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六章 「月明かりの下」


風の音もしない真っ暗闇の部屋の中で、僕はいつしか前後の間隔を失っていた。


「前はどっちだっけ・・・」


額の裏の警告と取れる怪文を思い出す・・・


「真っ暗だからなにも見えないよね?」


振り向こうとするが、どうしようもなく体が重たい。

呼吸をやめたら、背後に立つ何者かの息使いが聞えてきそうで呼吸が荒くなり背中を冷たい汗が伝う。


鳴り止んだヤツラの行進音とまだ差し込まない月明かり。

吐き出した二酸化炭素でこの部屋が一杯になるんじゃないかと馬鹿らしい考えが頭をよぎる。


決心するまでに好奇心は出てこなかった。


本当にそこにいるのか?


疑う心、疑心暗鬼が体を動かす・・・


振り向いた先、闇の中に気配も息使いもなにも存在しなかった。

たぶんそこにあるのは、見えない埃と・・・



「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



突然だった。


完全に腰の力は抜け、硬直した背中は震えがとまらない。

冷たいゼリーを胸一杯にこぼしたみたいに、言いようのない感覚が広がっていく・・・

反射的に振り向けるほど、僕は強くないしそんな余裕もない。


逃げ出そうと踏み出した右足になにかが絡まっているような感覚がある。

少しも動かないのは左足も同じだった。


「ああぁぁぁぁ」


悲鳴は続く、広い部屋で反響するそれはまるで頭の中に直接入って来るみたいだった。

突然、あのノートを見た時と同じ眩暈が始まった。

脳を揺さぶられるようにいつもより酷い、吐き気を通り越して痛い。

割れそうな感覚と薄れてゆく意識の中で僕は、「なにか」が壊れて行くのがわかった。



うずくまった僕の背中に、冷たくて硬い棒のようなものが二本伸びてくる。

それが腕だと理解した時、それは指一本入らないくらいピタリと首に巻きついてきた。

声にならない叫び声を上げて精一杯振り切る。


スッと抜けた腕は案外短く細い。

右足についたそれを無理矢理に振り子運動で振り切り、左足のそれは踏みつけた。

隙をつき、それが届かない距離まで離れてから立ち止まった。


窓から月明かりが入ってくる・・・


途端に、眩暈や強烈な頭痛が止んだ。

まだ、うしろには何かがいる。

一瞬の沈黙を破りペタペタと裸足で床を小刻みに歩く音が近づいてきた。


・・・逃げるしかない。


僕は、入った扉へ飛び付き右足を軸に反転するとそのままの勢いで扉を閉めた。

ゴンッと何かが思い切りぶち当たる音が聞えた。

耳をふさぎたくなるくらい気味の悪い奇声も・・・



しばらく、僕はノブを握っていた。

この部屋のノブが他とは違うのは、こういうことなんだろうか?

階段の踊り場から、ほのかな月明かりが差し込んでくる。



部屋の中から動く気配は消え、僕は恐る恐るノブを放した。

冷たかったそれは、生温かくなりわずかに湿っていた。

いつの間にか暗闇に慣れ、このわずかな月明かりでもいくらか物を判別できる。


まず、この部屋を封じるしかない。


僕は、息を潜め「事務室」へ向かった。



事務室には、スチール製のデスクが窓際に置かれ、その上に古いノートパソコンが一台あった。

使えるものは、全部移したんだろうか?

長くて丈夫そうな棒状の物を探したが、これといって使えそうなものは無い。

大きなキャビネットの一番上の引出しを取りあえず引いてみた。

ガサガサと手でかきまわすとオイルライターがあった。まだ、火もつく。

身を刺すような寒さの中、この小さな火がとても心強く思える。


デスクに座り、放置されたノートパソコンのスイッチを入れてみた。

でも、それはまるで動いていた頃を忘れてしまったかのように冷たく無反応だった。

なにかディスクが入っていないか強引にドライブを開いてみる。

すると、見た事の無いロゴのプリントされたCD‐ROMが出てきた。

よくないことだと思いつつも、僕はそれをポケットに入れた。



電気スタンドのコンセントケーブルであの部屋のノブを巻き、階段へ向かった。

ライターで確認した腕時計は、二時を指してる。


一階は部屋分けされておらず、大きな展示場になっていた。

和光町の生い立ちから成長までを紹介した古いパネル。

当時の新聞を拡大コピーした物など、記念館としては中々の物だった。


ただ、どの展示物にもあの兵藤兄妹の失踪事件は載っていなかったし、

それはおろか1980年の記録が全くない。

パネルの写真は、山に囲まれた小さな村のような場所が突如として近代的な町へと変貌している。


「不自然すぎる」


この記念館は恐らく戦後建てられたものだと思うけど、そもそも何故こんな何もない町にこんな立派な記念館が建てられたのか想像がつかない。

全ての展示物を見終えた後、益々その気持ちは強くなった。




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