんだがね、あの人には失敗の神様がついてるんじゃねえかな。失敗に関しちゃ、あの人は誰よりも上になるんだよ。一流なんだ。失敗に関しちゃ右に出る者がない。神様に力を与えられてる……。あ、それって疫病神って言うのか。ははは。

 いやいや、俺らみたいな年代の人間だけじゃないよ。若い連中の中にも、あの人に救われたって奴はいる。そうたとえば、さっき話に出たミッキー。あの子の話をしようか。


 *


 ミッキーはな、尊敬する人は柴野アナだってプロフィールに書こうとして止められたくらいだよ。なんで止められたかって? はは、さすがに世間でも残念な人ってイメージが固定化しちゃってっからな。ミッキーぶんむくれてたな。あの子は柴野さんに心酔してるからなぁ。え? 意外だって? そうだろ。

 いやな、もともとあの子は性格的にはあの人とはあうんだよ。似たとこがある。もっとも、だからこそ一緒に仕事をさせてもらうことはほとんどないのが可哀想かもしれねえ。あの二人が組むと面白いけど危なっかしいからな。

 その意味じゃ一緒に仕事をしてるのはここ最近じゃ圧倒的に坂野アナだね。あの子は本当ソツがねえから……柴野さんにゃいい相方が見つかったなって思うよ。坂野アナは大変そうだけどな。ああいや、嫌っちゃいねえんだよ。あの子はカメラの前じゃ結構言うこときつい時あるけどな、根は気だてのいいお嬢さんだ。


 おっとすまんすまん。ミッキーの話だったな。あの子が入社したばっかりの頃の話だ。

 ミッキーは同期の中でもとにかく元気が良くてね、社内じゃ大型新人なんて言われてたんだよ。デビューも早くてさ。早いうちからチラホラレポーターとかやらせて貰ってね、メキメキ頭角を表して……、ほら、覚えてるかな、午前中にやってた情報番組で、なんとかって……名前忘れたけどほら、あったろ。ほら。あったんだよ。

 その中で、十五分くらいのコーナーに起用されたんだよ。毎回ゲスト呼んで話を聞くような単純なコーナーなんだけどさ。ミッキーの初めての生放送だったんだよな。


 ミッキー、そりゃもうはりきってなあ、一生懸命だったよ。それが……マズかった。空ぶってたんだよ。もう見てるほうが心配になるくらいに全力で……。いやもうほんと見てらんなかったのよ。とにかく一人だけテンポが違っちゃってさ。相づちが早い。笑いが早い。それにほら、いつも言うことが斜め上気味だろ? いや、当時はミッキー、優秀な新人つーイメージで見られてたからさ。急に変なこと言うもんで、雰囲気がおかしくなっちまうんだ。

 特に控えめなゲストの場合だと、ミッキーが暴走する、ゲストが戸惑う、の繰り返しで見ているこっちが疲れちまう。朝の番組としてはあれは辛かったな。


 放送三回目くらいでな、もう裏ではこりゃ打ち切りだなって話が出たんだよ。で、もう一回だけ様子見てダメだったら切りましょう、って話になった。

 ミッキー自身もうまくいってないことは自覚してたんだろうな。四回目の放送の時は画面でもわかるくらいに焦りが前面に出てて、怖いくらいだった。もうプロデューサーの中では結論は出てたと思うよ。


 そんでとどめ。

 ほら、二人組のアイドル……名前忘れたけど、いたんだよな当時。赤と青の衣装のさ。それそれ。ティー・アンド・ティーね。高崎と田中だっけ。ま名前はどうでもいいんだけど、あれがその日のゲストで出る予定だったんだよね。それが急に帰っちゃった。ドタキャン。土壇場でキャンセル。

 その理由が、「絡みづらい」だってさ。あろうことか、それを生放送直前のスタジオでミッキー本人に向かって言うんだもの。で、帰る。最近の16歳は怖いよな。あれは大事件だったよ。ちょこちょこ週刊誌には書かれたんじゃなかったかな。あの二人の所属事務所の社長が何度も土下座しに来たけど、まだ出入り禁止解けてないんじゃないかな。あの二人もわりとすぐ引退したなぁ。そういう力が働いたんかな。


 話それたな。いやもう、そのときのミッキー、真っ青でさ。CM入れてる間に泣きだしちゃってさ。無理もねえよなぁ。いや実は俺、非番の時はちょくちょくスタジオ見学させてもらってっからさ。ちょうど見てたんだよ。

 で、思ったよね。ああこの子、もうダメかもしれないな、立ち直れないな、て。いろんな若い子が挫折してくの見てきたけどさ、いやあれは惨かったよね。


 だけどね、そんな風に誰かが失敗する時には現れるんだよ。俺をさしおいて失敗するなとでも言うように。

 柴野アナがなぜか現れた。いやほんとに、誰も呼んでないんだけど、現れちゃった。たまたまスタジオの前通ったら泣いてる新人がいたから寄ってみたって言ってたよ。ふざけた人だよな。

 話を聞いた柴野アナが、なぜか「じゃあ私が代わりにゲストに出ましょう」って。いやあ……正直誰もが思ったよ、意味わかんねぇって。でも結局そうなった。この局って時々、適当なことするのよ。そういう文化がある。というか、あのときはみんなショックで正常な思考力が麻痺してたんじゃないかな。あとあの時のプロデューサー、左遷されたよね。今戻ってるんだっけ? 平賀P。


 で、CMあけたスタジオには柴野アナと、化粧で涙を隠したミッキーだよ。まさかのゲスト柴野アナ。いやああの十五分はちょっと伝説になってるからあんたも知ってるかもしれないな。あ、知らない? じゃあ話すけどさ。

 今日のゲストは急遽変更になりまして、この方、柴野文義アナウンサーです、ってミッキーがいつもより小さい声で紹介する訳だよ。いつも以上に雰囲気も堅い。


 で、柴野アナ、元気よく。


「どうも! 柴野です。本来のゲストのアイドル二人組がドタキャンしたので代わりに来ました」


 おい! ってね。俺ぁ心の中でつっこんだよ。ふつう、言うか? 予告も無かったし、ゲストが誰だったかなんて言う必要のないことをなんで言う? しかも、追い打ち。


「なんでも、水木さんが絡みづらいからだそうです。どう思う水木さん?」


 なぁ? 目丸くするよな? これ本当に言ったんだからね。あの人が、ミッキーに。その場で。生放送中に。さっきまで泣いてた新人アナに。

 どう思いますじゃねえよ。どうもこうも、心の中ぐっちゃぐっちゃなんだよ。だから必死に考えないようにして番組を乗り切ろうとしてんじゃねえか。

 たっぷり、二十秒。沈黙だったよ。いや、あれは放送事故そのもの。もう番組スタッフ全員、ぽかんですよ。何が起こってるんだろう? って。慌ててCM入れることさえしなかった。できなかったのか、もうする気も起きなかったのか。

 沈黙の中、柴野アナが目の前に置いてあるコップの水を飲む音だけがしてんの。あ、たぶんテレビだとオープニングだったからBGMがまだ流れてたと思うけど、スタジオだと完璧な沈黙だからね。あんな怖い収録スタジオ見たことない。


 で。

 ふいに声がしたんだよね。


「絡みづらいですか?」


 ミッキーの言った言葉だった。泣いてなかったよ。逆。逆。怒ってるの。もう凄い形相だった。とても放送できないくらい。柴野アナのほうを向いててカメラの死角に入ってたのはミラクルだったね。放送されてたら彼女のアナウンサー人生は終わってたよ。


「ん? いや僕が言った訳じゃないし」


 これが柴野アナの返答。いやもう、アナじゃないよね。柴野という一人のおっさんだよね。あの人、ゲストとして出る時は仕事モードじゃなくていいと思ってるんだよ。

 今考えてもあのとき番組をとめなかったプロデューサーは無能そのものだったんだけど、とにかく放送は続いた。いよいよまずいなと思ったよ。ミッキーが切れて柴野アナと言い争う場面がお茶の間に届いてしまうぞと。


「それは反省……しなくちゃいけませんよね」


 でも、ミッキーは切れなかった。かといって冷静さを取り戻した訳でもなかった。なんとまあ、今度はあの子、落ち込みモードに入っちゃったんだよな。困ったことに。

 あの子、打たれ弱いんだよ、意外と。そりゃもう痛々しくて、とても声をかけられる空気じゃなかった。

 でも、柴野という男の真骨頂はこっからだ。

 あの人、空気なんか読めやしないんだ。

 うなだれて、沈みきってるミッキーに柴野アナは言ったんだ。


「それより僕の話をしてもいい? 最近娘が犬を飼いたいと言い出してね。仕方ないから柴犬を飼うことにしたんだけど、名前は何がいいかな?」


 ……本当だよ。本当にあのタイミングで言ったのがこの台詞なんだ。いやもう、何がなんだかわからないよ。同感だ。ミッキーも、目の前にいるのが宇宙人か何かだという目で見ていた。何を言っているかわからなかったんだろう。


「し……知りません」


 そういう返答だった。柴野アナは笑って続けたよ。


「娘の持っている人形はクリスティって言うんだよ。これはアガサ・クリスティからつけたんだ。水木さんは好きな作家はいるの?」


 いや、だから本当なんだ。これが正真正銘このときの会話の続きなんだよ。いや俺だって思ったよ。犬は? って。話、変わってるんだよもう。こんな短い会話で何回話が変わるんだよって。


「え、ええと……村上……」


 ミッキーは少し余裕を取り戻し始めたのか好きな作家の名前を答えようとしたんだけどまた遮られた。


「どんぐりころころって歌あるじゃない。あれ、どんぐりこ、じゃなくてどんぶりこ、らしいよ」


 知らねえよ。今度は童謡に関するトリビアだ。だからなんだ。だからなんなんだ。なんでいきなり? 作家の話は? 犬は? もう会話にもなってない。


「はあ……どんぶりが転がるんですね」


 さすがに限界を迎えたのか、このあたりから少しミッキーの返答もおかしくなってきた。


「違うよ。アガサ・クリスティの作品で一番いいのは?」


「アクロイド殺しです」


「僕はABCDEF殺人事件かな」


「なんだか大盛りですね」


「犬太郎、というのが娘は気に入ったみたいだけど妻には不評でね」


「あ、じゃあポチ太郎がいいんじゃないですか」


「最近、何か幸運だったことあった?」


「ないです」


「僕はこの会社に入社できたことが一番の幸運かな」


「最近って言ったじゃないですか。あ、私は友達の結婚式でブーケ取れたことです」


「なんだ、あるじゃない。じゃあ嫌なことはあった?」


「ないです」


「嘘つけ。さっきどっかの無名アイドルにドタキャンされたでしょうが」


「……」


 沈黙だった。いやほんと、あの人のデリカシーの無さは天才的だと思うよ。さりげなく無名アイドルとか暴言吐いてるしね。でも今度の沈黙は二秒で破られた。驚いたね。ミッキーが、なぜだか立ち直ってきてるんだよ。


「う、うるさいです」


 そう言葉を返すくらいだったからね。


「僕が不運だったのは昨日電車が二時間止まって会議に遅れたことかな」


「……柴野さん昨日朝からいましたよね」


「いや帰りの電車。家に二時間遅刻した」


「え、会議って?」


「家族会議」


「……えと、どうでもいいです」


「議題はペットの名前で。いろいろ話し合ったんだけど」


「何に決まったんですか?」


「やっぱり三毛猫だしミケでいいかなって」


「……って猫になってるじゃないですか」


 そんな感じで頭が痛くなるような会話が続いたんだ。十五分間。

 いやあ、もう今思い出しても鳥肌が立つよ。いや、大半の視聴者は、なんかくだらない話してるなあくらいに思ったかもしれないけどね、それでも一体あれは何だとクレームの電話がなりっぱなしだったし、プロデューサもそりゃ責任取らされるわ。

 それに、あの回は別な意味でも業界関係者じゃ伝説なんだ。あのミッキーがツッコんでるってね。

 で、極めつけはコーナー終了一分前を過ぎた頃だった。


「あ、トイレ行ってくる」


 いや自由すぎるだろ柴野さん! たった一分、たった一分がなぜ待てない! ていうかどうして本番前に行っておかない! 急遽乱入したとはいえ!

 ……あ、すまんすまん熱が入りすぎたな。とにかく、コーナー終了まで一分を残して柴野さん退場だ。ミッキーは一人になっちまった。だったらコーナー打ち切ってメインスタジオに戻しゃいいんだけど、ここでミッキーが喋り始めたんだ。


「視聴者のみなさん、ご心配なく。こんな意表をつく退場の仕方ももちろん柴野さんの演出です。さすが柴野さんでしたね。うふふ。柴野アナウンサーは私にとって大ベテランの大先輩なんですけれど、それを少しも感じさせない気さくな、とっても肩の力の抜けた素敵なおじさまとしての一面を今日は見せてくださいました。緊張しがちな私も見習わなきゃな……なんて思います。それでは皆さん、また来週。スタジオの山寺さん、お返しします」


 そう澱み無く喋って、きっかりコーナー終了時間だった。いや、みな思わず拍手をしてしまったよ。放送中だってのにな。見事だった。

 柴野アナはといえば本当にトイレに行きたかっただけらしくて、戻ってきてから「あれ? 放送終わったの?」だとさ。あのあと室長にだいぶ怒られたらしい。

 ミッキーはもう放送後はスゴい晴れやかな顔をしてたな。もう柴野さんに感謝してもしたりないって感じで、ずーっとお礼を言ってたよ。柴野さんは柴野さんで、犬だか猫だかの名前の話を延々してて、何を言われてるかあんまり聞いてないみたいだったけど。でもその時からだ。ミッキーは、柴野さんあっての私だと、ことあるごとに口にするようになった。


 実際、その回をきっかけにミッキーは変わった。それまでの堅い雰囲気が消え、笑顔も自然になった。何より地を出すようになったからね。あのコーナーは残念ながら打ち切りになったが、それからはいろんな番組で活躍するようになったのは知っての通りだな。

 あのむちゃくちゃのおかげでミッキーが立ち直ったのは結果的には事実だ。自分のせいでドタキャンされたという思いで打ちのめされてたミッキーが、もっと凶悪なモンスターの出現でそれどころじゃなくなったんだな。とにかく忘れて番組を無事やりとげようと思った矢先にドタキャンの件をまるまる視聴者にバラされる。怒りと落胆で感情を処理しきれない最中にぜんぜん興味のない話をされる。頭がおっつかないままに反射的に受け答えしていたら、なんとなく会話がかみ合っているような気がしてきた。いやハタから見てるとネジがはずれた会話なんだが、少なくともいつもとは違って、ゲストがいきいきと話している。

 本来、それがあの子の持ち味だからな。あの子は自分で気づいたのさ。それ以来、あの子はゲストに話をさせるのがスゴくうまくなったね。


 え? 柴野さんの計算だったんじゃないかって? いや、違うと思うぜそれは。確かにピンチヒッターを買って出ようとしたのは確かだが、あの振る舞いは地だよ。「たまにはゲストの立場で好きなこと言いたい」ってのが本音だったんじゃないかな。ま、実を言うと一回あの人が酔っぱらってあの時のことをそう話してたのを聞いたことある。照れ隠し? そんな腹芸のできる人じゃないね。

 偉いのはあの宇宙人を自力で撃退したミッキーのほうだと俺もみんなも思ってるんだが、ミッキーはあの後もずっと、今の自分があるのは柴野さんのおかげだと言い続けてるね。


 *


 こんなとこか。

 まあ他にも色んな話があるが……俺に話せるのはこんなとこだな。


 そうだ最後に一つ。


 あの人の本当に凄いとこはな、ありきたりな言い方で申し訳ないが、結局は失敗にへこたれない、ってとこなんだろうな。

 いや実際、新入社員なんかがよく言うんだよ。あの人を見ていると自分がつまらない失敗で落ち込んでいるのがバカバカしくなりますって。


 下を見て安心するっていう意味じゃないんだ。そうじゃない、失敗というものに対する自分自身の耐性、そして周りの耐性、それが思うよりずっと高いものだと気づかせてくれるんだよ。このくらいの失敗じゃあ、世界は壊れないぞって。自分を壊すほどのものでもないぞって。それが、あの人の、替えがきかないとこなんじゃねえかな。

 ニュースデスクの山森なんかはよく言ってる。「こっちが諦めない限り周りも俺を諦めない、そう思えるようになったのは柴野さんのおかげだ」って。



 さてそろそろ、俺のお気に入りの番組の時間なんでね。もういいかい。そう、例のバラエティ。カップルが秘密を告白する奴。坂野さんと柴野さんの。あんたも見てくかい。見てかない? あ、そう。

 おう。出口はそっち、奥行って右。


 気をつけて帰りなよ。

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― 新着の感想 ―
[一言]  二人称小説でびっくりする構成力!  この場合物語の真実を語るのは語り手なのですが見事に読者が物語内の質問者になれている。すごい。
[良い点] 空気読めないっぷりがハンパないです。 もう笑うしかないレベルです。 天然励まし男、でも一家に一人とは思えない! [一言] 「それでも彼女を愛せますか?」ホラーだったので読まなかったのです…
[良い点] なんだろうな お茶の間の皆さんにはわからないけど 身内としてはほっとけない人というか 憎めない人なんだろうなぁ 柴野アナ [一言] 終始心の中でツッコミまくりでしたw なんでいまだにテレ…
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