14話 木漏れ日パイ
作戦会議(という名の仁義なき脱税計画発表会)を終えた僕は、仲間たちと一旦別れ、旅支度を整えるために馴染みの宿『木漏れ日の宿』へと足を運んでいた。
王都までは、馬車を使っても一週間以上かかる長旅だ。季節は秋も深まり、北へ向かう道中は骨身に染みる寒さが予想される。なによりもまず、しっかりとした防寒具を確保しなければ。
「さて、と……」
自室に戻った僕は、早速【インベントリー】に意識を集中させる。このスペルは本当に便利だ。頭に思い浮かべるだけで、預けたアイテムをいつでもどこでも取り出せる。
「【リリース】」
僕がそう唱えると、目の前の空間が僅かに揺らめき、一枚のくたびれた外套がはらりと床に落ちた。これは、去年まで愛用していた旅用の外套だ。厚手の生地で風を通しにくく、野宿の際には毛布代わりにもなってくれた頼れる相棒だった。
一年ぶりに袖を通してみる。……ん?
右腕を、通す。左腕を、通す。そして、前ボタンを……留めようとしても、届かない。というか、全体的にパツンパツンだ。
「……あれ?」
自分の姿を見て、僕は思わず間の抜けた声を上げた。
腕は袖からにょっきりと飛び出し、丈は腰までしかない。まるで、弟の服を無理やり着た兄のようだ。ひどく滑稽な姿である。
「……そっか。この一年で、また背が伸びたのか」
目まぐるしい日々に追われてすっかり忘れていたが、僕はまだ10歳。絶賛成長期まっただ中なのだ。このつんつるてんの外套では、王都に着く前に間違いなく凍え死んでしまう。
「仕方ない。新しいのを買いに行かなきゃ……」
でも、どんな外套を買えばいいんだろう。丈夫で、暖かくて、動きやすいやつ……。お店の人に聞けばいいんだろうけど、一人で高価な買い物をするのは少し不安だ。
僕がうーん、と腕を組んで悩んでいると、部屋の扉がドンドン!と激しくノックされた。
「シェルパ! 大変! 大変だよーっ!」
扉の向こうから聞こえるのは、宿屋の看板娘、メルの切羽詰まった声だ。
「はーい、今開けるよ!」
何事かと慌てて扉を開けると、そこに立っていたメルは顔を真っ赤にして、興奮気味に僕の肩を掴んだ。
「お、お姫様が! 本物のお姫様が、シェルパに会いに来たよ!」
「ええっ!? お姫様って……ロゼ様!?」
「うん! 今、下の食堂で待ってる! 宿のお客さんたち、みんな固まってるよ!」
僕は慌てて階段を駆け下りた。メルの言う通り、いつもは冒険者たちの陽気な声で賑わっている食堂は、水を打ったように静まり返っていた。皆、息を殺して食堂の一角を遠巻きに見つめている。
その視線の先。いつものテーブル席に、簡素なフード付きローブでお忍びの姿をしたロゼ様が、緊張した面持ちでちょこんと座っていた。そして、その背後には、まるで石像のように微動だにしない執事のセバスさんが控えている。二人が放つオーラだけが、明らかにこの庶民的な宿の空気から浮いていた。
「ロゼ様! どうしてここに……?」
「シェルパ様……! よかった、お会いできて……」
僕の声に、ロゼ様はほっとしたように表情を和らげた。
「お父様から聞きました。あなたが、王都へ旅立つかもしれないと……。心配で、居ても立ってもいられなくて……」
ロゼ様の青い瞳が、不安そうに揺れている。彼女は僕のことを、心から心配してくれていたのだ。その優しさが、僕の胸にじんわりと染み渡る。
「大丈夫ですよ。僕には、エレインさんたち頼もしい仲間がいますから。今もちょうど、旅の準備で新しい外套を買いに行こうと思ってたんです」
僕がつんつるてんの袖を冗談めかして見せると、ロゼ様はくすりと小さく笑って、そして、ぱっと顔を輝かせた。
「外套、ですか! それでしたら、私にお任せください! この街で一番のお店を知っています! ぜひ、ご一緒させてください!」
キラキラした瞳でそう言われて、断れる男の子がいるだろうか。いや、いない。
僕とロゼさんは、数歩後ろを固い表情のセバスさんと護衛の騎士たちを引き連れて、街の商業区へと向かった。お忍びのはずなのに、後ろの集団が物々しすぎて全然お忍びになっていない。道行く人々は皆、何事かと振り返り、ロゼ様のローブの隙間から覗く気品に満ちた横顔を見て、息を呑んでいた。
「あのお店です!」
ロゼさんが指差したのは、レンガ造りの壁に蔦が絡まる、いかにも高級そうな紳士服店だった。僕一人では、ショーウィンドウを覗くことすら躊躇してしまいそうな店だ。
「いらっしゃいま……ひっ! ロ、ロゼ様!?」
店のベルが鳴ると同時に、カウンターから出てきた恰幅のいい店主が、ロゼ様の顔を見てカエルのような声を出した。
「こんにちは。今日は、こちらの方の外套を選びに来たのです」
ロゼさんは店主の反応にも慣れているのか、にこやかに微笑むと、僕の手を自然に引いて店の中へと入っていった。その小さな手の温かさに、僕の心臓がドキリと跳ねる。
そこからは、夢のような時間だった。
「これはどうでしょう? 竜の革を使っているので、どんな攻撃も防ぎますぞ!」
「わあ、素敵です! でも、少し重そうですね……。シェルパ様はポーターのお仕事もされるので、動きやすい方が良いかと」
「では、こちらは? 魔法繊維で編まれておりますので、薄手なのに炎天下でも氷点下でも快適な温度を保ちます」
「まあ、すごい! 軽くていいですね! シェルパ様、試着してみてください!」
ロゼさんは、まるで自分のことのように楽しそうに、僕に似合う外套を次から次へと選んでくれた。その姿を見ていると、自然と僕の口元も緩んでしまう。これはもう、ショッピングというよりデートなのでは……?
やがて、僕にぴったりの一着が見つかった。深い森のような緑色をした、上質な生地の外套だ。軽くて動きやすいのに、内側には暖かいボアがついていて、防寒性も抜群だった。フードも深くて、顔を隠すのにもちょうどいい。デザインもシンプルで、僕の好みにもぴったりだった。
「これにします」
僕が言うと、ロゼさんは「はい!」と満足そうに頷いた。
問題は、値段だ。店主が申し訳なさそうに、しかし商人の顔で提示してきた値札には、僕の目を疑うような数字が書かれていた。
「き、金貨二十枚……!?」
僕の全財産が、金貨100枚と銀貨数枚、あとは銅貨がジャラジャラ……。全財産の1/5!
僕が青ざめながら、所持金が入ったポーチを握りしめて固まっていると、不意に横から白い手が伸びてきた。
「待ってください」
ロゼさんが、僕の手をそっと制したのだ。そして、凛とした声で店主に告げる。
「お代は、私が支払います」
「そ、そんなわけにはいきません! 自分のものは自分で買います!」
僕は慌てて首を横に振る。しかし、ロゼさんは僕に向き直り、真剣な眼差しで言った。
「あなたは、私の命の恩人です。これから危険な旅に出るあなたに、わたくしからのせめてものお守りにさせてください。……お願いです」
彼女の透き通るような青い瞳は、決して引かないという強い意志に満ちていた。10歳の僕には、この優しいお姫様の覚悟を、無下になんてできなかった。
「……ありがとうございます」
僕は、そう言うのが精一杯だった。
店を出て、新品の外套に袖を通す。
上質な生地が体に馴染み、内側のボアがふわりと僕を包み込む。ロゼさんに買ってもらった温もりが、物理的な暖かさ以上に、怒りで冷え切っていた僕の心をじんわりと溶かしていくようだった。
「すごく、似合っていますよ、シェルパ様」
ロゼさんが、自分のことのように嬉しそうに微笑んでくれる。その笑顔を見ていると、僕の胸の中にむくむくと新しい感情が芽生えてきた。
このままではいけない。貰ってばかりでは、ダメだ。彼女の優しさに、僕にできる最高のお礼で報いたい。でも、お姫様が喜ぶものなんて、僕には見当もつかない。
「……そうだ」
僕は、僕たちの少し後ろを、完璧な姿勢で歩く執事のセバスさんに目をつけた。そうだ、プロフェッショナルに聞くのが一番だ。
僕はわざと靴紐を結び直すふりをして歩く速度を落とし、セバスさんが隣を通り過ぎるタイミングを狙って、スパイ映画の諜報員のように小声で話しかけた。
「あの、セバスさん。少し、ご相談が……極秘案件です」
「……なんでございましょうか、シェルパ様」
僕の妙な芝居にも、セバスさんは表情一つ変えずに応じてくれる。さすがだ。
「ロゼ様に、この外套のお礼をしたいんです。でも、何を差し上げれば喜んでいただけるのか皆目見当もつかなくて……何か、お好きなものをご存じではないですか?」
僕の真剣な問いに、セバスさんの鉄仮面のような表情が、ほんのわずかに、本当にごくわずかに和らいだように見えた。
「……シェルパ様は、お優しい方でいらっしゃる。左様でございますね。お嬢様が本当に喜ばれるもの……」
彼は少しだけ考える素振りを見せると、周囲を警戒するように声を潜めて僕に教えてくれた。
「お嬢様は、甘いものに目がございません。特に、王侯貴族が食すような煌びやかな菓子よりも、民間で食べられているような、素朴で温かみのあるお菓子を大変好まれます」
「素朴で、温かみのあるお菓子……」
「はい。もし、シェルパ様のお手製のものであれば、きっと、これ以上ないほどお喜びになられるかと。お嬢様にとって、最高のプレゼントとなりましょう」
セバスさんはそう言うと、僕にだけ分かるように、完璧な角度でそっとウインクをしてみせた。できる執事は違う!
セバスさんからの完璧なヒントを得て、僕の頭の中に、地球での記憶が鮮明に蘇った。
甘くて、素朴で、温かいお菓子。
―――アップルパイだ! あれなら、材料もこの世界で手に入るはず!
僕はロゼ様と別れると、すぐに市場へ向かった。リンゴとバター、小麦粉、そしてこの世界では非常に高価で、貴族でもなければなかなか口にできないという砂糖を、「ロゼ様の笑顔のためだ!」と清水の舞台から飛び降りる覚悟で、有り金をはたいて手に入れた。その額金貨20枚…
そして、戦利品を抱えて『木漏れ日の宿』の厨房へ全速力で駆け込む。
「ご主人! お願いがあります! 力を貸してください!」
「おウ、シェルパじゃねえか。どうした、そんなに慌てて。猪にでも追われてんのか」
厨房で巨大な肉塊と格闘していた宿屋のご主人が、大きな体を揺らして振り返った。
僕はかくかくしかじかと事情を説明し、「アップルパイ」という聞いたこともないお菓子の作り方を、必死に口頭で説明した。
「ほう、『あっぷるぱい』……。リンゴを砂糖と香辛料で煮詰めて、小麦粉で作った生地で包んで焼く、だと? へえ、そりゃあ面白そうだ! よし、乗った! 俺の料理人魂に火が点いたぜ!」
ご主人は料理人としての探求心をくすぐられたのか、ニヤリと豪快に笑って僕の頼みを快く引き受けてくれた。
そこからは、僕とご主人の二人三脚による、前代未聞の異世界クッキングの始まりだった。
僕が地球の記憶を頼りに
「リンゴはもっと薄く!」
「バターはケチらずに!」
と指示を出し、ご主人が「おうよ!」と応えながらプロの技術でそれを形にしていく。
リンゴを煮詰める甘い香りが、厨房いっぱいに広がる。バターを何層にも練り込んだパイ生地を、ご主人が見事な手つきで折りたたんでいく。
やがて、黄金色の格子模様が美しいパイが完成し、魔道具のオーブンの中へと吸込まれていった。あとは、焼き上がりを待つだけだ。
しばらくして、チーン!という軽快な音と共に、オーブンの扉が開かれた。
その瞬間、今までとは比べ物にならないほど濃厚で、甘く、香ばしい、犯罪的な匂いが厨房を支配した。
「うわあ……! なに、この天国みたいな匂いは!」
「お父さん、また何か新しい料理作ってるの?ずるい!」
匂いに釣られて、女将さんとメルが蝶のように厨房に舞い込んできた。
「おう、ちょうどいいところに来た。シェルパが教えてくれた新しい菓子だ。毒見……いや、味見していけ」
ご主人が切り分けた、まだ湯気の立つアップルパイを、女将さんとメルが目を輝かせながら恐る恐る口に運ぶ。
サクッ!
小気味良い音と共にパイ生地が崩れ、中からトロリとしたリンゴのフィリングが顔を出す。
次の瞬間、二人の目が、カッと見開かれた。
「「……!!」」
「おいしーーーーーいっ!!! なにこれ、口の中で幸せがオーケストラを奏でてるぅぅぅ!!」
二人の絶叫が、宿中に響き渡った。
「何これ! 外はサクサクなのに、中はトロトロで……甘酸っぱくて……こんな美味しいもの、食べたことない!」
「うん! 毎日食べたい! むしろ三食これでいい!」
二人はうっとりとした表情で、あっという間に一皿を平らげてしまった。その大騒ぎを聞きつけて、食堂にいた冒険者たちまで
「なんだなんだ?」
「すげえいい匂いだぞ!」
と厨房に集まってくる始末だ。文句なしの大成功である。
僕は一番きれいに焼けたホールをご主人に箱詰めしてもらうと、冒険者たちの「俺にも一口!」という声援を背に受けながら、急いで領主館へと向かった。
セバスさんの完璧な取り計らいで、すぐにロゼ様のいる客間に通される。
「シェルパ様? どうかされたのですか?」
不思議そうな顔をするロゼ様に、僕は少し照れながら、まだ温かい箱を差し出した。
「あの、先ほどの外套のお礼です。僕が……その、ご主人に手伝ってもらって、作りました」
「まあ……! わたくしに?」
ロゼ様が嬉しそうに箱を開けると、中から現れた黄金色のアップルパイを見て、目をキラキラと輝かせた。
「なんて……綺麗なお菓子なのでしょう。それに、とても良い香り……太陽の匂いがしますわ」
セバスさんが手際よく切り分けてくれた一切れを、ロゼ様がフォークでそっと口に運ぶ。
一口食べた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
そして、ふわりと、春の野に咲く花のように、満面の笑みを浮かべた。
「……おいしいです。今まで食べた、どんなお菓子よりも、温かくて、優しくて、美味しいです……!」
その笑顔を見て、僕の心も温かいもので満たされていくのを感じた。
父さんを救うための、暗く、険しい旅。
でも、その前に、こんなにも温かい時間を作ることができた。この笑顔を守るためなら、どんな困難にも立ち向かえる。
僕は、心を込めたプレゼントと共に、新たな決意を固めるのだった。
―――そして、この物語には、ささやかな後日談がある。
僕が王都へと旅立った後、『木漏れ日の宿』では、あのアップルパイが正式メニューとして売り出されることになった。
その味は瞬く間に街中の評判となり、冒険者から商人、果ては領主様まで、誰もがその味の虜になったという。
宿のご主人は、このパイに名前をつけた。
『木漏れ日パイ』。
それは、宿の名前と、シェルパという少年がこの街にもたらしてくれた、木漏れ日のように温かい光にちなんで名付けられた。
やがて『木漏れ日パイ』は迷宮都市アマーリアの誰もが知る名物となり、僕と、僕を待つ大切な人たちとの絆の象徴として、末永く、人々に愛され続けることになるのだった。




