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はぐれポーター  作者: 覚賀鳥
第1章 旅立ち編
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6話 盗賊討伐

 迷宮都市アマーリアまで、あと数時間。僕たちの荷馬車は、夕暮れに染まる前の街道をごとごとと進んでいた。商人のエレインさんが帳面を閉じ、護衛のカールさんが油断なく周囲を睨む。その時、先行していたシーフのカーラさんが、猫のように音もなく舞い戻ってきた。


「兄さん、マズいよ。血の匂い。それに、轍が二種類。片方は貴族が乗るような豪華な馬車のもの、もう一つは……賊が使う安物の荷車だ」


 カーラさんの鋭い言葉に、のんびりしていた空気が一瞬で張り詰める。カールさんは静かに、しかし鞘に収まった剣が唸りを上げるほど強く、柄に手を添えた。


 僕の心臓はというと、罠にかかった兎みたいに胸の中でドッドッドッと暴れ出す。戦闘経験なんて、この前のロックウルフ戦が初めてみたいなものだ。僕にできることなんて、このちょっと(というか、かなり)変わったスペル【インベントリー】くらいしかない。


「シェルパ君、荷はお願いできる?」


 エレインさんの声は、こんな状況でも湖面のように穏やかだった。


「は、はい! すぐに収納します!」


 裏返りそうな声をなんとか押し殺し、僕は震える手を掲げる。胸の奥で、僕だけの魔力がカチリと歯車を噛み合わせた。


【ストレージ】


 ふわり、と空間が歪むような感覚。荷台に積まれていた樽も、頑丈な木箱も、色とりどりの布束も、すべてが音もなく僕の中へと吸い込まれていく。


 僕の【インベントリー】は、世界の法則の外側にある静かな倉庫。生き物だろうが、剣の斬撃だろうが、何でもござれの万能収納スペースだ。その中には、前に戦ったロックウルフとの戦いで奪った【咀嚼】、カールさんとの剣の稽古でこっそり吸い取っておいた【斬撃】、それに護身用に集めた大小の岩石がごろごろと出番を待っている。


「いつもながら助かるわ。じゃあ、行きましょうか」


 エレインさんが馬の手綱をぐっと引いた、その瞬間。風に乗って、か細い悲鳴が僕たちの耳に届いた。


 森を抜けた先は、開けた丘になっている。

 そしてそこは、まさに地獄の一丁目といった光景が広がっていた。豪華な紋章を掲げた馬車が無残に横転し、その周りには数人の護衛騎士が血の海に沈んでいる。

 そして、その馬車を取り囲むのは、絵に描いたような悪人面の盗賊ども。彼らの下卑た視線の中心で、上等な絹のドレスを泥で汚した小さな少女が、肩を震わせて立っていた。


「くそっ、こいつら、見かけ倒しのくせに手こずらせやがって!」


「まあまあ、その分このお嬢ちゃんは高く売れるってことだぜ、へへへ!」


 聞くに堪えない笑い声が響き渡る。まずい。これは本当に、本気でまずい。僕の両膝は、生まれたての子鹿の最終形態みたいにがくがくと笑い始めた。


「シェルパ」


 カールさんの低い声が、僕の耳を打つ。


「震えるな。お前の仕事は、俺の背後で飛んでくるものを全部吸うことだ。それだけでいい。できるか?」


「で、できます! たぶん!」


「よし。カーラは右から回り込んで、嬢ちゃんへの道を切り開け。エレインさんは後方で待機。俺が突っ込む。――行くぞ!」


【身体能力向上】!


 カールさんがそう唱えると、彼の筋肉が微かに膨張し、その全身から青い闘気が立ち上った。次の瞬間、彼は地面を蹴り、もはや人間の速さではない疾風となって盗賊団に突っ込んでいく。


 僕は「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げながらも、必死でその超人のような背中を追いかけた。


 乱入に気づいた盗賊たちが、慌てて弓を引き絞る。


「来い!」


 矢が放たれる。ひゅん、ひゅんと風を切る音。僕の目の前で、死が矢の形をして飛んでくる。怖い。でも――!


【ストレージ】!


 僕は叫んだ。僕に向かってきた矢が、まるで蜃気楼だったかのように掻き消える。カールさんの背中に向かう矢も、その軌道を読んで吸い込む。一本、二本、十本! 次々と放たれる矢を、僕はただ叫び、吸い込み続けた。


「な、なんだぁ!? 矢が消えるぞ!」


 盗賊たちの混乱は、彼らにとって致命的な隙となった。その隙を、超人カールさんが見逃すはずもない。彼の剣が銀色の閃光となり、盗賊たちの間を駆け抜ける。

 しかし、刃は誰の肉も斬り裂かない。峰で急所を打ち、柄で顎を砕き、剣速だけで相手の体勢を崩す。その圧倒的な剣技は、殺さずに、しかし確実に敵の戦闘能力を奪っていく。

 流石、冒険者ランク3の力だ。


【ストレージ】!【ストレージ】!


 横から飛んできた魔法の火の玉も、背後から迫った大男の斬撃も、僕は全部吸い込んだ。足はまだ震えてる。でも、僕の前にあるカールさんの広い背中が、『お前は大丈夫だ』と無言で語りかけてくれている気がした。


「シェルパ、岩を!」


 カールさんの声が戦場に響く。


「は、はい! 【リリース】!」


 僕は【インベントリー】の中から手頃な中くらいの岩をいくつか選び出し、盗賊たちの密集している頭上めがけて放り出した。

 どしん、と地面が揺れ、悲鳴と怒号が上がる。直撃はさせていない。狙うは混乱と足止めだ。その砂塵が舞う隙に、いつの間にか背後に回り込んでいたカーラさんが、影のように動き、縄を使って鮮やかに数人を縛り上げていく。


「いいぞ、シェルパ! その調子だ!」


 カーラさんの声に励まされ、僕はもう一度叫んだ。


「リリース、【咀嚼】!」


 かつて僕を喰らおうとしたロックウルフの見えない咀嚼力だけの牙。それが、杖を振りかぶった魔術師の手元で炸裂した。ガリガリと骨を砕くような奇妙な音を立てて樫の杖が噛み砕かれ、魔術師は恐怖に顔を引きつらせて腰を抜かす。


「リリース、【斬撃】!」


 カールさんとの稽古で得た、鋭い一閃。それが、短剣を構えた別の盗賊の手元を走り、武器を柄から真っ二つに断ち割った。


 僕の奇妙な攻撃と、カールさんとカーラさんの圧倒的な連携の前に、盗賊たちはみるみる数を減らしていく。いける。これなら勝てる!


 そう思った、その時だった。


「てめえら、動くんじゃねえ!」


 追い詰められた盗賊の頭目らしき、ひときわ体の大きな男が獣のような叫び声を上げた。その太い腕の中には、あの少女が捕らえられていた。そして、彼女の細い首筋には、ぎらりと光る汚れたナイフが突きつけられていた。


「こいつがどうなってもいいのか! さっさと武器を捨てやがれ!」


 ぴたり、とカールさんとカーラさんの動きが止まる。最悪の事態だ。人質を取られたら、僕たちにはもう手が出せない。


「くそっ……」


 カールさんが低く唸り、歯噛みする。


 どうしよう。どうすればいい? 僕の頭は真っ白になった。僕のせいで、あの子が……。

 僕がもっとうまくやれていれば、カールさんたちがもっと自由に動けていれば……。

 後悔と恐怖で、息が詰まる。


「シェルパ」


 静かな声だった。絶望に沈む僕の耳に、カールさんの声が届いた。彼は、僕をまっすぐ見ていた。


「お前ならできる。やれ」


 できる? 何を? 僕が? でも、何をすればいいんだ……。


 その時、僕の脳裏に、この【インベントリー】のただ一つの、しかし絶対的な特性が稲妻のように閃いた。生き物でも、斬撃でも、何でも収納できる。――そう、生き物『でも』。


 ゴクリ、と唾を飲む。怖い。失敗したら、あの子は死ぬ。でも、やらなかったら、確実に未来はない。


「……やります」


 僕は震える声で答えた。カールさんが、わずかに頷く。


「嬢ちゃんから離れろ!」


 頭目が僕たちを威嚇するように叫ぶ


 僕は、震える足に叱咤して、ゆっくりと一歩、前に出た。


「おい、てめえ! 何してやがる!」


 頭目の注意が、完全に僕に向いた。その目が、僕を殺す、と告げている。怖い。心臓が口から飛び出しそうだ。でも、やるんだ。


 僕は、すべての意識を、前方に突き出した右手に集中させた。狙うは、頭目ただ一人。少女を巻き込まず、その手に握られたナイフごと、その忌まわしい存在そのものを、この世界から一時的に吸い取る。


「【ストレージ】ッ!!」


 人生で一番大きな声が出た。


 僕の手のひらから、見えない力が奔流のようにほとばしる。それは、頭目と、彼が握るナイフだけを正確に捉え――そして、吸い込んだ。


 ふっ、と。


 さっきまでそこにいたはずの大男が、まるで幻だったかのように、跡形もなく消えた。残されたのは、何が起こったのか全く理解できず、大きな瞳をぱちくりさせて立ち尽くす少女だけ。


「……え?」


 死闘が繰り広げられていたとは思えない、完全な静寂が戦場を支配した。


「……やった」


 僕がそう呟くと、それを合図にしたかのように、カールさんとカーラさんが思考停止していた残りの盗賊たちをあっという間に無力化した。


 僕はその場にへなへなと座り込んだ。足の力が、完全に抜けてしまった。


「シェルパ!」


 カーラさんが駆け寄ってきて、僕の背中を遠慮なくばんばん叩いた。痛いけど、嬉しい。


「あんた、最高だよ! マジでしびれた!」


「よくやったな」


 カールさんも僕の隣に膝をつき、大きな手で僕の頭をくしゃりと撫でてくれた。その不器用な優しさが、すごく温かかった。


「さて、と」


 エレインさんが落ち着き払った様子で歩み寄り、ショールを少女の肩にかけた。


「カーラ、あなた、一番足が速いわね。急いでアマーリアまで行って、警備兵を呼んできてくれる?」


「お任せを!」


 カーラさんは風のように駆け出し、あっという間に街道の向こうへ消えていった。


 カーラさんが戻るまでの間、僕たちは手早く後片付けをした。そしてカールさんが僕に耳打ちする。


「シェルパ、頭目を出すぞ。俺が捕らえる」


「は、はい!」


 僕はそっと物陰に移動し、カールさんが剣を構えたのを確認して、【インベントリー】の中の頭目を解放した。


「リリース!」


 ぽん、と軽い音と共に、頭目が地面に現れる。状況が理解できずにきょろきょろする彼の首筋に、カールさんの剣の峰が寸分違わず叩き込まれ、頭目は白目をむいて崩れ落ちた。うん、完璧な連携プレーだ。


 一時間ほどして、カーラさんに先導された屈強な警備兵の一団が馬を飛ばして到着した。僕たちは事情を説明し、縛り上げた盗賊たちと、ついでに頭目を引き渡した。


 その間、エレインさんのショールにくるまっていた少女が、おずおずと僕たちの前に歩み寄ってきた。彼女はまずカールさんたちの方を向いて深々とお辞儀をし、それから、僕の前に立った。


 琥珀色の大きな瞳が、不安と、それ以上の強い好奇心をたたえて僕をまっすぐに見つめている。


「あの……」


 か細い、でも芯のある声だった。


「わたくしは、ロゼ・アマーリアと申します。この度は、命を救っていただき、本当に……本当に、ありがとうございました」


 彼女は泥だらけのドレスの裾を優雅につまんで、完璧なカーテシーを見せた。その凛とした姿は、とても12歳の少女とは思えない。


「いえ、そんな……僕たちは、たまたま通りかかっただけで……」


 僕がしどろもどろに答えると、ロゼ様はふるふると首を横に振った。


「いいえ。あなた様がいなければ、わたくしは……」


 言葉を切り、彼女は僕の目をじっと見つめた。


「最後に、あの男の人を……消したのは、あなた様、ですわよね?」


 その問いは、カールさんの圧倒的な剣技やカーラさんの神業のような動きよりも、僕の不可解な力に一番心を揺さぶられたことを物語っていた。


「あ、えっと、その、ちょっとした魔法、みたいな……ものです」


 僕が曖昧に答えると、ロゼ様は怖がるどころか、むしろその琥珀色の瞳をきらきらと輝かせた。


「すごい魔法ですのね。わたくし、あんなのは初めて見ましたわ。まるで、物語に出てくる奇跡のようです」


 そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。恐怖から解放された安堵と、純粋な称賛が入り混じった、花が咲くような笑顔だった。


「あの、あなた様のお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「シェルパ、です。様なんて、やめてください」


「シェルパ様……」


 僕の言葉を無視して、彼女は愛おしい響きを確かめるように僕の名前を小さく繰り返した。


 その時、迎えに来た騎士隊長がロゼ様を呼びに来た。


「ロゼお嬢様、準備が整いました。さあ、館へお戻りください」


「はい」


 ロゼ様は頷くと、馬車に乗る直前、もう一度僕の方を振り返った。


「シェルパ様!」


 凛とした声が、僕の名前を呼ぶ。


「必ず、父からもお礼をさせてくださいませ! 館で、お待ちしておりますわ! 絶対に、来てくださいましね!」


 彼女はそう言うと、馬車に乗り込んだ。動き出した馬車の小さな窓から顔を出し、僕の姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと手を振り続けていた。その名残惜しそうな表情が、僕の胸をなんだか温かく、そして少しくすぐったい気持ちにさせた。


 翌日、僕たちはアマーリアの壮大な城門をくぐった。活気に満ちた街並み、行き交う人々、香辛料と焼き菓子の混じった未知の匂い。ここが、僕の新しい生活の舞台になるんだ。


 エレインさんの荷物を届け終え、報奨金――頭目の金貨二十枚と手下たちの金貨十枚、合計三十枚!――を山分けすると、四人で街の広場に立った。別れの時が来た。


「シェルパ君、本当にありがとう。あなたがいなければ、今頃どうなっていたことか」とエレインさん。


「シェルパ、お前はもうただのビビりじゃない。いざという時に頼れる、立派な冒険者だ」とカールさん。


「またね、シェルパ! 今度は一緒に迷宮に潜ろうよ! 私がしっかりお宝のありか、見つけてあげるからさ!」とカーラさん。


 三人が、それぞれの道へと歩き出す。寂しさが夕暮れの影のように胸に差す。でも、不思議と涙は出なかった。


 ここは迷宮都市アマーリア。この街で暮らしていれば、きっと、またすぐに会える。領主様からの招待だってあるんだ。次に会うときは、もう少しだけ胸を張れる僕になっていたい。


 僕は空を見上げた。高く、どこまでも青い空。手のひらをぎゅっと握りしめる。僕の【インベントリー】には、まだたくさんの余白がある。それはつまり伸びしろしかないという事!


「よし、まずは宿を探して、世界で一番うまい飯を食おう!」


 腹が、ぐぅっと高らかに鳴った。僕は笑って、未来へと続く石畳に、新しい一歩を踏み出した。


 吸って、吐いて、時々ビビって、でも最後は笑って。僕の冒険は、今、最高の形で始まったばかりだ。

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