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小さな頃から、ヒーローになるのが夢だった。
男児はみな、一度は通るであろう、ヒーローになるという夢は、僕の中ではずっと生きていた。
ピンチの時に颯爽と現れて誰かを救うなんて、カッコいいじゃないか。
「あんたなんて、私達の子じゃないわ。ほんとうに、迷惑」
五歳。五歳まで僕は幸せだった。
優しいお母さんと、ちょっと怖いお父さん。いつもにこにこなお姉ちゃん、ふわふわの猫。「普通」で、「当たり前」な家庭だったのに。
ある蒸し返すような暑い夏の日、僕だけが公園で友達と遊んでいた。ヒーローごっこをしてたはず。
十七時のチャイムが鳴って、まだ冷めない熱を抱えて大好きな家族の元へ走って帰った。
今日はレッドをやらせてもらったんだよ。って。
そこから先は、思い出したくない。
ソファの上で、お父さん。キッチンの隅でお母さん。お母さんの腕の中で、お姉ちゃん。
猫は、わからないや。
母方の祖父母は五歳の当時すでに他界済みということで父方の祖父母の家に預けられた。
一緒に悲しんでくれた。まぁ、当たり前だよね。実の孫だもの。いつまでも記憶に残り続けるのはかわいそうだと、無いお金を絞り出して引越しまでしてくれた。でも、僕は塞ぎこんだまま、時間も、月も、年もわからないくらい、部屋に引きこもってた。学ぶことも、遊ぶこともままならず、でも、可哀想な子だから、誰にも怒られなかった。
ただひたすらに、テレビでヒーローを眺めてた。
僕にはこれしかなかった。これだけだった。
いつしか、祖母が癌に罹ったらしい。
それを知ったのも、一人になってからだった。おそらく、その時期から、いつもドアの前に置いてくれるご飯が届かなくなった。久しぶりにお腹の空く感覚に戸惑いながら、やっと部屋から出ようと思った。
こんな家だったんだ。とても静かで、暗かった。
リビングと思われる部屋の机に紙が一枚。
勉強をしてない、漢字の読めない僕でも分かるようにって、全部平仮名の手紙。
今思えば、それが最後の優しさだったのかもしれないな。
『ごめんな
おなかがすいたら このばんごうを となりのでんわにいれるんだよ』
当時の僕はそれがなんの番号か分からずに、ただ電話を取った。
「はい、こちら110番。どうなさいましたか」
爽やかなお兄さんの声が帰ってきた。
お腹が空いたらここに電話をかけるよう、紙に書いてあったから、電話したのに。いたずらだと思われてたんだろうね。そのことを伝えたら、お兄さんの声が一気に怪訝な空気を纏った。
「ぼく、お父さんとお母さんは、どうしたの」
いないよ。お父さんとお母さんなんて。
ただお腹が空いたから、電話したのに。たくさん質問されて、疲れてしまった。
「お腹が空いたのか。ちょっと我慢してくれるかな。ごめんね。そこでしばらく待っていてね」
そう言ってお兄さんは電話を切った。
ソファに座ってぼーっと壁を眺めていたら、玄関を叩く音がした。
ドアを開けたら数年ぶりに浴びる外の光と、複数の人影。過去に読んだ本の中と同じ服。けいさつかんだった。
彼らは驚いた顔をして、眩しさに顔を顰める僕を見た。
その後、僕は「保護」された。
後で知った話だが、祖父は川に浮かんでいたそうな。
九歳と思えない知能の低さに、警察官はおどろいていた。仕方ないじゃないか。五歳で止まったままなのだから。
そこから先は、親族間をたらい回しにされた。
どの家庭でも歓迎されなくて、どんどん「普通」から遠かった人生だった。
ヒーローになる青年達はみな、「普通」の高校生なんだ。「普通」の高校生が、実は、世界を救うヒーローなんだ。
児童期をまともに過ごせなかった僕は、頭の出来も、身体の出来も、みんなより明らかに劣っていて、それがさらに保護者をいらつかせた。
でも、高校の三年間の面倒を見てくれた家庭は、まだマシだったと思う。殴らなかったし、ご飯も与えてくれた。
物置だけど、自分のスペースがあったし、十分だけど毎日シャワーも浴びさせてもらえた。アルバイトも認めてもらえたのは大きかった。
そのおかげか、友達と呼べる人もできた。すごく楽しかった。世間を知らず、スマートフォンすら分からない僕に、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
腫れ物扱いされてる僕に優しくしてくれた。どうすれば普通に近づけるか、一緒に考えてくれた。
友達が、「ヒーロー」に選ばれた。
我が国を悪から守るヒーローに。
「誰にも言っちゃいけないらしいんだけどさ、お前には教えちゃおうと思ってるんだ」
嬉しそうだった。羨ましかった。ずるかった。
でも、こんなに優しくていい奴なんだから、ヒーローに選ばれても、文句はないか。
「そっか。頑張れよ。応援してる」
その日の夜、久しぶりに泣いた。
僕の住むこの国には、「ヒーロー」がいる。