16話 灰色の英雄
王都アルビオン。その名はあまりに壮麗で、かつては大陸中にその栄華を轟かせていたという。だが、僕たちの目の前に広がるのは、その栄光の残骸とでも言うべき、くすんだ灰色の街並みだった。
活気のない大通りを抜け、僕たちはエレインさんの案内に従って、迷路のように入り組んだ裏路地へと足を踏み入れた。
「ここよ。王都での私たちの拠点になる場所。『銀の天秤亭』。表向きはしがない酒場兼宿屋だけど、裏では王都中の情報が金で買える、信頼できる情報屋よ」
エレインさんが示したのは、蔦の絡まる古びた木造の建物だった。看板の文字は掠れ、お世辞にも繁盛しているようには見えない。
ギイ、と重い扉を開けると、昼間だというのに薄暗い店内には、カビと安いエールの匂いが充満していた。カウンターの奥で、白髪の小柄な老人が一人、銀食器を気怠そうに磨いている。
「あら、ご亭主。お久しぶりね。相変わらず、流行らない店ね」
エレインさんが挨拶代わりに軽口を叩くと、老人はゆっくりと顔を上げた。その目は、年老いてなお鋭い光を宿している。
「……エレインか。相変わらず口の減らねえ女狐め。お前みてえなのが来るから、ウチの店はいつまで経ってもカタギの客が寄り付かねえんだ」
「あらやだ。私の美貌に怖気づいてるだけじゃないかしら?」
「ほざけ。で、今回は何の用だ。お前が手ぶらで、しかもこんなゴロツキどもを引き連れて来るなんざ、よっぽど厄介な話なんだろうな」
老人の視線が、僕たち一人一人を舐めるように品定めする。カールさんがムッとして一歩前に出ようとするのを、エレインさんが手で制した。
「話が早くて助かるわ、ギードさん。あなたに聞きたいことが山ほどあるの。王都の現状、ゼノン王子のこと、それから……『見せしめ』にされているという、アンデッドの話もね」
エレインさんが最後の言葉を口にした瞬間、ギードさんの目の光がさらに鋭くなった。
「……奥へ行け。立ち話でできる話じゃねえ」
通されたのは、店の奥にある小さな個室だった。ギードさんは水差しとグラスを無造作にテーブルに置くと、重々しく口を開いた。
「お前らも知っての通り、今の王都は死んでる。ゼノン王子と、奴に取り入る腐った貴族どもが、富も権力も独占し、民からは重税を搾り取るだけ。衛兵は貴族の番犬になり下がり、逆らう者は見せしめとして容赦なく処刑される」
淡々と語られる現実は、僕たちが道中で感じた以上に深刻だった。
「その『見せしめ』というのが、中央広場のアンデッドか?」
カールさんが尋ねると、ギードさんは忌々しげに顔を歪めた。
「ああ。一年前の戦争で『英雄』と呼ばれた男の成れの果てさ。ゼノン王子は奴に『ノーライフキングの呪い』をかけ、アンデッドとして蘇らせた。そして、王家に逆らう者がどうなるかという見せしめのために、広場に鎖で繋いでいる。英雄の尊厳を踏みにじり、民の希望を打ち砕くための、悪趣味極まりねえショーだ」
英雄、一年前の戦争――。僕の心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。
「……その人の、名前は」
僕が震える声で尋ねると、ギードさんは僕の顔をじっと見つめ、そして静かに答えた。
「ゲイル……。ゲイル・ウォーカー。それが、あの哀れな英雄の名前だ」
父さんの名前だった。
頭が真っ白になり、周りの音が遠のいていく。エレインさんたちが心配そうに僕の名前を呼んでいるが、耳には届かなかった。
父さんが、生きている? いや、違う。アンデッドにされて、見せしめに……?
信じられない。信じたくない。でも、心のどこかで、それが事実だと理解していた。
「シェルパ君、落ち着いて!」
カーラさんが僕の肩を揺さぶり、僕ははっと我に返った。
「……ごめんなさい。僕、大丈夫です」
「大丈夫なもんか。顔、真っ青だぞ」
カールさんが僕の頭をわしわしと撫でる。その不器用な優しさに、涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「エレインさん。僕は……一人で、確かめに行きたいです」
「シェルパ……。危険よ。ゼノン王子の息がかかった者たちが、必ず見張っているはずだわ」
「それでも、行かなきゃいけないんです。自分の目で、確かめないと」
僕の目に宿った決意を見て、エレインさんは深いため息をついた。
「……分かったわ。ただし、無茶は絶対にしないで。私たちはこの『銀の天秤亭』を拠点にする。何かあったら、すぐにここに駆け込みなさい。いいわね?」
「はい……!」
僕は力強く頷くと、仲間たちに背を向け、部屋を飛び出した。父さんがいる、中央広場へ。
王都の中央広場は、その名が泣くほどに寂れていた。
かつては祭りや市で賑わったであろう場所は、今はただがらんとして、乾いた風が砂埃を巻き上げるだけ。噴水は枯れ、花壇の花も枯れ果てていた。
そして、その広場の中心に、それはあった。
一本の杭に、太い鎖で繋がれた、一体のアンデッド。
ボロボロになった鎧をまとい、腐敗した肉が所々剥がれ落ちている。焦点の合わない濁った瞳で、虚空を睨みつけている。
間違いない。
背格好も、残された髪の色も、そして、腐敗した顔に残る面影も。
僕の父さん、ゲイル・ウォーカーの姿だった。
人通りは少ないが、時折通りかかる人々は、誰もが父さんの姿を見て顔をしかめ、舌打ちをし、足早に通り過ぎていく。
「汚らわしい」
「化け物が」
そんな心無い言葉が、僕の耳に突き刺さる。中には、面白がって石を投げる子供さえいた。石は乾いた音を立てて父さんの鎧に当たり、地面に転がった。
「グ……ォオオオオ……ッ!」
父さんは、そんな人々に向かって、低い呻き声を上げながらゆっくりと手を伸ばす。襲いかかろうとするが、首に繋がれた鎖がギリギリと音を立て、その動きを阻む。その度に、父さんは苦しげに呻き、また同じ動きを繰り返す。
生前の記憶も理性も失い、ただ飢餓の本能に突き動かされているだけ。
英雄と呼ばれた父が、国を守るために戦った父が、なぜこんな無残な姿で、人々から蔑まれなければならないんだ。
怒りで、体の奥底から何かが燃え上がるようだった。
悲しみで、胸が張り裂けそうだった。
悔しくて、唇を噛み締めると、鉄の味がした。
ダメだ。見張られているかもしれない。ここで下手に動けば、僕だけでなく仲間たちも危険に晒すことになる。頭では分かっているのに、足が言うことを聞かなかった。
「―――父さんッ!!」
気づいた時には、僕は叫びながら広場を駆け抜けていた。
エレインさんやカールさんの忠告が、脳裏を稲妻のように駆け巡る。ゼノン王子派の目が見ているかもしれない。これが罠かもしれない。
でも、もうどうでもよかった。
変わり果てた姿でも、目の前にいるのは、僕のたった一人の父親なんだ。
僕は、アンデッドとなった父さんの体に、思い切り抱きついた。
ひやりと冷たい鎧の感触。腐臭が鼻をつく。でも、そんなことは気にならなかった。
「父さん! 僕だよ、シェルパだよ! 分かる!?」
僕の呼びかけに、父さんは何の反応も示さない。ただ、その濁った瞳がゆっくりと僕に向けられ、そして、腐敗した口が大きく、大きく開かれた。
「グ……アアアアアアッ!」
鋭い牙が、僕の肩めがけて振り下ろされる。
ああ、喰われる。
死を覚悟した、その瞬間。僕の頭の中に、天啓のような閃きが走った。
【インベントリー】は、モノを収納するスキルだ。でも、もし、モノじゃなくても収納できるとしたら?
例えば、攻撃という「現象」そのものを。
時間にして、コンマ数秒。僕は、祈るように、叫んでいた。
「【ストレージ】ッ!―――『咀嚼』!!」
父さんの顎が、僕の肩の上で、カプン、と虚しく空を切った。
牙は僕の服に触れている。顎を閉じる力も働いているはずだ。なのに、僕の体に歯が食い込むという「結果」だけが、綺麗さっぱり消失していた。
まるで、最初からそんな現象は存在しなかったかのように。
「……ふぅ…できた」
僕自身も、目の前で起きた奇跡が信じられなかった。
僕の【インベントリー】は、アイテムボックスなんかじゃない。物理法則を捻じ曲げ、概念や現象すらも収納できてしまう、とんでもない規格外のスキルだ!
父さんは、なおも僕に噛みつこうと、何度も顎をガチガチと鳴らしている。だが、その度に「咀嚼」という現象が【インベントリー】に吸い込まれ、父さんの牙が僕を傷つけることはない。
そして、僕の頭に、さらに大胆な考えが浮かんだ。
現象を収納できるなら。
父さんをこんな苦しい姿に変えてしまった、元凶そのものも。
この体にかけられた、邪悪な『呪い』そのものも、【ストレージ】できるんじゃないか?
それは、途方もない賭けだった。
失敗すれば、僕自身が呪いに取り込まれ、父さんと同じアンデッドになってしまうかもしれない。
でも、僕の心は、すでに決まっていた。
父さんを、この地獄から解放してあげられるのは、世界で僕しかいない。
このスキルのために、僕はここにいるんだ。
「父さん……」
僕は父さんの体をそっと離すと、その胸に両手を当てた。
ひんやりとした鎧越しに、邪悪で冷たい気配が伝わってくる。これが、ノーライフキングの呪い。
「もう、苦しまないで。もう、大丈夫だから」
僕は目を閉じ、全神経を両の手のひらに集中させる。
体中の魔力が、沸騰するように高まっていくのを感じた。
「【ストレージ】ッ!!―――《ノーライフキングの呪い》ッ!!」
僕の詠唱に応え、父さんの体から、禍々しい紫黒のオーラが渦を巻いて噴き出した。
それは断末魔の叫びのような音を立てながら、僕の両の手に吸い込まれていく。まるで、ブラックホールに飲み込まれる星々のように。【インベントリー】が、世界から呪いという概念を一つ、消し去っていく。
やがて、最後のオーラの一片が完全に収納されると、広場に静寂が戻った。
そして。
呪いという力の源を失った父さんの体は、急速にその形を失い始めた。
鎧の隙間から、体が砂のようにサラサラと崩れていく。
「あ……あ……」
その瞬間、父さんの腐敗した瞳に、一瞬だけ、澄んだ、生前の父さんと同じ優しい光が宿ったように見えた。
声にはならなかったけれど、その唇は、確かにこう動いていた。
『ありがとう、シェルパ』
次の瞬間、父さんの体は完全に崩れ落ち、風に吹かれて灰となり、空へと舞い上がっていった。
カシャン、と虚しい音を立てて、錆びた首輪と鎖だけが地面に落ちる。
それが、僕と父さんの、本当の別れだった。
「……う……あああああああああああッ!」
僕はその場に膝から崩れ落ち、地面に残った灰をかき集めようとするが、それは無情にも指の間からこぼれ落ちていく。
涙が、次から次へと溢れてきて、止まらなかった。
悲しい。寂しい。もっと話がしたかった。
でも、それと同時に、父さんを苦しみから解放できたという、安堵感もあった。
そして、この仕打ちをしたゼノン王子への、心の底から燃え上がるような、黒い怒りがあった。
「父さん……見てて」
僕は、手のひらに残ったわずかな灰を、ぎゅっと握りしめた。
涙で濡れた顔を上げ、王都で最も高くそびえる、王宮を睨みつける。
「僕が、必ず……。父さんの無念を、晴らしてみせるから……!」
僕の静かな、しかし鋼のように固い誓いが、灰色の空に吸い込まれていく。
その時、僕の視界の端で、遠くの建物の屋根の上で、その一部始終を見ていた黒い影が、音もなくスッと姿を消したことに、僕はまだ気づいていなかった。




