2話 収納魔法【インベントリー】
朝、目が覚める。天井が近い。いや、床が近い。というか僕、リビングの床で転がってる!? いつもならふかふかベッドの上なのに、今日は木の節が背中にこんにちはだ。
「そういえば……スクロールに魔力を込めて……」
ずきずきするこめかみを押さえつつ、手の届くところに落ちているスクロールへ視線をやる。昨夜までくっきり描かれていた魔法陣が、跡形もなく消えていた。
つるんとただの羊皮紙。ということは、スペルは無事インストール完了、僕の中に吸収されたってこと、だよね?
そう思った瞬間、頭の奥で言葉がぽんっと弾けた。
収納魔法【インベントリー】
知ってる、これ知ってる! 誰でも使える生活魔法の一つで、【ストレージ】で入れて【リリース】で出す、夢の(ただし容量ショルダーバッグ一杯分)アイテムボックス! 母がケーキをしまって時間を忘れて腐らせ、しょんぼりする案件、何度見たことか。
「……魔力枯渇までして、そんなスペルだったり……する……?」
さすがに愚痴の一つもこぼれる。けど、立ち止まってもしょうがない。旅立ち準備、続行だ。
持っていく物、置いていく物をテーブルに分けて並べながら、せっかくだし覚えたてほやほやの【インベントリー】を試してみよう。
よーし、行くぞ。
【ストレージ】【ストレージ】【ストレージ】
鍋、包丁、タオル、毛布、干し肉、釣り糸、父の工具、母の糸束――入る入る、入るぞこれ。
あれ? ん? 何かが、おかしい。
限界……来ない?
どれだけ詰め込んでも、「パンパンです」って言ってくれない。調子に乗った僕は、その勢いで家中のものを片っ端から【ストレージ】してみた。
頭の中に、綺麗に整理された目録がずらり。名前、個数、状態。初めての魔法なのにUIが親切で涙が出そう。いや、泣かないけどね。楽しくて少し鼻歌まで出る。
「ふぅ……疲れた〜」
気づけば結構な時間が経っていた。「家のほとんど」がインベントリーに収納済み。
え、生活魔法のインベントリーって、ショルダーバッグ一杯分じゃなかったっけ……?
とどめを刺すように、休憩しようとポットを【リリース】して、ふと気づく。
ポットが、熱い。え、熱い!? これにお湯を沸かしたの、数時間前だよ? なのに湯気むんむん、指先ぴりっと。ティーポットに注いでみると、まだしっかり熱湯。ぬるくなってない。ということは――収納している間、時間が止まってる?
容量は見当たらないほど広く、時間停止効果まであるとか、これ、ただの生活魔法の顔した別物だ。昨夜の魔力吸い取り事件も納得の、チート臭。すごい。すごすぎる。
延々と実験を続けたい気持ちをぐっと抑える。そろそろ冬。両親がいない今年、ここで冬を越すのは無理。準備は……うん、万端。家にあるものは全部【インベントリー】に収まった。なら、出立しよう。
玄関で振り返り、壁にそっと手を当てる。
「十年間、ありがとう」
日本の記憶を抱えた僕にはなかなかハードモードだった辺境生活。でも家族で笑った時間が詰まった、僕の拠点。長いようで短かった十年の重みが、掌にじんわり広がる。
さぁ行こう――と、足を一歩出しかけて。ふと思う。家ごと【ストレージ】できたり、しない?
思いついてしまったからには、試さずに出発なんてできないじゃないか。
外に出て、壁に手を当てたまま、深呼吸。
【ストレージ】!!
光が瞬き、空気が一枚めくれたみたいに、目の前の家が、基礎ごと、すうっと消えた。
え、マジで消えた。頭の中の目録に、新しい項目がどーんと追加される。
「我が家(基礎付き)」
笑うしかない。
「こんなデカいものまで【ストレージ】できちゃったよ……このスペル、どこまで入るの?」
戸惑うより先に、楽しくなってきた。四隅に立てた魔物避けの魔道具が、ぽつんと取り残されているのがシュールだったので、ついでにそれも【ストレージ】。
これがあったから、辺境の奥でも暮らせたんだよな、と胸の中で礼を言ってから。
歩き出そうとしたところで、視界に畑が飛び込んでくる。父と母が心を込めて育てた畝。僕が無理を言って種を分けてもらった大豆は、味噌と醤油の素になる宝物。
これを、置いていく? もったいない……いや、置いていけない!
畑の端に膝をつき、土に両手を広げる。
【ストレージ】!
大地がふっと息を吸うみたいに沈み、畑だった場所は、深さ一メートルほどのすり鉢状に。土の香りが風に混じって、目録にまた新しい項目。
「畑(土壌一式・作物含む)」
広大、ってほどじゃないけど、十分広い畑丸ごと収納は、さすがに笑えてくる。いや、これ、ほんとにぶっ壊れスペルだ。
でも、これで心残りはなくなった。家も畑も、ぜんぶ僕の中の見えない倉庫にある。いつか新しい場所で、また根を下ろせる。
「いってきます!」
声に答える人はいない。けれど、空は高くて、風は柔らかい。空っぽになった敷地の真ん中で、僕の言葉は少し跳ねて、遠くへ飛んでいった。足取りは軽い。背中の荷は見えないけれど、心の荷は、なんだかうれしい重さだ。
道端の草が朝露で光る。鳥が枝から枝へぴょんと跳ねる。僕は頭の中の目録を意識の隅でちらりと見やり、ニヤリと笑った。
インベントリー、最高。
よし、新しい一歩、踏み出そう。今日はどんな「入るかな?」が待ってるだろう。いや、まずは安全第一でね。
楽しく慎重に、10歳ハーフエルフの大冒険、いざ開幕!




