17話 英雄の息子
父の灰が、僕の誓いを肯定するかのように風に舞った、その直後だった。
「―――そこの小僧ッ! 止まれェッ!!」
背後から、怒声と複数の足音が同時に響き渡る。しまった! 完全に感情に任せて行動してしまった!
振り返ると、槍を構えた衛兵たちが三人、鬼の形相でこちらに迫ってきていた。広場の惨状と、その中心に佇む僕を見て、何が起こったのかを瞬時に理解したのだろう。
「広場の『見せしめ』に何をした! 神をも恐れぬ所業、万死に値するぞ!」
「問答無用だ、捕らえろ!」
万死に値するのはお前たちの方だろ! と叫びたい気持ちをぐっと堪え、僕は地面に残った父の灰を両手で必死にかき集める。ポケットに無理やりねじ込むと、僕は踵を返し、全力で走り出した。
王都の地理なんて、分かるはずもない。とにかく衛兵から逃れるため、僕は迷路のような裏路地へと飛び込んだ。
「待て、こら!」
「こっちだ! 袋小路に追い込め!」
背後から迫る声が、壁に反響して僕の恐怖を煽る。心臓が今にも張り裂けそうだ。何度も角を曲がり、ゴミ箱を蹴倒し、洗濯物のロープをくぐり抜けるが、衛兵たちの足音は一向に遠ざからない。
そして、ついにその時が来た。
勢いよく曲がった道の先は、高くそびえる石の壁。行き止まりだった。
「はあっ、はあっ……! くそっ!」
絶望に顔が歪む。背後からは、鎧の擦れる音と、衛兵たちの荒い息遣いが迫ってくる。
「終わりだな、小僧。大人しく縛につけ」
衛兵たちが、下卑た笑みを浮かべながらゆっくりと距離を詰めてくる。僕は懐の父の灰を握りしめ、覚悟を決めて彼らを睨みつけた。こうなったら【インベントリー】で槍の穂先でも収納してやる! いや、でもこのスキルはまだ隠しておきたい……!
どうする!? どうすればいい!? 脳みそをフル回転させたその瞬間、僕の頭の中に、旅立つ前に師匠から言われた言葉が稲妻のように蘇った。
『餞別だ。中身は投擲用のナイフと、特製の煙玉だ。いざって時に使いやがれ。ポーターってのはな、荷物を運ぶだけが仕事じゃねえ。自分の身と荷物を守り抜いて、初めて一人前だ。……死ぬんじゃねえぞ』
そう言って、僕の師匠――ゼルガさんは、悪戯っぽく笑いながら、手のひらサイズの黒い球をいくつか僕に握らせたのだ。
これだ!
師匠、アンタの置き土産、今こそ使わせてもらいます!
僕は衛兵たちに悟られぬよう、素早く【インベントリー】から師匠特製の煙玉を一つ取り出す。
「観念したか、小僧!」
衛兵の一人が槍を突き出してきた、まさにそのタイミングを狙って、僕は煙玉を足元に思い切り叩きつけた!
「―――くらえッ!!」
パンッ! と甲高い炸裂音と共に、僕の体を覆い隠すほどの濃密な白煙が、路地裏一帯に瞬く間に充満する。
「ぐわっ、なんだこれは!?」
「煙だ! 目が、目がぁ! ゲホッ、ゲホッ!」
「くそっ、視界が……! 小僧はどこだ!?」
師匠の言葉に嘘はなかった。煙は目に染みるだけでなく、喉を焼くような刺激があるらしい。衛兵たちが苦しみの声を上げ、その場でうずくまっている。
よし、今のうちに!
煙に紛れて壁際を走り抜けようとした、その時だった。
「―――見事な判断だ、坊主」
低く、鋭い声が僕の頭上から響いたかと思うと、煙の中から伸びてきた太い腕に、僕の体は軽々と掴まれた。
「なっ!?」
抵抗する間もなく、僕は先ほどまで壁だと思っていた場所――隠し扉の中へと引きずり込まれていた。扉が閉まると、外の喧騒が嘘のように遠のき、僕の目の前には、薄暗い地下へと続く石の階段だけが残されていた。
連れてこられたのは、古い下水道を利用したと思われる、広大な地下空間だった。いくつもの松明が壁に掲げられ、奥では武具の手入れをする者や、地図を囲んで議論する者たちの姿が見える。ここは、まるで秘密基地だ。
「……あの、あなたは?」
僕を助けてくれた男に尋ねると、彼はゆっくりとフードを外した。現れたのは、顔に大きな傷跡のある、四十代くらいの屈強な男だった。その瞳は、厳しくもどこか優しい光を宿している。
「俺はダリウス。見ての通り、ゼノン王子に反旗を翻す、しがないレジスタンスのリーダーだ」
ダリウスと名乗った男は、僕の目をまっすぐに見て言った。
「そして、お前さんの親父さん――ゲイル・ウォーカー隊長の、元副官でもある」
「え……父さんの、副官?」
「ああ。ここにいる連中は皆、ゲイル隊長と共に戦場を駆け抜けた、元部下たちだ」
ダリウスさんの言葉に、周囲で作業をしていた者たちが一斉にこちらを向き、僕に向かって敬礼をした。その光景に、僕はただ圧倒されるばかりだった。
「どうして、僕を……?」
「決まっているだろう。我らが隊長の、たった一人の忘れ形見だ。万が一のことがあってはならない。屋根の上から、ずっと君の行動を見ていた」
ダリウスさんによると、彼らはアンデッドにされた父さんをずっと見守り、いつか必ずその魂を解放しようと機会を窺っていたらしい。そこに僕が現れ、あの信じがたい奇跡を起こしたというわけだ。
「まさか、あの呪いを消し去ってしまうとはな。驚いたぞ。それに、最後のあの煙玉。見事な機転だった。あれがなければ、我々が助けに入る前に、お前は捕まっていただろう」
ダリウスさんは、僕の肩を力強く叩いた。どうやら、僕の行動は彼らにとって予想外でありながらも、良い結果をもたらしたらしい。
「シェルパ君、だったな。単刀直入に聞こう。君が使ったあの力は、一体何なんだ? 我々の知るどんな浄化スペルとも違っていた。まるで、呪いそのものを『消し去った』ように見えたが」
鋭い質問に、僕はゴクリと唾を飲んだ。【インベントリー】のことは、さすがに軽々しく話せない。
「……母が、エルフなんです。母から受け継いだ、古い浄化の力です。呪いを祓うのではなく、母なる大地に還す、というか……」
我ながら苦しい言い訳だったが、幸いにもダリウスさんたちはハーフエルフである僕の出自を知っていたらしく、「なるほど、エルフの秘術か」と納得してくれたようだった。よかった、セーフ!
「シェルパ君。君の力、そしてその勇気と機転、我々に見せてくれた。君さえよければ、我々と共に、この腐った王都を解放するために戦ってくれないか。ゲイル隊長の遺志を継ぐのは、息子の君しかいない」
真剣な眼差しで、ダリウスさんが僕の肩に手を置く。
その申し出は、とても光栄だった。でも、僕には僕のやり方がある。そして、何より大切な仲間たちがいる。
「ありがとうございます。でも、僕には仲間がいます。まずは、彼らと相談させてください」
「そうか……。分かった。無理強いはすまい。だが、覚えておいてくれ。我々はいつでも君の味方だ。何かあれば、このコインを使え」
ダリウスさんは、ライオンの紋章が刻まれた古い銅貨を僕に手渡した。王都のどこにでもある酒場のフリをした連絡拠点に入れる合言葉のようなものらしい。
「必ず、また来ます。父がお世話になりました」
僕は深く頭を下げ、レジスタンスのアジトを後にした。胸の中には、父の仲間たちの温かい想いと、新たなる決意が静かに燃え始めていた。
『銀の天秤亭』に戻ると、僕の帰りを待っていた仲間たちが、鬼のような形相で出迎えてくれた。
「シェルパーーーッ! この大馬鹿者がァッ!!」
一番に飛び出してきたのはカールさんで、彼は僕の両肩を掴んでガックンガックン揺さぶった。
「どれだけ心配したと思ってんだ! 一人で飛び出して行きやがって! もしお前に何かあったら、俺は……俺は……!」
「ご、ごめんなさいカールさん! 頭が、脳が揺れます!」
「シェルパ君、無事でよかった……! ほんとに……!」
カーラさんは、泣きながら僕に抱きついてきた。二人の本気の心配が、僕の胸にじんわりと染みる。
そして、腕を組んで壁に寄りかかっていたエレインさんが、冷たい声で言った。
「……で? 成果はあったのかしら、この無鉄砲な坊や?」
その問いに、僕は懐から父の灰が入ったポケットを取り出し、静かにテーブルの上に広げた。
「……父さんを、解放してきました」
僕は、父にかけられた呪いを打ち破ったこと、衛兵に追われたけれど師匠にもらった煙玉で何とか逃げ切ったこと、そして父の元部下であるレジスタンスに助けられたこと、その全てを話した。部屋はしばらく重い沈黙に包まれた。
最初に口を開いたのは、エレインさんだった。
「そう……。そうだったのね。……よく、頑張ったわね、シェルパ」
いつものからかうような口調ではなく、それはとても優しく、労わるような声だった。
「ギードさん、お願いがあります。父のために、骨壺を用意していただけませんか」
僕の頼みに、カウンターの奥で話を聞いていたギードさんが、黙って頷き、店の奥へと消えていった。
やがて、彼が持ってきたのは、派手な装飾はないが、白く滑らかで、とても気品のある陶器の骨壺だった。
「……母さんの隣に、置いてあげたいんです」
僕は【インベントリー】から、母の遺骨が納められた骨壺を取り出す。仲間たちが見守る中、僕はテーブルに広げた父の灰を、一粒たりとも零さないよう、丁寧に、ゆっくりと新しい骨壺の中へと納めていった。
蓋を閉め、二つの骨壺を並べる。
生前は、戦争で引き裂かれてしまった二人。でも、これからはもう、離れることはない。
「父さん、母さん。これからはずっと、僕と一緒だよ」
僕は二つの骨壺をそっと持ち上げ、再び【インベントリー】の中へと【ストレージ】した。僕だけの、誰にも邪魔されない聖域へ。そこはもう、ただの収納空間じゃない。僕の大切な家族が、安らかに眠る場所になったんだ。
しんみりとした空気を切り裂くように、パン! と乾いた柏手が鳴り響いた。
音の主は、もちろんエレインさんだ。彼女はいつの間にか商人としての顔に戻っていた。
「はい、感傷に浸るのはここまでよ! シェルパがとんでもない騒ぎを起こしてくれたおかげで、状況は一変したわ!」
ギードさんがもたらした情報によると、僕の逃走劇の後、王都の警備体制は一気に強化され、全ての城門で厳しい検問が始まっているらしい。
「こうなったら、悠長に店を構えて売ってる時間はないわね。計画を大幅に前倒しするわよ!」
エレインさんはテーブルに王都の地図を広げ、その瞳をギラリと光らせた。
「普通のやり方じゃ、ゼノン派の犬共に嗅ぎつけられるのは時間の問題。やるなら、もっと大胆に、そして迅速にやる必要があるわ」
「大胆に、って……どうするんだよ、エレインさん」
カールさんが尋ねると、エレインさんはニヤリと口の端を吊り上げた。
「決まってるじゃない。―――秘密のオークションよ」
エレインさんの作戦は、こうだ。
ギードさんの情報網を使い、王都にいる反ゼノン派の商人や、装備の刷新を考えている腕利きの傭兵団長など、金払いが良く、かつ信頼できる買い手だけをリストアップする。
そして、彼らだけに秘密の招待状を送り、今夜、この『銀の天秤亭』の地下にある古いワインセラーで、一夜限りの武具オークションを開催するというのだ。
「カールさんとカーラさんは、腕利きの用心棒のフリをして会場の警備。シェルパは最高の商品を最高のタイミングで提供する、私の大事なパートナー。そして、この私、エレインが自らオークショニア(競売人)として、あの守銭奴どもから有り金残らず搾り取ってあげるわ!」
自信満々に胸を張るエレインさんの姿は、もはや悪徳商人のそれだったが、その計画には不思議な説得力と、何よりワクワクするような魅力があった。
「面白そうじゃねえか! やってやろうぜ!」
「わ、私も頑張る! 怖い顔すればいいんだよね!」
カールさんとカーラさんもすっかり乗り気だ。僕も、もちろん異論はない。父の復讐のための、これが僕たちの最初の戦いだ。
その夜。『銀の天秤亭』の地下ワインセラーは、一夜限りのオークション会場へと姿を変えていた。
埃っぽい樽は片付けられ、中央には即席のステージが作られている。照明は魔法の光石だ。
僕の仕事は、エレインさんの指示に従って、ステージの裏で【インベントリー】から鎧兜を取り出すことだった。
「シェルパ!まずは ミスリル銀を編み込んだ、エルフ細工のチェインメイルを頂戴!」
「は、はい!」
僕が何もない空間から、月光のように輝く極上のチェインメイルを取り出すと、準備を手伝ってくれていたギードさんが、あんぐりと口を開けて固まった。
「お、おい、小僧……。お前のその鞄はどうなってやがるんだ…………?」
もはやツッコむ気力もないらしい。
やがて、招待状を持った商人や傭兵団長たちが、訝しげな顔で続々と会場に集まってきた。皆、一癖も二癖もありそうな連中ばかりだ。
用心棒のフリをしたカールさんとカーラさんが、入り口で鋭い視線を光らせている。カーラさんは一生懸命眉間にシワを寄せているが、正直あまり怖くは見えなかった。
そして、会場のざわめきが最高潮に達した時、ステージの照明がパッと明るくなった。
そこに立っていたのは、いつもの旅装ではなく、体のラインがくっきりと出る、深紅の妖艶なドレスに身を包んだエレインさんだった。その姿は、まるで夜会に咲く一輪の薔薇のようだ。
「―――紳士淑女の皆様、そして血と硝煙の匂いがするそこの貴方も。今宵は、わたくしエレインが主催する、秘密のオークションへようこそ!」
彼女のよく通る声が、会場の隅々まで響き渡る。全ての視線が、ステージ上の彼女に釘付けになった。
「今宵、皆様にご覧にいれるのは、そこらの武具屋では決して手に入らない、珠玉の逸品ばかり。戦況を覆し、あなたの懐をダイヤモンドで満たす、魔法の武具でございます! さあ、ショータイムの始まりと参りましょうか!」
エレインさんがウインクを一つすると、会場からゴクリと息を呑む音が聞こえた。
僕たちの、そして王都の運命を賭けた、一夜限りの壮大なショーが、今、華麗に幕を開けたのだった。




