稲荷神
「は……?……稲荷神…?」
「そうだ、馬鹿女。お前は神に救われたのだ。感謝するがいい。」
「え………あはは…っバカなこと言うのはやめてよ。ここがあんたの神社であんた自身は稲荷神ですって?私を元気付けようとしてくれてるのはわかるけど、いくらなんでも言っていい事と悪い事があるわ。」
くすくすくすくす……
笑いが止まらない私の様子の見て少しずつ男の顔が曇る。
それに気付かない私は更に言葉を続ける。
「それに神様が普通耳と尻尾なんかつけて朝から掃き掃除なんてする?本当、冗談もいい加減に……」
「おい、女。馬鹿にするのも大概にしておけ。」
「え…?別に馬鹿になんか…」
むしろ冗談を言っているのはあんたでしょ?
そう言葉を続けようとした私は男の発する異様な雰囲気に戸惑う。
「何怒って…」
「怒ってなどおらん。ただ呆れているのだ。人間という生き物に。神や仏を都合の良いように使い、その存在を聞かれたら否定する。全く…」
「だっ誰も神様を使ってなんかいないじゃない。それに信じてないなんて言ってな…」
「ならばお前は一度も神社へ参拝に来たことはないのか?受験合格や交通安全、はたまた良縁や恋愛成就…自分が何か窮地に追いやられた時、人は言う、神様助けてと。違うか?そのくせ日頃から神を思うわけでもなくそれどころか神主までもが宝くじ祈願等わけのわからぬ事をやり始めて我々を儲けに使おうとする。だからこの稲荷神社の神は姿を消してしまったのだ…。」
「えっ…?でもさっきあんた自分で自身を神様だって…」
「そう、今は、だ。元々この社は俺のものではない。狐持ちの家の人間のものだった。」
「狐持ち…?」
「狐に憑かれた人のことではなく、その人間の家に狐の妖が居座るということだ。まぁ座敷童やなんかと同じような類のものだと思ってくれればよい。まぁ童共より幾分もたちは悪いがな。」
「ふぅん……で、その人がどうしたの?」
「逃げてしまったのだ。ここではない別の次元の世へと。」
「別の次元…」
「普通狐持ちの家に生まれたからと言ってそう力を持つものではない。せいぜい他人を恨み苦しめる力が他より優れている程度だ。しかしこいつは違った。」
「…………」
「元々体質的に霊感が優れている等、この世のものではないモノたちに影響されやすかったのかもしれん…。だがそれだけではなかった。こいつは妖を吸収し、操ることができたのだ。力を吸収するということはそれだけ妖に近づくということ。それにより外見も変われば老いることもなく人の何百倍という時を生きる。それ故に周りの人間からは恐れられ、家族からも忌み嫌われてついには離れであったこの社に閉じこめられてしまったのだ。…そして何十年という時がたちこいつに対する恐怖は何時の間にか信仰へと変わっていった。」
「だから神様になったのね?」
「そうだ。言わば人が勝手に作り、祭り上げたもの。元は神でも妖でもないただの人間だったのだ。故に力はあれど神のような器は持ち合わせてはいなかったため、人の欲に毒されてしまったのだ。」
「なんだか可哀想…」
話しを聞くうちに元は人間であった神様とやらに何時の間にか同情している自分がいた。
「…その神は今はどこで何をしてるのかもさっぱりわからん。生きているのか死んでいるのかさえ。だから俺が代わりにこの社の神をやっているというわけだ。神様の代行とでも言っておこうか。」
「どうしてそんな事する必要があるの?神様がいなくたって社は社なんじゃ…」
「神不在の社というのは低俗妖怪にとっては恰好の住処になる。社を自らの物としてしまえばどれだけ強力な妖怪が来た所でなかなか中に入ってはこられない。故に邪気が溜まりやすく、まわりの環境を侵しかねんのだ。」
「ふぅん………ねぇ…もしかしてその狐の妖怪ってのがあんたなわけ?」
「今ごろ気づいたのか、馬鹿女。」
「なら…この頭とお尻に付いているこの耳と尻尾は本物…髪の毛も地毛なわけ…?」
「触ってみるか?」
「…遠慮しときます……」
「ふっ…まぁ急に変な話をして悪かったな。馬鹿にされてついムキになってしまった。すまぬ」
そう言って男は少しだけ顔をほころばせた。
綺麗な人…
今まで目つき悪い変態コスプレ男としか思っていなかったが
よく見るととても端正な顔立ちをしていた。
身長は180センチ程あるだろうか
無駄のない引き締まった体。
陶器のように白く艶やかな肌に
少しだけつり上がった切れ長の目。
すっと筋の通っている整った鼻
そして涼やかな口許…
銀色の長い髪が余計に男の美しさを際立てていた。
「ん?何を見ているのだ?まさか見惚れたか。」
「ちょっ、ば…そんなわけないでしょ!」
そして今度は意地悪く笑い、
「早く食え。でなければせっかくの飯が冷めてしまう。」
そう言って持ってきた膳を広げた。
「わっ…すごい…これ全部あんたが作ったの?」
そう言えば昨日から何も食べていなかった私は
目の前に出された豪華な食事を見て思わず腹が鳴る。
「そうだ。早く元気になってもらわねばと思い俺様が丹精こめて作ってやったのだ。食え。」
「わーっ。なら遠慮なくいただきまーす。」
男は美味しい、美味しいと嬉しそうに料理を口に運ぶ私を見て
満足げに微笑んだ。
「あんたってなんでも出来るのね。見直した。」
「当たり前だ。妖怪に出来ぬ事などない。馬鹿女。それとだな俺はあんた、じゃない。ちゃんと名前がある。」
「じゃあ私にだって馬鹿女じゃなくてちゃんとした名前があるのよ?」
「何だ?」
「ちょっと!普通、人に名前を聞くなら自分から名乗るのが礼儀でしょ?」
「なにが礼儀だ。小娘の分際で。…まぁいい、教えてやろう。俺の名は…熈濤だ。覚えておくがいい。」
「イナミ…変わった名前ね。さすが妖怪。名乗らせといて教えないのはあれだし私のも教えてあげる。…透…向井透よ。」