19話 はぐれポーター
東の空が、まるで熟れたアンズのように甘い琥珀色に染まり始めた。僕たちは、王都アルビオンの重苦しい空気を振り払うように、レジスタンスが用意してくれた駿馬に跨って街道をひた走っていた。
王都から迷宮都市アマーリアまでの七日間の旅路は、おそらく歴史上最も快適な逃避行だったに違いない。昼間は馬を走らせ、夜になると僕が【インベントリー】から我が家を【リリース】。ふかふかのベッドで眠り、温かいシチューを囲む毎日。道中、僕たちのキャンプ(という名のマイホーム)から漂う美味しそうな匂いと楽しげな笑い声に、野盗も魔物も「ここはやばい」と判断したのか、一度も襲われることはなかった。
そして七日後、僕たちは懐かしいホームタウン、迷宮都市アマーリアに帰還した。
冒険者ギルドの重厚な樫の扉を開けると、エールと汗、そして冒険者たちの熱気が混じり合った独特の空気が僕たちを迎える。
「こんにちは、ミリーさん。依頼の報告に来ました」
カウンターで山のような書類と格闘していた受付嬢、ウサギ獣人族のミリーさんに声をかける。
「シェルパさん! おかえりなさい! 皆さん、ご無事で……!」
ピンと立ったウサギの耳を安堵に揺らしながら、ミリーさんは女神のような笑顔を見せてくれた。
僕たちは依頼完了の報告を済ませ、成功報酬の金貨五十枚と、冒険者等級が2に昇格したという吉報を受け取った。
仲間たちとささやかな祝杯をあげていると、ギルドの扉が蹴破らんばかりの勢いで開き、熊のようにたくましい大男が入ってきた。僕のポーターとしての師匠、ゼルガさんだ。
「師匠!」
「おお、シェルパじゃねえか! 無事に帰ってたか、小僧!」
ガシッ! と熊のような大きな手で頭を鷲掴みにされる。愛情表現なのは分かるけど、頭蓋骨がミシミシ鳴っている。
「王都では師匠にもらった煙玉のおかげで助かりました!」
「当たり前だ! あれはエンシェントドラゴンだって涙目になる代物だからな!」
師匠はニカッと豪快に笑う。どうやらあの煙玉、僕が思っていたより遥かにヤバい代物だったらしい。
再会の挨拶を終えた後、僕は意を決して師匠に向き直った。
「師匠、僕、これからは『はぐれポーター』になろうと思います」
その言葉に、ギルド内の喧騒が一瞬、シンと静まり返る。
「はぐれポーター、だと……? 護衛もいないソロで迷宮に潜るなんざ、自殺行為だぞ」
僕は、王都での一件で厄介な筋に目をつけられたこと、しばらくは目立たずに力をつけたいことを師匠にだけかいつまんで話した。
「それに、僕には父さんの形見の、このマジックバッグがありますから」
僕は背負った普通のバックパックを叩いてみせた。もちろんこれはダミーで、本当の収納庫は僕自身のスキル【インベントリー】だ。この秘密は仲間たちだけのもの。師匠には「父親から譲り受けた超高性能なマジックバッグを持っている」と説明してある。
僕の話を黙って聞いていたゼルガさんは、僕の目をじっと見つめた後、ふう、と一つ大きなため息をついた。
「……お前のその目、腹を括ってきた男の目だ。いいだろう! やってみやがれ! お前さんのそのイカれたマジックバッグがありゃあ、伝説の『はぐれポーター』にだってなれるかもしれねえ!」
師匠は、僕のマジックバッグ(本当はスキルだが)が規格外の性能であることを見抜いている。だからこそ、無謀な挑戦を笑って認めてくれたのだ。
「ただし、条件がある。絶対に、死ぬんじゃねえぞ。お前は、俺が初めて取った、たった一人の自慢の弟子なんだからな」
「……はい! 師匠!」
「ちょっと待ちなさい、シェルパ!」
話を聞いていたエレインさんが、つかつかと僕の前に進み出る。
「ソロで迷宮に潜るなんて危険すぎるわ! あんたが死んだら、私のビジネスプランが台無しじゃない!」
口ではそう言っているが、その瞳は本気で僕を心配してくれている。
「大丈夫です」
僕は三人の顔をまっすぐ見て言った。
「迷宮に潜るのは一人でも、僕は一人じゃない。僕が稼いできたお宝を誰よりも高く売ってくれるエレインさんがいる。いざという時に守ってくれるカールさんがいる。そして、いつも励ましてくれるカーラさんがいる。だから、僕は大丈夫です」
僕の言葉に、三人は顔を見合わせ、やがてエレインさんが
「もう……ほんと、朴念仁なんだから」
と呆れたように、でも少し嬉そうに肩をすくめた。
「……しょうがないわね。分かったわよ。あんたが稼いできたお宝、この私が市場価格の二割増しで買い取ってあげる! パートナーへの特別サービスよ!」
「おう! 何かありゃすっ飛んでってやるからな!」
「シェルパ君、頑張って! 毎日お祈りしてるからね!」
こうして、僕は『はぐれポーター』としての新たな一歩を踏み出すことになった。
正体を隠し、ソロで迷宮に潜る。それは、危険と隣り合わせの茨の道かもしれない。
でも、僕の胸には仲間たちの温かい言葉が満ちていた。はぐれポーター、シェルパの、誰も見たことのない新たな伝説が、今、ここから始まるのだ。
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そして、4年後
「―――指名依頼だ。『迷宮の幽霊』シェルパ殿に、直接依頼したい」
アマーリアの冒険者ギルドで、豪奢な服を着た商人がカウンターに依頼書を叩きつけた。ギルド内がざわつく。
『迷宮の幽霊』。それが、はぐれポーターになって4年経った今の僕の二つ名だ。誰にも姿を見られることなく迷宮深層のアイテムを回収し、誰も持ち帰れなかった超重量級の素材を一人で運び出す。そんな僕の仕事ぶりから、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
「申し訳ありませんが、シェルパさんへの依頼は、彼の専属パートナーであるエレイン様を通していただかないと……」
ミリーさんが困り顔で応対していると、ギルドの扉が開いた。
「その依頼、私が聞きましょう」
現れたのは、4年前よりもさらに洗練された美貌と、凄腕商人としての風格を身につけたエレインさんだった。今や彼女の店『エレイン商会』は、アマーリアで最も勢いのある店の一つになっている。
商会の奥にある応接室で、僕はエレインさんから依頼の詳細を聞いた。
「依頼主は王都の錬金術ギルド。迷宮35階層の水晶洞窟に生息する『クリスタルリザード』の心臓が欲しいそうよ。条件はただ一つ、『完璧に無傷であること』。成功報酬は金貨500枚。どう、やる?」
「やります」
僕は即答した。クリスタルリザードは、全身がダイヤモンド並みの硬度を持つ水晶で覆われ、並大抵の攻撃では傷一つつけられない難敵だ。その心臓を無傷で取り出すなど、通常のパーティには不可能に近い。だが、僕ならできる。
翌日、僕は一人で35階層に到達していた。
きらびやかな水晶が乱立する洞窟の奥、体長10メートルはあろうかという巨大なトカゲが眠っていた。全身が虹色に輝くクリスタルリザードだ。
僕は息を殺し、事前に準備していたアイテムを取り出す。強力な魔力を帯びた睡眠香。戦闘はしない。それが僕のスタイルだ。
睡眠香で眠りを深くし、音を立てずに近く。クリスタルリザードがもぞりと身じろぎした瞬間、僕は右手を突き出した。
「―――目標、クリスタルリザード。【ストレージ】!」
僕の目の前の空間が、黒い渦のように歪む。それは、僕の【インベントリー】スキルがこの4年で進化した、生物すら収納可能な亜空間への入り口だ。
巨大なクリスタルリザードが、抵抗する間もなく、悲鳴ごと空間の渦に吸い込まれていく。数秒後、洞窟には静寂だけが残った。
僕はその場に座り込み、意識を【インベントリー】の中へと集中させる。
(さて、と。ここからが僕の真骨頂だ)
瞼を閉じると、頭の中に半透明のウィンドウのような目録がずらりと展開される。ポーション、ロープ、食料、そして今しがた収納したばかりの『クリスタルリザード』の文字。
僕は意識のカーソルを『クリスタルリザード』の文字に合わせる。そして、そっと触れるような、ごく繊細なイメージで意識を寄せた。すると、目録の文字がフッと切り替わる。
『クリスタルリザード』 → 『解体 → YES / NO』
これこそが、【インベントリー】の新たな活用法。スキルによる自動解体だ。
僕は迷うことなく『YES』を選択した。
その瞬間、僕のインベントリー空間内で、静止していたクリスタルリザードの巨体が光の粒子に包まれる。物理的な刃物は一切使われない。スキルそのものが概念的に『解体』という事象を実行するのだ。光が収まった時、そこにはもうトカゲの姿はなく、心臓、皮、爪、牙、そして肉といった部位ごとに完璧に分類され、整然と並べられた素材だけが浮かんでいた。血の一滴すらこぼれることなく、寸分の狂いもない、神業の解体だ。
ギルドに戻り、僕がカウンターに水晶の心臓を置くと、その場にいた冒険者たちからどよめきが起こった。
「ば、馬鹿な! クリスタルリザードの心臓だと!?」
「しかも……傷一つない、完璧な状態だ……」
「これを、たった一人で……!?」
ミリーさんが震える手で鑑定し、依頼達成のスタンプを押す。
「お、おめでとうございます、シェルパさん! これで、あなたの冒険者等級は7に昇格です! ポーター職で等級7なんて、前代未聞ですよ!」
「ありがとうございます、ミリーさん」
僕は静かに礼を言った。
その夜、僕たちは馴染みの宿『木漏れ日の宿』の食堂を貸し切り、昇格祝いの宴を開いていた。
テーブルの上には、僕が持ち込んだクリスタルリザードの肉を使った豪華な料理が所狭しと並んでいる。分厚いロースのステーキ、ハーブで風味をつけたカルパッチョ、香味野菜とじっくり煮込んだシチュー。どれも、ベテランの料理人が腕によりをかけて作った逸品だ。
「いやー、シェルパ! 等級7だってな! さすが俺の相棒だ!」
大剣を傍らに置き、すっかり一流の戦士になったカールさんが、骨付き肉を豪快に頬張りながら自分のことのように喜んでいる。
「シェルパ君、おめでとう! このお肉、キラキラしてて、とっても美味しいね!」
一流の治癒術師として神殿からもスカウトが来るようになったカーラさんが、目を輝かせながらステーキを味わっていた。
「まったく、あんたはどこまで規格外なのよ」
エレインさんが、呆れたように、でも最高に嬉しそうな笑顔でワイングラスを傾ける。
「これでまた、私の店の仕入れルートが盤石になるわ。次はエンシェントドラゴンの逆鱗でもお願いしようかしら」
「はは、お手柔らかにお願いしますよ」
はぐれポーターになって4年。僕は多くのものを手に入れた。
揺るぎない実力と名声、そして莫大な富。
でも、一番の宝物は、こうして変わらずに僕の帰りを待っていてくれる、かけがえのない仲間たちだ。
はぐれポーター、シェルパの伝説は、まだ始まったばかりだ。




