4話 いい人
ボスロックウルフが一瞬で消えた。ぽん、って感じで。本当に影も形もなく。そりゃ群れの連中も腰を抜かすよね。
残ったロックウルフたちは「今のなに!?」とでも言うように一拍置いて、次の瞬間には四方八方へ大脱走。砂煙だけが僕の足元に残った。
「今の、なんだったんだろ……」
この世界と日本の記憶が同居してる僕の頭は、楽しく混乱中だ。インベントリーと聞いて、ゲームのアイテムボックスを想像していた。物を入れて出す、便利だけど地味めの生活魔法。
ところがどっこい、僕の【インベントリー】は生物まで収納できた。いや、できちゃった。ぶっ壊れにもほどがある。
しかも、魔力が有り余ってる僕にとって、【ストレージ】も【リリース】も消費魔力は微々たるもの。体感ほぼ無限回。オリジナルスペルが大金で取引されるって話、はい、理解。値段にゼロを何個つける気だろう、ってくらいの性能だ。
あれこれ考えていたら、風に乗って金属っぽい生臭さが鼻を刺した。血の匂い。見れば地面に赤い飛沫、服にも点々と返り血。
「服についた汚れ、【ストレージ】」
……はい、落ちた。やっぱりだよね。布はそのままで、血だけが目録:「血液」に追加される。
便利を通り越して、ちょっと怖い。ここで油断してると、血の匂いを嗅ぎつけて別の魔物が寄ってくる。僕はそそくさと場所を移した。
その夜。お風呂タイムは我が家の誇りだ。母の趣味で魔道具が充実しているうちのバスルームは、手をかざすだけで湯がでるシャワー、ぽかぽかの湯船の魔道具。
森で見つけて畑で栽培までこぎつけた泡々植物デポン由来の石鹸・シャンプー付き。
日本の生活水準とほぼ同じ。ありがとう、魔道具オタクなお母さん。
肩まで浸かりながら、頭の内の目録を開く。視線を『ボスロックウルフ』に合わせ、そっと触るつもりで意識を寄せる。文字が切り替わった。
『ボスロックウルフ』→解体→YES/NO
「解体までできちゃうの……」
思わず湯面がばしゃっと揺れた。つまり、そのまま素材に分けられる。皮、牙、肉、骨、内臓、きっちり仕分け。お金に困らない未来が、湯気の向こうで手を振ってる気がする。明日には隣村。ロックウルフの毛皮と食料、交換できたら最高。ドライヤー魔道具で髪をさっと乾かし、ふかふかの布団に潜り込む。眠りに落ちる寸前、目録の『咀嚼』の欄がまだ微妙に残っているのを見て、ちょっと笑った。今日一日、なかなかに噛まれたな。
朝。パンとスープをぱぱっと片づけ、装備最終チェック。よし。玄関を開けて深呼吸。
【ストレージ】
家を畳み、魔物避けも収納。空になった空間に朝陽が差し込む。インベントリーを手に入れてからというもの、心なしか鼻歌のテンポが明るい。足取り軽く道をゆけば、夕暮れ前には隣村の木柵が見えてきた。
一年ぶりの訪問だ。前は、父を戦に送り出すため、母とここまで来た。あのとき、僕がひとりになるなんて思っていなかった。胸の奥がちくりとする。けれど、立ち止まらない。まずは村長の家へ。礼儀は大事。
「こんにちは〜、村長、お久しぶりです」
玄関先から元気よく挨拶。戸を開けて顔を出したのは、朗らかな女性――村長の奥さんだ。目を丸くして、次の瞬間ぱっと笑う。
「あんれま! あんた、ゲイルさんとこの……たしか、シェルパでねぇか? こんなとこまで、どないしたべ」
ちょい訛りの温かい声。そのまま中へ通され、湯気の立つ豆茶を手渡される。ほっとする香り。村長は行商人と商談中らしい。僕はこれまでの経緯をかいつまんで話し、食料を分けてもらえないか、もしくは冬の間だけ置いてもらえないか尋ねた。
「あんた、まだちっこいのに……よくここまでひとりで頑張ったべな」
奥さんは目元を潤ませ、ぎゅっと抱きしめてくれた。危なかった。声が喉の奥で震える。
泣かない。泣かないぞ。
強くなるって決めたから。けれど、このぬくもりはやさしすぎて、決意の輪郭が一瞬ぼやける。手のひらで涙腺を押さえるみたいに、心の中で「先ずは生活を安定させる」と繰り返す。
奥の扉が開き、村長が行商人と並んで出てきた。商談はうまくいったのだろう、ふたりとも朗らかな表情だ。奥さんがすぐさま間に入って、僕の話を伝えてくれた。村長は目を見開き、歩み寄ると、がっしりした手で僕の肩を抱いた。
「よう頑張ったな」
その一言に、膝が少し緩む。危ない。泣くスイッチがまた入るところだった。深呼吸、セーフ。
そこへ、行商人が一歩進み出た。驚いたことに、若い女性だ。こんな辺境まで来るのに、二十歳にも届いてなさそう。きりりとした目の色に、旅慣れた軽やかさ。
「すまないね、少年。話、耳に入ってしまった。大変だったね。私たちはこれから迷宮都市アマーリアに戻る。もしよかったら、一緒に来るかい? あそこなら君の歳でも働き口はある。旅の間は雑用が多いけど、悪い話じゃないと思う」
提案に被さるように、村長と奥さんが「この村で越冬すればいい」「長旅は危険だべ」と心配してくれる。全員、優しさの化身か。ありがたい。ありがたいからこそ、迷う。けれど、僕は最初から決めていた。神殿がある都市、職業を測ってくれる場所、ダンジョンに最も近い街。アマーリアは、僕が次の一歩を踏むべき場所だ。
「……行きます。迷宮都市アマーリアへ」
言葉にすると、胸の中の歯車がひとつ噛み合う。行商人のお姉さんがにっと笑った。
「よし、歓迎するよ。荷物は?」
「大丈夫です。全部、持ってます」
僕は胸に手を当てた。目録の中には、家、畑、道具、食器、そして今日の成果であるロックウルフ素材一式。持ちすぎ? いや、持てるなら持つ。僕のインベントリーは、力の倉庫であり、思い出の倉庫だ。取り出し方を間違えなければ、きっと僕を助けてくれるはず。
それにしても、みんな、いい人かよ!?
僕は迷った挙げ句、当初の予定通り、迷宮都市アマーリア行きを決めたのだった。




