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はぐれポーター  作者: 覚賀鳥
第1章 旅立ち編
3/19

3話 ロックウルフ


 朝、目が覚める。視界に入るのは、見慣れた天井板と木の香り。いつもの家、いつもの自室、いつものベッド。

 けれど胸のどこかが「ここ、いつもと違うよ」と小さく囁く。そうだ、昨夜は隣村へ向かう道中の開けた野っ原に、家ごと【リリース】して野営したのだった。


 旅人っぽい? いや、家ごとなのは旅人っぽくないかもしれない。


 顔を洗い、リビングへ。朝ご飯は、簡単サンドウィッチ一択。焼いた食パンに薄く切った干し肉をのせ、刻んだ玉ねぎとピーマンを散らし、トマトソースをたっぷり。もう一枚でぎゅっと挟めば、はい完成。

 かぶりつけば、干し肉の旨みと酸味が口いっぱい。おかわり? するに決まってる。


 ……のだが、食べながら脳内在庫アラートがピコーンと鳴る。干し肉のストック、減ってる。

 体感ゲージで言うと、あと二週間でゼロ。これはマズい。冬が来る前に食料確保、絶対。隣村で調達しないと、わりとシャレにならない。


 皿を片づけ、軽くストレッチ。よし、出発準備だ。玄関で深呼吸。それから、いつもの合言葉。


【ストレージ】


 家と四隅の魔物避けの魔道具を、まとめて収納。外に家がなくなった野っ原は、ちょっとだけ風通しがよく感じる。

 肩を回して、歩き出す。道は平坦、でも油断すると足首をくじくタイプのゴロ石だらけ。

 中には「それ、城の飾りですか?」ってくらい大きい、トン単位の岩までごろり。うん、拾っておこう。


【ストレージ】【ストレージ】【ストレージ】


 転がる巨石も、そこらの小石も、片っ端から収納。容量の限界? 今日も姿を見せない。試しに投げかけてみる心の声


「ねえ、どこまで入るの?」


 に、インベントリーは今日も無言で応える。


「どこまでも」


 そんな妄想がふくらむ。が、収納に夢中になって歩くのは、フラグだったと後で知ることになる。


 視界の端で、灰色の影がちらり。もう一度。ちらり。三度目は、はっきり。狼だ。しかもロックウルフ。

 毛皮が岩みたいに硬くて、群れで行動する、厄介ランキング上位のCランク魔物。大人でも囲まれたらただでは済まないやつが、こちらの様子を伺いながらつかず離れず走っている。


 どうしよう。正直に言おう。僕は弱い。


 剣術は父に習ったけれど、十歳の僕に武勇伝はまだない。「才能はあるけど筋力がない」と言ってもらえるほどでもなく、たぶん凡庸。

 弓は母から教わったが、強弓は引けない。使えるのは軽い弓。威力は……うん、控えめ。


 それでも、やることはひとつ。走りながら【リリース】で弓と矢。


 構え、息を整え、狙う。放つ。


 カキーン!と矢が乾いた金属音を立てて弾かれる。


 わかってたけども! とはいえ、走りながら当てたのに褒める人がいないのは理不尽だと思う。


 狙いを変える。毛皮のない場所――目だ。

 しっかり見て、矢をつがえ、放つ。スッ、と吸い込まれるように矢が通って――命中!


「キャウーン!」


 ロックウルフが転がる。が、すぐに立ち上がった。ダメージは入ったけれど、致命傷ではない。矢の威力が足りず、脳まで届かなかったのだろう。


 悔しい。でも止まれない。他の個体もじりじり距離を詰め、ついに並走をやめ、こちらを包囲するように広がった。舐められている。完全に、子供一人と見切られている。


 二匹が同時に飛び込んできた。矢は一本ずつしか放てない。母なら二本同時も余裕なのに。

 狙って、放とうとした瞬間――もう一匹が正面から牙を剥いて飛ぶ。避けきれない。間に合わない。考える暇もない。このとき、口が勝手に動いた。


【ストレージ】


 昨日から連発していた合言葉が、条件反射みたいに飛び出した。


 ぎゅっと目をつむる。……痛くない? おそるおそる瞼を開くと、目の前にロックウルフの大口。が、感覚がない。

 いや、噛まれてる。ガシガシいってる。なのに、痛くない。


 どういうこと?


 さらに横からも、後ろからも、ガシガシガシガシ。

 え、囲まれ噛みつかれ放題。おおう。見た目のインパクトがすごい。第三者が見たら絶対引く。というか僕なら引く。


 でも、やっぱり痛くない。頭の中の目録に、新しい項目がぴょこっと増えた。「咀嚼」。

 ガシガシのたびに、数字がカチカチ上がる。これってつまり、噛む力だけを【ストレージ】している? ロックウルフがガブリするたび、嚙むという行為の力を奪って蓄積している――そんな解釈がしっくりくる。


 もしそうなら、攻撃に転用できるのでは? 試す価値はある。


 最前面で噛みついている一匹に向けて、咀嚼を【リリース】。一回分。ロックウルフの体がビクリと跳ねる。が、すぐにまたガシガシと噛みついてくる。うーん、一撃じゃ毛皮を貫けないか。数が足りない。


 目録を見る。咀嚼の数値は50を超えていた。え、もうそんなに噛まれてるの? 無傷とはいえ、精神的にくるやつ。よし、まとめて行こう。首元を狙い、咀嚼を十回分【リリース】!


 ドシュッ――という、鈍い音がした。ロックウルフの首元に目に見えない噛み跡が一瞬で刻まれ、血しぶきが弧を描く。そのまま、どさり。倒れる。


「や、やったー! 倒せちゃった!」


 歓声を上げた瞬間も、なおガシガシされ続けている現実。嬉しいけど状況はカオス。

 慌てて左右の個体にも十咀嚼ずつを【リリース】。二匹、三匹と、次々に崩れるように倒れていった。見ていた他のロックウルフが、はっと距離をとる。警戒、というより混乱。目の前の獲物が、触らずして仲間を噛み砕いたも同然。そりゃ混乱もする。


 僕もこの膠着のうちに、できることをやらないと。とりあえず、倒した個体を【ストレージ】。距離があっても吸い込める。

 さすが我がインベントリー。死骸がふっと消えるたび、ロックウルフたちは目に見えてビクッと反応した。仲間の亡骸が消えていくのを見れば、焦るよね。


さらに【ストレージ】【ストレージ】【ストレージ】 機械的に、淡々と、跡形もなく。


 そのとき、群れの奥から一際大きな影がすっと前に出た。他の個体を押しのけて、一直線にこちらへ飛ぶ。肩の厚み、牙の長さ、目の光。たぶん、いや間違いなくボスだ。

 空気が一瞬、ぴんと張る。迫力に、思わず体が反応する。噛みつきが届く寸前に、僕の口が先に動いた。


【ストレージ】!


 次の瞬間、ボスの巨体が、影も形もなく消えた。風が残り香だけをさらっていく。頭の中の目録に、静かな文字が増える。「ボスロックウルフ 1」。それだけ。余韻も派手な効果音もなく、事務的に。


 残ったロックウルフたちが、一斉に尻尾を下げた。小さく唸り、じりじりと後退し、そのまま、ぱっと散る。森の陰へ、岩陰へ、四方八方へ蜘蛛の子を散らすように。


 群れを束ねる存在がいなくなれば、秩序は瓦解する。僕はその場に立ち尽くし、胸を上下させた。遅れて、膝が震える。怖くなかったわけじゃない。むしろ、今になって怖い。


 深呼吸。ゆっくり、吐く。頭の中の目録をもう一度開く。咀嚼の数はまだ残っている。戦闘の形に使えることはわかった。

 でも、これは強すぎる。便利すぎる。使い方を誤れば、危ない。そう肝に銘じる。僕のインベントリーは、ただの荷物入れじゃない。力の倉庫だ。取り出す責任が、必ずついて回ると思おう。


 ふと、服の袖口を見た。ロックウルフの血が、点々と乾きかけている。匂いが他の魔物を引き寄せるかもしれない。ここでのんびりはできない。袖をつまんで、小声で唱える。


【ストレージ】


 布に染みた血だけが、すっと消えた。目録に「血液ロックウルフ」がちょこんと増えたのは、あとで気づいて苦笑する。万能、というより融通が効きすぎる。よし、移動だ。


 足元の石をひとつ蹴る。空は高く、風は乾いている。さっきまでいた我が家は、今は僕の中にある。畑も、道具も、そしてロックウルフの牙も爪も、素材として安全に眠っている。次にそれを取り出すのは、隣村か、その先の迷宮都市か。考えるだけで、胃のあたりがふわっと少し軽くなる。この感覚、きっと前に進んでいる証拠だ。


 歩きながら、目録をもう一度確認する。「咀嚼」の残量は、さっきの戦闘でかなり減ったが、まだ余裕はある。次に同じ状況に陥っても、慌てずに対処できるだろう。できれば、もう噛まれ放題の絵面はごめんだけれども。


 道の先、緩やかな丘の稜線の向こうに、木柵の影がかすかに見えた。隣村の外れ。あと少し。干し肉、買えるといいな。できれば塩も、小麦粉も。そうだ、店の人がびっくりしない程度の量にしなきゃ。家まるごと持ち歩く子供が、常識まで持ち歩けないなんて言われないように。


 ポケットの中の何もない空気をつまむみたいに、僕は胸の内の倉庫に意識を伸ばす。そこには、家族の記憶も、さっきの恐怖も、倒せた時の高鳴りも、ぜんぶ入っている。必要なとき、必要な分だけ取り出す。そうできたら、たぶん、このチートめいた力とも上手に付き合える。


「よし」


 小さく呟いて、歩幅をひとつ広げた。今日の予定は、食料の調達、村長さんへの挨拶、そして……インベントリーの追加テストは、控えめに。

 いや、ほんと控えめに。できれば控えめに。たぶん控えめに。

 自分に言い聞かせながら、僕は風の匂いのする方へと歩いていった。空っぽになったはずの手は、なぜかとても、満たされている気がした。




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