彼と彼女の恋愛風景_あるデートのこと④
それをどう表現すべきなのだろうか。
端的に表すならば衝動。肌を突き破るような、理性を鼻で笑い飛ばすような、粗野にして貪欲、凶暴にして飢餓感に支配されたそれは、余計な言葉で彩るよりも、その一言で荒らすのが適切のように思う。それは智謀知略を鼻で笑い、艱難辛苦を艶やかに蹴り飛ばす、醜くも至極全うな衝動によって引き起こされている代物だ。
いや、気取って表現したところで、その無様さは変わらない。彼女を愛しいと思う感情と連動しているはずなのに、嫌にそれは眉をしかめて視線を逸らしたくなる。
言葉にするとあまりにもあからさまなので明記を避けるが、それはこう、下半身に直撃するような、思わずその頼りない体を抱き上げて、ゆっくり二人きりでしっぽりできる場所に駆け込みたくなる、そんな衝動である。
「うわああああああああっ!!」
俺のすぐとなりで上がった悲鳴が鼓膜を叩いた。字面だけで見れば随分と雄雄しい悲鳴だが、実際は少し低めの柔らかい声が上げている悲鳴なので、さほどその感覚はない。むしろ、可愛いと断言できる悲鳴だ。惚れた欲目というやつではない。異論は絶対的に認めない。その前にこんな可愛い声を俺以外に聞かせたくなどない。
「ま、ま、正宗くん! いた、今いた、絶対いた!」
「ああ、確かにいたな」
「どうしよ、こ、こ、ここで本物を見ると、みみみたら、お払いとかいった方が今後のためになると考えるんだけどどうだろう!?」
「次は神社仏閣デートか。中々文化的でいいかもしれないな」
「そんな次まで待ってらんない、無理、怖い、うううううううっ」
薄暗い空間で密着する男女。なんという蟲惑的な雰囲気をまとう言葉だろう。ただし、その内容を明記するならば、一気に色っぽい風情は吹っ飛ぶのだが。
わざとおどろおどろしく劣化させた壁や床。変に薄暗い証明に、ひんやりとした空気。しん、とした静寂に包まれおり、その静けさたるや自分の心臓の音すら分かりそうなほどだ。妙に埃っぽく感じるねっとりとした空間は、俗に言うお化け屋敷、と呼ばれるアトラクション内である。名前は、『誰も居なくなったおうち』。古式ゆかしい二階建ての大きな日本家屋をまるまる一時間はかかる迷路仕立てにした、このテーマパーク部門では、目玉のひとつとして君臨している。ちゃんとストーリーまであるようで、端的に言えば旧家の幼いお嬢様が事業に失敗した両親の心中に巻き込まれながらも一人生還し、何もかもを失って結局自殺した家、ということらしい。そして、その家は彼女の寂しさと恨みで一度足を踏み入れた人間を、決して光の下へ帰さない空間へと変貌を遂げたそうだ。
非科学的なことが多々あるこの世界、そのような触れ込みの廃墟の一つや二つありそうなところがこの概要の良いところだろう。陳腐ではあるが、イメージしやすいという武器がある。可哀想な恨みで塗れた少女というのは、古今東西幽霊としてはいい題材だ。
あまり俺は心霊というものに反応がない。薄気味悪いものは薄気味悪いし、スプラッタなものは気分が悪くなる。が、その程度だ。作り物であると知っているこの場で、薄気味悪さも何もない。作りこんでその雰囲気をかもし出している企業努力に感服はするものの、その程度だ。
だが、俺の彼女は違うらしい。
「ああああああああ! なんかいた、絶対居た! こっち見てた、じっと見てた!」
悲鳴を上げながら、何の躊躇いもなくぎゅう、と腕にしがみついて来る体。普段ならば手を握る仕草だけでどぎまぎする彼女も、苦手な状況下に置かれれば、これほど大胆になってくれるものらしい。
『……え、お化け屋敷?』
『ああ、ぜひとも』
『好きだったっけ?』
『入ったことがない。評判がいいと聞いたので、この機会に体験をしてみたかった』
口元を引きつらせながら、了承した彼女は今、涙目になりながら、懇切丁寧に亡霊役のスタッフの脅かしに全て反応している。その様子があまりにも可愛くて、口元がにやついているのがばれないかどうか、別の意味ではらはらしてしまっているのは、中々いい趣味だと自分でも思ってしまう。
(しかし、こんなに簡単に目標を達成できるとは)
お化け屋敷に入ってみたかった、というのは本音である。偽りなどかけらもない。ただ、どうしても入りたかった理由は、諸君のお察しの通りである。彼女との肉体的接触を試みたかったからだ。
下種であるというそしりは甘んじて受けよう。しかし、弁明も聞いてもらいたい。
考えてみてほしい。彼女と俺の間にある、恋人としての接触を。手を繋いだのみである。腕を組むだの、口付けを交わすだの、乳房を揉むだの、(自主規制)に(自主規制)するだの、性的な香りが強まるような接触をまだ試みていない。いや、試みてはいたが、それを達成できなかったといったほうが正しい。俺が少しでもそうした思惑を絡ませた指を伸ばせば、彼女が生贄の羊のごとくびくびくとしてしまうので、やめざるを得なかった。その仕草が可愛くて遊んだこともあるのは、まあせめてもの対価として考え貰いたい。
彼女には免疫がない。俺に、ではなく、男女の事柄、というもの全般に対してだ。初心な彼女に対して、どうやってその防御を解いてもらうかが重要だった。それで考えたのが、ベタではあるが、このアトラクションに入ることだったのである。
思惑は見事成功した。例え怯えることがなくとも、ホラーを楽しむ趣味であるならばそれはそれで楽しめるはずなので、大した痛手ではなかった計画である。予想以上の耐性の低さで、逆にそれが申し訳なさすら感じさせた。それほど腕をしっかりと抱きこまなくても、俺はお前をおいていくはずがないだろう?
(理子)
駅で駆けてきた彼女を見たとき、思考が停止するほど驚いた。
それほど、今日の彼女の格好は、いつもに比べ無防備で何より色気がある。いつもがないわけではない。ただ、厳重封鎖された金庫のようなイメージが見える程度に、徹底的に肌を出すことを避けていた。それがどうだ、細い首、むき出しの鎖骨、開いた胸元、そして極めつけの絶対領域! 友人に見せられた雑誌で覚えた用語がまさかこんな形で役立つとは。むっちりとした適度な肉感を持つ太ももの白さが実に美味しそうである。
(ああ、歩み寄ってくれている)
その実感に、胸が熱くなった。そして、喉の奥で凶暴に飢える何かが暴れていた。かぶりついて、むしゃぶりついて、唾液に塗れた愛を口移しで体の奥底に届けてやりたいような衝動に駆られた。
まるで、愛情を見せてもらえたような気がして、有頂天になってしまったのだ。
(阿呆らしい)
それは錯覚だ。誤解であり、幻想。しかし、それは酷く心地よくて、彼女はとても可愛らしい。それで十分だと思える。かたくなに見せようとしなかったものを、恐る恐る差し出してくれたような、暖かな気持ちになった。つま先で水面を探るような、閉じられた部屋の鍵穴を覗くような、ひっそりとしたいたいけな勇気を、見たような気がして。
それを汚してはならないとは、どうしても思えない俺は、きっと狂人なのだろう。それで結構だ。
「ひいいいいっ! いま、ひゅ、ってひゅ、ってした、うわ、うわああっ!」
「大丈夫だ、俺が居る」
きつく抱きしめられる腕。柔らかい。いいにおいがする。ふに、という明らかに筋肉よりも脂肪が多い塊が腕に二つ、惜しげもなく押し付けられる。それが眼の奥を熱くさせるが、それは放り投げて無視をする。いい子だ、おとなしくしていろ。
彼女は、聡明だ。俺が思うよりもずっと、未来を見て、今を見て、過去を見ている。俺が気にも留めない何かに眼を奪われ、不安げにうつむいてしまう程度に、理解している。決して、甘いばかりの世界ではないということを。
俺が生きていく世界は、綺麗ごとを並べるわけにはいかない世界だ。こちらの利を最優先に考えていかなければならない。金銭のみを優先するような愚かしい真似はしないつもりだが、それでも状況を鑑みて、選択せざるを得ない場合もあるだろう。旧友の懇願すら、足蹴にする日が来るかもしれない。そして俺は、悩んで苦しくて辛くなっても、それを投げ出さないだろう。幼いころから、それを目の当たりにし、認識して生きていくことを決めたのだから。
そしてその選択の中に、彼女との関係が入っていることも、ちゃんと感じている。認識している。そして、考慮している。彼女との関係を終わらせないために、全心血を注いで、それをなしえようとしている。
だからこそ、俺は、彼女に愛されたいと願っている。
「大丈夫だ、理子」
こうして肉体的接触のハードルを下げるために入った思惑は成功している。きっとこのアトラクションを出たら、彼女は正気に戻ってしまうだろうけれど、それでもこの体験は無駄にはならないはずだ。彼の腕に、体に触れたという経験は、きっと彼女の未知への恐怖を和らげてくれる。俺に対する怯えも、きっと緩和されることだろう。
そうして、少しずつ、彼女が俺によりそってくれればいい。愛しても大丈夫だと、覚悟を決めてもらえればいい。
小さな体で、精一杯現実をみつめる彼女を、心から柔らかく愛しいと感じる。だからこそ、小さく立ちすくむ彼女に囁いていたい。愛していいんだ。怖がらなくていい。全てから守ることはできない程度に俺は無力だが、それでもお前を守るためならば手段を数多く選べる程度には力がある。信頼してくれていい。俺は、君を愛している。
たとえそれが聞こえるまで時間がかかろうとも、この恋人という鎖を手放すことは絶対似ないのだから。
「ま、ま、まさむねくん、お願い、立ち止まらないでっ!」
立ち止まるつもりはない。手放すつもりもない。想いを告げてくれたあの喜びは、まだ鮮やかにここにある。それが、俺にとってどれだけの重みがあるか、まだ分かっていないだろう。だからこそ、ずっと一緒に居てもらいたいのに。
でも、ひれ伏して許しを請いたい気分になることがある。甘い砂糖菓子のような恋を献上できない、俺の業の深さを直視するたび、凶暴な衝動で彼女を蹂躙したくなるたび、喉を掻き毟りたくなるほどの悔恨に苛まれる。
「分かっている」
我侭なのは分かっている。綺麗なままではいられないのは、結局俺のほうなのだ。彼女を手に入れたくて、その体が愛しくて、先走る欲望にじたばたと足掻くさまは、道化以外の何者でもない。それを、証がほしいと駄々をこねる幼子のようだと笑ってもいい。笑って、傍に居てくれるならば。貪欲な衝動と手を繋いだこの不安を、君はなんと形容してくれるだろう。怯えてしまうのだろうか。それとも。
「まさむねくん?」
「もう終盤だ。掴まっていればいい」
潤んだ眼を見て、美味しそうと思う俺を、君は受け入れてくれるのだろうか。
その喉笛に噛み付いて、もれる悲鳴を聞きたいだなんて。
(まったく、阿呆みたいだ)
まとわりつく埃っぽい空気と驚きを誘う演出に紛れて、一つ苦笑をもらす。
それが誰に向けてであったのかを知るのは、この腕の熱だけなのだろう。
(…本当に)
正宗君はむっつりだけじゃないんだよ補強エピソード。そういいつつも、抱きついてくる理子の柔らかさにはあはあしてたりする素直な男の子です。完璧さんてわけじゃない、彼も年相応なんですよ。正宗くんの好感度があがるといいな。
ちなみに、山田はお化け屋敷が大嫌いです。びっくりするのもお化けも苦手。