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三章 「眩暈」



食事を終えた後、母さんをまた布団に寝かせ少し話をした。

大したことじゃない。今日どんなことがあったとか料理のレパートリーが増えたとか、考える必要のない話だ。

その方が母さんもきっと気が楽だろう。


いつものようにおやすみを言う前に、母さんは静かに眠りについた。

機械の出す音よりも小さな寝息を立てるものだから、いつしか僕は、確認するように細かく縮小運動を繰り返す母さんの胸を見ていた。


頭を廻るのは、いつもと同じやり場のない思いと後悔。

こんなに細く、小さくなってまで僕を我が子と呼んでくれること。

僕は、そんな人のもとに生まれてこれたこと。

そして、そんな人を不幸にしてしまったこと。

あの夏の一瞬の三年は、こうも人の心を変えてしまうのかと、ただ自分の行いを悔やんだ。



空いた皿を流しに運び、洗うのは明日にすることに決めた。

土曜の夜だ、少しくらいゆっくりしても許されるだろう。

手の甲についたソースを洗い流し、タオルで手を拭いているとゴミ箱に見慣れない封筒が捨てられていることに気付いた。


一般的に普及している茶色い封筒。封は切られているが、おとといの煮物で浸されたそれを手に取る気は起きなかった。

滲んで読みづらくなった宛名は「剣崎勝広」親父の名前。


三角コーナーから今朝の卵の殻を取ると、それに投げつけた。

殻は割れることなく、それと同じように煮物に呑まれていった。



熱いコーヒーが冷たくなり、底が見えた頃。

点けていたテレビを消し、本棚の隅っこに隠しておいた一冊の分厚いノートを開いた。


表紙は黄色く変色し、開くページは少しカビ臭い。栞代わりに挟んでおいた広告を探す。

この辺りでは有名なスーパーマーケットの「特売り」の文字、豚肉が安い。



読みかけの行を探していく内に酷い眩暈が僕を襲った。

細かい文字が苦手なわけじゃない。いつもこうやってこのノートを読み始めると起こる原因不明の眩暈だ。

初めの頃は、力を眉間に込めて目を瞑れば治まったが、最近は酷い。

食べたばかりの物を全部吐き出したこともある。


眩暈が治まる頃、決まって喉が渇く。異常なほどに。

蛇口を思い切り捻り、水が飛び散ることさえ構わずそのまま口を広げる。

コップでいちいち注いでいたら我慢できない。


Tシャツを脱ぎすてると、大量の水分を含んだそれは嫌な音を立てて床に広がった。

膨らんだ腹が重い。


今まで読んできたこを整理しながらノートに目を転がした。

自分の知らない、真実かも知れない出来事の中を彷徨うように・・・



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