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クレアトゥールの子どもたち  作者: 光太朗
ポムダダン
9/16

ポムダダン 3

 まるで違う空間に迷い込んだかのようだった。

 導かれるままに、フェーヴはテーブルについていた。どうぞといわれ、抵抗する気など起こらなかったのだ。茶を用意するという彼女を、ただぼんやりと目で追う。

 クレアの挙動は記憶のままに、優雅で無駄がなく、意識が指の先まで通っているのが伝わってきた。長い髪が彼女の所作を妨げることは決してなく、動きに合わせて揺れるさまは、それ自体が芸術品のようだった。

「ずいぶん変わったのね。少年の姿のあなたも、かわいらしいけれど」

 クレアは小さく笑った。来客用なのだろう、棚から白いカップを取り出す。細い指が控えめなポットを持ち上げて、カップに茶を注いだ。紅茶の香りが漂う。

「温かくはないの、許してね」

 そういって、フェーヴの前に差し出す。皿に乗ったクッキーも取り出すと、彼女はフェーヴの隣に腰掛けた。

 とても彼女ひとりの部屋とは思えなかった。部屋のドアから入ったのでなければ、一軒の家だと思ったことだろう。奥にはまだ部屋が続いており、贅沢な暮らしぶりがうかがえた。この城における彼女の立場がどんなものかはわからないが、少なくとも召使いということはないだろう。

「どうしたの、黙って。なにか、変?」

「いや……」

 フェーヴは首を振っていた。

 変、といわれれば、変以外のなにものでもない。そもそも、彼女は死んだはずだった。アンファンであるフェーヴに愛され、命を落としたはずだ。

 だが、フェーヴには、なぜ生きているのかと問うことはできなかった。その質問は、してはいけないような気がしていた。ここでこうして笑っている彼女を、否定したいわけではないのだ。

 フェーヴの困惑を見透かしたように、クレアは笑った。その瞳には、慈愛の色が宿っていた。イスの上で向きを変え、じっとフェーヴを見る。

「恐れているのね」

 声に、ふと哀れみが混ざった。

 フェーヴはどきりとして、そちらを見る。しかし、すぐに目を逸らした。魅入られてしまいそうだ。

「それで、こんな姿。愛することを恐れているの? 愛さなければいいのに。それだけのことだわ。逃げているあなたも、愛おしいけれど……でも、そうね、以前のあなたが見たいわ」

 彼女の指が、フェーヴの帽子に触れた。そのまま、そっとはずし、テーブルに置く。いつもなら過敏なほどに反応するその行動にも、動くことができない。

 とうとうフェーヴは、クレアの瞳を見てしまっていた。

 彼女は笑んでいた。

 ひどく優しく。

「クレア」

 しびれるような声が出る。まるで自分のものではないかのようだ。呼んではいけないと思うのに、口は勝手に開いていた。

「そう、もっと呼んで。呼んでほしかったの、ずっと」

 フェーヴは右手で、クレアの艶やかな髪を撫でた。その感触すら記憶のなかと寸分の狂いもなく、めまいがしそうだった。

 持ち上げた手が、少年のそれではないことに気づく。いつの間にか、フェーヴの身体は二十代のものに戻っていた。

「ふふ、懐かしい。私を愛してくれた、あのときのあなただわ」

 クレアが笑う。思考が麻痺していく。

 アンファンに寿命はない。管理者──フェーヴの場合はスピラーリの協力によって、姿形を思うままにとどめることができた。少年の姿を望んだのはフェーヴ自身だ。成熟した大人の身体を持って、だれかを愛するようなことはもうしたくなかった。逃げていたのだ。

 しかし、いま大人の姿になったのは、フェーヴの意志ではなかった。スピラーリが関与しているとも思えない。それは驚くべきことのはずなのに、頭の片隅で思うだけで、意識が追いつかなかった。

「フェーヴ」

 甘く囁く。

「ねえフェーヴ。いまでも私を愛してくれる?」

 黒い髪が、さらりと垂れた。クレアはフェーヴに身を寄せていた。顔が近い。唇が、言葉を紡ぐ。

「私だけを、愛してくれる?」

「クレア……それは」

 是、とはいえなかった。しかし否定することもできるはずがなかった。確かに生きて、血の通った唇が、フェーヴのそれに寄せられる。

 気がつけば、フェーヴは彼女の唇を吸っていた。両手は彼女の華奢な身体をかき抱き、そのぬくもりに神経が酔っていく。

「好きよ、フェーヴ」

 瞳と頬と首筋と、彼女が表情を変えるままに、フェーヴは唇を落とした。

 本当は気づいていた。クレアであるはずがない。彼女を愛したのは、もう四十年も前だ。たとえ生きていたとして──生きていないことはだれよりもフェーヴがよく知っていたが──以前と変わらぬ姿でいることなどあるはずがなかった。

 それでも、あらがえなかった。

 おかしな術にかかってしまったかのように、理性が働かない。

「私は、そんなあなたが好きなの」

 真っ白な肌を赤く染めて、クレアは妖艶ともいえる笑みを浮かべた。

「傷ついて、逃げて、絶望して……それでも終われないあなたが、好き。だってあなたは逃げるしかないんだもの。疎まれているんだもの。かわいそうなフェーヴ」

 ──そうやってずっと、逃げますか。

 不意に、声が蘇った。だれの声だっただろう──声だけが響き、姿まではわからない。凛とした、光そのもののような声。

 逃げるのだ。否定するつもりなどない。いつでもうなずくことができる。気の遠くなるほど長い間、ずっと逃げてきた。

 傷ついて、絶望して──それでも生にすがった。不老ではあっても、不死ではない。死のうと思えば、いつでもそうすることができたはずなのに。

 しかし、かき消そうとしても、まるで脳の内側に焼き付けられたかのように、それはフェーヴのなかにとどまっていた。それがどうしたと、食ってかかった少女の声。閃光のように、その姿が飛来する。

 めまいがした。

 アンファンである以上、疎まれるのが日常だった。そんなことは関係ないとばかりに光に照らされたのは、初めてのことだった。

 なにも悪くないのだと、彼女はそういった。金の髪を揺らし、いつでもまっすぐに前を見据え、突き進んでいく──その愚かしさに輝きすら湛えて。

「……?」

 小さな振動に、フェーヴの思考は引き戻された。テーブルの上のカップが、かすかに揺れている。地響きが続き、遠くで重いものをひきずるような物音。

「あら、お客さまだわ。会うのね……ばかな子」

 窓の外に目をやって、クレアがつぶやいた。彼女の言葉に、フェーヴは外門が開かれたのだと知る。彼が見たときには、たくさんの警備のなかで、堅く閉ざされていた扉だ。この状況でそれを開けるというのは、よほどのことだろう。

 直感した。正面から堂々と、城を訪ねてくる人物。そして、実際に門を開けさせるほどの地位。

 違うかもしれない。だが、目を覚まさせるには充分だった。

「悪いな、クレア」

 フェーヴはそっと、クレアの身体を離した。もう、とどまっていることはできない。

 帽子を手に取り、苦笑する。それはもう、かぶることなどできそうになかった。着ていた服もコートも、所々の縫い目がほどけ、目も当てられない状態になっている。自分の身体が一応は収まっていることが不思議なほどだ。

「どこへ行くの? どこへ行ったって、どうせ変わらないわ。私と一緒に、いてくれないの?」

 クレアがすがるような目をする。その目をじっと見つめて、それでもフェーヴは首を横に振った。

「余計なことを思い出した。このままここでこうしてるのも、捨てがたいけどな」

 クレアの表情に、ほんの一瞬、憎悪が浮かんだ。それから瞳を伏せ、そう、とつぶやく。

「じゃあな」

 背を向けて手をあげると、フェーヴは部屋をあとにした。



 慌ただしくひとが行き交うわけではなかったが、城内の空気は明らかに一変していた。クレアのもとを離れたところで再び姿が消えるわけではなく、フェーヴは舌打ちをする。それがクレアによるものなのか、あるいは城自体になにか細工が施されているのか──スピラーリの身になにかが起こったという可能性もあった。自分の思いつきに、ぜひそうであって欲しいとフェーヴは真剣に考える。その可能性は低いだろうと経験が告げていたが。

 扉に耳をつけ、気配のしない部屋に端から侵入する。三部屋めで、やっといまのフェーヴに着られそうな服を見つけ、勝手に拝借した。黒のハイネックにズボンという上下で、本来ならその上に合わせるのであろう刺繍だらけの上着があったが、そちらは遠慮しておく。残念ながら黒いコートの類はなかったが、服があっただけでも上等だ。若干小さいが、気にしていられない。

 着慣れない服に身を包み、装飾品の飾られた台に隠れるようにして、廊下を進む。外門から正式に来たということは、謁見の間のようなところに通されたのかもしれない。城の構造に精通しているはずもなく、予想をつけることしかできないが、だとしたら一階だろうか。

 もし見つかっても、ショコラの知り合いだといえばどうにかなるような気がした。姿も消えていない状況で、ろくに隠れる場所もない城内を気づかれずに進む自信はない。こそこそするだけ無駄だろう。

 腹をくくってしまえば、簡単だった。それでも一応は身を隠しながら、フェーヴは素早く階段を下りる。ここに来るまではずっと静寂だったのだ。音や声が聞こえる方──おそらくそこに、いるはずだった。

 一階まで降りると、案の定、声がした。詳しくは聞き取れないが、少し荒い男性の声。ショコラのものらしき声も続き、フェーヴは迷わずそちらに向かう。

 何度か角を曲がると、三階のように、廊下に絨毯の敷かれている場所に出た。廊下の先に、ショコラと数人の騎士の姿を見つけ、ほんの一瞬迷う。だが、隠れられるはずもなかった。

「だれだ」

 騎士のひとりが、もっともな疑問を吠えた。怪しいという自覚があり、フェーヴは敵意がないことを示そうと、手のひらを開いて両手を見せる。こうなったら、ショコラに期待するしかない。

「──? あなた……」

 しかし、当のショコラは眉をひそめただけだった。やっと、自分が少年の姿ではないことを思い出したが、もう遅い。どう説明しようかと、口を開くものの声が出ない。フェーヴです、というのも間抜けだ。

 ショコラの姿にも、違和感を覚える。彼女は最初に会ったときと同じ、白い衣服に大剣という、活発な衣装だった。城にくる恰好ではない。もちろん、ひとのことはいえないが。

「おまえ、それこそヒラヒラ着てくるべきだったんじゃねーの」

 思わず、悪態が口をつく。ショコラは眉を跳ね上げた。

「なんですか! あなたこそ、また置いていきましたね、フェーヴ=ヴィーヴィル! どうしてこんなところに……!」

 感情のままに声をあげるショコラを、なんとか制しようとフェーヴはあわてて手を振る。ジェスチャーで伝わるとも思わなかったが、なにもしないよりはましだ。

「……っと、えーと」

 騎士たちの視線に気づいたのか、ショコラはごほんと咳払いをした。ゆっくりと歩み寄り、フェーヴに手を差し伸べる。

「門までは一緒だったのに、はぐれてしまって心配しました。城は外敵に備えて、わざと迷いやすく作られているんです、困惑したでしょう?」

 フェーヴにしてみれば予想外の、完璧な対応をしてみせた。かえってどうすればいいのかわからず、フェーヴは目を丸くする。彼女の目が、早く合わせろといわんばかりにつり上がっているのを見て、思わず吹き出した。

「これはどうも、助かりました。──ご一緒しても?」

「もちろんです、そのために共にきたのですから」




挿絵(By みてみん)




 取り繕った笑顔の端で、頬がひきつっている。フェーヴは笑いを堪えてその手を握り返すと、先導されるままに進んだ。一部始終を見守っていた騎士たちの目が、胡散臭そうに歪んでいる。だが、それを口にすることはできないのだろう。なにもいわずに、ショコラにつき従った。

 そのまま黙って、廊下を行く。フェーヴはショコラのうしろで、金色の髪が揺れるのをぼんやりと見ながら歩いた。いままでは見上げていた姿が、目線よりも下にあるというのは妙な気分だ。自分でもそうなのだから、少年のフェーヴを見慣れていたショコラにとってはなおさらだろう。よく対応してくれたものだと、今更ながら感心する。

 銀色の縁取りが施された扉の前で、ショコラは立ち止まった。細かい装飾が見て取れるが、この扉が特別というわけでもない。何度も通り過ぎた扉と、同じ姿だ。だが、それを前にするショコラの表情は、確かに緊張していた。

 騎士は動かない。もちろん、フェーヴが動くわけにもいかない。

 複数の目が見守るなかで、ショコラはそっと息を吸い込んだ。彼女はノックはせずに、はっきりとした声で告げた。

「ショコラ=プレジールです。お話があって参りました」

 しん、と静まり返る。だれも身じろぎしないなかで、一切の音が響かない。

 やがて、声が聞こえた。ひどく落ち着いた、低い女性の声だった。

「入りなさい。ショコラ=プレジールと、フェーヴ=ヴィーヴィルだけです。あとのものは、下がりなさい」

 有無をいわせぬ口調だった。見えるわけでもないだろうが、騎士たちがそろって敬礼し、扉から離れる。

 自らの存在を知られていることに、フェーヴは一瞬驚いたが、考えてみればおかしなことではなかった。この国の女帝はアンファンで、そばにはスピラーリと同じ存在が控えているのだという。それならば、考えるだけ無駄だ。

 ではそもそも、姿を消して城に侵入する必要があったのだろうかと、根本的な疑問がわく。思考の深みに囚われそうだったので、フェーヴは首を左右に振った。やはり、考えてもしようがない。

 ショコラがちらりとフェーヴを見た。すぐに視線を戻し、ためらうそぶりを見せずに扉を開ける。そのまま、ずかずかと部屋に入った。

 ここまできて、躊躇する必要もなかった。入れといわれているのならば、望むところだ。フェーヴもまた、ショコラのあとに続いた。







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