表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

彼と彼女の恋愛風景_あるデートのこと③


 例えるならば。

 まるで大好物を目の前にした子どものように、半額バーゲンセールを前にした女傑のように、パチンコが大当たりしたお父さんのように。

そんな風に例えられるだろう、うっとりとしつつもきらきらに煌く瞳で、わたしは檻の中を動くフクロウを見つめていた。



「か・わ・ゆ・い…」



 その呟きに呼応したかのように、真っ白いフクロウがきゅるんとこちらを向いて首をかしげる。副音声で「呼んだ?」とでもつけたいような仕草。

萌え死ぬ、その単語が頭の中で吹き荒れた。これが噂の萌え死か!と感嘆する冷静な自分。いつもならば嘲るような風情も、今はなりを潜めている。それほど、今、目の前で動くフクロウは愛らしかった。円らなお目目、ふかふかの羽毛、ミミズを啄ばむ嘴、ちょこんとした佇まい。その全てがわたしの心臓をときめかせ、萌えを生産する脳髄に直撃する。


 今自分はとても酷い顔をしているのではないだろうか、と冷静なわたしがフクロウによだれを垂らしながら忠告してくる。そういえばそうだ、今は折角のデートなのだ、こんなフクロウに興奮している場合ではない。



「理子は、フクロウが大好きだな」



 笑みを含んだ甘い声が春の日差しのように降り注いだ。思わず見上げると、面白そうにこちらを見つめる正宗がいる。ようやく我に返ったわたしにとって、その視線は羞恥心に火をつけるには十分だ。普段さほど表情を崩さない正宗が、こんなに面白そうに見てくるなどそうそうないことである。そんなやんちゃな孫を見るお爺さんのような眼で見るということは、それほどわたしのテンションが上がっていたのは明白だ。流石にはしゃぎ過ぎだろう、と自戒する。



「ご、ごめん、年甲斐もなくみっともないよね…」

「いや? 喜んでくれるなら誘ったかいがある」



 そう言って帽子を外し、しかし暑いな、と団扇のように扱う仕草をまじまじ見つめながら、彼についてちろりと考えた。

 いつものように、かっこいい。文句のない長身に、均整の取れた体つき。言うならば細マッチョ、というやつだろう。長い手足が嫌味なほどブランド物の服を隷属させ、光を放たせている。まさに、美しい、かっこいいという賛辞が贈られるべき存在だ。

 惚気のようだが、実際かっこいい以外に形容する言葉が出てこないのだから仕方がない、ボキャブラリの貧困さは重々承知している。なんだか正宗の周りだけきらきらして見える。少女漫画のきらきら後光のようなものか。これも知的には程遠い感想である。正宗の隣にいるには、できるだけ賢くありたいとは思うが、中々実を結ばないものだ。また新しい新書でも買おうかしら。


 日差しは平気か?と問いかけ自分の額に触れる、何気ない指先の動きすら優美さをまとうというのは、些か住んでいる次元を疑ってしまう。いくらお坊ちゃんであろうとも、ここまでの逸材になるには、本人の努力も才能も相当なものなのだろうな、とぼんやり思う。

 こんな、凡人の努力などでは及びもつかないくらいには、きっと高い塔の上にいるんだろう。見下ろしても、豆粒以下のような。

 きっと、ほんとは見えるはずがないんだろうな。わたしのこと。



「少し暑いな」

「そう…でもないけど。わりと人よりも体温高いから大丈夫だよ」

「それなら余計に気をつけろ。…売店でなにか買ってくる」

「あ、じゃあお金…て」



 こちらの声も聞かず、正宗はその長い足であっという間に遠ざかっていった。きびきびとしたその歩みは、モデルのウォーキングを見るようである。別に腰を振って颯爽と歩いている、というわけではない。彼が歩く道が、まるでモーゼの十戒のように割れていくからだ。ざざぁ、と混雑する道のりを、注意の声をかけるでもなく進む様子を見て、面白くて笑いたくなる自分と、ああやっぱり、と諦める自分がそっと肩を抱いてきた。


 熱に浮かされていたような頭が、急に現実を漂い始める。当たり前の日常を、眼の奥で認識していく。緩んでいた螺子がしっかいと元ある場所に戻っていく。

 それは今更な実感だった。たとえば、彼を見つめる視線が多いこと。綺麗な花に群がる蝶々のごとく、鮮やかな蝶が彼に向けて視線を送る。美味しそうね、吸ってもいい? 長い管をちらつかせながら、甘やかに舞っている。


 見下ろす格好。女の子を意識させる、格好。こんな格好をしたところで、何かが変わると思ったのだろうか。彼の自分を見る眼が? それとも、自信のない自分が? よく分からない。ただ、わたしだってやればできることを証明したいと思った。その気持ちに嘘はなかった。そのはずなのに。


 目の前のフクロウが、退屈そうに頭を掻いていた。こんな狭い檻の中ですごすのはさぞかし退屈だろう。けれど、そこに永久の安全があるというのは本当なのだから、一概に悪とは言えない。ただ、自分勝手な我侭の塊であることは否めない。そこに閉じ込めることを選択したのは、フクロウ自身ではないからだ。



(そんな君を可愛いなんて思ったのは、わたしの傲慢かな)



 問いかけるように笑んでみせれば、フクロウはまた首をかしげた。知恵の象徴としても名高いその生き物は、まるでわたしの悩みなど瑣末なことだと言わんばかりに、ほう、と一声啼いてみせる。我思うゆえに我あり、汝疑うことなかれ。傲慢だからこそ、そんなことを考えるのならば、きっと自分は誰よりも醜い生き物に違いない。



(大好きなんだけど、な)



 たとえば、身分なんか関係ないと力強い言葉で愛を貫いた主人公は、その後幸せになれたのだろうか。なれたのかもしれない。しかし、わたしにはそう思えないのだ。生まれというのは決定的な差を生む。生活の水準、要求されるスペック、負わされる責任。自分を見てくれないと嘆く人が出てもおかしくない環境は、しかしその人間を作るために必要だったもので溢れている。大企業を継ぐのに、当たり前の庶民の生活ではだめなのだ。それでは何千、何万という人の生活を叩き壊すことになる。叩き壊しただけではなく、その振動で国という存在も揺るがすだろう。大きな会社というのは、そういうものだ。ひとりの犠牲で成り立つはずもない会社は、その一人がいなければ崩壊する可能性も秘めている。優秀な指導者が求められるのは、会社のみならず社会の、世界の常だ。だからこそ、彼は、ああした大器となった。


 そんな彼の隣に今いるわたしに、いったい何があるのだろう。

 お金。誇れるほどの財産などない。貯金額を考えても、少し高いレストランで食事をしてホテルのいい部屋に泊まれば吹っ飛ぶような額だ。お金の話なんて下世話だが、それは重要だ。愛さえあれば、などといえない。愛があってもご飯が食べられなければ、人間は飢えて死ぬ。愛があっても服がなければ外に出かけられない。愛があっても住むべき家がなければ不安で夜も眠れない。お金があって最低限が保障されるからこそ、愛が素晴らしい輝きを放つことができる。少なくともわたしには、愛さえあれば飢えて死んでもいいなんて、そんな聖人君子にはなれない。

 身分。悪くはないが、平々凡々だ。結構いい大学の生徒で、不況の余波で資格取得にも余念がない女子大生。家は、そこそこの収入のある父親と専業主婦の母。生意気盛りの可愛い弟が一人いる程度で、目立ったような何かがあるわけではない。

 容姿。これについては言わずもがな。考えれば考えるほどダイエットに励むことしか考えられなくなるので、思考を打ち切る。誇れるような容姿ではない、というのが妥当な言葉だ。

 色々彼に必要であろう外側の要素を挙げてみれば、足りてないこと甚だしい。愛に貴賎がなくとも、社会には貴賎が存在するのだ。その貴賎を吹っ飛ばせるような、軽くできるような何かが自分にあるわけではない。つまり、一つも、武器にできるような何かが、わたしには存在していない。

 彼のそばにいるには、あまりにもわたしは、小さい存在だ。



「理子、グレープかレモン、どちらがいい?」



 コーンに入ったアイスを両手に持って、彼が隣に立っている。幸せなことだ。とても、これは幸せなことだ。眩暈がするほど。吐き気がするほど。



「レモン。一口上げるから、グレープ、一口頂戴?」

「もちろん」



 受け取ったアイスを見る。綺麗な、混じりけのないイエロー。思わず、羨ましいと呟きたくなるような、綺麗な綺麗な。


 その柔らかな笑顔に、縋りつきたい気分になる。彼の腕に、体に抱きついて、ここにわたしはいてもいいのだと肯定してもらいたい気分になる。立っている場所がゆらゆらして、怖くて仕方ない。あまりにもわたしには支えるための何かがなくて、惨めな不安で立っていられなくなりそうだ。そんなことを言ったら、彼は悲しそうな顔をするだろうか、それとも。

 くだらないことを考えなくてはならないのは、彼の傍に少しでも長く居たいからだ。まだ、まだ誰かにこの場所を渡すには思い出が足りない。甘さが、苦さが、愛しさが足りない。まだなのだ、彼に相応しい誰かに、この場所を渡すには、まだくるしくてかなしい。

 居なくなる彼を、手放す覚悟がまだできていない。



「旨いぞ、食べないのか?」

「食べるよ!」



 一度手に入れてしまった彼を手放さなくてはならないのは分かっている。諦めてもいる。駄々をこねても、わたしでは無理だと分かっているから。でも、諦めながら恋をしているのも事実だ。だからこそ、こうして隣に居るだけで、舞い上がるほど嬉しくて悲しい。愛しているから。好きという幼い好意では表せないほど、深く濁っているから。

 擦り切れた恋情が、傷ついた愛情が、飢えるような慕情が、まだ生きながらえているうちに。



(ああ、正宗君に、抱いてもらいたいなあ)



 ただ深く彼の記憶を刻み付けておきたい。最初で最後の愛だからこそ、傲慢にそう考える。貫くほどの勇気も意気地もないくせに。

 浅ましい欲望を持ちながら、レモンのアイスに口付けた。喉の奥を冷ますように、甘酸っぱい味が舌に広がり解けていく。



「美味しいね、これ」



 ほう、とため息をつくようにフクロウが鳴いた。


 いちゃいちゃさせようとして、この有様でした。ご不快にさせたらすみません。

 そしてフクロウはわたしが大好きなので出演決定です。フクロウ可愛いよフクロウ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ