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彼と彼女の閑話休題_デート前夜、彼の部屋



 デートまであと10時間。





 如月正宗は、その端正な美貌を歪めて、パソコンを睨み付けていた。

 その眼光の鋭さたるや、思わず何をおいても謝りたくなるほどの剣呑さで、なんとも穏やかさという単語の意味を忘れさせる代物である。

 正宗の心中も荒れ狂っていた。紛れもない動揺や苛立ち、そういった雑念として忌避すべき感情に支配されつくしている。明日は楽しいデートのはずであるのに、この気持ちはいったい何なのだろう。疑問に思っても仕方がない。ただ、ディスプレイに映し出されたことが、彼の心を乱れさせていた。

 



「なぜだ……」




 煩悶する。苦悩する。断罪する。

 どうしようもない、くつがえしようのない現実に頭を抱える。

 神から愛されすぎたその明晰な頭脳をもってしても、目の前の事実は覆りようがなかった。




「どうして、ホテルに空きがない……!!」




 明日のテーマパーク周辺すべて、くまなく探した。それこそ、くまなくだ。

 一流の、決して安宿ではなく、ロマンチックで、こう、しっぽりとした雰囲気のあるホテル。

 安っぽい宿は駄目だ。なぜなら、正宗と愛しい彼女である理子が泊まる部屋である。別にそういった宿が悪いというわけではない。ただ、こういった場合の需要として、その選択肢を選ぶのは愚の骨頂であるというだけだ。

 そう、彼女との関係を清らかなものから大人の刺激溢れるものにするためには、出来るだけ盛り上がれるような環境がなければ納得できない。




「くそ、世間は非情だ。そして非常識だ。そうまでして乳繰り合いたいのか万年発情期生命体どもめ…!!」




 別に大型連休とかぶっているわけでもなし、大して苦労せずに予約が取れるだろうと思って、前日に手を打ったのがまずかったのだ。ものの見事に、すべての部屋が埋まっていた。普通の部屋でさえもだ。パソコンに浮かび上がった結果に絶望するのも、仕方ないことであろう。

 ひときしり自分のことを丸々すべて棚に上げつつ、呪詛の言葉をパソコンの画面に向かって吐き捨てておく。その様子はその美貌と相成って非情に滑稽であるが、当の本人は大真面目なので気にしていない。

 むしろ、気にする余裕がない。





「初めての、遠方デートなんだぞ…!!」




 いつものように電車で一本、というようなものではない。電車を幾つか乗り継いでいかなければいけないような距離である。二人っきりのデートという形では初めてのことだった。なので、そこそこの早朝に駅で待ち合わせ、開園開始から遊ぶために移動する。そして、本当に、丸一日二人っきりで遊び倒すのだ。

 それも、あまり知り合いの目が届かない場所で! これが喜ばずにいられようか。





「理子は、恥ずかしがりやだからな…」




 

 ディスプレイをにらみつけることを止め、正宗はふぅ、とため息を落とす。脳裏に浮かぶのは、彼女のことだ。いつもの、彼女の様子。

 彼女は大学近辺で会うと、必ず周囲を気にする様子を見せるのだ。おどおどと、おろおろと。

 そんな風に警戒せずとも、何か危機があれば体を張って守りきってみせると言ったら、そんな危険が降りかかるような生活をしているのか?と逆に心配されてしまった。どうやら見当違いだったらしい。

 よくよく聞いてみれば、なんのことはない、彼女の心配事はこの様子が誰かに見られているのではないか、という一点にあった。

 どうやら、恋人と一緒にいるところを人に見られることがたまらないらしい。自分と一緒にいるところを人に見られるのがそんなに嫌か、と絶望していたところ、






『その、恋人とさ……一緒にいて、いちゃいちゃしている場面って、人に見せると恥ずかしく…ない?』





 木っ端微塵に絶望感は吹っ飛んだ。あまりの激情に言葉が喉の奥に張り付いてしまう。





(むしろ、存分にいちゃいちゃしたいのだが)





 恥ずかしそうに眉を寄せ、困ったように頬を染める様子を見てそう即答したくなったのは仕方のないことであろう。無言で彼女の手を握り、ネオンがやたらまぶしい建物へ突っ込みたくなったのは愛嬌というやつである。

 結局、あの場では、ああ、だの、うん、だの自分も照れたような答えしか返せなかった。そうしたら、わが意を得たり、と言ったようにちょっと距離をとろうとしたので、それだけは断固阻止したのであるが。





(理子は間違いなく俺が初めての恋人だから)





 性急に進めてはならない、と痛切に感じた。手を繋ぐだけで、初々しい反応をする彼女に。

 大体、物心ついたころから一緒にいる彼女に、男の影など一度も現れなかった。自分が女性関係に浮かれている頃にも、彼女は仲のいい友人たちと穏やかなときを過ごしていたように記憶している。

 彼女に告白する、という男もいたような気がしないでもないが、自分の大切な幼馴染を任せるに値するか試験してやったところ、ものの見事にすべて脱落していった。大したテストなどしていないはずなのに、嘆かわしいことである。なので、告白されたこともないだろう。

 だが、男女交際というものに対してさほど無知であるとは考えてない。付き合いがないとはいえ、情報化社会だ、雑誌やテレビ、漫画、友人の話などで、そこそこの性に対する情報は得ていると考えている。しかも女性誌は、たとえファッション誌であっても昨今は過激であると、知り合いからも聞いているので、それほど初心ではない、と踏んでいたのだが。

 これが、甘い認識とは思わなかった。





(本当に、可愛い)





 可愛いのだ。とにかく、初々しい。何はともあれ、初々しい。

 手を繋ぐのも一生懸命。耳元で好きだ、と囁けば顔を真っ赤にして固まる。ちょっと肩を抱き寄せてみようかと腕を上げれば、目に見えて肩がぴくんと動く。それに躊躇って、腕を回さないでいれば、しゅんと落ち込んで背が丸くなる。

 あまりの素直な反応に、彼女の頭に犬の耳と尻尾が見えてしまうくらいだ。また、彼女に本当にそれが生えていてもそれはそれでありだと思う(断じて変態ではない)。



 正宗にしてみれば、肩を抱くだとか、手を繋ぐだとか、そんなレヴェルは序の口である。いちゃいちゃにすら入らないだろう。腕を組んだり、道端でキスをしたり、それくらいからではないだろうか。

 その前の前の段階あたりで、彼女は何の免疫も持たずに、享受することに精一杯というこの状況。






「俺は、愛されてるんだよな」






 彼女がああいった反応を返すたび、荒れ狂う心臓と、暴れたそうな下半身事情はさておいて、とにかく頭の奥でひやりと何かが横切っていく。




 彼女は、俺に怯えているのではないだろうか。




 彼女は、俺を怖がっているのではないだろうか。





 幼馴染の枠を超えたい、と告白してきてくれて有頂天になっていた。

 両思いが嬉しくて、彼女を手に入れられると思って、本当に幸せとはこんな感じなのだ、と頭が春爛漫状態になった。

 けれど、三ヶ月。三ヶ月である。日数にして90日。時間にして2160時間。秒数にして129600秒。

 それだけの時間が経過して、彼女と進めた関係は、たった手を繋ぐという段階のみ。今日日中学生でもキス程度は済ましているのではないだろうか。これが別に自分以外の関係であるならば、肉体関係が全てでない関係なのだから何とも思わない。けれど、これは理子と自分の関係なのである。

 焦らずにはいられない。迷わずにはいられない。不安にならずには、いられない。

 理子は、自分を警戒しているからではないだろうか。

 理子は、自分という男を、初めて出現した、雄という生命体である自分に、怯えているのではないか。




 出来れば、すぐにでも食べてしまいたかった。

 頭から爪先まで、綺麗に残らずくまなく舐めしゃぶり、甘く噛み、舌先や指先でなぞり、彼女すら知らないところを暴き、摘んだり転がしたり捻ったり揉んだり吸ったりして、ぺろりと綺麗に平らげてしまいたかった。

 けれど、あんまりにも彼女の反応の初々しさから思ってしまう。

 彼女は、自分という存在に対して、彼氏という存在に対して恐怖ともつかぬ怯えを持っているのではないだろうか、と。





「理子は、綺麗だからな……」





 性的な対象としての男性は、自分が間違いなく初めてだろう。他に好きな人がいたかもしれないが、付き合いにまで至った男は、自分のみだ。だからこそ、その存在は未知であり、恐ろしい脅威でしかないかもしれない。


 

 正宗は、初々しくはなれない。彼女を愛していないからではない。むしろ、理子に至るまでの過程で、その行為を知っているから、なお強く求めてしまう。

 手を繋ぐのも、勿論ときめく。肩を抱けば、幸せな気分になるだろう。けれど、その最後に行き着く行為を、切に望んでしまう。だって、とてもそれは気持ちが良くて、気持ちが良くて、気持ちが良いから。

 その相手が理子であるならば、きっと、気持ちいいなんてレヴェルじゃない、本当に満たされた、飢餓感のような貪欲な幸福を得られるだろうと知っているから。




 紛れもなく、ただ彼女と、ぐちゃぐちゃに、めちゃめちゃに、べちゃべちゃに、ぬちゃぬちゃに、蕩けあうような愛欲に満ちた行為を望んでいる。

 あの丹念に包装した菓子のような、肌を見せない理子の衣服を何度剥ぐ想像をしたか。

 ぽってりした唇に噛み付いて、その小さくのぞく舌の柔らかさを味わってみたいか。

 いつも冷静な目を、情欲に潤ませて、懇願に歪ませてみたいと思ったか。

 きっと、こんな自分を彼女は嗅ぎ取っている。頭の裏側で、理性に隠された直感で、おそらく本能というもので。 





「理子……」




 

 ホテルを予約しようとしたのは、そういった行為をしたいからという理由ではなくて、ただその反応を知りたかった。

 もしも、そう告げたとき、彼女は恐怖に顔を歪ませるだろうか。戸惑いに瞳を潤ませるだろうか。

 最終的に拒否されてもいい、それでもそういった気持ちに対して、彼女は、





 受け入れてくれるのだろうか。







「……っ」





 腹から喉元へ、何かが駆け上がってくる。分からない、けれど分かってしまう。ただ、強い衝動。

 彼女を抱きしめたい。出来れば、抱いてしまいたい。そこまでいかなくても、せめて口づけをしたい。あの可愛い唇に、願うように、祈るように、懇願するように、自分の気持ちを絡ませたい。

 ただ、彼女が、自分を受け入れてくれるのだと、自分を求めていてくれるのだと、確信を、自信を持ちたい。

 ただ、彼女が、自分を愛してくれているのだと、同じ気持ちでいてくれるのだと、揺るがないものが欲しくてたまらない。

 こんなに、不安になってしまう自分なぞ、認めたくない。

 こんなにみっともない自分は、彼女に相応しくない。




 いつの間にか真っ黒になっていたディスプレイに映る自分を見て、正宗は失笑する。

 明日はデートだ。なぜこんなに不安になるのか。こんなに弱くなってしまうのか。笑ってしまう。これが、如月正宗だろうか。

 もう寝てしまおう。彼女に会うために。そうすればいい。こんな、詮無い気持ちで動揺してしまうのならば、寝てしまうのが一番確実だ。





「愛してるよ、理子」






 なぜだか毀れてしまった言葉があまりにもか細くて、正宗は、なぜか、ほ、と笑ってしまった。

 その笑みは、なんだかいつものような自信が見られなくて、けれど。

 とても、優しい笑みだと、思った。











 デートまであと10時間。 

別に盛りたいだけの男でもないんですよ、正宗くん。

いい男に書いてあげたいのだが、難しい…。まだまだ精進です。

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