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クレアトゥールの子どもたち  作者: 光太朗
クレアトゥール
16/16

クレアトゥール 3

 なにが起こったのか、わからない。

 手に伝わったのは、鈍い感触。

 特別なそれではない。

 ただの人間の首を突き刺した、それだけの感触だ。

「あなたは、最初から、愚かだったわ」

 ナイフは、彼女の首に突き刺さっていた。

 血を流し、それでも笑みを浮かべていた。

 もしかしたら、どこかで、期待したのかもしれない。彼女が避けるだろうと。はじかれるだろうと。殺すことは、できないのだろうと。

 しかし、現実の感触は、たしかにフェーヴの手にあった。

 儚い笑みが、記憶のなかの彼女と、重なる。しかし、そうではないはずだった。彼女は、あのときの彼女とはちがうはずだ。彼女にはもう、演じる必要がないのだから。

 ──本当に?

 胸のなかに、疑問が生まれる。

 この女は、いったい、だれなのだろう。

 首から血を流し、まるで無力な人間のように、命の灯を消そうとしている、この女は。

 女神ではない。

 少なくとも、女神とあがめられるなにかでは、なかった。

「あなたはあまりにも愚かだったから──私はたぶん、本当に、幸せだった」

 フェーヴに襲いかかってきたはずの光は、ひどくあたたかかった。歪んでなどいない。ぬくもりに満ち、フェーヴを慈しむ。

 フェーヴは気づいた。

 もしかしたら、これこそが、彼女の望みだったのではないだろうか。

 彼女の思うままに、こうして自分は、彼女を殺しているのではないだろうか。

「フェーヴ」

 呼びかける。いつかと変わらない、優しい声で。

「泣かないで」

 小さなつぶやきが、最後だった。

 彼女は力なく、イスに体重を預ける。

 そのまま、動かなくなった。

「クレア」

 それでは、あんまりだという気がした。

 避けられたことではなかったはずだ。それでも、こんなものなのだろうか。

 フェーヴは、思い出していた。なぜ自分がここにいるのかを。翼堕ちを帝都の周辺に集めたのも、フェーヴを襲わせたのも、クレアの意志だったのならば──それはフェーヴを遠ざけるためだったのか、それとも。

 結果として、フェーヴはここにいる。

 ここでこうして、彼女の結末を前にしている。

「クレア」

 しかし、返事はない。そんなことはわかっていた。

 フェーヴは口を閉ざす。悔やむ資格すら、おそらく、自分にはないのだ。

「マスターを殺せるのは、アンファンだけだった」

 いつのまにか近づいてきていたスピラーリが、つぶやく。クレアの手を持ち上げ、その甲に唇を落とした。

「そう、プログラムされていた。……どういうつもりだったかは、知らないけどね」

「俺、だけが」

 フェーヴは、ナイフから手を離した。

 気の遠くなるほどのときを生きた女神の最期は、あまりにもあっけなかった。もしそれが、どこかで彼女が願っていたことだとして──本当に、これで、良かったのだろうか。ほかになにか、なかったのだろうか。

 それはきっと、だれにもわからないことだった。

 真実など、あってないようなものなのだ。未来へ続く正しい道となれば、なおさら。

「終わった、のでしょうか」

 ショコラが、クレアに歩み寄る。瞳を伏せ、それからそっと、フェーヴの手に触れた。まるで守るように。

 終わった、という言葉に、フェーヴは疑問を覚える。

 終わったのだとして、いったいなにが。

「クレアのいっていたシステムが停止したとして……その場合、世界はどうなる? メトルたちはもとに戻るかもしれないが、アンファンの力でひとつになっていた国は、もしかしたら──その効力を失っているのかもしれない」

 フェーヴがいうと、ショコラは初めてその可能性に気づいたとばかりに、顔を上げた。

「そうです、きっと。じゃあ……」

 考え込むように、再びうつむいてしまう。フェーヴには、かける言葉がない。正しかったのか、正しくなかったのかもわからない。人間ではない作り物である自分たちが、このまま世界のまねごとを続けてもいいものだろうか。

 ショコラは、拳を握りしめた。

「じゃあ、忙しくなりますね」

 その言葉に、思わず目を見開いた。

 彼女は、まるで絶望していなかった。

 おそらくは、正しいかどうかということすら、考えないのだろう。彼女はいっていた、それでも精一杯生きているのだと。それが、すべてなのだ。

「だいじょうぶだよ、二人とも。絶望的になることはない」

 薄く笑ってそういって、スピラーリは首のループタイに手をかけた。引き抜いて、それを傍らの机に置く。クレアの隣に。まるで、もう必要ないとばかりに。

「たぶん、君たちの世界はまちがいだらけだ。フェーヴ君と同じぶんだけ見てきて、僕は何度も呆れたし、絶望もした。それでも──」

 まっすぐに、フェーヴと、ショコラを見る。それはいままで見たどの表情よりも彼らしく、かついままでとはちがった笑顔だった。

「──なかなか、捨てたもんじゃない」

「知ってます、そんなこと」

「そうだな」

 それでいい、という気になった。なにより、ショコラという少女と行動をともにするようになって、フェーヴは思い知っていた。

 大切なのは、あらかじめ決められたなにかではないのだ。

 フェーヴは、コートを脱いだ。それを、優しくクレアの肩にかける。

 動くことのない、愛しかったひとの頬に、触れた。まだぬくもりを残す感触にも、もう心が揺らぐことはなかった。

 愛していたのは、うそではない。

 それは決して、忘れるべきことではない。

 小さく、彼女への言葉をつぶやいて、それを最後に背を向ける。



 クレアのいた建物は、境界からほど近い場所にあった。彼女のいた世界がどれほどの大きさなのか、フェーヴは見たいとは思わなかった。もう、生きた人間のいない世界だ。女神も、死んだ。

 境界を消すこともできるとスピラーリはいったが、二人はそれを断った。いつか、そうする日が来るのだとして、それはまだいまではないという気がした。

 そうして、来たときと同じように、境界の向こう側へと足を踏み入れる。衝撃は、やはり彼らを襲った。世界が回る。まぶたの裏に映る、あまりにも美しい世界。

 それはきっと、女神の願いだ。

 ひとりの女の、純粋な願い。

 ならばそれに、応えなければならない。

 



   *




 境界の向こう側は、なにも変わっていなかった。

 何事もなかったように、サンドリユの砂漠が待っていた。四足獣も、おとなしくすわっている。従順に、同じ場所で待機していたようだ。

 世界が、町が、いったいどうなっているのか、まだわからない。それを、確かめなければならなかった。しかし、どのようになっていたとしても、今後の道が穏やかではないことは、容易に想像できた。

「ところで、フェーヴ=ヴィーヴィル」

 境界を越えてすぐ、ショコラがいった。どこか怒っているように見える。頬を膨らまし、こちらをにらみ上げた。

「……なんだよ」

 良い予感はしなかった。警戒心を露わにそう返すと、スピラーリが楽しそうに笑って、フェーヴの背中を押す。

「しっかり聞いておきなよ、フェーヴ君。女の子は大事にしなくちゃね」

「おまえ、なにかいったな」

「真実を、ちょっと詳しく教えはしたけど」

 いったいいつそんな暇があったのだろう。あるとすれば、クレアのもとへと現れる前だ。そんな状況ではなかったはずだが、ショコラがなにか尋ねたのだろうか。

「あなたの失恋については、言及しません」

 失恋ときたか──フェーヴは頭を抱える。いったいどう伝えたらそういう話になるのだろう。かつての恋は、悲恋ではあったかもしれないが、失恋といわれるとなにかがちがう気がする。

 言葉も出ないフェーヴの様子を意にも介さず、ショコラは凛とした声で続けた。

「そしてわたしは、自分の考えを、断固曲げません」

 なにもいっていないのに、そんな宣言をされる。どう答えたものかと逡巡し、結局、フェーヴはうなずくことしかできない。ああ、とまぬけな返事。

「ですが、わたしを愛してくださいとは、もういわないことにしました」

「……は?」

 まさか、そうくるとは思っていなかった。目を丸くするフェーヴの横で、スピラーリが肩を震わせる。

 ショコラは、あっけにとられるフェーヴに、飛びついた。

 そして、こともあろうか、その唇に自らのものを押しつける。ほんの一瞬のできごとだ。フェーヴは驚くことすらできず、目を見開いた。




挿絵(By みてみん)




「な……っ」

「わたしは、あなたを、愛しています。それでじゅうぶんです。ずっとずっと、あなたの隣で、生きていたいです」

 そうして、まるで花が咲くように、彼女は笑った。

 フェーヴは納得した。

 ずっと、疑問に思っていたのだ。そういうことなら、うなずける。小さな笑みが漏れた。

 ショコラが不思議そうな顔をして、それから唇をとがらせる。

「どうしましたか?」

 正直に答えたものか、フェーヴは一瞬迷った。しかし結局、思ったままに、告げた。

「やっと、わかったよ」

「……なにがですか」

 ショコラは不満そうだ。自らの決意の言葉を、軽くあしらわれたとでも思っているのだろうか。

 フェーヴは彼女の頭を撫でると、笑った。

「不思議だったんだ。なんであんたは、死なないのかってな」

 意味がわからないとばかりに、ショコラが目をまたたかせる。フェーヴは笑いを押し殺して、彼女の背中を押した。

「──忙しく、なるんだろう?」

 そう、促す。彼女は帝国の姫君だ。帝都へと戻れば問題が山積みだろうが、そこで立ち止まってはいられないはずだった。

 終わりではない。

 これから、始まるのだ。

「フェーヴ君や、僕もいる。まあ、なんとかなるさ」

 飄々といって、スピラーリが肩をすくめる。

 ずっと向こうに、サンドリユの町が見えた。フェーヴは、空を見上げる。夕暮れが訪れようとしている、空。その次には夜が来て、そうして朝が来るのだと、知っている。

 ずっと見てきた空だ。

 それが、与えられたものであろうとも。

「帰ろう」

 手を差し伸べる。

「はい」

 ショコラが、その手を握りしめた。













 了






読んでいただき、ありがとうございました。

心からお礼申し上げます。

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